手紙を書いた。
答えを返したかったんだ。
最初の話。新しい家に届いた封筒、折り畳まれた手紙があった。知らない誰かのその手紙には、教えたくて、話したくて、伝えたくて、そんな色んな感情が脈絡もなく書き散らされてた。
季節の話。手紙の始め、向こうも乾き冷えていた。冬が人を嫌うのは何処も同じで、僕と一緒に冷えて枯れたこの空で生きていた。ただそれだけの事なのに、何となく嬉しくなった。刺すみたいなこの空気ですら、生きてる証明な気がするんだ。
お金の話。最近大金が入ったみたいだ。だけど使い道がなくて、使い余して燃やして捨ててた。勿体ないと思ったけれど、僕も口座に入れたままの塩漬けなんだ。だから人の事なんて言えやしない。いっその事、僕も燃やしてしまおうか。
仕事の話。救う為にあちらこちらを駆けていた。癒す為に誰も彼もへ寄り添っている。それは人を未来へ繋いでいく、優しい人にしかできない事。でも、そんな誰かですら救えない命はあるんだ。全てを閉じ込める事に共通点なんて無いはずなのに、変な親近感が湧いて溢れる。同じなんて言えるはずが無いのにな。
成功の話。新しい道を見つけて、人をたくさん救えるようだ。あんまりにも嬉しそうで、関係ないのに僕も嬉しい。こんな風に誰かと一緒に喜んだ事、ずっと前な気がするな。そんな事を考えてたら、視界が少し滲んだんだ。
友人の話。誰かの友人はみんながみんな悲しい目で、楽しいのだけど寂しい人ら。そんな話、何となく僕も収容室の彼らを想った。彼らも寂しい目をしてた。寂しい目で僕を見てた。多分僕も同じ目だ。理論は無いけど、きっと本当に寂しいのは僕達だ。
趣味の話。チェスが好きみたい。僕も同じだから相手をしようと手紙に書いた。だけど消した。チェックメイトのやり方なんて僕は何も知らない事に気づいたんだ。もっと昔に、ちゃんと学んでおくんだったな。
場所の話。昔行った海の事。昔したデートの事。昔食べたフランクフルト。そんな世界が綺麗な言葉で書き連なってた。 焼けた白浜と揺らぐ蒼色、そんな風景が映る言葉だ。パラグラフの中、笑う誰かが脳に滲んだ。蒼色の妄想で、ふわりゆらりと揺蕩うのだ。あぁ、こんな言葉を紡ぐ人と過ごせる相手は幸せだろう。僕はこんな羨ましいの類義語みたいな、煤けた言葉しか出てこないのに。
社会の話。退屈で悲惨なままのこの世界。そんな世界にラブレターな挑戦状。これの書いた諦める事を知らない誰か、君はこれからも生きていくんだ。根拠も無いし理由も無い、だけどそれでも確信してる。そこにはそんな覚悟が書かれてた。
家族の話。父も母もとっくにいなくて、それ以外は最初からいない独り。それでも新しい家族を探すから大丈夫。そう笑うように痛々しく綴った言葉、空元気のインクの滲み。僕は見てるだけで辛くなってさ。誰もいないのが悲しいのなんて、とっくのとうに知ってるよ。
希望の話。将来は誰かと子供なんて欲しいよね、なんて冗談めいて書かれてた。こんな人がよく死ぬ世界だと、人が産まれるなんてめでたくて仕方がないな。こんな世界で産まれる子供はきっと大変なんだから、ちゃんと僕らで守ってやろう。そう思ったら、誰かの笑い声が聞こえたんだよ。あぁ、この話には聞き覚えがあったんだ。話した覚えだってあったんだ。この部屋の中、誰かと。
時間の話。なかなか時間が合わないね、このまま会えなくなるのかな。そんな言葉でよくあるすれ違いが怖くなって、知らない声が聞きたくなった。かける相手なんて、とっくに誰もいないのに。あぁ、知らない電話番号が勝手に画面に映ってる。もう使われてもないこの番号で、何故か胸が痛むんだ。記憶処理も効きそうに無いこの痛みは、いつになっても終わらないんだ。
失敗の話。大切な人がどこか遠くに消えて失せて、未だに後悔してる話。書き散らされた憐憫と感傷で、延々と自分自身を責めてる話。その大切な人の名前には、僕の名前が記されてた。何もかも忘れてたって、誰かは未だに僕が大切だと滲ませたんだ。なのに未だに分かってない僕、分からないから傷んで滲んだ。
未来の話。将来仕事を辞めたらさ、海の見える家で一緒に暮らそう。こんな理想論な油性の記憶、未だに脳髄を焦がしてる。きっと今も蒼色の奥、深海みたいな底に君はいる。多分さ、僕は君がいるだけで良かったんだ。分かんないけどそうだったんだ。でもさ、どうしてかな。焼き付く誰かはとっくのとうに焦げ付いて、どう足掻いたって他人事なんだ。
最後の話。知らない人の話なのに、とっくにもう分かってた。だから僕は書いていたんだ。このインクが誰への詩で、綴られた記憶が誰との過去かを。フィルムに染みてた僕と誰か、この蒼色で過去と未来は溢れてた。番号なんて分かってないのに指が動いて、動いたから哀しくなって。その蒼だって覚えてないのに知っていて、知っていたから海は滲んだ。封筒に折り畳まれた幸福は、笑える程に痛いんだ。
この愛はどうしようも無くなった記憶の知らせ。
書いてた手紙、送り先はもう滲んだ。