二人寄れば
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私は丘に横たわり、空を見つめる。星々はまだらに散らばる雲の奥底に隠れ、光は天上にも地上にも届かない。私はかつて、星を作り上げる委員会に所属していた。砕け散った暗示と暗喩の残骸からその姿形を組み立て直し、二日以内に結論を出すことを要求された。それは眼球のような形だっただろうか?ガラス玉のような形だっただろうか?私が提案したのは、柔らかく澄んだ光を放つ、大幅に明るさを減じた幾つもの太陽の姿だった。十分に地球に近く、天球上で揺らめき行き交う様が見られるような。しかし選ばれたのはブラントの提案だった。伸び縮みする、尾ひれを引く細長い光。それらは時折、自らミーマチックトリガーの形を構成することがあり、その投影にはミームの自己強化を行う性質があった。おそらく、それが案が承認された主だった理由だったのだろう。少なくとも美的価値観に基づく判断ではなかった。ブラントはそのことを知っていたのだろうか?彼男の目に映る星々は、そんな姿だったのだろうか?

「どうして私の名前をジェンキンズだと思い込んでいたのだと思う?」と私はアネットに問いかけた。彼は私の隣で横たわり、プロテインバーを食べ終えようとしていた。私は既に食べ終わって、しかし食事の内容を既に忘れていた。「私達のミーム部門にジェンキンズが居た訳でもないのに。」

[知っている。]
(I KNOW.)

サイトから離れて、彼は少しリラックスしているように見える。私達は街に向かって一、二時間ほど歩き、その間、私は終始文句を言い続けた。そこでようやく彼は、一晩を安全に過ごすために十分な距離を歩いたことに同意した。今は、彼のメッセージも時間をかけて叩かれたものになっていた。省略を用いず、句読点を挟み、メリハリをつけるために単語と単語の間に空白を入れるなどしていた。彼のそんな様子を見るのは初めてだったが、考えてみれば当然のことだ。コミュニケーションは決して純粋な機能とは成り得ず、一定の嗜好が入り込むものだ。アネットの取る方法が他の人とは違うだけのことだ。

[きっと彼男は貴方のことがどうでもよかった。]
(I DONT THINK HE CARED.)

「私はどうでもよくなかった。お気に入りの部下の名前も分からないなんて!」

[それは誰のこと?]
(WHO WAS THAT?)

私は溜息をつく。傍らで、アネットはかすれ気味の咳を発した。

翌日。私達は再び歩き始める。暇を潰すため、私は対処置剤を一部分ずつ組み立て始めた。ゆっくりと、完成品を決して見ないように心掛ければ大丈夫だ。出来上がったものは小さな箱に収められる。問題は箱を開ける段になった時だ。アネットは知っていると思うが、彼はそのことについて何も言わない。どうしてだろうか?私が彼のせいで死ぬことになっても、気に掛けないというのだろうか?私は頭痛を覚える。誰も見ないというのに、英雄心から犠牲になることに何の意味がある?私はその瞬間を想像する ― 箱が開かれ、世界に暗闇に紛れていく。傍らにいるアネット、消えていく長年の痛み。自分のエゴイズムに嫌気が差す。

日が半ば過ぎた頃、私達は街に繋がる道路に辿り着いた。私は心置きなく地面に倒れ込む。

[貴方は丘の頂上までたどり着けないだろう。]
(YOU WILL NOT MAKE IT UP THE HILL.)

アネットは街の更に向こうにある丘を指差した。「無理だ」私は大きく息を吸いながら言う。「間違いなく無理だ。」

[共に街で車を手に入れよう。]
(WE WILL GET A CAR IN THE CITY.)

アネットにとっては相当長いセリフが叩かれる間、私は地面に伏して息を整えていた。私の醜態を見て、アネットが呆れたように目線を上げたことを私は確信した。どこでそんな仕草を覚えたのやら。

[私が街で車を手に入れよう。]
(I WILL GET A CAR IN THE CITY.)

「ありがとう、アネット。」

[はい。]
(YES.)

そしてアネットはチーターのように走り去って行った。痛みが戻ってくる。目から涙が漏れ出しているのが感じられる。迫りくる暗闇の幻影を再び想像する。私は目を閉じて、星を見る。

アネットが私を揺さぶっている。視界の霞んだまま、起き上がる。

「誰か来たのか?何かあったのか?」

アネットはサムズアップを肩の後ろに向けた。私は親指の先を目で追ったが、そこには何もない。辺りを見回すと、自分の後ろに、多少使われた形跡のある車があった。

「借り物?」

[盗品。]
(STOLEN.)

車の中に座る。これだけ街に近いにも関わらず、道路は無人だ。

「この仕事は誰の為だ?」私は窓の外を見遣りながら訊く。

[今更訊く?]
(NOW YOU ASK?)

「O5の指示だと思い込んでいたんだ」と私は答える。

[思い込みで貴方も私も馬鹿を見る、と言うでしょう。]
(YOU KNOW WHAT THEY SAY ABOUT ASSUMING.)

又しても長台詞だ。「よくそんな定型文を知っている」と私は言った。

[英語は私の母語。]
(ENGLISH IS MY NATIVE TONGUE.)

私は目を瞬かせる。アネットは長くかすれた咳をした。ようやく、私は彼が笑っていることに気づいた。私も笑う。笑いは途切れる。

[エリザベス・ウィリアムズ。彼女に会ったことは?]
(ELIZABETH WILLIAMS. DID YOU MEET HER?)

私は目を閉じて背もたれに寄りかかる。「おそらく無いと思う。ミーム学者だった経歴は?」

[無い。応用位相幾何学。]
(NEVER. APPLIED TOPOLOGY.)

「うん、会う機会は無かっただろう。」私は片目を開く。「その人は、貴方にとっての何だ?」

[貴方にとってはどう?]
(WHAT IS IT TO YOU?)

私は眉を吊り上げ、再び目を閉じる。「なるほどね。」

ここらの道路にいると、自分がよそ者のように感じられる。本来なら混みあっているはずの場所だ。高架路の下には人が住んでいるはずなのだ。誰もいない。道路が朽ちるほどの時間はまだ経っていなかったが、終わりがやってくれば、構造は一欠けらずつ失われ、小さな草や新芽がコンクリートの割裂を求めて伸びていくのだろうと想像する。幾筋かの砂利は残るだろうか?頭痛が悪化する。頭の奥で、何かが圧迫されているのを感じる。桁か足場が許容を超えた重量を与えられているようだ。小さく軋む。事態の甚だしい悪化を思う。既に周囲の像は鮮明さを、明瞭さを失いつつある。以前に自分が眠った時の事を思い出そうとする。何か思い出せるものはあるだろうか?分からない。私は視線を投げる。少なくとも、アネットの輪郭は相変わらずはっきりしていた。黒色の戦闘神経症。手首の小さな黒色のディスク。澄んだガラスのような目。一週間、あるいは二週間が経てば、彼だけが最後に残る。

街に入る。今は、そこに人がいた。彼らはその場の空白に刹那の間に現れる。誰もが外出していた。大量の光が、突如押し寄せる。以前にこれほど光があったような覚えは無い。

誰も彼もが三人連れでいる。二人の男が女を挟んでいるかと思えば、時折二人の女が男を挟み、これといった順番を見出せない連れもいた。人の輪郭は朧げだ。視線は自然と滑り落ち、頭痛は着実に痛みを増していく。少しずつ、少しずつ。道路は放棄された車で埋まっている。歩行者はそれらを無視するでもなく、—気付きもせずに ―、 それらを乗り越えたり迂回したりしながら、目の痛みによって直視することができないような動きをしていた。私の単なる頭痛は劈くような片頭痛に変わる。車の一つの中に、不動の影が見える。

アネットは車を捻じ込もうと試みた。

[歩く必要がある。]
(WE HAVE TO WALK.)

私は頷く。自分の顔を汗が滴り落ちているのが分かる。

共に車を出る。幽かな人影らが注意を向けてくるような気配は無い。良い傾向だ。私は躓きがちに何とか数歩進み、倒れ込んだところをアネットに受け止められた。彼の肩に寄りかかっていれば、何軒か先まで歩くことが出来るかもしれない。それで足りるかどうかは分からない。一歩進むごとに、さらに多くの力を奪われるように感じられる。吐き戻しそうだ。横になりたい。頭痛が酷い。私達は進む。進み続ける。

私は地面の上にいた。輪郭の定まらない人物が私を見下ろしている。彼は腕をこちらに降ろし、何かを言う。私はその言葉を理解できない。英語と英語でない言語の間で変調しているようだ。彼が再び話す。アネットはどこだ?私は自分の足で立ち上がる。肩に重りが乗せられる。

― 二度と会うことが出来ないかもしれないから、言っておきたいんだ。本当に愛してる。

それが自分の言葉だった。一ヶ月以上前の自分は、それを良い判断だと思っていた。終わりが早く訪れようと、後悔しないように。馬鹿馬鹿しい。全く馬鹿なアイデアだ。自分の言葉だ。

「アネット?」

私は再び崩れ落ちる。

「アネット?」

何かが私を脇腹で抱え込んで、私は思わず悲鳴を上げそうになる。彼の腕の先に付けられた何かが、私の胸に打ち付けられる。

[中へ]
(INSD)

彼は私を吊り上げ、私の踵を引きずりながら歩道を移動する。吐き気の改善にはつながらない。私は踵が一度、二度、三度何かに引っ掛かるのを認識し、そして私達は中へ辿り着いた。アネットが私を落とす。私は立ち上がり、嘔吐した。

床は冷たく滑らかだ。私の頭痛も沈静化しつつある。おそらく嘔吐のおかげだろうか。私は腕の先を用いて立ち上がり、辺りを見渡した。私は中にいる。かつては家だったのだろう。壁には隙間があり、新鮮な空気と光が注ぎ込んでいた。私は壁を腕でなぞる。粗く、模様がつけられている。開いた穴を通り抜ける風が上機嫌なメロディを奏でる。思わず鳥の鳴き真似を口ずさむ。私は広い共有エリアに出た。周囲に人がいて、部屋を出入りしている。それでいて多くの者が壁や床に、あるいは互いにもたれ掛かっていた。笑いと、風のそよぎが聞こえる。私は目を閉じて星を見る。アネットはどこだろう?

私は部屋に導かれる。私は高所から見下ろしながら、空間が続いているのを視認する。人々(一人?)が私を食べ物に導く。私は空腹だ。私は食べる。音楽がある。何時から音楽があったのだろう?しかし音楽がある。彼らが音楽を作っている。

誰かが私の腕の先を掴む。アネットだ。生身の、実在する人だ。

[行こう]
(GO)

地面が揺れる。彼は力強く私を後ろへ引張り、腕の先端の物体で再び私を叩いた。

「何が起きている?」打音が続く。

轟音と閃光がもたらされる。アネットは私を押し飛ばし、共々床に打ち付けられる。暴風が上方を通り過ぎ、私達を圧倒する。音だけがある。音が止む。私達は立つ。遠方に、かつてサイトが存在した場所から緩やかに伸びるキノコ雲が存在した。その中に、私は星を見る。私は目を閉じて星を見る。

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