izumi_sngw/KanKan/Mas_kera_de/mojamoja/Okaka_Onigiri/solvexの提言
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くだん: どうも~くだん・バンシーです。僕がくだんで、

バンシー: 私がバンシーです。

くだんバンシー: よろしくお願いしまーす。

くだん: ところでバンシーさん、世界終わっちゃうらしいですよ。

バンシー: 知ってますよ、だからこそ10年以上ぶりにこうしてまた漫才やらせていただいてるんですから。

くだん: ということで、ちょっと救いにいってきます。

バンシー: それは越権行為でしょう。私たちはあくまで予言するだけなんですから。

くだん: 何言ってるんですか!にぎやかな人々!美しい自然!これを守るためなら僕はなんだってしますよ!

バンシー: はあ。

くだん: 例えばこの綺麗なお花、これを来年も見るために立ち向かうって思うと頑張れません?

バンシー: くだんさん予言したら死んじゃう性質じゃないですか。どのみち来年なんて見れませんよ。

くだん: え、僕そうなの?うわーショックだ。せっかく世界を救って英雄になろうと思ってたのに。

バンシー: 下心しかないじゃないですか。なーにが英雄ですか。

くだん: まあそれなら英雄はおしまいです。これで晴れて自由の身だ!

バンシー: 英雄になってから解放されてください。

くだん: そういえば僕らと似たようなことやってるやつにドリームマンってやつがいるんですけど、やつはどうしているのやら。

バンシー: 彼はくだんさんと違って人を助けようと頑張ってますからね。

くだん: いやー分かんないですよ。案外もうあきらめて適当なこと言い散らかしてるかも。

バンシー: 予言者が真実言わないならその名を返上してもらいますよ。

くだん: 僕ももう予言にとらわれずに好きなこと言って生きていこうかな。

バンシー: もうさんざやってるでしょうに。

くだん: ま、どのみち世界は終わるんで意味ないんですけどね。言えること無いんでここらでもうひと眠りさせてもらいます。

バンシー: いやここ壇上ですよ。じゃあ勝手にやめさせてもらいますわ。

くだんバンシー: どうも、ありがとうございました。

  2019/3/20放映のSCP-1146-JP映像記録より抜粋


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以下はO5評議会によって作成されたメッセージです。

全職員へ通達。

本日の評議会会議により、SCP-001-JPによるYK-クラス宇宙終焉シナリオの回避は不可能であると結論付けられました。以下のファイルを根拠として添付します。

  • 物理系総合シミュレータによるシマダ機構破綻時の解析結果
  • SCP-001-JP関連並行宇宙観測記録#26
  • 未来予知オブジェクト啓示記録一覧

本日をもって、全ての職員はその任に強制されません。来たる時まで各自の生を全うしてください。

お疲れさまでした。


「切るぞ」

開いた鋏の刃を根元につける。ほんの一瞬逡巡する。だが切らなければならない。一息ついて覚悟を決める。

「すまない」

ぐっと鋏を握りこむ。小気味よい金属音と共にぽとりと藤の枝が落ちた。

ここは財団のサイト-8173の第8植物園。財団の施設としては珍しい、アノマリーを一切入れない”ごく普通の”植物園だ。研究機関としての役割を持つとともに、異常が日常になりかねないこの財団において、正常が何かを思い出させてくれる貴重な場所でもある。私は数年来ここの植物の手入れを行ってきた。
今は花の咲き終わった藤の剪定を行っている。開花時期を過ぎた藤は、夏の日差しを存分に受けて枝が際限なく伸びる。好きなように生長させると非常に見苦しくなる。そのため、必要のない枝を断つ。

地面にしゃがみこみ、切り落とした藤の枝を拾う。植物特有の香りが切り口から強く漂ってくる。まだ生きているのにと枝から訴えかけられている気分になる。

「すまない」

このところ、頻繁にこの言葉が出てくるようになった。
やらなければいけないことではある。夏前にある程度枝を切らなければ、思うように花が咲かないことがある。また、藤は生命力がひときわ強く、生存のため周囲の樹木に巻きつき、場合によってはその樹木を絞め上げて殺してしまう。こと植物園においては手をかけてやらないと大変面倒なことになる木だ。
だが、それは人間が育てる場合に限る。野生の藤は手をかけずともたくましく育つ。寿命も長い。放置された藤が周囲を侵食していくことがニュースになるほどには強い。藤が生きるために人間の手は必要ない。

私は余計なことをしてきたのではないか。

藤の木を見る。この時期の葉はまだ若く、レースカーテンのように薄い。それらは初夏の穏やかな日光ですら透過し、地面を淡く照らしている。枝から漏れる光と合わさり、さながら美しいベールのように見えた。それを切り落としていく。それが今日の作業だ。
一つ息をつき、割り切れない気持ちをかき消す。何を今更そのようなことを考えているのか。悪い枝を切り、良い枝を残す。それだけを考えれば良い。それにもうそんなことも考えることはなくなる。私は今日で財団を去ることになるのだから。

「こんなところで立ち尽くしてどうされましたか。体調でも悪いのですか」

セリフの内容に合わない無感情な声が聞こえてくる。植物園の責任者が私の側に立っていた。どうやら長く考えに耽っていたらしい。考えていたことを悟られないようにタオルで顔を拭い、彼と対峙する。

「大丈夫だ、それより何か御用で」

「休憩の時間です」

彼は手に持った時計を私に見せつける。その瞬間、デジタル時計の時刻が12時を示しアラームが鳴り響く。
第8植物園は全面を強化ガラスで区切った植物園だ。天気の良い日は外気よりも室温と湿度が高くなり、体調を崩す者が後を絶たない。そのため、一定間隔で休憩を入れることが義務付けられている。それがここのサイト管理官の方針だという。彼はどんなときでもそれをきっちりと守る。気味が悪いほどに。

「もう少しでキリが良くなる。それからでも良いか」

「却下します。サイト管理官の方針です」

「あと5分で構わない」

「却下します」

私のささやかな要求をにべもなく切り捨てる。私がここに来た時にはすでに責任者だったが、表情が変わったところを一切見たことがない。必要最低限のことしか話さない。規則を曲げることを是としない。冗談が一切通用しない。まさに"堅物"と言うにふさわしい人物だった。仕方がない。最後の手段を使うことにする。

「俺がここで働けるのは今日で最後なんだ。最後くらい自由に……」

「却下します。それでは」

堅物はそれだけ言うとアラームをカチリと止め、事務室へ早歩きで帰っていった。彼が進むたびに付近の植物がさらさらと音をたてて揺れる。植物よりも寡黙で何も語らないこの人が私はどうも苦手だった。

休憩後も黙々と作業を続ける。細い枝は一通り切り落とされ、太めの枝やツタが残っている。刃渡り20cmののこぎりを力強く引き込む。ガリガリと枝が音をたてる。程なくして2m以上はあるツタが地面に落下する。作業を始めて数時間が経つと、細い枝を切り落とした時に口をついた謝罪の言葉が嘘だったかのように迷いがなくなる。そして、どこか楽しくなる。
剪定が粗方完了した。息を一つつき、藤を見る。長年培った技術をもって整えられた藤は美しく、そして、ひどくさっぱりして見えた。あ、と声が漏れる。思わず藤から目を背け、地面に目を移す。花がら、枝、ツタ。藤だった残骸が転がっている。逃げ場はなかった。

「時間です」

ぐいと意識を引き戻される。堅物がいつの間にかそばに立っていた。アラーム音がやかましい。気がつけば日は傾き、赤と黄の混じった光が植物園を包んでいた。

「右手奥のドアから退出を」

助かった。金縛りが解けたような感覚がした。普段と変わらないものへのありがたみをひしと感じる。それと同時に少し心の余裕が生まれ、最後まで彼の言いなりに終わるのが何だか気に食わなく思えてきた。最後の抵抗を試みる。

「作業はまだ完了してない。最後の仕事だ。中途で終わらせるのはあんたたちにとっても都合が悪いんじゃないか」

「いえ、中途で結構です。右手奥のドアから退出するように」

「なんだい、監督者様は最後の余韻にも浸らせてくれないのかい。それはそれは仕事熱心なことで」

「今日が最後であろうと関係はありません。立場をわきまえるようにD-24377」

堅物がカチリとアラームを止める。

呼ばれたくない名を呼ばれた。人生の半分近くは呼ばれている忌み名だ。運が良いのか悪いのか、何度実験台に上がっても生き残り続けてきた。そのせいで、何年も剪定作業を割り当てられたままになっている。ここのルールもある程度理解しているつもりだ。

だから、今日付けでサイト管理官からDクラス指定を解くと告げられたことにはひどく驚いた。憤りからくるものではない。財団がDクラスを解放するという考えられない事実に対するものだ。私の態度が良かったため財団が慈悲を持って私を解放するのだろうか。いやそれはありえない。秘密主義の財団だ。解放などせずにEクラス職員かなにかにしておけばよい。そのほうが合理的だ。他に考えられるのは「Dクラスの必要がなくなった」というもの。それは財団にとってあることを意味する。

「分かった、あんたの言う通りにする。代わりに最後に一つだけ教えてくれないか」

努めて軽い口調でお伺いを立てる。最後に確かめたい。堅物は振り返り目を合わせてきた。聞く気はあるらしい。それを見て続ける。

「もう駄目なんだな?」

堅物の表情、息遣い、目線、一挙一動を注視する。素直に答えるなどとは思っていない。だから、見る。普段何も語らないやつから答えを引き出す方法はこれしかない。

しかし、堅物は堅物だった。

は、と一つ息を吐く。こいつに持久戦を仕掛けても結果は変わらないのは分かっている。 この堅物に少しでも期待した自分が恥ずかしい。

「いや、何でもない。世話になったな」

踵を返し、屋内につながるドアに向かう。ドアの向こうにおそらく職員が待機している。その後は記憶処理が施され、私は何も知らない一般人として解放されるのだろう。この迷いも悩みもすべて無くなる。それで終わりだ。ドアノブに手をかける。

「答えないことが」

無感情な声がした。予期せぬ音に思わず振り返る。

「答えないことが答えである。そのような事例もあると。そう聞いています」

堅物の表情は変わらない。こんなことを言いながら最後まで堅物を貫くつもりらしい。その不自然さに笑いが込み上げてくる。なるほど、こいつも人間だったのか。

「なんだ、つまらないことも言える奴だったんだな」

堅物は何も答えない。

「改めて世話になった。そいつのことは頼んだ」

手のひらを堅物にみせてやる。堅物は軽い会釈をした後、事務室に戻っていった。

植物園に静寂が訪れる。息をつき、藤の木を見る。ひとり何も知らない藤は来年の開花に向け、青々とした葉をなびかせている。その開花の晴れ姿を、私が残す最後のものを誰か見てくれると。それを願いながら私はドアノブを回した。


アイテム番号: 001-JP
レベル1
収容クラス:
keter
副次クラス:
none
撹乱クラス:
amida
リスククラス:
critical

説明: SCP-001-JPは、2019/3/15より発生しているアノマリーの不規則的な性質変容です。現在まで発生する対象や、発現する性質に規則性は発見されていませんが、いずれの性質もほとんどの場合においては収容違反に繋がらない程度の軽微な変容です。発現する変容の脅威性が、SCP-001-JPの発生したアノマリーの増加あるいは時間経過により加速度的に増加していることが確認されています。これによりSCP-001-JPに起因した特別収容プロトコルの無効化や、他SCiPの収容違反の併発が発生しています。以下は財団の管理下で初めて確認されたSCP-001-JPと、その後の変容の実例です。全てのSCP-001-JP実例の一覧は添付資料を参照してください。

アイテム番号 変容 2019/3/22 更新 2021/5/7 更新2023/1/4
SCP-173 頭部が青みがかって観測されるようになった。また不定期に20デシベル程度のホワイトノイズを発する。 体積の約28%が分離し、上空へ射出される。発生した衝撃波により収容施設が全壊し、19のSCiPが収容違反を起こした(うち6未収容)。速度がおよそ秒速30kmと算出され、射出した方向と合わせて地球の公転の慣性から脱落したものと推定される。回収された残り約72%は遠隔隔離サイト-25に移送された。 SCP-173の収容室を中心に、約半径1.5km範囲の物体がプラズマ化した。発生地点には何の実体も観測されていないが放射線が計測されており、SCP-████-JPの残留が推定されている。収容は放棄された。

この一連の現象の原因について、形式部門により提唱された"シマダ機構"の機能不全として説明されています。以下は島田研究員によって行われた、SCP-001-JP発生要因報告の抜粋です。

評議会記録250-556

[前略]

…まず前提として、なぜ通常の物理法則下で物理法則に違反した存在が許容されているのか。この点について改めて説明させていただきます。

物理法則が異常を許容している理由ですが、有り体に言うと空間がそういった機能を有しているからです。例えば、空中に鉄板が浮かんでいる様子を想像してみてください。この鉄板を上から指で押すと、鉄板は全体が押した方向に移動するでしょう。しかし浮いている物が布や柔らかい紙であるならば、押した箇所のみが凹み、全体への影響は少ないものとなります。この布が空間であり、指で押して凹みを作るものが異常存在です。空間自体が柔軟性を有していることにより異常の周囲である程度の閉じた領域が形成され、空間全体での物理法則の対称性が維持されているというわけです。加えて、異常が違反する物理法則が制限されています。例えば、質量保存則に違反しているものの、万有引力や慣性の法則に従っている異常存在があることなどです。

既に報告させていただいている通り、我々はこの空間の柔軟性をシマダ機構と称しています。数学での記述の試みも進行中であり、一般相対性理論において通常は0となる捩率を用いた記述と、全く異なる微分幾何学を用いた記述の2つの方針で行われています。

以上を踏まえたうえでSCP-001-JPは、シマダ機構の機能不全と考えられます。紙や布も凹みが増え、大きくなればいずれ破れてしまうように、空間も同様に強度の限界があったということでしょう。空間を閉じる機能が減衰したことで違反する物理法則の選択性が弱まり、異常の影響の拡散が引き起こされています。これは我々の異常を収容するというスタンスに対して致命的であり、なんらかの抜本的な体制の見直しが必要になるでしょう。

ですが、我々が懸念しているのはその先です。
このまま機能が弱まり続ければ、シマダ機構自体が失われてしまうのではないかと考えています。そうなった場合に何が起こるのかは、正直言って分かりません。予想とはモデルがあって初めて成立するものだからです。
ですが今の我々は、わずかではありますが時空間に作用する技術を有しています。シマダ機構を補強、補修する術もきっと見つかるはずです。


世界が終わるから、キミはキミのやりたいようにやりなさい。上司にそんな言葉を告げられてからの一週間、私は担当オブジェクトの状態に変化がないかを確認する業務をただ淡々とこなし続けていた。
今日もいつもと変わりない安全保管ロッカーの前に立つ。指定のパスコードを打ち込み、中に収容された人を馬鹿にした題名の本を数冊手に取ると、その外装に変化がないことを念入りに確かめる。それから分厚さがまちまちのそれらに目を通し、以前と何ら変わりのない最終章を読み終わったところで手元のチェックシートに印を付けた。

「特異性喪失後のSCP-268-JPに変化なし。現時点で異常性の再発ならびに変動はないと考えられる」

そう誰に聞かせるまでもなく呟きながら、オブジェクトを元通りの位置に戻していく。

私はこの作業が嫌いだった。
この一週間、いろいろな"元英雄"の姿を見て、諦めてしまった彼らの末路を見てきた。だからこそ、彼らと財団を  そして私のことを、イヤでも重ねてしまう。これがお前らの罪なのだと、これがお前らの未来の姿だと言われている気分だった。誰かを救うために命を投げ出せない者は"英雄"足り得ないのか?
どれほどあがこうとも打つ手がなければ諦めてしまうのが当然だろう。財団ですらそれには抗えなかった。だから、彼らは悪くないのだと、彼らが悪くないのだから自分も悪くないのだと、叫びだしそうなほどに渦巻く思いを封じ込めるように私はロッカーの扉をしめた。

こことは違う場所にある、諦めることなく"英雄"であり続ける彼は今の財団を知ったらどう思うのだろう。軽蔑するだろうか。同情するだろうか。それとも同調するのだろうか。あがくこともやめることも選べない惨めなこの顔を、彼はどんな気持ちで、表情で見るのだろうか。

  そんなことを考えていたら、無性に彼の顔が見たくなった。

人通りの少なくなった廊下をできるだけ足早に抜ける。止めにいく人間などいないのに鳴り続ける警報がうるさい。非難の声にも似た音だ。
こうしている今も彼はあの子どもを助けている。私が怠惰に業務をこなしている間に彼は打開策を見つけようとあがいている。私が心を決められない間にも、彼は"英雄"であり続けている。

ふいに子供の頃のことが頭に浮かんだ。父が年がら年中仕事に勤しんでいるのを見て、たまには遊んでほしいと駄々をこねたいつかの夏。彼は私の頭に手を置いて、ごめんねと静かに言った。あの時はわけもわからず嫌いだと言ってしまったけれど、今の私なら父のことを理解できる。彼は財団の職務にただ忠実だった。世界を救うために自らの幸せと職務を天秤にかけた一般的な財団職員だったのだ。そして彼は、私が十八になる頃には帰らぬ人と成り果てた。一度も遊んではくれないままに。

泣いている母から父が入った壺を受け取ると、そのあまりの軽さに驚いた。小さな壺を呆然として見つめる私を母は抱きしめ、英雄として父は死んだのだから誇りに思いなさい、あなたも父に恥じないような生き方をなさいと諭すように言った。
だから私は英雄の父に恥じないような仕事をしようと、世界を救える仕事をしようと、誰かのために生きれる自分であろうと  

私はいったい何をしているんだ?

とりとめもなく浮かんでくる思考に打ち消し線を引いて、振り切るように収容室の扉を開く。仕事をこなしているだけと言い訳するように持ってきていたチェックシートは、気づけば床に転がっていた。後で怒られるだろうか。いや、怒る人間はもういなかったけなとぼんやりと考えながら、がらんとした収容室の中央へと目を向ける。そこには今や唯一の"英雄"となった彼が専用ケージの中に独り寂しく置かれていた。

何かに急かされるようにケージを開く。SCP-268-JP-106の題字に変化はない。彼はまだあの少女を救い続けている。何かを伝えるために無意味な叫びを繰り返している。それにどこかほっとしたような、失望したような気分になる。
そんな複雑な感情を抱きながら、現状の最新ページを開く。

そこには満足げな表情で倒れる下半身のない"英雄"と、彼の手をとって泣く少女の姿があった。

彼は今日も英雄であり続けている。自己犠牲を続けている。
そんな彼の姿を見た瞬間にページを開く前までの感情が全てすとんと落ちていくのを実感した。私は床に放り出したチェックシートを拾い上げ、そこにある"変化なし"の項目へと印を入れる。

もう限界だった。父が死んでからずっと、あの英雄にふさわしい子どもになれるように生きてきた。誰かのために生きられるように、ずっとずっとずっと。そう、ずっと私は  そんなことできもしないのに惰性で英雄になろうとしてきていた。今までは英雄財団の中にあれば英雄であれた。でも、もう彼らは英雄足り得ない。なら私は、今から英雄になれるのか?

なんでもない私ではもう、誰かのために死ぬなんてことはできなかった。

一昨日に異常の変容で弾けとんで死んだ同僚を思い出す。あんな死に様まっぴらごめんだった。私は"英雄"ではない、なれない。死ぬのなら自分のためだけに死にたい。この一週間、決して報われることのない人助けを続ける彼を見て、人のために死んだ事実すらも弄ばれた彼らを見て、ずっとずっと昔から積もり続けていたものについに目を向けてしまった。だからもう自分の気持ちから目をそらすことはできなかった。

私は世界が終わるときまで"英雄"であり続けるであろう彼の顔をもう一度だけ見つめ、元のように本を戻す。自分のために死ぬために、英雄をやめにいこう。ここに来たときとは一転した軽い足取りで、私は収容室の扉を閉める。警報の音はもう気にならなかった。


照会宇宙1001-JP-4観測記録報告抜粋

[省略]

…基底宇宙の2020/7/7、照会宇宙001-JP-4の計測データが途絶えました。接続器、受信機に異常がない点から、向こうの宇宙にある計測器が破損したものだと思われます。またこれ以降、照会宇宙001-JP-4への再接続が失敗しています。私はこれを、提唱されていたシマダ機構の崩壊が発生したからではないかと考えています。根拠としてですが、1つグラフを提示します。

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照会宇宙001-JP-4温度計測データ

データが途絶える直前に計測できた、温度計のグラフです。他の計測機器は基底宇宙の9時19分35秒22を境に一瞬で破損したようですが、温度計だけはわずかにデータを送って来ていました。当該時間から0.03秒の間ですが、計測結果からは上下限を超えた超高温と超低温で振動していることが分かります。私も最初は故障だろうと思いましたが、データを解析する限りは正常に動作していたようです。シマダ機構の崩壊がこのような環境を引き起こすなら、当然ながら生命が生存することは不可能です。というより私は、それ以上のことが起こっているのではないかと思います。仮に温度計が超高温と超低温に交互に曝されたとしても、熱伝導の観点から温度変化はある程度の時間がかかるため、このような急激なグラフの変動を観測することは無いからです。もっと壊滅的な、我々には観測すらできないような何かが起こり、温度計の計測でその表層のみを見ることができた、そうとしか考えられませんでした。シマダ機構の崩壊がYK-クラスシナリオを引き起こす可能性について議論されてきましたが、どうやら正しいようです。何らかの対策を立てるという点では、このデータは致命的なものでしょう。ですが、私にとっては有用なデータでした。これで諦めることができましたので。


「君、紅茶は飲むのかい?」

「いやあ、全然」

「そうか、それは残念。世間話に紅茶はよく合うんだが」

買ったばかりの無地のノートのような、どこまでも白く空虚な空間が広がっている。その一角にぽつりと置かれている小洒落たデザインのテーブルチェアセットに、僕らは座っていた。対面には、スーツに中折れハットの男が座っている。彼は先ほどからテーブルの上のカップに紅茶を注ぎ、角砂糖を3ヶずつ入れて、ティースプーンでゆっくりとかき混ぜている。

僕の手元にも彼のと同じティーセットが置いてあるが、僕はまだ一口も飲んでいない。アールグレイだかダージリンだか知らないが、あの香り高い飲み物を、僕はまだカップに注いですらいない。用意した紅茶を一向に飲まない客人に対し、彼は特に不愉快な様子を見せることもなく手元の3杯目を口に運んだ。

「お前の飲みっぷりを見てると、こっちが胃もたれしそうになるな。ユージーン」

「ん……ユージーン? 誰のことかな? 私はネイサンだよ」

「初耳だな。さっきはデイビッドだった気がするが」

「はは、人は常に移ろいゆくものさ」

彼がまたカップを口に運ぶ。先ほどからこうやって、何の意味もないくだらない会話を途切れ途切れに続けている。数年ほど前、昇進した折に彼の報告書ファイルを読む機会があった。彼は財団と初めて接触した時から、一貫してこんな調子だったようだ。

こうして自分が彼と相まみえることになり、改めてその掴みどころのないひょうひょうとした素振りを間近で見せつけられると、もどかしさばかりが募っていくのを感じる。しかし、僕が業を煮やして、彼がカップを置いたタイミングを計って話を切り出してみても、

「……そういや  

「そういや、今の勤め先の話なんだが」

  ああ、どうしたんだ?」

こうして、結局は彼のくだらない雑談に押し負けてしまう。もう何分  いや、何時間経ったのか分からない。せっかくこうして彼と同じテーブルにつく機会を得たのに、訊きたいことを何も訊けないまま、ただ無駄に時間を費やしている自分。僕が何よりももどかしく思っていたのは、他でもない自分自身だった。

「いやあ、長年ビルの警備員を務めていたんだが、そのビルの取り壊しが決まってしまってね。職を追われることになりそうなんだ」

「へえ、警備員?」

「そうそう。いや、私のやることといえば、監視カメラの映像を眺めて異状があれば報告する、くらいのものなんだが。でも、これが中々大変でね。ほら、ただ座っているだけでも結構来るだろう? 腰に」

「まあ……それは僕にも覚えがあるな。ようく」

自分の仕事も似たようなものだった。AnomalousアイテムやSafeクラスアイテムの、分かりきった内容の実験結果と経過観察を確認して、上に報告するだけの退屈な仕事。昇進した結果変わったのは観察対象の機密レベルだけで、ただモニターの前に腰が痛むほど座りつづけるだけのあの時間は相変わらずだった。

もちろん、どれだけ退屈だろうと、異常存在を相手にしている以上は重要な職務に変わりない。放置しても問題ないというのは我々の勝手な予測にすぎず、それが裏切られて大事故になった、なんていうのはよく聞く話だ。そのことは十分に理解していたし、いつだって手を抜いたつもりはなかった。

「しかし、あなたも腰痛に悩まされるものなんだな」

「歳っていうのもあるかもしれないな。それにほら、夏場のビーチは過酷だろう?」

「……ビーチ?」

「灼熱の日差しが肌を焦がすサマーシーズンに、毎日毎日あの座る位置の高い椅子に登って、舞い上がった連中を見守る。やりがいがなかったわけじゃないが、それ以上に大変だったな。やっぱり」

「いつの間にビルの警備員からライフガードに転職した?」

「フットワークの軽さが自慢でね」

だが、少なくとも僕の目の前では、重大なインシデントというものが起こることはなかった。運ばれてくるアイテムはいつだって予想通りの挙動しかしなかった。こちらから干渉しなければ異常性は起動せず、アイテムを物理的にしまっていればそれで収容は完了した。実験の際も、当初の予測を大きく逸脱するような結果は出ず、仮置きのクラス分類が変えられたところを見たことはなかった。

だから、僕はあの日の告示がしばらく信じられなかった。異常性が物理的な媒体に収まらなくなり、その規則性も失われることになるという、あの予測内容が。あまりにも急で、脈絡も現実味も感じられなかった。何より、そんな深刻な事態が差し迫っているにもかかわらず、僕の職務は大して変わらなかった。ただ、運ばれてくるアイテムが未知のものから、収容済の既知のものに変わっただけだった。だからこそ、僕にはあの告示の内容が、今までどこか絵空事のようにしか思えなかった。

  ドリームマンが現れるまでは。

「まあでも、そのビーチも今度のハリケーンで根こそぎ吹き飛んでしまうんだが。ライフガードだというのに自分の命はガードできそうにもない、というのは笑い話なんだろうか」

「どうだろうな。取り敢えず僕は、同僚にそういう連中が山ほどいるから、あまり笑えないが」

「おっと、これは失礼」

「気にしないでくれ。あなたに謝られたのは、記憶が正しければ多分、僕が最初だ。奇妙な感覚だとは思うが、珍しい体験が続いてちょっと嬉しい」

「なら良かった」

そう言って彼はまたカップに紅茶を注ぎ、角砂糖を3ヶ入れた。表面上、僕はこうして彼の中身のない話に軽口で返してやれている。だが、それが虚勢に過ぎないのは、自分自身よく分かっていた。いくら他愛もないやり取りに花を咲かせたとしても、結局、心の中では同じ考えがぐるぐると巡り続けているのだから。

彼が現れたとき、彼はいつも財団や世界に起こる不吉な出来事を予言してきた。夢の内容はバリエーションに富んでこそいるが、予言がされずに終わった例はなかった。つまり、今回もそのはずなのだ。僕が絵空事のように思っていたあのK-クラスシナリオの内容が、本当にこれから世界中で発生する、という予言を彼がするはずなのだ。

しかし、彼は今日一度も予言をしていない。この場所も、終わる世界の未来図のような光景になることはなく、ただ真っ白な空間が広がっているだけだ。だからこそ僕は一言尋ねたかった。"世界は本当に終わるのか?"と。そして、かれこれ5回以上は失敗しつづけている。

「えー、それで……どこまで話したかな?」

「ライフガードの仕事が、ハリケーンでおシャカになるんだろう?」

「ああ、そうそう。インフォームド・コンセントだったね」

「そうじゃなかったはずなんだがな」

胸に抱えた質問を言い出せないまま、また話題がすり替わっていく。ここでの時間の流れが、一体どれほど現実と食い違っているのかは分からない。まだ22時ぐらいなのかもしれないし、あるいはもう夜が明けているのかもしれない。確実なのは、自分が目覚ましのアラームをセットしてベッドに入ったことと、それが鳴る時刻がタイムリミットということだ。

「自分が施術するわけじゃないとはいえ、患者に説明をするのは骨が折れる仕事だったよ。彼らは、自分の病状のことを露ほども知らずに過ごしていたわけだからね」

「あー、確かに"余命宣告は大変だ"みたいな話は時々聞くな」

「そうそう。だから、どうしても錯乱する患者も出てきてしまって、それで  いや、流石にちょっと愚痴っぽいな。忘れてくれ」

「ん? ああ、構わないが……」

彼の口から"愚痴"というワードが出たのは意外だった。というか、内容は相変わらず二転三転しているとはいえ、彼が身の上話をするということ自体珍しい。ビルの取り壊しで警備員をクビになる話に、ハリケーンでビーチごとライフガードの職が吹っ飛ぶ話。そして  

  なあ。それで、医者の仕事も辞めるのか?」

「そうなんだよ。実は、私もちょっと職を続けられるような状態じゃなくてね。そろそろ、患者たちの前から去ろうかなと思っているんだ」

「……そう、か」

ビルの取り壊し、ハリケーン、自身の病。どんな理由であれ、彼はこれから自身の職を  役目を失う。彼自身の、近い未来についての世間話。

僕が接してきた異常存在は、意志を持たないものばかりだった。だが、当然それだけが異常存在の全てではない。今、目の前にいるこの男もまた、異常存在のうちの1つ。

血の気が引いていく感覚がした。元々白い周りの景色が、さらに色を失っていった気がした。そんな僕の様子も気にせず、彼はまたカップを持ち上げる。

「……なあ」

「ん……どうしたかな?」

「どうして……どうして、僕のところにやってきた?」

彼は、なみなみ注がれた紅茶をそのままあおり、カップを置いた。そして、先ほどまでと変わらない声色と態度で続けた。

「私は、ストレートティーが苦手なんだ。だから、これまではなるべく飲まないようにしてきた」

「………」

「でも、紅茶はカップに注がれてしまった。湯気が立って、ちょうど飲み頃の温度の紅茶だ。……だから私は、角砂糖を入れて皆と楽しむことにした。無粋な酸味は好きじゃないからね」

「……一度注がれた紅茶を、戻すわけにはいかないのか?」

「そんなことができるほどの人間じゃないさ、私は。それに、今回の紅茶の香りは思ったよりも悪くない」

そう言って、彼はまたカップに紅茶を注ぐ。湯気の立った、透き通る赤色の液体がカップに注がれていく。その、温度を持った優しい香りが、また僕の鼻をくすぐった。

訊きたかったことの答えが、彼の言う紅茶のように、否応なく僕の心に注がれていく。あまりにも酸いその味に、僕はまだ飲み込むことができていない。だが、結局、それは初めから分かっていたことだった。ただ、僕がそれを、どこか絵空事のように感じて受け入れなかっただけにすぎない。

いや、本当は受け入れてすらいたのかもしれない。本当にあのK-クラスを信じていなかったのなら、僕は迷わず彼に事の真偽を訊けていたはずだ。それができなかったのは、心の奥底で恐れていたからなのだろう。事実を知ることを。そして、知ったうえで終わりゆく現実を生きていくことを。だからきっと、彼は僕に  

「さて。そろそろかな」

  え?」

直後、どこからともなく聞き馴染みのある電子音が響き始めた。一瞬何の音か分からなかったが、僕はすぐにその正体に気が付いた。

「君の目覚まし時計の音だね」

「……!」

しかしドリームマンは席を立つこともなく、またティーポットに手を伸ばす。

「茶会をお開きにするにはまだ早いと思うんだ。だから、私はここに残ろうと思う」

彼は、今度は彼のカップではなく、僕のカップの方にティーポットを近付ける。

「君を無理に引き留めるつもりはない。ただ、君はまだ一杯も飲んでいないだろう?」

ティーポットが傾けられ、あの鮮やかな赤が白いカップを満たす。彼はティーポットを置いて、シュガーポットを少しこちらに近付ける。

「私としては、角砂糖3ヶがおすすめだな。さて  

目の前で揺らめく、赤い水面。直接触れずとも、まだ熱いことが分かる。何より、ここに来てからずっと漂っていた、あの香りがこんなにも強く感じられる。そして、僕が紅茶を見つめている間も、僕を呼ぶアラームの音が現実からやかましく鳴り続けている。

君、紅茶は飲むのかい?

目を閉じて、深呼吸する。鼻の奥まで、安らぐような香りで満たされる。

「……ああ、いただくよ」

僕は、角砂糖を3ヶ取って、カップに入れた。ティースプーンでかき混ぜてから、僕はカップを口元に運び、火傷しないよう気を付けて、一口それを飲んだ。

取ってつけたような甘味が、口いっぱいに広がった。


オブジェクト変容事例リスト
オブジェクト 変容 対処結果
SCP-504 果実部に口腔が出現し、スワヒリ語で「寿限無」を演じる。 失敗
SCP-701 上映していた2箇所の舞台上に推定300LのH2Oが出現。上演後に想定されていた異常は発現しない。 成功
SCP-240-JP 収容室に大量のコールタールが出現。0匹が水没。 失敗
SCP-610 感染者の肉が現在各国で発行されている紙幣に変化する。 成功
SCP-4999 オブジェクトの収容違反直後の財団施設に出現し、胸ポケットから約3,000体の新生児を噴出させる。新生児はいずれもその場で死亡。SCP-4999の視覚的記録がマイケルジャクソンに置換された。 失敗
SCP-3008 店舗内と日本支部理事若山の消化器系との空間重複が発生。陳列されている商品はベクソンで著名な食品メーカーのクッキー缶に置換されている。中身はミミズが詰まっている。 失敗
SCP-587-JP 島が浮上。死体は出現し続けている。 失敗
SCP-426 私は559人であり、私は現在1,344人であり、私は現在1,788,019人であり、私はπ人である。 失敗
SCP-239 爪切りに変容。同時に現実性の乱高下によってSCP-239の収容施設の7割が消失。 失敗
SCP-505 観測されるすべてのちくわの穴よりSCP-505-1が発生。 失敗
SCP-3936 開けるたびに不明な遺伝子情報をもつヒトの脾臓が出現。 失敗
SCP-073 地下100m地点まで沈降し、その後爆発。周囲15kmにわたりM7程度の地震が発生し被害を及ぼす。 失敗

『こちらEU防衛戦線作戦指令室。SCP-169は最終防衛ラインを突破。依然としてフランス上陸ルートを維持。機動部隊ガンマ-6との通信途絶。残存戦力は目標の上陸を阻止せよ。繰り返す。上陸を阻止せよ』

『機動部隊ガンマ-6の旗艦轟沈により今後は海上自衛隊派遣艦隊の戸高が現場指揮を執る! 残存艦隊は目標の頭部に火力を集中させろ! 目標が発生させる波が想定よりも高いぞ! 船首は目標に向けて固定! いいか、怪獣退治は自衛隊のお家芸だ! あの頃憧れた怪獣退治に比べれば、たかがムカデの一匹だ! 上陸を許すな!』

『全残存艦、目標を捕捉しました』

『ありったけを喰らわせてやれ。撃ちぃ方ぁ始めっ!』

 

ああ、今日もどこかで世界が終わる。

 

『目標を視認! SCP-1048群は速度を維持しながら進行中! テ……テディベアが……地平線を埋め尽くすテディベアの大群が押し寄せて来ます! 数は不明! 多すぎて計測不能です!』

『狼狽えるな! 俺達は作戦通り、奴らのド真ん中でSCP-403の多段着火による広域殲滅を実行する! 俺達の最後の仕事はSCP-403を使用する彼女を目標地点まで無事にエスコートする事だ! 可愛い可愛いくまのぬいぐるみに囲まれて、女を守って死ねるんだ! 俺達にしちゃあ随分とメルヘンな終わりだろ? 歓喜に震えろ野郎共!』

『お姫様を守る騎士にしちゃ俺達はむさ苦しすぎませんかねぇ?』

『隊長の横恋慕に付き合わされる俺達の身にもなってくださいよ』

『うるせぇぞ! 女が命を賭けて子供の仇を執りてぇって言ってんだ! なら、それを叶えてやるのが男ってもんだろ! 』

『へいへい。こうなりゃとことん付き合いますよ』

『世界の終わりでも変わんないな俺達』

『作戦……開始!』

『『了解!』』

 

それがどれだけ無駄だとしても、人は愚かしくも運命に立ち向かう。

 

『この無線が聞こえている生存者に告ぐ。懲罰部隊は俺を残して全滅した。復活したSCP-1983は今も健在。今も扉から化け物共が溢れ出てきてやがる。……土台、無理な話だったんだよ。残ったDクラスに銀の弾丸の真似事だなんて……。最後だからって渡した酒と葉っぱでラリってトリガーハッピーで同士討ちさ。なんとまぁ……呆気ない最期だね』

『こちら財団GOC混成機動部隊5-H"同舟"。まもなくそちらに到着する。諦めるな!』

『いや、もう無理だわ。目の前に化け物がいるんでね。最後の言葉も残せそうに……あれ?』

『応答せよ! 無事か!』

『な、なんだ、ぎ、銀の弾丸……違う……銀の……魚?』

『応答せよ! 何があった! 状況を報告せよ!』

『魚の被り物をしたビジネススーツの奴らが化け物共と応戦してて……リアルな魚だから、銀色の鱗が弾丸みたいにいくつもいくつも……』

『状況を正確に報告せよ! 訳がわからないぞ!』

『な、なあ、なんなんだよアンタら! なんで助けてくれるんだよ! 何がしたいんだよ! え、あ、何を? ……なんだこれ?』

『どうした! 応答しろ!』

『それが、紙を渡されて……"しゅみです"?』

 

通常と異常が入り雑じり、世界に混沌が溢れ出す。

 

チョコは食ったか!?』

『山ほど!』

『蟲共は追ってきてるか!?』

『山ほど!』

ニワトリ共は!?』

『接敵まで30秒!』

『即席傷病部隊の最初で最後の仕事だ! しっかりニワトリに蟲ごと美味しく食べられて来い! 無駄死にはするな! 時間を稼いで死んで逝け!』

 

"パンドラの箱"にはありとあらゆる厄災が入っていて、一度開ければ世界に厄災が広がっていく。

 

『観測班! 女神さまはどうしてる!』

『どうもこうもねぇ……何でこっちを見て泣いているんだよ!』

 

全ての厄災が出ていった箱の中に、小さな希望が残っている。

 

『世界が……赤い原野草原の唄に侵食されていく……』

 

希望さえ無ければ、ここまでの絶望は無かったのに。

 

『すまない、俺達には止められなかった……後は頼む……』

 

こうして世界は死んでいく。

 

『誰か……誰か助けて! 嫌だ! 死にたくない!』

 

ただ、それだけの話だ。

 

*

 

通信室から出て小さく息を吐く。音声だけといえど、人の死ぬ様を聞き続けるのは心が蝕まれていくようで気が滅入る。
ここは私のいた日常ではない。異常な存在が闊歩する世界の戦場そのものだった。

「お疲れ様」

続けて部屋から出てきたのは私の元上司……上司だと思っていた人。アナウンサーである私が勤めていたテレビ局の報道局長だった人。勤務先のテレビ局が化け物に襲われた時、報道フロアの机の下で震えていた私を抱えて逃げ出してくれた人。同僚たちの血肉と汚物に塗れたフロアを掻き分けて、アクション映画みたいな立ち回りで脱出してみせた人。状況が状況でなければきっと惚れていただろう。しかし、今はそんな感情すら欠片も湧き上がらない。それほどまでに世界は終焉へと向かっているのだ。

「これ、私が聞いてもよかった内容なんですか?」

どこかの誰か達が戦って、死んでいく通信群。一方的に聞いているだけだというあたり、盗み聞きをしているような罪悪感が込み上がってくる。

「構わないよ。"上"からは好きにしていいと許可をもらっている。今さら秘密も何もないからね」

"上"。
元上司の更に上。テレビ局ではない、彼の本当の仕事先である"財団"とやらの上司だろう。
だが、この世界が引っくり返るような現状で、今の今まで世界の裏側で暗躍していたような組織が元上司がやろうとしていることを許可するわけがない。
それは……

「もう、どうにもならないから好きにしていい……ってことなんですね」

「……そうなんだろうね、実際」

私たちは通信室の入り口を挟んで通路の壁に背を預ける。元上司は天を仰ぐように、どこか遠い所を見つめていた。

「僕たち財団エージェント……ああ、財団職員のことなんだけど……いや待て、どう言えば伝わるんだ?」

「あー、なんとなくわかります。財団……でいいんでしたっけ? それに所属してる人ってことですよね?」

「うん、そう。いやね、一般人に財団の説明をするなんてはじめての事だからさ。言葉を選んでしまうね」

照れたように、どこか困ったように笑いながら元上司は鼻の頭を掻く。

「僕たち財団のエージェントは世界の均衡を保つために世界中のいたるところに潜入している。政界も、警察も、もちろんマスメディアだってそうだ。どのテレビ局にも、どの新聞社にもエージェントは存在している」

「情報統制のため、ですか?」

私が先回りして語ったからか、元上司は口先を少し尖らせた。

「その通りだ。君が遭遇したような化け物や、今も世界を混乱に陥れている異常物品たちがいつ、どこで出現するかは誰にもわからない。だからこそ、私のようなエージェントが判断し、嘘の情報を報道して世界規模のパニックを未然に防いでいた。……防いでいたんだよ」

いた、という過去形の言い回し。防げなかったからこその今の現状。都市伝説や陰謀論が現実となった世界に身を置いていた人が、平穏な日常を守れなかったことに僅かながらでも罪悪感を抱いている事に安堵する。
この人も……人なのだ。
あの化け物のように超常の存在ではないのだと、少しだけホッとする。

「地盤沈下のせいにした。そのせいで役所の土木課の責任者が辞職した。ガス爆発のせいにした。そのせいでガス会社の担当者が首を吊った。連続殺人犯のせいにした。そのせいで少女の想いは全ての真相ごと闇に葬ることになった……」

元上司は再び天を仰ぐ。自身の罪を絞り出すように、縋るような声は弱く、それでも強い意思を瞳に宿らせていた。

「報道規制は物理的に存在しなくなった。そうなった時……はじめて真実を報道できるんだと思ったんだ」

「……真実を?」

「驚いたね。潜入エージェントの僕にも真実を報道したいというジャーナリズムが存在していたんだよ。長年、報道に携わっていたからなのかな」

元上司は少年のように楽しそうにくつくつと笑う。

「最期くらいはいいじゃないか。何で自分がこんな目にあっているのか誰でも知る権利ぐらいさ。今まで真実を歪め続けてきた僕の罪滅ぼしだよ」

この施設に来てからはじめて元上司の目を見たのかもしれない。その目に灯る光は炎の光。蝋燭が燃え尽きる直前の……最期の炎の輝きのようだった。

「……だとしたら、もっと情報をくださいよ。それに最低限の原稿も。これで最期の原稿がフェイクニュースでしたなんて、私のプライドが許せません」

それは私もだ。私だって、アナウンサーとしての最期の仕事を全うしたい。それが、真実の報道をする者としての最期の輝きだ。

 

*

 

「音響準備オッケーでーす!」

財団の施設を無理に改装した簡素なニューススタジオ。

「マナによる慈善財団の用意した避難所の情報来ました! 後半までに原稿に起こしておきます!」

カメラも一台、カンペも無し、メイクだって最低限。モニターの向こうに視聴者だっているかもわからない。

「本番5秒前!」

それでも、最期のその時まで私は原稿を読み上げる。

「4!」

人類最後のアナウンサーとして、私は最期のその瞬間まで読み上げる。

「3!」

私たちがパンドラの箱に残った最後の希望になれるよう。

(2!)

終焉よ、いつでも来るがいい。

(1!)

これが私の……ジャーナリズムだ。

「皆さんこんば  


アイテム番号: SCP-001-JP

オブジェクトクラス: Ain2

特別収容プロトコル: 無し。

特別収容プロトコルおよびYK-クラス宇宙終焉シナリオの解決策を立案、実施する行いは制限されていません。人類の平穏を乱さない場合に限り、上記を含む任意の活動について財団資源の無制限な利用が許可されています。

説明: SCP-001-JPは、2019/3/15より発生しているアノマリーの不規則的な性質変容です。詳細は添付ファイルを参照してください。


更新された記事を確認し、机上に置かれたノートPCをパタンと閉じた。いつもはひっきりなしに届いていたメールも、数か月前まではうるさく鳴り響いていた通信機も、今は完全に静寂を保っている。気紛れに買ったはいいが見る機会がなかったせいで部屋の置物と化した数年前の最新型テレビをつければ、画面は砂嵐を映し続けていた。砂嵐なんて何十年ぶりに見るだろうか。物珍しさと懐かしさからそんなことを考えてしみじみと画面を眺めてはみたものの、所詮は砂嵐でしかないのでものの数十秒で飽きてしまった。

テレビを消して、腰かけていた椅子から立ち上がる。そこでふと日の光を浴びるところから一日が始まるなんて、聞いたような聞かなかったような話を思い出して、わずかに外からの光がもれるカーテンへと視線をやった。もう昼間なのに一日の始めも何もないが、一歩も外に出ていないのだから日の光くらい浴びてみるべきかとカーテンを開けてみる。差し込む光が眩しい。なるほど、確かに日の光を浴びると多少は気分が高揚するらしい。もしかしたらこの高揚は、さっきからうっすらと窓に映り込んでいるパンツ一枚の自分の間抜け姿が愉快なことが原因かもしれないが。

久々に少し浮かれた気分で寝室から出てきた自分が次に訪れたのはキッチンだった。先程から元気に音を鳴らしている腹を黙らせるには何かを食べなければならない。今まで世話になってきたお礼と退職祝いを兼ねて、とサイトの面々から大量に渡されて持って帰ってきた冷凍食品が詰め込まれた冷凍庫を床に膝をついて覗き込む。中身は揚げ物やガーリックブレットなどの胃に重そうな面子が大半だったが、今日の自分は麺の気分である。あらかじめ入れる際に下段に分けておいた麺類の中からスパゲッティとミートボールを取り出し、その扉を雑に足で閉めた。両手が塞がっていたとはいえ、行儀が悪い行動をとる自分が少し可笑しかった。

お湯を沸かしている間に飲み物を探していると、戸棚の中に置かれたウイスキーが目に入った。昔、何か祝い事があった時にO5-12から貰ったものであることを思い出す。酒を飲んだことがないと断ったのに無理矢理押し付けられ、処理に困って取り敢えずしまっていたものだ。結局あれからも、O5たるもの自分の体はできるだけ健康に保つべきだという考えから、一滴たりとて酒は飲んでこなかった。そんな思い出に浸りながら、自分は戸棚からウイスキーのボトルを取り出した。飲まないのはO5-12に申し訳ないし、それに健康なんざもう気にするものでもない。それに、それにと次々にわいて出てくる誰も聞いていない言い訳をぶつぶつと呟きながら、自分は童心にかえったような心地で昔見たドラマを参考にお気に入りのクマ柄のマグカップへとウイスキーと氷を注いだ。

  結論から言って、初めての酒は最悪だった。

一口含んだ途端に口内に広がるアルコールの臭気と舌のしびれにえずく。昼食後ではなくて本当に助かった。もしも胃にものが入っていたら戻していたかもしれない。酒が飲めないやつは損してる? 酒はこの世で一番うまい飲み物? あいつ仕事が忙しすぎて味覚イカれたんじゃないだろうな。ミネラルウォーターで喉を潤しながらO5-12へのありったけの罵詈雑言を脳内で叫ぶ。胃液が喉のあたりまで戻ってきたせいで若干口の中は気持ち悪いし、体や喉が焼けるような熱さと痛みを持っていた。

酒をシンクに流してからは予定通りにスパゲッティとミートボールを茹でた。実に食欲をそそる香りがするそれを綺麗に皿に盛り付けテーブルの上に置く。雑に盛り付けたところで気にする人間などいないが、食は見た目からと言う。できれば美味しく食べたいと無駄にこだわった食事をとろうとして、近くに置かれたテレビとDVDが目に入った。積み上げられた、まだ見ていないDVD。休日に見るつもりで買っていたものだが、休日なんてものはなかったので見ることはできなかった。そうこうしているうちに時代はブルーレイへと進歩したのだからお笑い草だ。どうせなら食べている間くらい見てみるか、とその中の一つを取り出してデッキに突っ込んだ。

思ったより楽しくて続けて数本も見てしまった。一度も見たことがなかったアルマゲドンとバットマンシリーズ。名前を聞いたことがあるものから攻めようと思って見てみたが、フィクションだからこその面白さがあってよかった。映画なら世界の危機や親しい人間の危機も純粋に楽しめるし、基本的にはできるだけよい着地点を見つけてくれるのも精神衛生上とてもいい。

時計を見ればもう午後8時を過ぎていた。あくびを噛み殺してのびをすれば背中がバキバキと鳴る。寝る前に片付けようとすっかり乾いて汚れがこびりついてしまっている食器を食洗機に入れ、置きっぱなしのDVDを棚に戻す。まだまだ積み残されたDVDは多い。すべてが終わるまでに見切ることができるのだろうか。シリーズものの続きが見れないままになってしまうのは収まりが悪い。やはり見る順番が大事だろうかとスケジュール帳を出しかけて、自分の職業病に苦笑する。もうスケジュールなんて必要ない。気になったものから見ていけばいいのだ。

眠たい頭をふりながら寝室へと戻る。昼から開けっ放しだったカーテンが目について、閉めようと近付いた時にちらりと窓から外を覗けばそこは既に闇の中だった。外の世界は仲間の尽力によってなんとか最低限のインフラが保つことができた私の家と違い、文明の光がすっかり街から奪われている。だが、闇に包まれた街並みと満天の星のコントラストは実に映える光景だった。思わず感嘆の声をあげてスマホに写真をおさめようとすれば、そこには雲を越えるほど大きな影のようなものが立っていた。その存在は輪郭すらおぼろげな影と表現する以外にないものだが、その体を通して向こう側の光景が透けて見えている。そしてそのままそれは体に映した光景ごと空へと打ち上がり、空間にぽっかりと穴を開けてしまった。あーあ、と他人事のような声が出る。ポジティブに、けたたましく暴れて辺りに死体を撒き散らさないだけマシなやつであったことに感謝しよう。

改めてメールと電話を確認する。連絡はない。通信機からの音もない。ここまで連絡がないのは数十年ぶりだ。こんなに身近に危険が迫っている状況なのに、もう連絡に気を張らなくていいと考えるのは存外気分が楽だった。でも、連絡がないならみんなは今頃どうしているだろうか。スマホの電源を切ろうとしてそんなことが頭をよぎり、電話帳を開こうとして思い直す。だってきっと、彼らも自分と同じ気持ちだろうから。頼られる必要も、頼る必要もない。自分はO5-1ではなく、ただの中年としてここに存在している。それはなんて  なんて安らかなことだろうか。

ベッドサイドの目覚まし時計を手に取る。明日からは何もしなくてもいい日が待っている。だからもうアラームは必要ない。解除されて役目を失った時計を引き出しの中へ置き、自分は静かにベッドの上で目を閉じた。

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