夏の日の思い出
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私の父の実家は岩手県の沿岸部に位置していて、毎年お盆が近くなると一家でお邪魔してました。関東と違って向こうのお盆って8月の13日から15日とかなんですよね。母の実家は埼玉なんで夏休みが始まるとまずは埼玉の母の実家でちょっとした遅めのお盆をやって、夏休みの終わりかけくらいに岩手の父の実家に行くみたいなのが恒例でした。

私たちは岩手の実家のことを「ばあちゃんち」って呼んでました。ばあちゃんちには祖母と、父の弟の叔父が住んでいました。父の父親──祖父はもう昔に亡くなってまして、私が知っている祖父の姿は仏間に飾ってある白黒の遺影だけでした。祖父は元々漁師をしていたんですが漁の最中に海に転落してそのまま行方不明に。死体は見つかりませんでしたが亡くなったことになったようです。今は叔父が漁師を継いでいて、祖父が乗ってた漁船に乗って底引き網漁をしていました。叔父はよく日焼けをしてる筋肉質な人で見た目は怖いんですけどすごく優しい人で、夏休みの度に花火を買ってきてくれたりとか釣りに連れて行ってくれたりとかよく遊んでくれました。祖母も優しい人でしたがあんまり物を喋ったりする人じゃありませんでした。お菓子を出してくれたりお散歩に一緒に行ったりはしてましたけど、それ以外の時はいっつも家事をしてるか仏間に閉じこもってました。叔父と祖母が何かを喋ってる様子も見たことがありませんでした。私たち家族と一緒に食卓を囲む時は普通に喋るんですけどそれ以外の時は基本的に何か言葉を交わしたりということもありませんでした。でも私にとってはそれがばあちゃんちでの当たり前でした。だから特別気を配ったりだとか気にしたりだとかはしていませんでした。

1999年。私が中学2年生の時の夏休みでした。私はもう思春期真っ只中で父と母が岩手に行くというのにも反抗して「行くなら父さんと母さんだけで行けよ」って言って行かないつもりでいたんですけど無理やり引っ張って連れてこられました。普通に考えてあの頃の私に一日二日でも一人で生活する能力なんてなかったので、父と母にそこら辺はお見通しだったんだと思います。そんなことだったんで私は岩手のばあちゃんちについてもしばらく不機嫌でした。祖母と同じ仏間に閉じこもって、畳の上に寝そべってただただ黙って携帯ゲーム機でゲームをしてました。祖母がせんべいとかグミみたいなしゃりしゃりしたお菓子とかを持ってきてくれるんですが私はそれを黙って食べてひたすらゲームをして時間を潰してました。祖母はそんな私をたまに見て笑うのですが、それ以外の時間は仏壇の前に座ってました。今まで散々ばあちゃんちには来てましたが仏間に閉じこもってる間に祖母が何をしているのかはその時初めて知りました。まぁ、ひたすらゲームしてた自分が言えたことではないんですが祖母は何時間も何時間も仏壇に向かって座ってました。正座して、足も痺れそうなのに何時間も何時間もトイレと家事の時間以外はだいたいそこにいました。

東京に帰る前日の昼、私は同じように仏間に閉じこもってゲームをしてたのですが突然叔父が仏間に入ってきました。祖母はその時も叔父のことなんて気にせずにずっと仏壇に向かって座ってました。

「リョウスケ、ちょっとこっち来い」

叔父は私の脇腹をつま先でからかうようにつつきながら言いました。私が露骨に嫌そうな声で「何?」と言うと彼は笑いながら小さい声で「いいからいいから、遊びに行こうぜ」と言いました。私は溜息をつきながらゲームの電源を切り、叔父に連れられて仏間を出ました。父と母に無理やり連れてこられた手前意地になってゲームをしていましたが、正直もうとっくにゲームには飽きてました。なので本当は叔父に誘われて嬉しかったのです。

叔父に連れられ軽トラックに乗ると、彼は私の方を見て言いました。

「リョウスケ、お前船乗ってみねぇか?」

「え?船?漁船?」

私がそう言うと彼はサイドブレーキを下ろしながら「そうそう」と言いました。私は叔父の船に乗ったことがありませんでした。叔父の漁の手伝いに行ったことはありました。網を干したり、網に引っ絡まった海藻やらカニやら貝やらを外したり…そういうことの手伝いはほぼ毎年していました。でも船に乗ったことは無かったのです。理由としては単純で子供の自分が漁船に乗るのは危ないから、でした。だから父も母もそれを良しとはしませんでしたし祖母からも「漁船はあぶねぇすきゃリョウスケは乗ったらだめだよ」と釘を刺されていました。だからこそ、思春期真っ只中の私にとって叔父の誘いは魅力的でした。口うるさい親に反抗してやった気にもなりましたし、何より叔父に「漁船に乗っても大丈夫だ」と認めて貰えたような感じがしましたから。実際は意地を張って仏間に閉じこもってる私のことに叔父が気がついてて思い出を作ろうとしてくれてたんでしょうけど。

ということで私は叔父の漁船に乗りました。普通は漁に出る時間は朝なんですがこの日は私のためにわざわざ夕方に船を出してくれたみたいでした。今考えると凄いことですよね。漁が生活に直結してるのにそこまでして私のことを気にかけていてくれていたんです。私はまだそこまで気が回らなくて「早く帰りたい」なんて口にしながら外面だけ反抗して、内心初めての漁船にドキドキしていました。叔父の背中や遠のいていく海岸、だんだんオレンジがかってくる海面を見ながら私はしばらく船に揺られていました。叔父は慣れた手つきで網を投げ入れました。網は厳つくて大きい金属の枠みたいなやつが先端についた物でした。なんでもああいうタイプの網は「戦車漕ぎ網」っていうらしいです。私は網を引き上げる作業を手伝うことになっていました。

「おーし。どれリョウスケ、こっちさこぉ」

そう言って叔父はゴム手袋を填めた手で私をちょいちょいと呼び寄せました。叔父は私にゴム手袋を填めるように言うと船上に広げられた網を手に取りました。

「この網コをローラーが巻きとるすきゃ。リョウスケはこのレバーを引いてみて。俺がヨシって言ったら戻してよ。」

私がレバーを引くとローラーが回転し網を巻取りました。轟音を立てながら海から引き上げられた網には大小様々な魚とカニや海藻が沢山入っていました。

「……ヨシ!止めろ止めろ」

私が機械を止めて彼の元へと行こうとすると彼が手を出して私を制止しました。叔父の目線は今巻き上げられた網に向けられておりその顔は青ざめていました。

「おじさん?どうしたの?」

「……ダメだダメだ。リョウスケ、そこさいろ」

何事かと私がその場で様子を伺っていると網から突き出した白い何かが見えました。夕日を背にしていたのでその時は眩しくてはっきりとは見えませんでしたがそれは明らかに五本の指、手のシルエットでした。私はその瞬間に目の前の網に入っているであろうものに対する恐怖を感じ──同時に抑えきれない好奇心に見舞われました。今まで人の死体なんて見たことがなかったものですから、そこの網に入っているであろう人の亡骸にとてつもなく興味を引かれたのです。私はレバーから手を離し叔父の横へと駆け寄りました。

「あ!こら!ダメだ!リョウスケ!いげね!」

近寄ると、網の中身によって夕日が遮られました。先程とは違い、網の中身が良く見えました。そこには白くなった人のようなものがありました。白くふくれていてブヨブヨとした体の表面は所々水を吸った皮が剥がれていました。それは水死体に違いありませんでした。眼窩に砂が入り込み、口はあんぐりとあいていました。そのグロテスクな様相に吐き気を覚えましたが私はそれ以上の恐怖感を、先程とは比べ物にならないほどの恐怖感を覚えました。

網の中にあった水死体は一体だけではありませんでした。

網の中のほとんどが白くてブヨブヨとしたものでした。網の所々から突き出ている手や足は何本も何本もありました。

それらは夥しい数の水死体、としか形容できませんでした。

「わらす」

掠れたような、低く舌っ足らずな声が聞こえました。網の中の膨れた顔が、いくつもの顔が口を歪めていました。

「わらす」

「わらす」

「わらすっこ」

夥しい数の水死体が口がパクパクとしていました。








家に帰って叔父が祖母に何かを告げると、祖母は血相を変えて叔父を別の部屋に連れていきました。そして程なくして奥から祖母の叫ぶ声が聞こえてきました。

「なして!なしてリョウスケを連れでった!なしてあれさ合わせた!」

「あれがまた来るとは思ってながったすきゃ……俺だって……今日あれが帰って来るって知ってたら連れていってねがった……!」

私は祖母と叔父との口論を聞きながら、玄関で先程見たものを思い返しました。あの網に押し込まれた無数の水死体のようなもの、あれらは確かに喋っていました。砂の詰まった眼窩をむき出しながら白くふやけた口をパクパクと動かしていました。まるで魚のように、パクパクと。そしてその真っ白い口腔内から声が絞り出されていました。声は言っていました。「わらす」と。

叔父はあれが喋り始めると直ぐに機械を操作して網を海に入れ、網を外して海中に捨てました。その姿はまるで慣れているようでした。あれは、もしかするとあそこに当たり前に存在するものなのかもしれません。

私は次の日、予定通りに父と母と共に東京に帰りました。それ以降、父と母が帰省する時も私は頑なにばあちゃんちに行くのを拒んでいます。あれから20余年。叔父は数年前に漁船の事故で海中に転落し行方不明になりました。死体は見つからず、結局亡くなったことにはなりましたがロクに葬式も行われませんでした。もし行われたとしてもばあちゃんちに行く気にはならなかったですが。

あれの正体については今もよく分かりません。叔父も祖母も亡くなってしまいもう話を聴くことも出来ません。そもそももう関わりたいとも思いませんが。

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