Days of Wine and Roses
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途切れ途切れの通信の向こう側。
いつだって薄気味悪いほど冷静なあなたが、
珍しく、あんまり穏やかな声で、

今、サイト-112の防雪壁が壊れていることが確認された。すぐに修復作業が始まったが、あまりに気付くのが遅すぎた。SCF-3799は壁の隙間から入り込み、既にサイトの端から端までを包み込んでしまった。暖房設備も役に立たない。いや、あれの信者たちが、暖房を軒並み破壊してしまったのだ。暴露者は増え続けている。このサイトはもう終わりだろう。君を単身外に向かわせたことを申し訳なく思っていた。けれどこの地獄を見ていると、君はこれを目の当たりにせずに済んで良かったと、君だけはここから逃げられて、生き延びられて良かったと、過去の決断に感謝せずにはいられない。そう、君は生きている。サイトがこうなってしまった今、君が我々のために何か良い報せを持ち帰る必要もない。君は自由だ。

“君は自由だ。”

君は自由だ。どこへだって行ける。私はもう君を見守ることはできないけれど、きっとこの体が雪となり、最後まで君を包むだろう。使命も、組織も、私のことも忘れて、どうか君は、君だけは自由に生きてくれ。君を縛るものは何もない。私はじき死ぬ。これが最後の通信になる。本当はもっと役立つことを伝えられれば良かったが、自由な君には何を言っても荷物になるばかりだろう。なら私から言えることは多くない。君は自由だ。どこにでも行ける。さようなら、私は……君を愛していた。

なんて言ったものだから、

僕はまだ歩き続けている。

北へ。
北へ。
北へ。


 
 

 
 6月19日

 アー、聞こえてる?こちらアイスバーグ、北へ向かって進行中。目的?物資調達、ついでに観光……いや、どうだっていいだろそんなこと。天気は吹雪、それにより視界不良。ま、言うまでもないか。
 実を言うと僕は、生まれてから今まで晴れた昼空を見たことがない。空の色は知ってる、まだブリザードに閉ざされてない地球の裏側で撮ったって写真を見たことがある。それを初めて見たときは、妙な加工がされてるなぁ、なんて思ったもんだけど。だから、つまり……こっちは心配いらない。この程度の吹雪なら、慣れてるから。
 さっきから電波が悪いみたいだけど、そっちは大丈夫?僕の声届いてる?いや、忙しいなら返事はいらない。こっちは万事順調です。給料分は働くから、きっとあなたの役に立つよ。
 それじゃあ次の定期連絡で……クソ、壊れたか?こんな古い通信機、後生大事に使わせやがって……。
 
 
 7月12日

 こっちは相変わらずの吹雪。けどバイクもゴーグルも、装備類はみんな絶好調。なんたって僕が毎日整備してるからな。あんまりな風でどうにも先に進めそうにないときは、穴掘って、押しかためて、その中で機材のメンテナンスをするんだ。おかげでどれも新品同然にピッカピカさ。まぁ、電波ばっかりはどうにもならないが。
 そうだ、まだ時間あるかい?そっちではまだプレゼント用のブーケって手に入るのかな。暖かいサイトでだって花なんて貴重だろうけどさ、給料から天引きしといてくれていいから、あいつに渡してやってほしいんだ。今日はあいつの……兄弟の、誕生日だったはずだから。
 
 
 7月26日

 この前は、その、困らせるようなことを言ってすまなかった。兄弟か……ひどい幻覚を見せられたもんだ。なぁ、この雪はどういう理屈で、他人の記憶を書き換えようとする?そこにどんな意味がある?幸せな家族の幻想が、僕を喜ばせるとでも思ったのか?馬鹿らしい。暖かな暖炉とターキーの幻を見せられたって、こんな凍った塵なんざ、奉じてなどやるものか。
 ただ、何か、僕はまた大事なことを忘れてしまったような気がする。馬鹿どもが賢しらに、お前は冷たい体だからこの忌々しい雪の影響を受けづらい、だなんて言っていたが、あぁ、今この瞬間ばかりは、あいつらの単純な思考回路が羨ましいよ。
 気分が悪い。
 
 
 8月1日

 泣いてる?いやノイズかな。
 泣くべきは僕の方なのかな。
 
 
 8月16日

 あなたはサイトの外に出たことあるかい?僕はまぁ、この通り。何もこれが初めてなわけじゃない。便利な体質だからって、何度も何度も隔壁の外に放り出された。確かに僕は適任だったろうけどな、いくら寒さに強いったって、長時間の外での作業は堪えたな。知ってたか?僕の凍傷まみれの手を気にかけるのは、いつだってあなただけだったんだ。
 今思えば、僕は疎まれていたんだろう。きっとサイト中の連中に。当然と言えば当然だがな、火と電気の熱で覆われた安置に放り込まれた生ける氷塊だ、悪魔以外の何と形容されるべきか。分かってる。分かっているとも。だから、ほら、僕が奴らに即席の火炎瓶の威力を見せてやるのもさ、僕なりの善意なんだって。骨の髄まで焼け焦げるほど暖まってくれればいいなって。その結果多少火傷することになったって……まぁ、そりゃ本望だろ?
 
 
 11月27日

 僕は、何も、生まれてからずっとこんな体をしているわけじゃなかった、らしい。人並みに生まれ、人並みに生き、ある日突然妙な事件に巻き込まれてこうなった……って、雇用時の資料に記載されてた。その実、僕は僕が人並みだった頃を覚えていない。資料ったって旧データベースの中にあったものさ、何千もの異常存在の取扱説明書を蓄えてる、SF作家の頭の中みたいなあのデータベースのな。
 だから僕は、そのことを信じちゃいない。けれど、たまに……そんな事件が本当にあったらどれほど良かったろうと思うことがある。体が冷たい、ただそれだけのことでこいつの影響が薄れるのなら、この体の冷たさに由来があるのなら、皆がみんなそんな事故に巻き込まれて、皆がみんな平均して摂氏マイナス7度の体温を保つことができたなら、きっと、サイトを覆う隔壁だって燃費の悪い暖房設備だって、必要なかったはずなんだ。
 でも実際そうはならなかった。てことは多分、間違ってるのは僕の体と、この世界の方なんだろう。
 分かり切ってたことだけど……だから僕は、こうして歩いているんだけれど。
 
 
 1月7日

 夜中にごめん!今、カメラとか画像通信機とか、そういう類のものを持ってこなかったことをものすごく後悔してるところなんだ。
 眠っていたら、不意に風が止んで……人間って不思議だ、うるさいと眠れないのに無音になると目覚めてしまうんだな。それで、久々に開けた視界で空を見てたらさ、光ってたんだよ。空が。
 これは虹、って言ったかな。空全体がゆらゆら揺れて、いろんな色が次々現れては消えていく、液体みたいに、いや布きれかな、この形は、それよりずっと……あぁ、発つ前に詩集の一冊でも読んでおくんだったな。相応しい言葉が見つからない。ただ綺麗で。
 でも原理は知ってるぞ。太陽風のプラズマが、地球の大気に触れて光るんだろ。今、ここはすっかり無風なのに、大気のないはずの宇宙は大風なんだな。太陽の光が間接的に届いてる、って言ってもいいんだろうか。本物なんて生まれてこの方見たことないのに。
 一緒に見たかった……なんて言うのは変か。ここにいるのは、ここにいていいのは、ここにいられるのは僕だけなんだから。まぁ、こんな体もたまには得だな。羨んでくれたっていいんだぞ?
 風が戻ってきたみたいだ。それじゃ、おやすみ。
 
 
 2月20日

 ハイダーリン、久しぶり。そっちはどうだい?
 こっちは最高の収穫だったとも。探知機にでかい反応があってな、燃料にも食料にも、なんなら趣向品にもしばらく困らなさそうだ。携帯食に関しては何年前に作られたのか分かったもんじゃないが……まぁ大丈夫だろ、こういうのって腐らないし。
 ノイズが入る?見つけた物資が爆発物おもちゃ作りに使えないもんか試しててさ。いやぁ、今度のはよく燃えて……や、どうして僕はここまでのことを?確か最初は久しぶりにホットチョコレートが飲みたいなって思っただけで……ん?あ!?ステンレスのカップがドロドロに……?や、溶けたのは持ち手のプラスチックだけだし、まだ多分使えるし、焦げ付いてるけどチョコレートも残って……。
 あ、熱っ。
 
 
 3月9日

 ひどい夢を見た。体が凍ってばらばらに砕ける夢。何でも治す魔法の薬が、凍った体を溶かすって。一瞬は上手くいった気がしたんだがな、副作用が酷すぎた。どうやら僕は、夢の中ですら夢を見させちゃもらえないらしい。
 死ぬって本当にあんなかんじなのかな。死んでったやつらもみんな、あんな思いをしたんだろうか。意識が途切れる直前に、ひどく後悔したんだろうか。自らの愚行を呪ったりしたんだろうか。まぁ、僕のあれは、夢の中の感覚だが。そのはずだが……。
 死にたくないとは思わない。思ってたこともあったんだろうが、僕にはもうその感覚が、自分のことのようには思い出せそうもない。でも、たまに、心の奥底が冷たくなっていくような心地がするんだ。今、急に心臓が止まったら?無様に転んで頭を打ったら?もしも、もしも、もしもが重なって、明日が来る頃には最初から、僕の存在が無かったことにされてたら?って。冷たくなる余地も、心が残ってるのかすら、今となっては怪しいのにな。それでも僕は、役目を終えずに死ぬことが……。
 いや、僕は自由。自由だとも。何の責務も負っちゃいない。なら僕は何を恐れている?僕はただ、きっと、そうだな。
 きっと、この自由を手放すのが惜しいだけ。
 
 
 3月12日
 
 あんたに叱られたときのこと思い出してる。いや、いつも叱られてたけどさ。そうじゃなくて。射撃場で遊んでて備品溶かしたときのアレ……備品?違うな、誰かしらのペットだったっけ?ま、いいか。
 あんときは楽しかったなぁ。叱られたことじゃないけど。ぴかぴかに磨き上げた兵装に、似たような趣味の友だち、冷えたビール。過去の自分が羨ましすぎてよだれが出そうだ。
 今の僕には、生憎射撃場も的も火薬もない。ロクな兵装もない。ひとりぼっち。あんときよりガチガチに冷えてる酒しかない。飲むしかない。やることがない。ない、ない、ない。
 退屈だ。
 退屈だ。
 なぁ、返事を…………。
 
 
 3月22日
 
 自分の中の信仰心に気付いたのはいつだった?僕は、こんな名だから……両親にエリス神とともにあれだなんて名付けられたもんだから、気付くのがずいぶん遅れちまった。驚いたよ、財団の連中が口にする神の名が、呆けた爺さんの笑えないジョーク程度の価値しかないって知ったときはさ。
 今となっては、その存在は一種のカバーストーリーで、ガキの頃の僕や哀れな両親の夢見を良くする役には立ってたと思ってるけどな。それでもさ、ほら、習慣って恐ろしいんだ。物心ついたときから僕は、何か苦しい思いをしたのなら、こうするように言われてきたから。病んでいる?そうかもな。でも、こういうときはどうしたって、天に問いたくなる。
 僕はどうして皆と同じようには狂えないのですか。どうして氷晶の純粋さを信じることができないのですか。どうして皆の元へは行けないのですか。
 教えてくれ。
 神様。
 
 
 3月31日
 
 あんたに謝らなきゃいけないことがある。僕はずぅっと、あんたのことが嫌いだった。
 そうとも。あんたを慕ってるように見せかけるのは苦労したよ。さして長くもない人生だが、お前は嘘が下手だって、飽きるほど聞かされてきたんだ、僕は。でもさ、あんたは僕が何をしでかしたって、疑う素振りすら見せなかったよな。僕がすれ違いざま罵られたときも、備品を壊した疑いをかけられたときも、他人を殴って謹慎受けてるってときも、誰も僕の話なんざ聞いちゃくれなかったのに、誰もが僕にばかり嫌疑を向けるのに、あんたはただ黙って、僕に問うて、庇いさえしてくれただろ。あぁ、あんたは本当に慈悲深いな。滑稽で仕方なかったさ。それにヘドが出そうだった。僕に、そんな価値なんざ無い。
 あんたのシリアルナンバー付きの万年筆凍らせてぶっ壊したのは僕だ。あんたが夜通しチェックした書類をシュレッダーかけて捨てたのも僕。その辺で拾ったネジをあんたから引っこ抜いたもんだって他人と笑ったこともある。あぁ悪かった、悪かったよ。怒ってるんだろ?すまなかった。ほら、許してくれ。許したって言ってくれ。
 なぁ、返事をしてくれよ。どうしてあんたは何も言わない?揶揄ってるのか?聞こえてるんだろ、なぁ。声を出すのも億劫か?かける言葉も見つからないか?それとも僕に飽きたのか?慈悲深いあんたのことだ、お前の声など二度と聞きたくないなんて、口に出せないだけなんだろ?なんとか言えよ畜生!!
 あぁ、あぁすまない、今のは僕が悪かった、何もかも僕が悪いとも。そうさ。少し冷静になろうと思う。幸いどこもかしこも雪まみれだ、こんな体でも頭を冷やすのには困らない。
 また連絡する。
 
 
 4月1日
 
 助けてくれ、大変なんだ!僕は今雪の上を走ってる、突然地面が裂けたと思ったら、そこからでっかい、何だ?トカゲが……ふふっ、いや、バイクも食われた、走るしかないのは本当だ、本当だとも。あぁ、黙ってるのはやめてくれよ!これでも必死で、必死で考えて……っははは。
 うん、ごめん。嘘をつかなきゃいけない日なんだってな、今日は。ネタだけは色々出した、でもさ、あなたが騙されるところがどうしたって想像できなかったんだよ。無謀だった。ごめん。
 ちょっと前までは猫の鳴き真似を練習してたりしたんだよ。そっちのが面白かったかな。試しに聞いてみるかい?ちょっと待ってくれ、ンン……。
 や、いや。やっぱり勿体無いな。まだまだ練習するからさ、これは来年まで取っておこうか。
 そう、また来年まで。
 
 
 4月5日

 今、僕に何が見えてると思う?僕の目の前の空が、どうなってると思う?当ててみてくれ。10、9、8……ふふっ。
 晴れたんだ、空が。真っ白な地平線がきらきら燃え盛って見える。歩いて、歩いて、気づいたら、暁が僕を照らしていた。信じられるか?数十万年前の熱核融合で生じた光が、こんなに眩しく見えるなんて。
 十分だ。僕はもう十分歩いた。ここでお終いにしようと思う。旅も、吹雪も、仕事も人生も、死んだあなたに電話することも、何もかも。

 僕は結局さ、あなたの言葉に報いることはできなかったよ。真っ白な世界で、ただ一人きりで、どこへだって行けると放り出されて……求めたものはシンプルだった。元通りの日々。時間とタスクに押し潰されて、書類の山を毛布がわりに眠るような、そんなつまらない日常だった。バカらしいだろ、せっかくあなたが背中を押してくれたのに、自由を願ってくれたのに。僕は尚どうしようもなく、財団の歯車だった。
 機械ざいだんが間違えたのなら、止めるのは歯車ぼくの役目だろう。雪は純粋?凍った地球は美しい?笑えるジョークだ。でもそれが本当かどうかは、僕が試してやらなきゃならない。装備類はみんな絶好調。バイクも、ゴーグルも、そしてナイフも。僕はこれから、この雪が生まれた場所に行く。心臓部に頭から飛び込んで、生命ってもんが何なのか、この世界に思い出させてやろうと思う。血と、泥と、クソとワイン、そしてひと欠けのチョコレート。僕の腹を切り開けば、いくらでも味わわせてやれる。これがもし自棄による自死として終わっちまったら溜まったもんじゃあないが……不思議と、上手くいくって確信がある。

 日が翳ってきた、そろそろ行かなきゃ。これが最後になるのなら……そうだな。

 ここまで一緒に生きてくれて、ありがとう。

 


 
 4月20日

 世界が雪に閉ざされる、ずっとずっと前のこと。
 届けられた新たなデスクに自分の物を入れていたとき、彼は以前の持ち主全員が一番上の引き出しの中にその名前を彫り込んでいたことに気がついた。そのとき彼が背筋に感じた冷たさは、サイトの地下奥深くで一人震えたあの日に似ていた。それをしようという決心を付けるのには二週間を要したが、実際下にいくらか隙間を開けるようにして自身の名を刻み込むことには、五分もかかりはしなかった。
 デヴィットソン。
 キングスポート。
 アイスバーグ。

 その夜、彼はベッドに身を預けながら、この人生に終わりが来たならば、一体誰があのデスクを使うだろうかと、静かに思いを馳せていた。
 
 

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