彼の面影を──
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2019年8月19日

ラメントは左側の机と椅子に目をやり、見つめて、見つめて、また目を逸らした。静かだった。ラメントは残されたファイルを引き出しの中に蹴り入れ、椅子の背に仰け反り、天井を見上げた。

非常に静かで、彼以外に音を立てるものはいなかった。彼は大袈裟に息をついた。それでも応えるものはいなかった。ラメントは立ち上がり、少しだけだが、机の間を意味もなくふらふらと歩き回った。2人分のスペースが予定されていた室内はすっかり広くなっており、まるで──広漠とした空き地のようだった。彼は自身のものではない椅子のクッションに手を触れ、撫で下ろした。それは……鉄のように硬い。

数分後、ラメントはドードリッジに肩を叩かれてはっとした。悩ましい事態だった。自分でも何分たったのかについて、全く注意を払っていなかった。ドードリッジは何も言わずオフィスを去っていき、結局、またラメントが一人部屋に取り残された。

ラメントはあの時に戻れたらいいなと感じた。戻りたいと願った。強く。だが、これ以上良くはならなかった。ラメントはもう一度だけ振り返って、使われなくなって久しいオフィスを眺めた。

ギアーズ。


2018年10月4日

ラメントは人混みを掻き分けて、教会を出た。彼はここにいることを苦痛に感じた。この場にいる誰も彼もが、それも沈痛な面持ちで、ただただ持ち場に突っ立っている。その役を演じている。ラメントも、彼らの内の一人だった。サイト-19では、既に三四日ほどの惨状が続いており、決してそこは窮屈な場所ではなかった。だが……とにかく、ラメントはそこから距離を置きたかった。

ギアーズ自身の口から退職が伝えられたときのことだ。ラメントは表情一つ変えなかったし、そうなることは数年前から確定していたが、内心彼がその手段をとってくれたことに……感激さえしていた。退職セレモニーには、クレフ博士や重役の数百名が顔を見せ、ラメントは祝辞スピーチを述べた。舞台からギアーズを見下ろすとき、いつもみたいに微笑みを想像していた。彼の顔は「形式や慣例というものは組織において代えがたいものです。」というように、つまりは普段の無機質な表情をしていた。そうして若干ふらつきながら、無骨な背中がサイトから遠ざかるのを、彼はずっと眺めていた。そうなることが彼の本心だろうとラメントは考え、自分もそう望んでいたのだ。幾分かは。しかしその後のことを……彼はただ知らなかった。

その時、誰かがラメントの名前を呼んだ。振り返ると、ジョリッチが手を振って、近くに歩いてきた。ラメントは力なく微笑む男を見て、それがまた再び彼の友人と、サイト-19の混乱を思い出させた。しかし、それは大した問題ではない。今や大抵の上級エージェントたちが持つ戒めの話の一つになっていた。

彼らは今後のスケジュール調整について話し合った。ジョリッチは慎重に言葉を選んでいて、ギアーズの話題に触れることはなかった。ラメントにとってそれは好都合だった。しかし、時間がたつにつれ、だんだんとジョリッチは押し黙るようになり、不自然そうにラメントを見た。ラメントは尋ねなければならなくなった。彼は言った。
「ええと、博士?」

ジョリッチは繊細に言った。
「……ギアーズについては聞いてはいるかい?」
しばらく時間をおいて、ラメントを見つめた。
「彼の、彼の死因については?」

僅かな沈黙。そして。
「病死でした。」
ラメントはきっぱりと言った。それは確認事項だった。

ラメントは一度頭を振った。ジョリッチは握ったペンを意味もなく振ると、それも止めた。そうして哀れむような目でラメントを見つめた。
「──僕が何か言うべきことではないと思うけれど、エージェント、これは組織の問題なんだ。君一人が抱えておけるような問題じゃあない。わかるかい?」
彼は悩ましく言った。
「そうだな、君があれこれ考えるよりかは、彼は幸福だったんだよ。とにかく、僕の考える内では。」

幸福?目の前の男を凝視して、ラメントは溜め息をついた。思うに……彼に何か言ってやりたかったのかもしれない。
「失礼ながら……僕はそうは思わないと思います。」

ジョリッチはしばらく黙っていたが、「どうして?」という類いの視線を向けることはなかった。また、意外そうな顔も見せなかった。
「いいかい、君はこれまで『移動』という選択は一度も取らなかったね?しかしだ、君の割り当てはそう上手くはいかない。皆が皆、最終的にはもう──」

「理解しています。」
ラメントはかぶりを振る。やめてくれ、そう心の中で感じた。

「──君を見ていると、アイスバーグの姿を思い出すんだ。悪いことに。これがどういう意味か、エージェント。君にはわかるだろう?」

その名前は……予想外だった。ラメントは尋ねた。
「その……彼も僕と同じ選択を?」

彼は遠慮がちに頷いた。
「ああ、ある時からだねえ。彼がそう、おかしくなったのは。」
そして溜め息。
「君は彼よりも、とは言い難いが──ラメント、君は優秀なんだ。ここで躓いたままでいるわけにはいかない。」

その後、ジョリッチはただ、ラメントを同情するような目で見ていた。そして彼は午後からのミーティングのために去っていき、ラメントも去らなければならなくなった。彼はしばらくその場から動かなかった。だが、ラメントは時計を覗いた……それでも時間は流れている。


2018年10月6日

次に気がつくと、彼はオフィスに戻っていて、部屋の真ん中に立っていた。今日のサイト-19は静かだった。ほとんど、奇妙なほどに。この時まで、ラメントの精神は空っぽだった。彼の表情は、ギアーズのそれと似ていた。渇ききっていて、酷くやつれたようにも見える。恐ろしいほどに彼と同じだ──

丁度その時、無意識にも彼はギアーズの書斎に目をやっていた。ギアーズに対するラメントが死んだとき、彼がどういうことを考えていたかを知りたくなった。すると、それはますます奇妙に思えた。

ラメントがギアーズの書斎に歩み寄り、引き出しのノブに手をかけて──これは重大なセキュリティ違反のようにも思われたが、彼を咎めるものはもういない──そして……手を引いた。中には、いくつかの古い形式のプロトコルの写しと、その底には小さなビニールの袋が放置されていた。ラメントは手を伸ばした。

小さなビニールの袋を手に取り、こびりついた血を見てぎょっとした。中に入っていたのは、一通のレターヘッドだった。署名に書き添えられたアイスバーグの文字が見え、ラメントは戦慄した。彼もまたそれを読み始めた。その手は震えていた。

起きてしまった。終に起きてしまったのだ。私は───

彼は書付を引き出しの底に落とした。それはまるで……ラメントの胸中を滅茶苦茶にかき乱しているようだった。ギアーズの微笑みを想像だけで終わらせてしまう彼を、ほとんどずたずたに。ギアーズはずっとこれを読んでいたのだろうか?彼が無機質にも、オフィスの写真立てに向き合うときに?こうして、アイスバーグもまた同様に?なら、ギアーズはなぜこの手紙を遺した?いったい誰のために?

彼はこの事実を数十年の間、知らなかったことを不思議で、かつ理不尽に感じた。ほとんど怒りすらあった。彼にはクリアランスがなかったのだろうか?ラメントは、自分の上の人間がどれほど重大で都合の悪い情報の糸口をつかんでいるのか気になった。そしてギアーズやアイスバーグは──それらに魂を剥奪されてしまったのだろうか?

ラメントは一度落ち着き、呼吸をした。誰かに置かれた状況を説明したかったが、言葉には表せられなかった。それは舌尖で止まり、しばらくたって冷えきった。

次に、彼はファイルの山を見つけた。それは、決して読まれることのないはずの闇のファイルだった。ラメントはその……二枚目のファイルから、手を伸ばし始めた。


2019年8月13日

ラメントの必要とする仕事はすぐに終わった。その調査はほとんど、あらかじめ敷かれていたレールの上を辿るようなものであった。ラメントはキャッシュデータの中から、一つのメッセージの複写を見つけ出した。それは、たった一枚の写真だった。彼はそこから、ギアーズが彼に本当に伝えたかったことを推測した。

「今の君は、かつての私のようだ。今私があるように、君はいずれ……私の後を追うことになる、用意してくれ。」

ラメントは彼らに何が起こったかを知った。それは明らかだった。彼がギアーズの空虚な顔を見つめるとき、葬られたアイスバーグの存在を探るとき、ラメントは自分が普段どんなことを考えていたのかを知った。彼に対する親しみが裏返しになるように。今に彼は全てを理解してしまった……どうしてギアーズが墓碑の存在を唆さなかったのかも。

ラメントはファイルを閉じ、目を閉じた。アイスバーグとギアーズの経歴について考えた。次に、ラメントの憶測ではいるはずだった、前の人物について思いをはせた。彼らのコードネームの型番に覆い隠された、真の名前を。

ギアーズ。彼の本当の名は──

彼は口をつぐんだままで、常に不必要な内容は話さない。ラメントは彼の本当の名前さえ知らなかったのだ。知るはずもなかった。たとえそれが10年の月日を共にして、ラメントの父親のような存在であったとしても。

彼はただただ、言い様のない後悔を感じていた。言い様のなく、表し様もない、漠然とした理屈を持たないもの。それはラメントの中で停滞して淀みをなして……ついには彼の口から言い表されることはなかった。


2023年10月21日

ラメントはカレンダーの一枚を剥ぎ取り、机の上の写真を置き直した。そして、新しい日の訪れを祝福した。ゆっくりと、ただ静かに。彼はこの期におよんで、クスクスと笑いを立てたり、ジョークを考えるような時間を設けなかった。その行為はほとんど、作業的になってしまっていた。

長い時間がたった。悠々たる時間が。皆変わってしまったのだ。彼は変化──それに適応しなければならなかった。

鏡を覗いて、ラメントは自分の顔を見た。冷えきってしまった、年老いてしまった、空虚な顔に。彼は目の前の禿げかかった男を見つめ、ぼんやりとした欲求を感じた。かつての彼が何を思っていたのか。そして何に基づいていたのか。しかしそれは……少なくとも不幸ではなかった。彼は多くのことをやり遂げ、実際多くのものが生き延びた。これは義務であり、運命的だった。

同時に、過去に死んだものがあるように。

ラメントがオフィスを出ると、背丈の小さい若い男が近寄ってきた。男はコウモリ傘と書類ケースを目の前の博士に手渡し、彼の表情を覗いた。そこに微笑みはなかった。ラメントも男を見返した。

男はうやうやしく頭を下げて、言った。
「おや、おはようございます。ギアーズ博士。」

ラメントは頷いて、極めて無感情に言った。
「ええ、エージェント。」

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