「今の仕事は好きかい?」
「どうしたんですか、急に」
サイトのカフェテリアに二人の男が座っている。休憩時間だからか、カフェテリアの中は人で賑わっていた。そんな中で、テーブルの上に置かれた紙コップから溢れ出る湯気を眺めながら、長身のスーツの男──一島 正道いちじま せいどうは静かに、再度問い直す。
「答えてくれ。今の仕事は好きかい?」
「……まあまあですかね。やりがいありますし」
問いかけに対し、白衣姿の小柄な男──日比野 秀ひびの ひでが答える。その回答に対し一島は、コップの中のコーヒーを一口すすってから、静かに言葉を返した。
「俺は嫌いかな。だからと言って逃げたり辞めたりはしないけど」
「へえ、なんでです? 先輩、腕は確かなのに。……まさか、簡単すぎてやりがいがないとか?」
「そんなものじゃないさ。それに──俺達の仕事はやりがいだけで決めていいものじゃないしね」
「確かに、そうですね。申し訳ないです」
「まあ、やりがいがあることが悪い訳じゃないけどね。事実、モチベーションを維持するには必要だし。でも、関係者を尊重することは忘れないようにね」
そう言い、一島が空になった紙コップをテーブルの上に置く。暫くの沈黙のあと、両者の携帯端末からバイブレーション音が鳴り出す。業務通達であることを確認した一島は席を立ち、軽く伸びをして日比野に告げる。
「仕事だ、行くよ」
「わかりました」
一島と日比野がカフェテリアを後にする。橙色の明かりに照らされた廊下に、コツコツという無機質な足音だけが響いている。
— ● —
「なるほど、収容下のアノマリーが死亡したと」
一島がスーツを纏った小柄の男に対して問いかける。目の前の収容室内に備え付けられたベッドの上には死体が寝転んでいる。SCP-17UG-JPという識別子の振られていた男の死体は、ただ静かにその場に存在していた。
「ええ、そうですね。バイタルサインの異変を察知して駆けつけたのですが、到着したときにはもう……」
「なるほど。ちょっと失礼しますね」
そう言い、一島は収容室に足を踏み入れる。業務中は常に携帯している小型の測定器を持って、死体へと慎重に近づいていく。至近距離に立つと、一島は死体の手首を持ち上げて、小型の測定器を押し当てた。しばらくして、測定器からピピ、という電子音が発せられる。測定器のメーターを確認し、一島は告げる。
「……表面上の異常はないですね」
「と言うと」
小柄のスーツ姿の男が問いかける。慣れたような手つきで死体の手首から手を離し、手持ちの測定器を腰元に戻しながら一島は答える。
「暫定的な判断ですが──無力化しているでしょう」
「無力化、ですか」
「ええ。ただ、まだ断定はできないです。ご存知の通り、異常影響による死などもありますから」
「ふむ……」
「とりあえずここからは俺達が調査します。日比野くん、担架準備して」
そういうと、一島は死体を両手で持ち上げた。両の手を支配する仄かな熱を確かに感じながら、日比野に手配させた担架に死体を乗せる。57キロの重量が加算された担架を一島と日比野の二人で持ち上げ、収容室から退却する。死体の乗った担架を担ぎながら、二人は解剖室へと向かった。
— ● —
解剖室の中はやけに冷え込んでいた。天井に取り付けられた空調機器から発せられる冷風が、一島の肌の上をなぞるように過ぎ去っていく。ふと息を吸い込むと、アルコールの匂いが鼻の奥をついてきた。作業着に着替え、メスを手に持つ。消毒液を染み込ませたガーゼでメス全体を丁寧に拭き、金属製のトレーの上に置く。
かちゃりという、金属がぶつかる音がした。音の先には電灯の無機質な光に照らされて輝く刃先がある。解剖器具の消毒を終えた一島は目を閉じる。アノマリーに感情移入しないように、と心の中で何度も言い聞かせながら、一島は深く息を吸った。空調音が耳の中に吸い込まれていく。息を吐き出すとともに目を開き、死体と向き合う。
「……それにしても、死体を見ると緊張しますね」
死体を見ながら、日比野が呟いた。日比野の表情は硬くなっている。恐らくは緊張しているのだろう。そんなことを考えながら、一島は言葉を発した。
「大丈夫だって、変に気張りすぎないようにね」
「分かってはいるんですけど……どうしても、生前の様子を想像しちゃって……」
「まあ気持ちはわかるけどさ。……とりあえず、仕事に私情は持ち込まないようにね」
「わかりました」と日比野が答える。それを聞いた一島は再度深呼吸をして、短く言い放った。
「これより解剖を開始する」
一島が日比野に対して目で合図を送る。それに気付いた日比野は近くのテーブルに置かれていた書類を手に取って、眺めた後に読み上げた。
「……対象についての情報を開示します。対象はSCP-17UG-JPとして指定されている日本人男性で、享年は34歳。身長は171センチ、体重は57キロ。異常性は読心能力であるとされています。読心能力以外に異常な点はないものとされています」
「なるほど、ありがとう」
そう言い、一島が死体を観察する。胸部に縫合痕、口内に歯科治療痕があることを確認し、肌を触る。外部に目立った損傷はない。縫合痕についても過去の治療記録のものと一致している。死体の表情は微笑んでいる。恐らくは苦しむことなく逝ったのだろう。この財団の中で苦しまずに死ねただけマシな事だな、と考えながら一島は観察を続けていく。
死体にメスを当て、なぞるように動かしていく。動いたところからポツポツと血液が溢れ出す。昨日までこの肉体を動かしていた要素が次々と死体の中から消えていく。一島はその様子を眺めながら、「変化」の二文字を思い浮かべていた。喉、胸、腹の順にメスを動かしていく。切断部に腕を入れ、剪刀を用いて肋骨と胸骨を切断する。
肋骨と胸骨を除去した後に腹膜を切開し、腹部臓器を大きく開いていく。そうして開かれた腹部と胸部を観察する。血液特有の生臭い匂いを感じて顔を顰める。腹部と胸部に異常は見られない。それを確認すると同時に両肺を切除。そのまま流れに従って心臓を摘出し、血液を排出させる。開かれた死体が、人から物に変わっていくのが目に見えて分かった。
その後、手を使って頚部から舌と咽頭を剥離させる。その次に脊椎に沿っていく形で体内の臓器を取り出していく。空になった体内に生の気配は存在していない。それが妙に気持ち悪く思えた。最後に骨髄を採取して、切開部を縫合する。一島が日比野に臓器をホルマリン漬けにするように指示する。
日比野が作業を終えたことを確認して、一島が口を開く。
「身体部位に異常なし。オブジェクトの生物学的無力化を確認。……これにて解剖を終了する」
そうして二人は解剖室を後にした。部屋の中には生物学的に正常な死体があるだけだった。
— ● —
解剖室の外ではスーツ姿の男──SCP-17UG-JPの担当職員が待機していた。解剖結果はどうなのだろうか、と考えながら、一島と日比野が戻ってくるのを待っていた。そうして数分が経った頃に二人は解剖室の中から出てきた。
「あの、解剖の結果は……?」
一島に対してスーツ姿の男が問いかける。男は今か今かと言わんばかりに、そわそわとした表情を浮かべていた。その落ち着きのない表情を見ながら、一島は一言、言葉を発した。
「身体部位に異常はありませんでした。オブジェクトは生物学的に無力化されています」
「……そうですか」
男は残念そうに言った。それを不思議に思った一島が男に対して問いかける。
「どうかしましたか?」
「ああ、いえ。……オブジェクトでも死んでしまうんだなあ、って思ったんですよ」
「まあ生物ですし」
「それはそうですが……昨日まで元気に動いて話をしてた人が動かなくなるのって、相当怖いことなんだなって」
男の発言に対して、一島が「そうですね」と相槌を打つ。その後に少しの沈黙を挟んで、男は短く言った。
「それにしても、アノマリーも可哀想ですよね」
「……というと」
「だって死んだ後ですら家族に会えないんですよ。機密性保持のために財団側で埋葬することになってるので。家族の元に行くのは、巧妙に作られた偽装死体だけですからね」
「……そうですね」
「本当に残酷な話ですよ」
そこから数度の会話を行った後に、男は去っていった。廊下には二人の男だけが残っていた。
— ● —
後日、サイトのカフェテリアにて。カフェテリアの中は賑やかな喧騒によって満たされている。一島と日比野がテーブル席に座っている。紙コップに入ったコーヒーを啜りながら、一島は言葉を発した。
「もう一度聞くけどさ、今の仕事は好きかい?」
「まあまあですかね。……ていうか前にもいいましたよね」
呆れたような口調で日比野が言葉を返す。それに対して一島は短く言葉を返した。紙コップの中のコーヒーは無くなっている。
「俺は今の仕事は嫌いだよ」
「前も同じこと言ってましたね。なんでそこまで嫌いなんです?」
「なんでって……死者を冒涜してる気がするからだよ。死体を弄ることは気分のいいことでもないし。それに──解剖を通じて人を物にすることに、慣れたくなかったからな」
「……なるほど。確かにそうですね」
一島と日比野の間に沈黙が流れる。そしてその沈黙が携帯端末のバイブレーション音声によって破られる。業務通達であることを確認した一島が口を開く。
「仕事だ、行くよ」
「わかりました」
二人がカフェテリアを後にする。橙色の明かりに照らされた廊下に、コツコツという無機質な足音だけが響いていた。