見えない猫と、見えたもの
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吾輩は猫である。名前はまだない。

……嘘である。有名らしいから言ってみただけ。
ボクの名前はナナカマド。みんなからはナナって呼ばれてる。

「ナナ~、一人で何言いゆうがで?」

この人は笛栖くん。ボクの飼い主さんで、たまに猫みたいな喋り方してる。

あ、おはよう!なんでもないよー。今日は起きるの遅いね?

「おはようさん、いやぁちょっと昨日飲みすぎたわ……。」

いつも飲みすぎだよー……。大丈夫?

「ん、大丈夫大丈夫。ナナは優しいにゃあ。」

見ての通り、笛栖くんはなぜかボクが何て言ってるか分かるらしい。きょーかんかく?とか言ってたけど、不思議な人だなぁ。

ならいいけど。ねね、ごはんちょーだい!

「おおすまんすまん。遅うなったね、ほりゃ。」

そう言って、笛栖くんは僕の前にお皿を置いてくれる。こんな風にボクが喋ってる間なら、笛栖くんはいつでもボクのことが見えるみたい。だからボクは笛栖くんのことが大好き!

あ、言ってなかった。そう、ボクはみんなから見えない。なんでかは分からないけど、生まれた時からこうだった。こう、ぎゅ〜〜って考えてると見えるんだけど、疲れちゃうからずっとは無理。この体のせいでいつも寂しかったし恨んだりもしたけど、今はもうそんなことはない。そのおかげでボクはここに来られたんだし、何て言ったって今のボクには笛栖くんがいるから。

ありがと〜!……モグモグ……今日はお休みなんだっけ?

「おう!久々に丸一日休みやき遊んじゃるで!毎日毎日真面目に仕事しゆう甲斐があったわ!そんな急に仕事も入らんやろ!ははははっ!」

あっ、ボク知ってる。こういうの「ふらぐ」って言うんだ。

「なんぜナナその目は?…………ん?ちょい待ちよってよ。……はい笛栖。」

お電話みたい。

「……え、収容違反ですか?なんで私に……まあいいか、人手不足ですよね。はい、向かいます。はい。失礼し…………はぁ、すまんナナ、ちょい行ってくるわ。また帰ってきたら遊んじゃおき!」

いってらっしゃ~い。

やっぱりなんかあったみたい。ボクはかしこいから、ほんとに忙しそうな時はわかる。引き止めたりはしない。ボクってえらい。でも、暇になっちゃったな……。お昼ご飯も食べたし、よし!お散歩でもしてこよっと!


右へ左へ、気の向くままに、うろうろ、ウロウロ。誰もボクには見向きもしない。だって見えてないからね。いつもなら暇そうな人にイタズラしたりするんだけど、今日はなんだかいい感じの人が見つからないなぁ。走ってっちゃったり微妙に忙しそうだったり、そもそもあんまり人がいないみたい?

わいわい賑やかなみんなのお仕事場を抜けて、カラっと晴れた中庭を抜けて、気づいたら全然人気のない建物まで来ちゃった。う〜ん、異常なし。ヨシ!……ふぅ。それじゃそろそろ、

「あ、ねこだ。」

ビクゥッッッッッ!!!!

急に背後から声がしたから驚いて飛び上がった。え?え??ボクは手を見る。何も見えない。だよね?恐る恐る見上げると、知らない職員さんがボクを見てた。見てる……ような気がする。ほんとに見えてるこの人?微妙に目が合わない。

「あっちにもいる……。」

そんなことを言いながら向こうの方を向いたので、ボクも目を向ける。視線の先の暗がりには何もいない。その人はそのままそっちへ歩いて行ってしまった。

……ただの変な人だったのかな?

ここは「財団」っていうらしくて、変なものがいっぱいある。変な人もいっぱいいる。ボクが連れてこられたのも変な体だったからだ。でも、だからこそ財団の人たちは変なボクを見てもあんまり驚かない。ボクもみんなを見習ってそんなに気にしないことにした。


ちょっと戻ると職員さんが2人、通路の端で話し込んでいた。あの2人は前に遊んでくれたことがあったっけ。姿を現そうとちょっと集中しながら話しかける。

お〜い。

「あ。」
「!」

……ん?今ボクが見えるようになる前に気づかなかった?いやでもボクも見えるようになるタイミングがはっきり分かるわけじゃないし、気のせいだよね。

何してるの〜?

「ねこがいる。」
「ほんとだ……。」

え〜……ちょっと悲しいよ。

ボクの名前忘れちゃったの?ナナだよ!ナナカマド!!

なんて言っても笛栖くんじゃないから伝わるはずもないわけで。仕方なくそのままにじり寄る。

「ヒッ!」

1人から怯えた目を向けられた。えっなんで?キミ、前はそんな怖がってなかったじゃない。不思議に思ってもう1人を見たら、なんだか虚ろな目をしている。キミもそんな人じゃなかったでしょ……?

「ねこ……。」
「やめて!来ないで!」

何かがおかしい。本能がそう感じている。怖い。

ボクは踵を返して駆け出した。

部屋までの道を一直線に走っていく。どんより曇ってる中庭。嫌に静かなお仕事場。集中なんてできるはずがないから、僕のことは誰にも見えてないはず。それなのに、すれ違う職員さんがボクを見てる。気のせいなんかじゃない。絶対見てる。なんで?視界にあるはずのボクの手はやっぱり透明なのに。

笛栖くん。怖いよ。笛栖くん……!

どんどんスピードを上げる。一刻も早く笛栖くんに会いたい。どこに行ってるのか分からないから、とりあえず部屋まで戻るしかない。やっぱりみんながボクを見てる。やめて。ボクを見ないで。初めてそんなことを考えた。


無我夢中で走って、部屋の前まで帰ってきた。ドアが半開きになってる。帰ってきてるのかな。恐る恐る入ると、笛栖くんがベッドに座って項垂れていた。安心して声をかけようとしたところで、笛栖くんが顔を上げた。光のない目がこっちを見る。やっぱりおかしい。流石の笛栖くんも喋ってないボクは見えないはずなのに。笛栖くんが口を開く。

「……ねこや。」

全身の毛が逆立った。なに、今のは。笛栖くんじゃない。笛栖くんはボクを見てあんな声で話しかけたりしない。

笛栖……くん……?ボクだよ……?ねぇ、どうしたの?

ほんの少しだけ、笛栖くんの目に光が戻ったような気がした。よかった。ボクだって気づいてくれたみたい。

「ナナ、ナナ……ながか…………?はっ、ははっ…………。俺は……はは、ははは…………。」

でも、いつもの優しい声でそう言ったっきり、笛栖くんは涙を流したまま動かなくなった。話しかけても、虚ろな顔で繰り返すだけだ。

笛栖くん……?ねぇ、笛栖くん……?

「はは……。ねこ、ねこが、おるがよ……。はっ、ごめんな……。ははっ……。」

やめてよ、笛栖くん!ほら、いつもみたいに名前を呼んでよ!

「俺は……俺には……もう、お前が、ねこにしか見えん……。見えんがよ……。」

どういうこと……?笛栖くんは透明なボクが見えるんでしょ!ねぇ!!

「俺には……俺の目にはもう……もうお前が、透明に見えん。ははっ……そうやお、のぅ、ねこ。ははははは…………。」

そんな、だってボクは、

何も見えないはずの手を見る。

ボクの、名前は、

白いのっぺりとした肌が見えた。

……ねこ、です

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