備品整備
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 エージェント・越前こと越前康介は財団所属のフィールドエージェントである。業務としては多岐にわたり、異常現象地帯周辺での初期調査、SCPオブジェクトの初期収容作業等、危険な業務も多い。越前も多くの危険業務に携わってきており、都度生き残ってきた。だが彼に訊けばこう答えるだろう。この仕事は天職であると。

 越前がサイト-8179に訪れたのは午後の事である。9月だというのに日は長く、午後であっても真夏を思わせる日差しが肌を刺している。
「いらっしゃいませー」
 購買部の自動ドアが開くと、女性スタッフの挨拶が聞こえた。人づてにたどり着いた場所だ、越前は何かを間違えたかと思い表札を見たが、確かに「購買部」と書いてあった。
「あー、店員さん?」
「はい! 何かお探しですか?」
 ハキハキした答えだ。小麦色に焼けた肌に笑顔が似合っていた。多分このサイトで人気の看板娘的なアレだろう、越前はそんな事を思った。購買部長の所在を尋ねると、「こっちにいますよー」と購買部に併設された別室へ案内された。
「おやっさーん? 木場のおっさーん。いるかーい?」
 部屋のドアを開けながら呼びかける。室内には作業台でなにかの作業をしている、初老の男がいた。男はつと視線を上げると、「おお越前! お前さん生きてたか!」大げさなポーズで越前に答えた。
「いや、いやー、マジちょっとビビったよ俺は。購買部長だって言われて来たら、これ売店じゃねえか」
「うちのサイトには資材部があるからなあ。お前さん、知らなかったか?」
「知るわけ無いだろ。俺あれだよ? サイト詰めじゃないからね?」
 確かにそうか、と木場。
「それで、遠路遙々何しにイラッシャッタんだね?」
「ああ、それだ。実はおやっさんに頼みたい事があってな」
 言いながら、越前は自分の左腕の、肩から下辺りに右手を当てた。少しひねるように動かした後、左腕を外す。
「コイツの整備を」
「おいおいおいおいおいおいおい、なんだコイツは! 義手か!? いやなんだコレは! 全然普通に見えるじゃねえか!」
「うん、だからこの義手」
「すっげえなおい! 何で動いてんだ!? アレか! 脳波か!」
「いや脳波とかそういうのは知らねえけど、整備」
「ほーー、ほほーー、皮膚はラテックス……じゃねえな! 人工皮膚かなんかか? 血管の浮き加減とかもすげえな!」
「あー、うん、その辺は普段使い用だからって博士も言ってたのはいいけど話聞いてくれねえかなそろそろ」
「聞いてるぞ越前。お前こそ整備整備しか言ってなかろう」
「アンタ疲れるヤツだな! …まあいいや、おやっさんにはコイツの整備を頼みたいんだ。コイツを作ったのは別サイトの博士なんだがな、整備とか修理とかの時は『私が忙しいときは木場購買長に頼んで下さいね!』なんつっててな」
 私が忙しいときは木場購買長に頼んで下さいね!の部分は裏声である。
「なるほどな、どこが悪いんだ? さっきから見てる限りだと、至って普通に見えるがなあ」
「ああ、うん、言葉じゃあ説明しづらいな。ちょっと待ってくれよ」
 言いながら、作業台の上に載せていた左腕を再び肩へ取り付けた。数秒の後、越前の義手は、言われてもそれと気づかれないほどに滑らかに指を動かした。静寂の中で耳を欹てれば、あるいは微かな駆動音は聞こえるかもしれない。返せば、違和感としてはその程度である。
「やっぱすげえなおい」
 木場はその様子をつぶさに観察し、ため息を漏らす。
「すげえのはすげえんだけどな、肘を勢いよく曲げるとなんか、コクっと来るんだよ」
「コクッってなんだコクッて。そうやってすぐ擬音とかに頼るからな、最近の若えやつぁダメなんだよ」
「いや若えヤツの話は知らねえよ。つーか俺とアンタそんなに年変わんねえだろ!」
 言いながら、木場の腕をとり、左の二の腕辺りを握らせた。
「なあ越前や、俺ぁノンケなんだがな」
「アンタのシュミは興味ねえよバカ! 言葉じゃ説明しづらいッつったろう?」
 木場に腕を握らせたまま、ゆっくりと肘から先を動かす。肘を伸ばした状態から、左手で左肩を触るように腕を曲げる。その動きは非常に滑らかだ。
「これが普通な? で、こう」
 今度は素早く動かした。左肩に手がつくやや手前辺りで、微かだがカクリと違和感があるのを木場も感じた。
「なるほど、なるほどな。コイツぁ確かに説明しづらいだろうな」
 木場が独り言つ。その視線は熟練工のそれであった。
「よし! 良し判った! コイツは俺に任せろ! こんなすげぇのを整備できるなんざぁ男冥利に尽きるってもんさ!」
「そう言ってくれると思ったぜおやっさん! 男冥利ってトコはよく判んねえけど!!」
 越前は再度義手を取り外し、作業台へと置いた。
「いやマジで済まねえなおやっさん。整備で判んない事あったら、博士が自分に聞いてくれって言ってたから、いい感じに頼むわ」
「ああ判った。誰博士だって?」
「結城博士。内線判るか?」
「後で内線表見るさ。結城…なんだって?」
「あー、なんだったかな。クマだったか」
「勇ましい名前だなおい」
「そういうこと言うんじゃねえよ…。どのくらいで仕上がりそう?」
「やってみないと判らんが…およそ3-4時間はかかりそうかもしれんなあ。仕事無いなら、サイト内でもぶらついてらいいさ」
 ああそうする、越前は答える。が、去る足を急に止め木場の所へ戻ってきた。
「おやっさん、言い忘れたがな、改造と機能追加はしなくていいからな。つーかしないでくれ。頼んだぜ」


 木場は近年あるかないかの一大イベントに心を躍らせていた。作業台にごろりと寝かされた義手は、おそらく財団の技術の結晶である。それは越前によるデモンストレーションの素晴らしさを目にすれば明らかであった。緊張と動揺と高揚を気取られまいと、普段よりも饒舌になっていたかもしれない。
 つと、置かれた義手に指を這わせた。人工皮膚と思われる外装はおそらく越前に合わせてあつらえた物だろう。押すと、微かな弾力を感じる。それは中年男性の皮膚のそれであるが、人工物であるという事に注目したい。作業台に乗っているのは義手である。人工物であるが、接合部にあたる肩口以外は実に生身である。皮膚の弾力、肘の皺、毛穴の表現。どれをとっても越前康介のそれであろう。
 木場は高揚していた。人類の英知の一つが、目の前で無防備に転がっているのだ。

「うむ、…うむ。とりあえず落ち着こう。な、俺よ」
 このまま気分を盛り上げていけばおそらく顧客の意にそぐわない改造を施しそうである。改造は禁止だと言われたはずだ。木場はひとまず落ち着くため、この義手を作成した結城博士へと連絡をすることにした。なにぶん、メンテナンスをするためのとっかかりもない。現状でもそれをする自信はあるにはあったが、それは改造とほぼ同義ではないか。木場仁は変人だが、整備人としての矜持はあった。
 部屋に置いてある情報端末より、「ユウキ クマ」の内線番号を探す。
 該当職員、一名。
「なるほど、コイツか。さてさて、こんなすげぇのを作るヤツぁ、どんなヤツなのかねえ」
 木場は手をすりあわせ、揚揚と結城へ内線をかけた。
 呼び出し音が数回鳴る。
「はい」
 内線に出たのは若い女性の声だった。
「お、こちらサイト-8179の木場と言いますがね、結城博士はいらっしゃいますかね」
「はい。結城です」
「あ、いや、結城博士をですね? いらっしゃる?」
「ですから、結城ですが。…いたずらですか?」
「いやいや、いたずらじゃあないですよ?」
 がちゃん。
 切られてしまった。
 切られてから、木場は考えた。もしかして今のが結城博士か? そういや性別は確認してなかったが……クマだぞ?
 情報端末の内線表から、結城の人事ファイルを閲覧した。木場のセキュリティクリアランスレベルは0であるため、名簿程度の情報しか得られなかったが、「結城久磨」の漢字は確認できた。古い名前のように見えた。
「なるほど、なるほどなあ。なる、ほど?」
 結城博士がおそらく女性であることは判ったが、すこし腑に落ちない点があった。だがそれが何かが判らない。判らないが、そういえば、財団の博士は変人ばかりだったな、と言うことを思いだし、だったらそういうことなんだろう、と納得した。
 こんどは切られないようにしないとな、と、再度結城へ内線をかけた。
「はい」
「あ、さっきはスミマセンね、サイト-8179の木場と言いますが」
「はい、結城です。何かご用件ですか?」
 今度は切られなかった。幸先は良さそうだ、と木場は思った。
「いや、あれですよ。越前の義手の件です」
「…ああ、はい、越前さんの。修理ですか?」
「整備ですな。ちょいと調子が悪いとやっこさんが言うんでね」
「そうですか、助かります。それでは、仕様書とメンテナンスマニュアル、あと設計書もお送りしますね。ええと、木場――」
「仁です。木場仁」
「判りました。では、ファイルが送付されている間にいくつかの注意事項をお知らせします。お時間は?」
「注意事項? まあ、時間は大丈夫ですがね」
「ありがとうございます。越前さんの義手、SZ-0338-LHはレベル4の機密となります。従って、整備中の木場さんにはセキュリティクリアランスレベル4が一時的に割り当てられます」
「ちょ、ちょっとま――」
「ご質問は最後にお願いします。続けますね。権限付与管理のため、整備開始と終了時に私まで連絡を下さい。この内線で結構です。それと、被疑箇所が判りましたら、別アングルでの写真を3枚以上撮影し、私まで送付して下さい。撮影機材は支給されている携帯情報端末で結構です。それと、内部の「解体不可」の刻印がある部品は解体しないで下さい。以上ですが、ご質問はありますか?」
「ああ、いや、特には無いかな。いきなりレベル4だの言われたときは肝を冷やしたが」
「では、お手数ですけれどよろしくお願いしますね。なにか質問があればまたご連絡下さい。研究室には数日詰めていますので」
「判りました、了解です。お忙しいところスミマセンね」
 がちゃりと内線が切れる。
 手が少し震えた。曰く、レベル4の機密であると。全身がざわりと波立った。見立ては間違っていなかった。喉の奥からくぐもった笑いが漏れた。
 未だ両腕は震えている。
 恐怖ではない。
 あまりの喜びに体が動転しているのだ。
 どうだこれは、どうしたことだ木場仁よ。セキュリティクリアランスレベル0の俺が! 整備依頼時にも1にしかならぬ俺が! いま! レベル4のご馳走を整備できるのだ!
 待ちきれぬ。結城博士からのオードブルが待ちきれぬ。メインディッシュの整備が待ちきれぬ。
 だが、だが待つのだ木場仁よ。おそらく送られてくるオードブルも一級品、メインディッシュをより素晴らしい物にしてくれるに違いない。そしてこの飢餓こそが最大のスパイスなのだ。
 木場が作業台を中心にぐるぐる歩きながら妄想に耽っていると、設置されているパソコンからメール着信が聞こえた。標準設定の無機質なアラームは、むしろ木場が我に返るのを手助けした。
 パソコンへ駆け寄り、メールを確かめる。送信者は結城久磨。先ほど言っていた三つのファイルオードブルも添付されている。木場はあめ玉を配られた子供のようにメールにかぶりつき、ミサを始める聖職者のように恭しく添付ファイルを開いた。添付されていた文書は以下である。

  • SZ-0338-LH 規格設計書
  • SZ-0338-LH 仕様書 rev4
  • SZ-0338-LH メンテナンスマニュアル rev3.1

 圧巻であると木場は感じた。レベル4の資料を目の当たりにしているのだ。オードブルからしてこれで良いのか。良いのだ、これがオードブルなのだ。はやる気持ちを抑え、木場は壁の内線電話を手にし、結城へ作業開始の連絡をした。


 義手の人工皮膚を外すには、まず肩口の接合部を外す必要がある。本人の腕を模して作られたにしては不自然なほど金属で構成されたそこは、おそらく義手のユニット化を果たす上での重要な機構なのであろう。メンテナンスマニュアルでは、まずそこのトルクスネジを6本外すように指示があった。ネジを外すと金属パーツは逆ネジ方式で瓶の蓋のように外れ、裏面には「解体不可」の刻印がある。メンテナンスマニュアルでは、このユニットは制御ユニットであると説明されている。制御ユニットは外側から見える燃料ボックスの蓋があり、これは片手で開閉できるように配慮されていた。燃料とは言うが、これは食塩水で発電するタイプの燃料電池である。
 人工皮膚は、制御ユニットを外した義手本体の裏部分に、トルクスの皿ネジでの固定箇所があった。このネジを外すと義手からはストッキングのように外す事が可能だ。人工皮膚を外した義手はおおむね人体のそれを模した構造であった。黒色のチューブ状の人工筋肉(カーボンチューブ製であると説明があった)と、ほぼ人のそれに近い形状の、炭素繊維強化樹脂製(これも仕様書の説明による)の骨がある。人工筋肉は箇所によりモジュール化されており、人工骨との接合部は強化樹脂製のサムスクリューでネジ止めされている。神経系は単純化されており、数本の導線が役割を果たしているようだ。実際には赤と白の皮膜で覆われているが、仕様書の写真では茜色の金属であった。銅製であると思われるが、仕様書の写真ではモニタの都合か、一般的な銅よりも鮮やかな茜色をしていた。
 注目すべきはやはり関節部分だろうか。一般的には人工関節では球体やまたは歯車、最近では人体を模して半球型のヘッドと軟骨部分を担う超高分子ポリエチレンで構成されているものが多い。だがこの義手はどうだ。構造こそ人体を模したものだが、カーボンチューブ製の靱帯があり、関節部全体がゲル状のパーツで覆われていた。このゲルは関節内部でクッションの役割もしており、常時稼働する部分への負担軽減に貢献している。ゲルパーツは外周部とクッション部で分かれており、メンテナンスにさほど苦労しないのも高評価である。
 木場は、深く、息を吐いた。
 美しいと思った。懐石料理を想起させた。
 欲を言えば、カーボンがメインのせいか、骨と筋肉が黒系統である為あまり映えない所か。だがそれも、筋肉モジュールを外した先の骨に這う、血脈を思わせる赤白の滑らかなラインを見ると、この感動をより深くするための色覚的措置なのかもしれないと思えてくる。
 それでは、と。
 木場は、賛美歌を歌う聖歌隊の気持ちで、越前の言う「患部」へ目を向けた。
 筋肉ユニットを外した状態で、ゆっくりと肘関節を曲げる。違和感は特にない。関節の動きは非常に滑らかで、もしかしたら実際の人体よりも具合が良いかもしれない。
 次に、少し早めに曲げた。違和感はない。
 もう少し早め。これも問題ない。
 さらに早く。――ここだ。
 肘を曲げる速度を上げると、あるタイミングでカクリと振動が生まれる。速度的にはそんなに頻繁に出くわす事は無いだろうが、その分一度意識すると気になるであろう違和感だ。
 果たして、原因はすぐに見つかった。
 上腕骨の裏側、肘関節の少し上あたりに、黒い板状のパーツがサムスクリューで取り付けられていた。このパーツを取り外すと、関節を曲げた際の振動はなくなった。
 パーツは5cm、10cm、厚さ3mmの板状をしており、短辺部二カ所にサムスクリューがある。表面には「解体不可」の刻印だ。
 木場はパーツを取り付けた状態で写真を3枚、外した状態で3枚、合計6枚を撮影し、結城へメールで送付した。
 コレをどうにかすれば問題は解決するが、さて、と。解体不可とある以上、これはつまり機密の一つであり、義手に仕込まれている以上、取り外すわけにはいかない。
 ならばどうするか、と、木場は作業台に並べた、義手のパーツを眺めた。
 制御ユニット。人工筋肉。ゲル状関節保護材。
 なるほど、こいつは使えそうだ。
 思うと同時に、木場は壁の内線電話を手に取った。

「ぶちょーう、お客さんですよー! お届け物だってー!」
 購買部の店員が木場を呼んだ。結城へ連絡をしてから、わずか30分後の事である。
「おう、今行く……おお、なんだ、コゾーお前か」
 部屋に入ってきたのは、財団の若きエージェント、速水であった。
「あ、ども木場サン。なんかサイト内で報告書書いてたら、呼び出されてこれ持ってけって」
 言いながら速水が渡したのはA4サイズのフットプリントの金属ケースである。脇には5桁の数字回転式ロックが二つついていた。
「おお、こいつは頼んだヤツだな。なんだコゾー、お前さんデリバリー担当に配置換えになったのか?」
「いや違いますよ、報告書書いてたら、って言ったじゃないスか」
「そうかそうか、まあ、お前さんがデリバリー担当になったら事故が多発しかねないからなあ?」
 わっはっは、と笑う。
「酷いな木場サン、俺だってそんなに事故ってばっかじゃないスよ」
 速水もハハハ、と覇気なく笑う。
「そうかそうか、じゃあ帰りもせいぜい安全運転にしろよ?」
「うっす、それじゃあ失礼します」
 速水を見送り、木場は自室に戻った。途中、スーパーカブへまたがった速水の奇声が聞こえた気がしたが、おそらく気のせいだろう。
「さてさてさてさてさて…」
 木場は手をすりあわせながら独りごちる。数字回転式ロックの番号は既にメールで受け取っていた。番号を回し、聖櫃を開く気持ちでケースを開けた。
 中に入っていたのは、ゲル状関節保護材である。先ほど結城へ連絡し、状況の説明後取り寄せたものだ。関節を早く動かすとパーツの振動が生まれる。それが違和感として伝わるわけなので、振動を無くすか、骨に伝わらなければ良いと考えた。そのための関節保護材である。木場はこれを、パーツと骨との緩衝剤として用いようとしているのだ。
 保護材をカッターで薄くスライスし、手で揉んで伸ばす。十分伸ばされた保護材をパーツの裏へ貼り込み、サムスクリューを締めて骨へと固定する。
 義手の肘関節を曲げる。問題ない。曲げる速度を変えていく。全く問題は見られない。
 写真を3枚撮り、関節部に元のゲル状関節保護材を取り付け、人工筋肉ユニットを取り付ける。仮組み後の動作も問題ない。メンテナンスマニュアルに沿って動作チェックをする。問題なし。
 うむ、うむ。木場は満足げに一人深くうなずいた。
 判ってしまえばどうという事はない。解体の過程も、マニュアルのおかげでスムーズなものだった。
 情報がなく四苦八苦する整備も楽しいものだ。無人島でのサバイバルに似ている。
 だがマニュアルの整った整備も格別である。これは現地ガイド付きの美術館鑑賞に近いかもしれない。今回はさらに、通常非公開の国宝を直に触れるツアーへ参加した気分だ。
 組み直した義手に人工皮膚をかぶせ、制御ユニットを取り付ける。念のためもう一度動作を確認。問題ない。
「よーしよしよしよしよしよし、完了完了ッと」
 タバコに火をつけ、事務椅子へ腰掛ける。ギィ、と椅子が軋んだ。仕事の後のタバコは格別だな、と思った。


「あー、まずいまずい、結城センセイに終了報告しないとな!」
 火のついたタバコを灰皿へ置き、壁の電話に手を伸ばした。
「あー、結城せんせ……結城博士ですか?」
「はい、結城です。…せんせ、ってなんですか?」
「あ、いや、気にせんでください。それはそうと、整備終わりましたよ、例の義手」
「そうですか、流石ですね。メールは先ほど確認しました。あの部分は個人的に盲点でした。もっと使う側に配慮する必要がありそうですね」
「いやあ、どうでしょうなあ。確かに小さな部分でしたが、実際使うと気になる部分は多々あるかもしれませんな」
「肝に銘じます。やはり、テンション上がりきってノリノリで作ってた部分もありましたから――」
「テンションですか?」
「いえ、何でもありません。それでは木場さん、セキュリティクリアランスレベル4の権限処理がありますので、今から送付するメールに必要事項を記入して返信を下さい」
「了解でありますよ博士、今後もこういう整備案件を頂けるとありがたいですな」
「そうですか、私も助かります。では」
 内線を切った後、1分とせずメールが届く。タイトルには「一時権限剥奪申請記入依頼について」とあった。少し物騒なタイトルだなと木場は感じたが、事務的に表現するとこうなるのは仕方がないのだろう。
 メールを開きフォームへ必要事項を記入する。項目は多くない。氏名、職員ID、使用サイト、開始時刻は記入済みのため、使用サイトの再入力と終了時刻、あとは職員カードをリーダーへ読ませ、電子署名を施す。そして返信。
「いやー、終わった終わった。さて、越前のヤツをよびだ」
 PCからメール受信音が鳴った。先ほど返信した申請メールへ返信があったようだった。送信元は結城ではなく、Administratorとなっている。自動返信だろう。署名付きのアイコンであるため、怪しいものではなさそうだ。
 メールを開いた。
「ええと? 『申請は受理されました。以下の受諾書を必ず確認して下さい。注意、本メール閲覧後、受諾書は10分以内に確認して下さい。確認せず10分以上経過した場合、セキュリティ部隊が直ちに確認に参ります』…ですか。怖えな!」
 少し面倒だとは思ったが、セキュリティ部隊のやっかいにはなりたくない。そんな事態になったら、今後この手の整備は回ってこなくなるだろう。それは非常によろしくない。
「ええと、添付ファイルを開いて読めばいいんだよな」
 ファイルをダブルクリックした。受諾書、とあったため書類だと思っていたが、それは画像ファイルだった。画像は自動でモニタに全画面で表示された。青い、青い空だった。

「ああ、そうだ。越前のヤツを呼んでやらないとな」
 事務椅子をギイと音立て、木場は立ち上がった。結城へのメールに返信したのち、疲れもあったか少し惚けてしまったのだろう。灰皿のタバコは既にフィルターまで焼けていた。壁の電話に手を伸ばし、越前の内線へ電話をかける。5分もせず越前がやってくた。
「おーうおやっさん! 治ったって!?」
「おうよ、俺を誰だと思ってんだ?」
 軽口を言い合い、越前は左腕を受け取った。慣れた手つきで肩口へ嵌め、ややあって、左腕が動き出す。そして肘を曲げ動作の確認。
「お、おお、おおお! すげえな! ぜんっぜん普通だぜおやっさん!」
 肘を曲げたり伸ばしたり。そのまま大きく全身をも動かし始めた。木場にはよく判らなかったが、なにか格闘技の動きなのだろうという事は察しがついた。
「どうよ、どうだね越前くん? この俺の手腕は?」
「いやー、いやいや、米粒も疑っちゃあいなかったが、さすがはおやっさんだな!」
 越前が一息つく。
「で?」
「うん?」
「どこが悪かったんだ? そいつが判れば自分でも気をつけられるんじゃねえかと思ってな」
「ああ、そいつはな――」
 言いかけて、口ごもった。
「どしたよ」
「ああ、いや、そいつはな」
 どうした事か。何が悪かっただって? ……何が悪かったんだ?
 木場は思い出せない。何が悪くて、何を直したのか。
 それどころではない。先ほどまで整備した義手の、分解方法も、内部構造も、内部の色も、手触りも、匂いも、なにもかも思い出せない。
 覚えているのは、それを、整備したという事だけだ。
「おい、どうしたよおやっさん」
「ああ、いや、なんでもねえさ」
「あー、ああ、つまりアレか。なんかの機密だから喋れねえとか、そのへんか?」
「そ、そう! それだ! それだ越前!」
 意図せず大声になった。そうなのだ。これはそういう事なのだ。
「まあ、そういう事情ならしかたねえな。俺はこいつが普通に使えるだけでも御の字だぜ。この調子なら、おやっさんには足も任せられそうだしな」
「足? 足も悪いのかおまえさん」
 不意の発言に、越前の脚を見やった。デニムに包まれた、筋肉質の太い脚だ。
「まあな、任務でやっちまってね。ちょっといまは…デニムだから捲れねえけど、両足も義足なんだぜ? すげえだろ。あと左目もな」
「目もか!? お前さんアレか! ジオングみてえなもんか!?」
「はっはー、カッコイイだろ? まあ、ジオングみてーに腕が飛んだりはしないがなあ」
 左手をにぎにぎ動かしながら越前が笑う。
「いや、飛ぶだろそれ」
「は?」
「だから、その義手、飛ぶだろ?」
「え、おやっさん何言ってんだ」
 はっはっはと笑いながら、右手で木場の肩をバンバンと叩く。木場の表情は変わらない。
「え、マジ?」
「マジ」
 木場は至って真面目な顔だ。
「マジ? マジか! え、マジで!? おいおい、先に言ってよそれ! なんで博士も教えてくれねえわけ!? で、で、で、どうやんだそれ! なんかボタンでもあんの!?」
 越前は大層盛り上がった様子で左腕をまさぐっている。
「それはだな、こう構えてだな」木場が右手で左の二の腕を支えるように構える。
「こうか!」越前が続く。
「で、左腕をこう」左腕を突き出し、腰を少し落とす。
「こう!」越前も続く。
「最後に大声で『ロケットパーンチ』と叫べば発射だ」
「おお、おお! なるほどな! 撃っていいか!!」
「ダメだろ! 外でやれ外で! 射撃用の的ならあるからな」
 いやっほーうと言いながら越前は外へ走り去った。しばらくして、外からロケットパーンチと声が聞こえた。
 ぶ、と、木場は堪えきれず笑い出した。
 木場の部屋に越前が全速力で戻ってくる。
「おやっさああああん?? 飛ばねえんだけど?? なんか悪かったのかコレ!!??」
「ぶはっ! はははははははははは!!」
「いや笑ってる場合じゃねえから!! どうなのこれ!!」
「ぶはっ! ぶはは!! 飛ぶわけねえだろ嘘なんだから!!」
「おいいい!! やめよう? そういう嘘はやめよう? 俺すっごく傷つくから! ロケットパンチは憧れなんだぞ!?」
 越前は外で大声でロケットパンチと叫んだ事実より、左腕が期待した動作をするものではなかった事に非情にガッカリした。笑いながら木場は、タフだな、と思った。
「まあ、まあ、アレだ、その義手は飛ばないがな、そういった義手をあの博士ちゃんに頼んだらどうだ?」
「まあ、なあ。つか、博士ちゃんてなに。結城博士の事?」
「そうそう、結城博士。電話で話したが、ずいぶん若そうじゃあねえか?」
「いや、若いっつーか、若いけど、75くらいだったぞ確か」
「75? 胸が?」
「ちげえよ! なんで俺があの人の胸のサイズ知ってる事になってんだよ! トシだトシ!!」
「トシ? え、年齢?」
「そう、年齢。アンタよりだいぶ上だぞ?」
「マジ?」
「マジ。人事ファイルにそのくらいは載ってるんじゃねえの?」
 木場が沈黙する。
「どしたよおやっさん」
 腑に落ちない点が腑に落ちた。そして、腑に落ちない事が大量に増えた。
「まあ、気持ちはわからんでもないぜ、俺だってあの人がばあさ……ええと、お年を召していらっしゃる事を知った後は1ヶ月くらい信じられなかったからなあ」
「いやお前それは長いんじゃないか越前よ」
「るせえな! 実際に会ってみりゃ判るよ! 見た目が若えんだよ! 半端なく!!」
「ああ、そうかそうか。まあ、機会があったら会ってみたいもんだ」
「そうしてくれ、じゃあ俺は帰るぜ。整備あんがとな」
 越前が、左手をにぎにぎしながら木場の私室のドアを開ける。
「待て越前。ちょっとお前さんに聞きたい事があるんだがな」
「お? どした改まって」
 ドアを開けたまま、振り返った。隙間からは西日とともに、まだ夏の匂いが残る暑さが差し込んできた。
「いやな、さっきの話を聞く限り、お前さんは右目と右腕と、胴体が生身か? そんなにしてまで、この仕事を続ける甲斐はあるのか、ふと思ってな」
「妙な事を聞くな。モウロクしたか?」
 越前が笑った。すこし、息を吐いた。
「アンタさ、例えば溶岩迫るすげえ危険な場所で、直さないとヤバイ、なんかこう、タービンみてえなのがぶっ壊れてて、それを直さずにいられたりするのか?」
「直すに決まってるだろう? 見くびっているのか」答えて、木場が言いよどむ。
「同じ事だぜ? なんつうかな、そうだ、コレは俺の天職なんだ。俺の無くなった手足はな、これからの人類の糧なんだよ」
 まあ、おっちんじまったらどうしようもねえけどな、と付け加える。
「なるほどな。他人が意見をする領域じゃあねえて事だな」
 お互いな、と越前が応えた。
「じゃあな、またお互い生きて会おうや」
 手を振りながら、越前が出て行った。


「あ、結城博士ですか。木場です」
 木場は壁の電話から、結城の研究室へ連絡をしていた。
「木場さんですか。なにかご用件ですか」
「ああ、いやね。頂いたメール、返信はちゃんと届いたかなー、なんて思いましてね?」
「そうですか、大丈夫です。ちゃんと届いていますよ。申請も既に完了しています」
「それから聞きたい事があるんですが、……なんか俺にしましたね?」
「なにか、とは、何のことでしょうか」
「とぼける所なんですかねえ? 俺ぁあれだ、越前の義手の整備をしたはずだ。だが、どうだ、あの義手をどうやって整備したのかを全く思い出せねぇ。  俺に、なにか、したんだな?」
 沈黙。ややあって、結城が口を開いた。
「詳しくはお話しできませんが、記憶処理を行わせて頂きました。あの義手はまだ、広く公開できるほどのものではないんです」
「ああ、ああ、そうですかい。しかし事前にそういうこたぁ言っといて欲しかったですねえ!?」
 言ってから、少しキツい言い方だったか、と思った。
「申し訳ありませんでした、少し配慮が足りなかったかもしれません。しかし、木場さんの腕は確かである事が再確認出来ました。よろしければ、今後もご協力頂けますか?」
「………まあ、そいつは構いませんがね。楽しかったなあ、って事は覚えてますからね」
「ありがとうございます。今後も何かと備品の整備等、よろしくお願いいたします。それでは」
 電話が切れる。非常に事務的で、非常に簡素なものであった。結城の性格によるものかもしれないが、最低限の情報を選んでいるように木場には感じられた。
「備品、ねえ」
 事務椅子へ座る。ギィ、と椅子が鳴った。備品というのはおそらく義肢の事だけではあるまいと、木場は感じた。
「まあ、奴さんはそれでも天職だと言い切るんだろうさなあ。越前よ」
 灰皿へ目を向ける。タバコが一本、フィルターで燻っていた。それを押し潰し、新しいタバコに火をつけようとして、辞めた。
 私室のドアを開ける。差し込む西日は先ほどよりは和らぎ、ようやく秋を携えたのだと感じた。

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