鈍感
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昔の収容房ってのはほとんどの音はシャットアウトできるが、ドアを叩く音だけはどうしても抑えきれなかったんだ。しかも、収容された奴ら、最初の数時間はドアを叩く。そのせいで、廊下には鈍い音がずっと響いていた。俺含め、警備員たちはその騒音に悩まされ続けたもんさ。

奴らが目覚めてから最初の1時間はかなり激しく音がなる。両手を力一杯叩きつけ、強い音が1秒ごとにドン!ドン!となったり、両手でどこどこ鳴らしたりする。

次の30分は足で蹴り始める。手が痛くなるんだろうな。ガン!ガン!と鳴るけれど、それもすぐに止む。

そして、静かになる。その後もたまに叩くが、それも弱々しくだ。だから、ほとんど静かになる。

だがなぁ、このサイトは一日中収容房に人型が入り続ける。だから廊下を歩くと四方八方からドン!ガン!ってうるせえのなんのって。当時の俺はそれが嫌で嫌でしょうがなかった。





収容房に入った人型どもは幸せになれやしない。
大抵の人型はドアを叩かなくなって長く、長く経つと抜け殻みたいになってやがる。口を開いてほうけてる。あれは、絶望だ。何をやっても外に出られないと分かって、何もできなくなった奴の末路だ。そして、そのまま死んで行く。ごっそりとやつれたその顔は見るだけで辛くてしょうがない。

俺がやってることが正しいことは分かるが、本当に正しいのか。倫理ってなんだ、正義ってなんだ。頭の中をグルグルと回り続ける尽きない疑問に悩まされ続けて、考えるのをやめた。なんで俺が悩まなきゃいけないんだって、開き直った。

騒がしい廊下を歩いて、警備を全うし続ける日々を送った。仕事をした。煩い奴らは収容違反の危険があるから、かなり注意していた。煩い場所に意識を向け続けた。

そんな俺に先輩は何回もこう言った。「音に意味を見出すな」ってね。意味が分からなかった。

ここは給料だけはいいからな。うまい酒だけを頼りに残り続けたもんさ。
ふとした瞬間にフラッシュバックする、静かなドアの向こうの絶望と死をアルコールで押し流しながら、明日が来ることを呪った。





今から5年くらい前にな、収容房の改修が入った。いろんな機能がかなり向上したんだが、その向上した機能の中には防音も含まれてたんだ。それからドアの音はパッタリと止んだ。

俺はその日を二度と忘れない。静かで静かでしょうがないその廊下を歩くことが俺は恐ろしかった。いや、絶望していた。

静かな廊下を歩き、俺は考えることをやめなかった。そして、いつしか心の奥底に追いやったいろんな考えが溢れ出した。

ドアの音は、収容された奴らのヒトらしく生きようとする意志そのものだと。外に出て、また日常を送りたい。そういう願い。それがなくなった廊下は、重苦しかった。

昔、廊下は騒音に溢れていて、扉の向こうにいる、ヒトじゃない何かを憎んだもんだ。もう出られないってのに騒ぐんじゃねぇって。

今、静かな廊下にはただ、鏡が居座ってるんだ。静寂は、考える余裕を作ってしまう。




俺は先輩の教えを最後まで守ることができなかった。音が俺に刻みつけた傷は、鏡を見る自分から隠すには大きすぎたんだ。

今や収容房から音がすることは収容違反のサイン。絶対聞き逃すなよ。死ぬぞ。

お前は今歩いてるこの廊下をどう思う?静かで、いかにも正常か?

ああ、それは正解だ。二重丸をつけてやろう。お前はよくやっていける。

あと10分で仕事も終わる。酒を飲もうじゃないか。俺の退職祝いだ。とびきりうまいやつを。

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