どうも。雇用早々、休憩中に呼び出して悪かったな。俺は撮影技師の甘梨 和明。普段は特殊機材を使った撮影を任されるような、端的に言えばカメラマンって感じ。E-105式撮影機とか聞いたことないか、幽霊撮るヤツなんだけど……ない? 了解。
とにかく、要件はさっさと済ませよう。今から君の証明写真を撮る。
既に聞かされてると思うが、職員になったからには職員証明書の発行が必要だ。ほら、この首からかけてあるネームカード。君はオリエンテーション担当について回っていろんな施設を出入りしてると思う。けど、明日にでも自分の権限の範囲は自分の脚で移動して欲しいのが本音だ。非常時に新米をシェルターへ誘導できる余裕はないし。
で、俺のを見てもらえればわかる通り、職員証明には写真が必須。あと、公的なデータファイルのいくつかにも。……過去の写真を使いまわせば事足りる? 外で菌に汚染された手のまま食事する習慣は病の根源って理屈を説明すべきなのか? 疑うわけじゃないが、外で撮られたものに何が仕込まれてるかはわからない。なら、内で撮ったほうがいいってことだ。もちろん外の写真を"殺菌する"って手もあるけど、警戒するコストに大して得られるものが少ない、却下。
ここについても話しておこう。部屋の構造を見て想像はついてるだろうが、ここは静物オブジェクトの撮影にも使用される撮影室だ。今のうちに観察しておいてくれ。その天井から生えてる固定カメラはだいたいの『撮影不可能』を可能にしてきた代物だ。本当に『撮影不可能』を貫き通されることも結構あるが、それはあのクソSCiPどもが異常なだけで、これがポンコツってわけじゃない。そう、「SCP-ナントカは電子機器による画像撮影が不可能です」なんて一文はこいつの出来が悪いから追加されてるんじゃないんだ。撮影技術の結晶なんだよマジで。……あー、失礼。
以上、よくあるQ&A終わり。まどろっこしい説明だったろ? でも、説明も義務のうちだから仕方がない。オリエンテーションの講座の1つだと考えてくれ。オリエンテーションと違うのは、教えることが何もないだけだ。さて、白幕の前に立って。位置はバミってある。俺は裏の機材室に行く。カメラのレンズが動いたら準備してくれよ。
よし。レンズへ正確に向いて。手は腰の横。合図はもちろん出すから、目を瞑るな、笑うな。それと、動くな。絶対にだ。
うん、概ねオーケーだ。いくぞ、3、2……
ちょっと待った。
前言撤回。レンズ越しだとまるでダメだ。俺を機材室から飛び出させるなんて久々だぞ?
まず、まっすぐ正面を向いてるつもりだけど、右肩よりに傾いてる。そっちじゃない。あ、俺から見て右だから君からだと左肩だ。悪い。それと襟首が歪んでる。ネクタイも結び目が良くない。よくここまで恥じずに歩いてこれたもんだ。貸せ……ほい、これで直った。
あと前髪の分け目、それで大丈夫か? いやこれは最初から気づいてたんだけど、この機に言っといた方がいいなと思って。俺からすると、ちょっと似合わない感じがする。手鏡なら貸すよ。ヘアブラシもここにある。ぱぱっと整えろ。こういうときは姿見があるといいんだけど、そんなもんないからな。
準備ができた? わかった。
……おい、体がまた歪んでるぞ。それ、たぶん立つときの癖だ。すぐ癖を戻した方がいいな。老後が心配だ。
よし、今度こそ。まずちょっと顎を引いて。次は顔が右手寄りだ。もう少しだけレンズを意識して。そうそう。目はしっかり開く、きゅっと口許引き締める。眉が寄っちゃってるな、気は適度に緩めててくれ。
はい、3、2、1!
オーケーだ。2枚目に移ろう。あんまり喋って時間を使わないようにな。いくぞ、3、2……なに、聞きたいことがある? 後でもいいんじゃないのか。……ダメ? そうか。じゃあ聞こうか。なるべく手短に頼む。
「俺のやってることは財団的じゃない」?
「写真を撮るだけなのに、無駄に時間をかけすぎてる」?
これはまたQ&Aを引く必要がありそうだな。じゃあ、君のいう"財団的な写真撮影"はどんなものをイメージするか、言ってみてくれないか? ……なるほど。警察署で犯罪者が流れ作業で撮られていくタイプ。マグ・ショットってヤツだ。確かにマグ・ショットの形式で撮るのは非常に効率的だ。しかし、こういう格式っぽくて、面倒で、個別な写真撮影でも得られるものは確かにある。
正確性だ。
君には馴染みのない観念かもしれないが、写真は永遠だ。現在から瞬間を抉り、画像ファイルにそれを流し込んで鋳造したインゴットだ。
加工? 編集? 存在するとも。その点の永遠性なんて皆無なのかもしれない。でも同時に切り取られた1秒も存在していて、原典を視認した人間はそれが脳に焼き付く羽目になるんだぜ。
財団には自分の顔がわからなくなったヤツが大勢いる。単に失明とかそういう意味だけじゃない。君も知ってるはずだ。今日で何人、縁日みたいな仮面を装着してるヤツとすれ違った? そいつらにとって今の「自分」は正確に認知できない。彼らの「自分」は煙か、何れかの動物か、それ以外の間抜けな物体だ。生きている限り、彼らは死ぬまでそれを引き摺ってかなきゃならない。「自分」じゃないヤツを強引に「自分」の型に嵌めてな。
じゃあ、そんな彼らのアイデンティティとは? ……3秒で答えれるだろ。過去に焼き付いた自分の写真だ。何度も何度も反芻して、自分と過去とのつながりを確かめて、ふわっと浮き上がっちまうのを防ぐ。浮き上がったら最後、彼はそう「見えている」んじゃなく、実質的に「見える」ようになるんだ。異常な現在に飲まれちまうってこと。
そして君も例外じゃない。意味不明なSCiPに意味不明なビームを喰らって意味不明な姿になる可能性は在る。残念ながら。そのときに思い出す写真の姿勢が曲がってたら? 襟が歪んでたら? 前髪がイケてなかったら? 俺だって嫌だ。だから俺はカメラマンの端くれとして、最高の一枚を収めてやりたい。……公的文書の写真が大喜利の画像みたくなってたら普通に示しがつかないし、どうせならクールなネームカードにしたいだろ?
この一枚は君を証明するものだ。仮に君が自分を失っても、刻まれた一点からまた戻ってこられるように。失われても、それさえ覚えていれば先に進める。財団は喪失とバックアップの繰り返しでできてる、意外かもしれないけど。
記録は正確に、丁寧に。そこで時間を惜しんではいけない。手早くやるのは褒められるが、雑にやったらすべてが台無しになる。非の打ち所のない記録はいつか必ず役に立つ。SCiPをリスト化してる考えの根っこもそうだし、俺が『撮影不可能』にキレてるのもそういう事情があるからだ。
この撮影の意図は了解できたかな? なら、姿勢を戻してもらおうか。顎は引けよ。……うん。
はい、確保、収容、保護。
なんてね……おお、いい撮れ具合。問題はないよ。今日はこれで終わり、休憩に戻ってくれ。写真は調整して人事部に送っておくから。
良き財団生活を。この写真が告別式に使われないことを、心の底から願ってるよ。