『花の日』
あの空が明るくなった後に、あの野蛮な家畜どもは来た。
やつらが持ってきたのは平等な破滅だった。
蜜の月 2日
あれが起こる前日、私は日の入りから蜘蛛のスピーダーを入念に整備していた。
楕円形の機体を脂ののったターンテーブルに載せ、繊維質のパイプを交換し
果糖燃料をたっぷりとくわせ、予備をしこたま載せておく。
明後日には██████に出立だ、親愛なるエッツィも最期の時を安寧のうちで迎えられるだろう。
私は長年ともに育ってきたミルクの苦手な相棒の頭をなでながら思う。
もうすぐ50年にもなるのだ、せめて元気なうちに……
最近は不穏な噂が多い、下賤な反逆者の噂もあるのだ。あの知恵をつけた家畜は我々の複雑な道具を使い始めたとか聞いた。娯楽作品に出てくる多元宇宙の存在でもあるまいし事実でないことを祈りたい。
蜜の月 3日 『花の日』
それは真昼に起こった、私たちの寝静まった日の降り注ぐ真昼に。
私はエッツィの唸り声と暴力的な物音で目を覚ました。
寝室から括約筋をくぐり廊下へと出ると、玄関のシャッターは破壊され焼け焦げた筋肉の上に家畜が倒れていた。
あの2本足の家畜どもだ、金をかけて括約筋を加工したシャッターは原形をとどめていない。
私は事態を飲み込むこともできずにしばらく立ち尽くした。エッツィの猫のような丸い背中はいつも通りの忠誠を感じさせ、それは私が冷静さを取り戻すのには十分すぎるものだった。それでも動けなかった事には変わりないが。
幸いにも蜘蛛は十分な量の糸を吐き出して飛べる状態にあり、私とエッツィは自壊する都市から逃げ出すことが出来た。
空から見た都市はおぞましい様相を呈していた。
下賤なる家畜たちは全てを崩壊させていた。
植物で形作られた美しい都市は自壊し、生命は燃えかすや天然磁石と塵の塊に変えられた。
そして彼らは何かを散布していた、それが何かはわからないが少なくともいいものではあるまい。
私は雲のなかで見届けた。そして今、無機質なスピーダーのコクピットでエッツィの刺青に記録している。願わくばこの記録が役に立たないことを願いたい。
蜜の月 9日
事態は相当悪いらしい。
あれから数日、私は蜘蛛に糸を吐き出させる為の小休止を挟みながらいくつかの都市を廻った。
燃料はあってもこのスピーダーにはほかの補給品が殆ど載ってない、食料や武器、あらゆる物資が必要だった。
下賤なる家畜どもは同時多発的に動いたようだ、どの都市も崩壊していた。
私はエッツィを伴い、真夜中に崩壊した都市に忍び込んだ。
ほどけた繊維の中をはいずり、建物のがれきをかき分けて同胞を探し回ったが生き延びた同胞はついぞ見つからなかった。都市には奇妙な緑がかったもやが薄く漂っており、あのもやを僅かでも吸い込むと気分が悪くなる。
あれをさけて動くしかないが、あのもやがない場所には家畜がうろついてまともな探索は出来そうにない。
ぐずぐずに崩れたマーケットに残っていた食料を見つけられたのだって奇跡でしかなかっただろう。
だが対価は大きかった、逃げるとき奴らに見つかった。
私は何かの胞子のようなものを吹きかけられた。エッツィが庇ってくれたおかげで私はその殆どを浴びることはなかったが、あれから頭痛が止まらないのだ。
まるで大切な何かが削り取られているような奇妙な感覚もある。
なんとか逃げ延びることが出来たが、しばらくは空中に隠れて様子を見るしかないだろう。
私は今後どうすればよいか、身の振り方も考えないとならない。
蜜の月、13日
体調が悪い、食料を見つけたあの日から体調は悪化するばかりだ。
いつかは尽きる食料と燃料を食いつぶしながら私は雲の中でエッツィと身を寄せ合ってぶるぶるおびえてばかりいた。
体調で言えば私はまだましなほうだ、エッツィの体は変異というにふさわしい変わりようだ、体毛が抜け落ち、残ったものといえば髪の毛と彼の豊かな表情を彩る髭くらいなものだ。体調はマシなようだが以前にもまして腰が辛そうだ、筋肉量も明らかに減っているように見え、細く弱々しい印象を受ける、刺青に記入しやすいのが唯一の救いだ。
このままでは私たちはいずれどうにもならなくなるだろう、逃げ続けるのは無理だと思う。標高の高い山にでも隠れるか?山羊でも飼って隠遁生活を送れば彼らも見逃してくれるだろうか?
それとも██████の荒野か南極でもいい、どこかまともな場所でゆっくりしたい。
都市はもう駄目だ、我々の同胞が生きていそうな場所を探す心の余裕もない。
下賤なる家畜どもはもはや我々の殆どを虐殺しつくしただろう。
ともなれば隠れてだれか勇気ある同胞が見つけてくれるまで隠れ住むほうが得策だと思う、私も相棒も年を取りすぎたし、少々活力が足らない。
とりあえずは西の山脈に向かうとする、あそこにはこの季節は使われていない別荘がある、まだ使えるものが残っているかもしれない。
蜜の月、21日
罠だった。別荘にはあのクソ忌々しい家畜どもが隠れていた。
昔の儘の別荘に歓喜し体よく別荘の中庭にスピーダーを着陸させたとき、私は確実に浮れ過ぎていた。
声をあげて裏口から中へ入ろうとしたときに気が付くべきだった。
使用人が家畜としていた奴が率いていた。奴らはエッツィと同じように毛の抜けた弱弱しい姿に変異していて、器用に武器を使って建物に入るや否やあちこち奴らに追い立てられた。
何をどうしたか分からないが仲間を集め原始的な武器を作り、機会をうかがっていたらしい。
書斎で失血死した使用人の死体からハンティング用の〔削除済み〕を手に入れたが、
その後にエッツィを失った。エッツィは機転を利かせ、彼らに変装し囮になることで私を逃がそうとしたのだ。
大方はうまく行ったが、最後でしくじった。
原始的な武装をした家畜どもは思ったよりも利口だった。
私が泡を吹いてスピーダーに乗る直前、奴はあの家畜の放った粗製の矢はエッツィの右目を貫き、
タラップから落ちたエッツィをこん棒で殴りつけた。
まるでおもちゃのように崩れ落ちたエッツィはおそらく即死だっただろう、だが生きているかのようにぴくぴくと痙攣していた、即死であってほしかった。
私はスピーダーから飛び降り”がむしゃら”に〔削除済み〕を放ち奴らを一掃した。
今やこの別荘は私の手に戻り、一時的な拠点となっている。
私はこの記録を終えたらエッツィを氷河の中に埋葬するつもりだ。
彼は最後まで私と共にあった。
もういいだろう、ゆっくりさせてやるつもりだ。
私は██████へと行く、頭は痛むし、体の節々は酷い筋肉痛でスピーダーを運転するのもうんざりしそうだ。
色んな事を思い出すのも億劫だが終わるならあそこがいい。
幸いにも今後の事を記録する”皮“は十分なほど手に入った。
さらば友よ、下賤なる家畜として生まれ、私の家族として共に育った愛おしき同胞よ
君のために私の子孫がいつの日かすべてを許せる日が迎えられることを祈ろう
全ての生命の営みに幸あらんことを