空に堕ちる
20██年██月██日 永久凍土より発掘されたケースに刻まれたメッセージ
世界は裏返った。
我々は次の世界に向けて記録を放出する。
もはや裏返った世界の中で2000にたどり着けるものはいない。
だが空に堕ちるのはまっぴらごめんだ。エージェント・イヴァノフ
2018年 1月 極東某所 エージェント・イヴァノフ
2018年1月、冬にしては温かいシベリアの地で行われた永久凍土の発掘作業、私はその最中に発見された頑丈なウェポンケースの前にいた。何万年も前の地層から出土した合金製の箱の中はロシアの諜報機関特有の特殊な封印措置をされており、中には私の筆跡で書かれた手帳、8ミリフィルム、ビデオテープ、いくつかの電子的な記憶媒体、そして丁重に畳まれた小動物の毛皮があり、毛皮には何かで刻まれた一言のメッセージがあった。
「忘れ去れ、これは取り残されたものの戯言だ」
幸いにも現場に私の筆跡を知るものはおらず、Eタイプの健忘剤と”私的な現場処理”で証拠を一時的に隠蔽した後に私は急いでサイトへと舞い戻る羽目になった。自身に被害をもたらすものならば抹消するだけだが、そう簡単に始末をつけてよいものでもないらしい。
2018年 1月4日 遺物サイト-221 エージェント・イヴァノフ
ケースをサイトに持ち帰った私が最初にそのテープを取ったのは偶然だった。
融通の利く部署に辺りをつけ、引き渡す手はずを整える前、私はきまぐれにビデオを再生した。エージェントとしてはミーム汚染の可能性があるビデオを再生するなんて愚行はもってのほかだが、今回に限っては正解だった。
ビデオに映し出された男性は私だった。私とは思えない粗野で乱雑な態度を取ってはいたが、少なくとも声や姿は私であった。
私は自室にカギを掛け、自身のロッカーからキングズバリーのスコッチとパイプを引っ張り出し、.357の弾薬を込めたリボルバーと共に机に店を広げた上で手帳を手に取る。何かがあったらしい。少なくとも誰かの悪戯のようには見えなかった。
20██年██月██日 生物サイト-8102 1日目
この記録は自己満足と義務感の混在した私的なものだ。どうせ意味はないだろう。財団はもう終わったも同然だ。
「GH-0"デッド・グリーンハウス"シナリオ」世界中のほぼ全てのサイトでの広域収容違反による世界終焉シナリオが発生してから今日で22日目、生物サイト-8102の確保には成功したが、私にはもう焼け石に水でしかないように感じられる。現在、指揮下に収まっている生存者は私を含めて12人と2匹の小動物、機動部隊か同等の戦闘技術を持つ人間は今回で全員死亡した、残された戦力と呼べるのは私だけだ。いかなるオブジェクトによるものかは分からないが、サイトの鎮圧直後に起きた世界の反転。重力が反転したかのように我々が天井に叩きつけられた時、外で連絡を取っていた機動部隊や指揮を執るお偉方たちは空に堕ちて行った。比喩じゃない、重力がその通り反転し固定されてないものは天井に、空に、落下していったのだ。
偶然にもエントランスホールの”天井のある場所”で今後について話していた我々以外の全員が失われた。通信車両を含む大半の装備が失われ、我々は外部との連絡手段もなく生物サイト-8102に取り残される事となった。クリアランスの一番高かった私が暫定的な指揮官として選出され今後の事を任された。
我々はエントランスホールに仮のキャンプを設営し一時的な退避地点を確保、翌日、状況を含めた調査を行う事になった。我々に現在残されているのはたかが交信範囲数キロの小型無線機と小火器、数日分の水と食料だ。
幸いなことに記録を残すための各種機器とバッテリーは豊富なのが救いと言えば救いだろうか?
20██年██月██日 生物サイト-8102 2日目
世界の反転から1日、幸運にも落下する事を免れた我々は3人一組で施設を精査し、1日がかりで自分たちが後どれだけ生きられるかの現状確認を行った。エレベーターを利用するのには骨が折れたが幸いなことに施設の電力は未だ保たれていた。非常用の備蓄食料と地下水脈を利用した水道設備もまだ生きており、少なくとも我々がすぐに死亡するという事はないらしい。同じく封じ込め直したオブジェクトが収容違反を起こしたという事もなかった。危険を有するオブジェクトは既にサイトの外へと消えていたのが功を為したと言ってもいいだろう。生物災害による脅威は今のところはないと思われるが、収容機構の破損が起きていた場合、たった数名でこのサイトを維持する事など不可能に近いだろう。
逆に不幸な事実も存在した。生物サイト-8102の電力を賄う発電機は重力反転のショックで修理不能なほどに破損していた。地下水脈を利用した予備の発電機のおかげで電力に現状不足はないが、メンテナンスが可能な電気技師は我々の中には存在していないのだ。
我々は緩慢な死を迎える前に状況を打破せねばならない。
グラスにスコッチを注ぐ。まだ2杯目だが普段よりも酔いが回るのが早いように感じる。
視線を下に落とす。この記録の中の私はどうやら、Kクラスシナリオに遭遇していたらしい。
生存者の中には私が知る既存のエージェントの他に、本来オブジェクトとして収容されている2匹の小動物が混じっていたようだ。SCP-███とSCP-1129-JPとして扱われていた意思疎通可能なカワウソだったと思う。理由は分からないが川獺丸とアヒージョと呼ばれエージェントか何かのように作業を手伝っていた様子がつづられている。
彼らは数日の間、現状の確認や施設を最低限の拠点として整える為に費やしたようで特筆すべき様な事はないようだ。事態が動いたのは7日目だ。
私はストーブにコークスを足し、新たにスコッチをグラスに注ぐとまた手帳に目を落とす。
20██年██月██日 生物サイト-8102 7日目
もう、ここにきて一週間になる。サイトは静かなもので我々はこの閉ざされた中での暮らしになれつつあった。
そんな折だった、あの通信が我々の元に届いたのは。通信元はサイト-8181からだった。
届いたのは地下を通って有線で繋がれた回線から届いた短いショートメールだった。内容はこうだ。SCP-2000へ向かい起動させろ。このシナリオはリセットできる。
添付されたファイルにはオブジェクトの場所と概要、起動方法、そしてこれが財団が把握している中で2度目の起動である事が記載されていた。だが、問題はそこではなかった、サイト管理者名義で書かれた添付されたメッセージだ、その一言のメッセージは我々に希望を与えるに十分なものであったが、同時に状況の困難さを浮き彫りにさせるものだった。
「裏返ったのは世界の半分だけだ、アメリカ大陸へ行け、日付変更線を抜けろ、元の地面が待っている。」
それは、緩慢な死、備蓄を食いつぶし助けを待つだけの我々を再起動させるには十分なものであった。
我々に残された人材も、装備も限られたものであったが、それでもまだ諦めるには早いらしい。
SCP-2000なんてオブジェクトは存在しない筈であった。だが、それが実在するのであれば今、我々がいる世界は一度、いや2度はリセットされたものである、という事だ。
確実に知ってはならない事に触れているのがわかった。私ではない私はかつての世界を救った英雄かもしれない、そう思うとページをめくる手は次第に早くなっていった。
これより先、世界に残された彼らはいつまで寿命を引き延ばせるかではなく、いかに世界を取り戻すかを手段に動いていた。サイトに残された資材を元に、移動手段を探し、同時に世界の半分で続いているはずである文明を滅ぼすレベルの大規模収容違反に対抗する為の訓練を始めた。だが……それは酷い結果に終わったようだ。
20██年██月██日 生物サイト-8102 30日目
我々の希望は断たれた。
我々は施設地上部の格納庫に残された無事な航空機でアンドレアノフ諸島を目指す予定だった。格納庫で唯一床に固定されていたために損傷を免れた一機が残されており、飛行可能な状態にあったのだ。
格納庫の天井を解放し、航空機を床から解放する作業はうまく行った、私は2匹の力を借りて航空機を床から解放し、飛行状態が確認されたうえでヘリから射出されたロープダート経由で乗り込む手はずとなっていた。
結論から言おう、オスプレイは空へと堕ちた。
エンジンが点火され、ローターが稼働するのを確認したうえでの作業であったにもかかわらずオスプレイは空を飛ぶことなく、堕ちて行った。
私はその光景を高所作業用のハーネスに支えられた状態で呆然と見守る事になった。理由は分からない、だが……私とこざかしい2匹のカワウソは絶望のままサイトに取り残される事になった。
私はスコッチを煽りながらそのページを読んだ。中身のなくなったグラスを適当に机に転がし、手帳を一度閉じる。無味乾燥な報告書と比べると、読み物としては悪くないようだ。
スティーブン・キングでももう少し希望のある話を書きそうだが、書いたのは何処かの自分だ、責めればそのまま自分に返ってくるのがまた始末に負えない。
私はスコッチの瓶から直接アルコールを摂取し、大きくため息をつく。酒精の香りのする息が自分の判断能力が落ちつつあるのを感じさせる。私は手帳をケースに収め、そのままの足でベッドへ向かう。
一度寝るべきだ、気分を入れ替え、全てを引き渡そう
理性が訴える。
部屋の隅に設置されたベッドに転がり私はためらいがちに目をつぶると、内容を思い返しながら今後の事を思い浮かべる。
処理の手はずはすでに打った、記憶処理を施し無かった事にするのもいいだろう。
しらばっくれる理由と、担当者を納得させるための付け届けさえ惜しまなければそれで収まる。それが常であったし、これからもおそらくそれで済むはずだ。
アルコールの誘うままに私は流れを思い浮かべると、キイキイ軋むパイプベッドの音を子守歌にゆっくりと夢に堕ちて行った。