音声記録: 駈込み訴え
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<再生開始>

申し上げます。申し上げます。旦那さま。この人は、安い。安い。はい。本当のところ二百万するものを、安く見積もっても銀三十はするものを、今ならたったの二千円で差し上げます。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。

はい、はい。落ちついて申し上げます。この人を、手元に置いてはおけません。何もかも、申し上げます。そちらには、Dクラス職員というものがおありでしょう。素体を確保するのも大変なのではありませんか。そこで、この人を、差し上げます。お値段、たったの二千円。お手頃だとは思いませんか。生物学の知識は仕込んでありますし、どこをとっても、健康体。安いでしょう。すぐに御取引申します。橙のつなぎを着せて、ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。

この人は、私の作った人間です。助手です。土から作ってたった二月の新品です。けれども肉体年齢は私のと同程度であります。たいした違いが無い筈だ。そんなに酷い差はない筈だ。

それなのに私はきょう迄この人に、どれほど意地悪く嘲弄されて来たことか。中身はおっさんだと呼ばれてきたことか。ああ、もう、いやだ。堪えられるところ迄は、堪えて来たのだ。怒る時に怒らなければ、人間の甲斐がありません。私は今までこの人を、どんなにこっそり庇ってあげたか。誰も、ご存じ無いのです。この人ご自身だって、それに気がついていないのだ。いや、この人は知っているのだ。ちゃんと知っています。知っているからこそ、尚更この人は私を意地悪く軽蔑するのだ。この人は、阿呆なくらいに自惚屋だ。私などから世話を受けている、ということを、何かご自身の、ひどい引目ででもあるかのように思い込んでいなさるのです。この人に一体、何が出来ましょう。なんにも出来やしないのです。私から見れば青二才だ。二カ月の子供だ。私がもし居らなかったら、善悪の知恵の実(青森県産)を与えていなかったら、まっぱだかでそのあたりをうろつきまわるわ、食料を許可なしに盗み食うわで、奇行にばかり走っていたことでしょう。

いや、私がいなければ、そもそも世に生れ落ちてすらいないのです。この人は、恩知らずだ。それに、善悪の知恵の実(青森県産)を喰らった後でも、私が見ていなければ、もう、とうの昔、あのお似合いに無能なイヴたちと、やっぱり野垂れ死にしていたに違いない。「狐には穴あり、蛇には図書館、されども人の子には枕するところ無し」それ、それ、それだ。ちゃんと白状していやがるのだ。ああ、お前が蛇とか言うんじゃない、話がややこしくなるだろう。知恵の実(青森県産)を与えたのは私だというのに。

馬鹿な奴らだ。洟をかむキムワイプにも困っていて、私がやりくりしてあげないことには、みんな飢え死してしまうだけじゃないのか。ええ、申します。私たちは困窮しているのです。上がリボ払いにひっかかって、私たちの研究室はめちゃくちゃになりました。Bエリア第3研究所は困窮していて、みんな備品は自費で出しているのです。私はこの人に研究させ、群集からこっそり日銭を巻き上げ、また、一人称を申請者にして、煩をいとわず、してあげていたのに、この人は私に一言のお礼も言わない。気にかけることもない。私はこう見えても、決して吝嗇じゃ無い。それどころか私は、よっぽど高い趣味家なのです。私はこの人を、美しい人だと思っている。私が念入りに造ったのだから当然です。いや、そういう話ではない。私から見れば、子供のように慾が無く、高潔で、私が日々の研究費を得るために、建前とそれらしい結論をせっせと積み上げても、すぐにそれを「研究者倫理に反する」と切り捨てて。けれども私は、それを恨みに思いません。美しい人なのだ。なんとも思いません。思いませんけれども、それならば、たまには私にも、優しい言葉の一つ位は掛けてくれてもよさそうなのに、この人は、いつでも私に意地悪くしむけるのです。一度、この人が、使い差しの裏紙の散らばる部屋でふと、私の名を呼び、「これで美女受肉したおっさんだとは到底信じられない」と言った時、私は声出して泣きたくなったのです。うるせえ。どうせ生まれ変わるなら眼鏡の似合う女の子になってみたいと思って何が悪い。悪いと言うんですか。

一度、壊れゆく研究環境の全てがいやになって、申し上げたことがあります。私には、時折一人でこっそり考えていることが在るんです。それはあなたと、壊れゆく研究所を出て、つつましい民のひとりとして、私と、静かな一生を、永く暮して行くことであります。私には、まだ私の小さい家が残って在ります。ずいぶん広い林檎畑もあります。いまごろは、林檎の花が咲いて見事であります。一生、安楽にお暮しできます。そう私が言ったら、この人は、薄くお笑いになり、「それではあの石油ぐらいはどうなるのだ」と低く独りごとのように呟いて、また静かにデータの検討に戻ったのでしたが、後にもさきにも、この人と、しんみりお話できたのは、そのとき一度だけで、あとは、決して私に打ち解けて下さったことが無かった。高潔で、清潔で、厭な人なのです。

ああ、そろそろ夜が明けます。明けてしまう。そうなれば、差し押さえが来る。そうなれば、この人は差し押さえに連れていかれることでしょう。私たちの技術の結晶として売り払われる事でしょう。私は決めているのです。この人を他人に手渡すくらいなら、手渡すまえに、私はこの人を殺してあげる。この手で、あなた方に売り渡して差し上げます。Dクラスにでもなんにでもなさってください。今夜は私にとっても最後の夜だ。旦那さま、旦那さま。私はこの人を拘束して、口を塞いで、この音声を撮っています。ああ、隣の課のキメラがうるさい。何をキメキメタマタマと騒いでいるのだ。いつまで続けるつもりだ。いや、そんな事は良い。どうだってよいのです。

申し上げます。旦那さま。この人は、安い。二百万、安く見積もっても銀三十はするものを、今ならたったの二千円で差し上げます。とってもお手頃でしょう。私が助手として造り上げたのだから当然優秀です。高潔で、美しい人です。あたたかな手をして、暖をとるのにも使えない事もない。すぐに御取引申します。橙のつなぎを着せて、収容室の掃除でもさせて、あるいは行き止まりの異常領域にでも放り込んで、殺して下さい。ざまあみろ! 二千円で、こいつは売られる。何処にでも、行ってしまうがいい。私は、ちっとも泣いてやしない。どうですか。そちらだって、使い捨てられる人間は欲しいのではないですか。ご連絡ください。[編集済。日本生類創研の公開された窓口]。こちらまで、連絡をどうぞ。お待ちしております。はい、はい。申しおくれました。私の名は、日本生類創研の凍霧。へっへ。ヒト科生物研究主任の、凍霧陽。

<再生終了>

付記1: このファイルは2021/04/01未明に財団に送信されてきた送信者不明のファイルです。財団渉外部門が音声内の連絡先に事実確認ならびにお見舞いを行ったところ、この動画の撮影および送信への関与、Bエリア第3研究所の困窮、造った存在に美女受肉おっさんと呼ばれる研究主任の存在の否定が得られました。また、「その音声は弊社のものではないが、言及される存在は自社製品と推定され、御社が取引を行いたいならば200万円、あるいは特別に映像内で言及された銀三十にちなんで純銀インゴット1 kg30個1でどうか」との連絡があ-A-0111 "家庭用アダム"販売カタログと共に財団に寄せられました。

付記2: ブライト=ザーションヒト科複製機(BZHR)との主にコストパフォーマンスの面における比較検討の末、財団は「そちらの言及した銀三十にちなんで銀鱈30匹でどうか」との連絡を行いました。日本生類創研からの返答はまだ得られておりません。

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