かたみのみず
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猫です。
 
「タマ。」
「みぃこ。」
「ブチ。」
「にゃんこう。」
 
なんだかんだとよばれますが、猫です。よろしくおねがいします。
 
 
猫はうまれたばかりです。猫には母親がいて、猫と母親は人間とくらしています。
人間のすはおおきい。そとの人間からは「おやしき」とよばれています。
「おやしき」にはたくさんの人間がいます。
ちいさい人間はこども。おおきい人間はおとな。猫といっしょですね。
「おやしき」にはおおきい人間も、ちいさい人間もたくさんいます。ちいさいのは、みなきょうだいなのです。
猫も、うまれてすぐにみな、どこかにいってしまいましたが、4ひきのきょうだいがいました。けれどここのちいさい人間は、それよりおおい。
しかも、ひとつのたましいで50はいきるとききますから、人間とはそうとうなものです。
 
「ほぅらブチ。この子はねえ、あんたと同い年なのよ。」
「おかあさん」とよばれているメスの人間が、いっとうちいさい人間をかかえていいました。そうなのですか。しわくちゃですね。
 
いっとうちいさい人間は、すこしおおきくなって、しわくちゃじゃなくなりました。
いっとうちいさい人間は、「ことば」をおぼえました。
「かよこねぇちゃん。」
「いちろうにぃちゃん。」
「やえこねえちゃん。」
「りっちゃん。」
「じろちゃん。」
 
「ねこちゃん。」
猫のことですか。
「ねこちゃん、かわいいねぇ。」
へんなところをごしごししないでください。
「ねこちゃん、おこったの。」
あなたみたいなちんちくりんにおこるほど、きはみじかくありません。
「ねこちゃんかわいい。ねこちゃんすき。」
すき。すきといわれてしまいました。ああまた、へんなところをごしごしして。
「なでなで。」
やめてください。
「ねこちゃん、およめさんごっこしよう。ねこちゃんは、だんなさまね」
「だんなさま」ですか。
それは「おかあさん」とつがいになっている、オスの人間のことですか。
「だんなさま」はガラガラごえで、まいばん、くさったにおいのするみずを、のんでいる。
「だんなさま、おさけはいかがですか。」
いりません、あんなみず。
「だんなさま、どうしてプイとしてしまうの。わたしがきらいなの。」
きらいではありませんけれど。
「あらだんなさま、ふかふかね。どうしてこんなにけだるまなの。」
猫だからですよ。
 
あなた、へんな人間ですね。いつもひとりなんですね。
たくさんきょうだいはいるのに、いつも、ひとりであそんでいますね。
ふつう、人間はたくさんでいたがる。たくさんでいると、つよいきがするようなのです。
猫たちはそうでない。
いきることになれていないから、人間どもはむれたがるんだ、と猫の母親はいいました。猫たちのたましいはみじかいけども、猫たちにはここのつ、たましいがあるのです。
猫の母親のたましいはもう、ここのつめで、あとさきはないのでした。
「母よ、ここのつめぐったら、どうなるのですか。」
「さあわからない。だれも、もどってこないからねえ。」
猫の母親はやさしくないて、猫のはなをなめました。ざらざらしていました。
「母よ、あのいっとうちいさい人間は、どうしていつもひとりなのですか。」
「あのこは、おっかさんがべつだからねえ。」
猫の母親はここのつめをおえて、猫のそばからいなくなりました。
さむくてけのさかだつような、まっしろなひのことでした。
 
猫はそれから、あかるくなったりくらくなったりするのを、なんびゃくぺんかくりかえしました。それはあさとよるというのでした。
猫はまた、さむくなったりあつくなったりするのを、なんじゅっぺんかくりかえしました。それはきせつというのでした。
「ねこちゃん、ごはんだよ。」
あなた、ずいぶんおおきくなりましたね。
猫はそろそろ、ひとつめがおしまいです。
「ねこちゃん、どこいくの。」
さようなら。またおあいしましょう。
 
 
 
 
 
ごきげんよう。猫です、よろしくおねがいします。
「あら、猫だわ。」
あなた、またずいぶんおおきくなりましたね。
けがながくなって、うでもあしもながくなって、おはながたかくなりました。
「模様は全然違うけれど、なんだか、昔可愛がってたねこちゃんに似ているわ。」
にているんじゃなくて、そうですよ。
かわいがられていましたっけ。ごしごしされたおぼえしかありません。
「ねこちゃんって、呼ぼうかしら。」
おすきなように。
 
あなた、ずいぶんおとなの人間になりましたね。
いいかおりがします。ごしごししなくなりました。
「喉鳴らしているわ。きもちいいのかしら。」
さて、どうでしょう。もっとしてもいいんですよ。
「ねこちゃん。私ねえ、お嫁に行くの。」
オヨメ?
「村でいちばん寂しい家へやるので申し訳ないと、お父さまは泣いてらしたけど、いいの。こないだお会いしたわ。優しそうなひと。」
そう。なんとなくさっしがつきましたよ。あなた、つがいになるのですね。
あなたに、ほんとうの「だんなさま」ができるのですね。
 
「よろしくお願いいたします。」
「いやこちらこそ、狭い家に銭無しですが。よく来てくれたね。」
いい人間そうじゃあないですか。いいですね。おにあいです。
「こちらはねこちゃんです。」
「よろしく。おや、ぼくは嫌われてしまったようだ。触らせてもくれないよ。」
まさか、きらいじゃあないですよ。
でも猫のほうがさきに「だんなさま」だったんですから、いげんがなくては。
「おいで、家を案内するよ。こっちが台所で、裏手に出れば風呂がある。東側には小さいが、庭もあるよ。」
「まあ。日が当たって、素敵な縁側ね。」
ねこちゃん遊んでらっしゃい、とおろされたので、猫はおにわをたんけんします。おにわ、いいですね。ほどよくのびたくさむら。あおあおとしげった、ちいさなぞうきばやし。すこししめった、いしべいのきわに、あじさいがたくさんならんでいます。
『ポチャン。』
おやこれは、なんでしょう。
「ねこさん、気になるかい。危ないからこっちへおいで、そいつは深い井戸だ。」
いど。
「のぼって苔に足を取られでもしたら、落ちて溺れてしまうよ。そら。」
「だんなさま」は猫をかかえて、なかをのぞかせてくれました。
みずがたくさんあります。つめたそうですね。
「ずいぶん古そうな井戸ね。」
「ああ、ずっとうちにあるんだ。昔は井戸守なんてやっていたけれどね。」
「井戸守。」
「そう。」
「だんなさま」はあたまのうえの、たかいところをゆびさしました。みれば、いしでできたながいものが、じめんからのびています。
「井戸の上に、古い鳥居がかかっているだろう。」
「あら、本当。苔だらけで、すぐに分からなかったわ。」
とりい。なんでしょうか。人間のつくった、けったいなものにはちがいありません。
「ここは清い水の湧き出るところなんだ。昔は神様への祭事を行ったりしたらしい。ぼくのご先祖は、その井戸を代々守るお役目だったんだと。今じゃあこのあたりも水道が通って、昔の風習を知る人もいなくなって、すっかり役無しの素寒貧だよ。」
「そうだったの。」
「けれどねえ、夏にきゅうりなんかを冷やすと、とてもうまいんだ。」
「一緒に食えるといいね。」と「だんなさま」はわらいました。
 
それから、いくたびかきせつがめぐりました。
ふたりはちいさなはたけをたがやして、うしをそだてて、なんとかくらしています。
せいかつはけっしてらくではありません。けれどふたりとも、いつもたのしそうです。
「ねこちゃん。私、あのひとと一緒になれて、幸せだわ。」
そうですか。それはよかった。
猫もこうみえて、なかなかいいかんじですよ。
ふたりがいいかんじだと、猫もいいかんじなのです。
でもそろそろ、ふたつめがおしまいですから。
「ねこちゃん、どこいくの。」
さようなら。またおあいしましょう。
 
 
 
 
 
「ねこ」です。よろしくおねがいします。
「あら、猫だわ。」
あなた、すこしやせましたか。
「ねこちゃんって、呼ぼうかしら。」
いいですけれど、「だんなさま」は、どうしたんですか。
「おや、君は本当に猫に好かれるね。」
なあんだ、げんきじゃないですか。
「ぼくはそろそろ、行かなくては。」
どこへいくんですか。
そんなおおきなにもつをせおって、へんなものかぶって。げんかんのまえにたちつくして、どこかへりょこうですか。
ねこはりょこう、すきですよ。ねこはまいにちりょこうにいく。
けれどさいごは、ちゃあんとふたりのところに、かえってくる。えらいでしょう。
「なんだい、不思議そうな顔をして。」
そちらこそ、どうしたというんですか。めとはなからみずがでていますよ。
「少しのあいだ、空けるだけだよ。そうだ。お前が彼女を、守っておくれよ。」
まもる。まもればいいのですか。でもどうして。どこへいくのですか。
「大丈夫、来年の夏には一度帰ってこれる。ぼくは不器用だが、頑丈だもの、きっと一等兵くらいにはなってるさ。」
「ええ、ええ。もうなんでもいいの。どうか、おたっしゃで。」
あなた、かなしいのですか。そんなにめをまっかにして。
あなたがかなしいと、ねこもかなしい。
「いってきます。」
「だんなさま」は、ちいさなふたりきりの巣から、どこかへいなくなりました。
 
きせつがめぐります。あついきせつから、はっぱがあかくなって、さむいころへ。
だんだんゆきがとけて、はなのいのちがめぶきます。
「ねこちゃん、見て。赤ちゃんよ。」
おや、あなたたちのこどもですか。しわくちゃですね。
「男の子よ。あの人、きっと喜ぶわ。」
めにうかびます。
 
そうして、またあつくなってきました。
そろそろ「だんなさま」がかえってくるころです。
 
「おかえりなさい。」
なんですか、それは。
「ねこちゃん。帰って来たわ、あの人。頑張ったのね。」
ただの、きのはこじゃあないですか。
「でも、二階級特進で伍長は、ないわよねえ。」
あなた、どうしたんですか。
めからみずがでています。それ、なくっていうんでしょう。おぼえましたよ。どうしてないているんですか。「だんなさま」はどこですか。
ああ、こどもがないていますよ。こえをあげて、ないていますよ。
あやしてあげないと。ほうら、ねこですよ。
「ねこちゃん。気にしてくれるのね。ありがとうね。」
とうぜんです。だってやくそくしたんですから。
まもっておくれよって、いわれていますから。
「ありがとうね。ありがとうね。」
「だんなさま」、つがいをなかせちゃあ、いけませんよ。
はやくりょこうからかえってきてくださいね。
まっていますから。
ずっとずっと、ここのつめぐりつきるまで、まもっていますから。
 
 
 
 
 
ねこです。よんどめです。よろしくおねがいします。
「こら、あんたは。また傷こさえて。」
「だってヤイチたちが悪いんだ、おれのひみつきちを荒すから。」
おや。おやおや。
「なわばり争いなんざしてんじゃないよ。猫かしらこの子たちは。」
こども、おおきくなりましたね。でも猫よりもおばかさんですよ。くらべちゃ猫にしつれいです。
「ほうら、ねこちゃんも呆れてるわ。」
「最近来た野良猫と、息子と、どっちが大事なんだよ。」
おやおや、ぐもんですね。
こどもにきまってるじゃあないですか。
「妙な言い回し覚えてきて、誰から習ったのかしら。母ちゃん、あんたがいっとう大事ですよ。だから叱るんでしょう。」
ほうら、げんこつされた。だきしめられた。
ああ、ないちゃいましたね。けれど、かなしいなみだじゃないですね。「ともだち」にまけてくやしいのと、なでられてほっとしたのと、りょうほうですね。ねこはわかりますよ。母親はあったかいって、ねこもしっています。
 
「さぁて、洗濯畳んで、皿片づけたら、内職頑張らないと。」
「だんなさま」がおるすなぶん、あなた、がんばっていますね。にわにあるいどの、つめたいみずをくんできて、ぎゅっとぞうきんをしぼって、てがあかくなっている。さむそうですね。あとでねこがあっためましょうね。
ねこはちゃんとみていますから。だいじょうぶですよ。
あなたはひとりじゃあ、ありませんから。ずっとそばに、いますからね。
 
きせつがめぐります。ふゆからはるへ、はるからなつへ。
いっしゅう、にしゅう、さんしゅうと、ときがすぎていきます。
こどもはだんだんおおきくなって、はしるのがはやくなりました。ねこはだんだんちいさくなって、はしるのがおっくうになってきました。
さて、よっつめのたましいがおしまいです。
「ねこちゃん、どこいくの。」
さようなら。またおあいしましょう。
 
いつつめでも、むっつめでも、ななつでもやっつでも、あなたのもとへまいります。
ねこです。よろしくおねがいします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あれえ。だれだろうねえ。」
ねこですよ。
「ふわふわしてるねえ。ふかふかだねえ。どうしてこんなにけだるまなのかねえ。」
ねこだからですよ。
「しろくて、あったかいねえ。なんていったっけねえ。」
ねこです。あなた、わかりませんか。
「なんでもいいけども、なつかしいかんじだねえ。」
ねこもなつかしいですよ。あなたにまたあえて、うれしいですよ。
あなたのほっそりしていたては、もうしわくちゃです。
がんばりましたね。ねこはずうっとみていたから、わかりますよ。
ねこはまもります。あなたのたましいつきるさいごまで、まもります。やくそくですからね。いっしょにいますよ。
おにわはむかしとかわらず、あじさいのはながさいて、いどのみずのおとがしています。
えんがわ、きもちいいですね。ひなたぼっこ、たのしいですね。
「母さん。猫なんて、どこから連れてきたんだ。病気を移されるよ。」
しつれいな。
こどもは、おとなになってだいぶたちますが、ちかごろ、ずいぶんそっけなくなりましたね。さかりのころはやさしかったのに。でも「しごと」をやめてから、こどももだいぶ、ふけましたね。
「あんた、だれだっけねぇ。」
おや、あなた、じぶんのこどもですよ。わかりませんか。
「ああ、もういいよ。オイお前、飯やったか。」
「30分も前にあげましたよ。猫だろうがなんだろうが、遊び相手がいるなら放っておけば良いじゃないですか。ご近所徘徊されるよりはマシだわ。」
こどものつがいが、となりのへやから、おおきなこえです。そんなにがなりたてなくても、いいじゃないですか。キンキンとさけんで、みっともないですよ。
 
ねこはこいつが、どうもにがてです。はじめてみたときから、あまりすきじゃなかったけれども。あれはねこのたましいがいくつめのころだったか、こいつというメスは、ねこをみるなり、
「きゃっ、汚らわしい。飼うなら犬とかインコにしたら。あっちのが従順で可愛いのに。」
とさけんだのです。しつれいきわまりないものです。
それだけにあきたらず、
「庭にある鳥居と井戸、あんな不気味なものをどうしてそのままにしているの。取っ払ってしまいましょうよ。幽霊屋敷みたいで、とてもじゃないけど一緒に住めないわ。」
などとのたまいました。これにはこどももあのひともひどくなやんで、
「じゃあ鳥居だけ取り壊そう。ずいぶん古くて朽ちかけていて、危なかったのは事実なんだ。でも井戸のほうはどうしても無理だ。おれの父さんのそのまた先祖から、ずっと継いできたものらしいから。」
となんとかせっとくをして、いどだけは、のこしていくことにしたのでした。
 
「ごはん、まだかねえ。ねえ、ねこちゃん。」
おや。
おもいだしてくれましたか。ねこです。ねこです。あなたのそばにいますよ。
ぜんぶわすれてしまっても、またひとりぼっちにもどっても、ねこはずっとあなたといますよ。やくそくですからね。
 
 
 
 
 
こどもがあるあさ、しにました。
ウッとうめいて、くろくてにがくてあついえきたいのはいったカップをおとすと、むねをおさえて、ゆかにたおれました。こどものつがいがキャーッとさけんで、まっさおなかおで、ふるえながら「でんわ」をしていました。すぐにおおぜいの人間がきました。こどもはそのままどこかへはこばれて、もどってきたときにはしんでいました。
「おひさんがあったかいねえ。」
あなたはそれもわからずに、きょうもにわむかいの、えんがわにいます。
ねこをなでながら、ずっとすわっています。
「あれえ。これ、なんだっけねえ。」
ねこですよ。
おぼえてないんですね。おもいだしてもすぐ、わすれちゃうんですよね。
ねこはすこしかなしい。
けれど、しわくちゃなてに、かおをすりよせれば、あなたはやさしくなでてこたえてくれる。
それだけでいいんです。
「もじ」とかいう、あのぐにぐにしたので、どこかへきろくしておけば、おぼえてもらえるかもわかりませんが。あなたのふるえるてはもう、えんぴつすらにぎれないでしょう。
だからさわって、たしかめて、またおもいだしてくれればいいんです。ねこです。ねこはこのようなみためをしていますよ。ほら。やわらかくて、あたたかくて、あなたとおんなじ。
ねこはまもります。あなたのたましいつきるさいごまで、まもります。やくそくですからね。いっしょにいますよ。ねこはいます。
 
 
 
 
 
「あれえ。だれだろうねえ。」
ねこですよ。
「ふわふわしてるねえ。ふかふかだねえ。どうしてこんなにけだるまなのかねえ。」
ねこだからですよ。
「しろくて、あったかいねえ。なんていったっけねえ。」
ねこです。よろしくおねがいします。
こどもがしんでから、またきせつがいくつかめぐりました。
ねこも、あれからだいぶ、おいぼれたけれども。
きょうも、あなたといっしょにいますよ。
えんがわ、きもちいいですね。ひなたぼっこ、たのしいですね。
「ねえあんた、ご飯はまだかねえ。」
うしろでそうじをしている、こどものつがいはこたえません。うぃんうぃんとなく、はなのながいもので、ゆかのゴミをとりながら、なぁんにもきこえないふりです。ほんとはきこえているんでしょう。ねこはしっていますよ。あいかわらず、いやなメスですね。けれどおまえもだいぶ、ふけましたね。
「ねえ、あんた。」
おまえ、こたえてあげてください。
「ご飯は、まだかねえ。」
おねがいだから、きいてあげてください。
「ねえ。」
「うるさいわね。」
あっ。
ねこはほうりだされました。ちがう、ねこのからだが、かってににげたのです。
まもらなければならなかったのに。
「くそっ。くそばばあ。あんたなんか。介護しても。何も意味ない。いらいらする。」
ゆかのゴミをとるのにつかっていたそれは、ひとをなぐるものだったのですか。
おまえそこまで、このひとがきらいですか。
やめてください。やめなさい。やめろ。やめろやめろやめろ。
「なによ、汚い猫。」
とびかかりましたが、あたまをぶたれました。いたい。いたいいたいいいたい。やめろ。
「ああ、どうしよう。」
しばらくして、メスのこえがきこえました。めがあけられない。いたい。あのひとはどうなったのだろう。いたい。やめろ。
「もういい、どうでもいいわ。全部疲れた。義母を世話するだけの余生なんて。」
ずるずると、ひきずるおとがきこえました。からだがうごかない。あのひとをどうするつもりだろう。いたい。やめろ。やめろ。
『ボチャン。』
えんがわのむかいにある、あのふるびたいどからおとがしました。井戸。そこにいる。おまえが、そこにおとして。あのひとをそこに。
つめたい。つめたいところにあなたが。しずんでいく。みえる。あたたかだったあなたが、深い深いつめたい底にしずんでいくしずんでいくしずんでいく。ねこのいないところにいってしまう、ねこは、ねこはいるのに。ねこはいますここに、居ますから。居ますから居るからだから、だから、
 
おいていかないで。
 
 
 
 
 
「何よ。死んだと思ったのに。」
おまえ。
「なんて目をしてるの。気持ち悪い。」
おまえが。
「あんたのご主人はもう居ないわよ、どっか余所行きなさいよ。」
「居ない」?違う居る。そこに居る。おまえのうしろに居る。あなたが居る。ねこもそこへ居る。一緒に居る。
あなた、きいてますか。ねこです。ねこです。あなたのそばに居ます。ずっと居ます。一緒にいます。あなた暗い冷たいそこにねこは居ますから。一緒に居ましょう居る痛い。あなた冷たい違う違う違うあたたかなてでなでてもういちど居ることだけがしあわせねこはずっとそばに
「やめなさい。」
おまえうるさいどいて
「ちょっと。やめなさい。服が破れて、やだ、やめろって言ってるでしょ。」
うるさいじゃまいたいゆるさないおまえゆるさないおまえの
「いたっ。ああ。よして。やめて、誰か助けて。誰かああああがっ。あぐううううう。」
ゆるさない突き落としたのどにかみついて居るたくさんちが出て居るちが血あなたのあたまからも血がでて居たおまえをゆるさない許さない許さないねこはずっと居るとやくそくしたのに血がでてあなたどこまもれなくてごめんなさいかわりにまもります水がしみこんですべてかえってくるばしょをおおいつくす井戸の底ずっとさむいですかだいじょうぶねこが居ますじかんもくうかんも呑み込んでいっしょに居ますまもるいっしょにずっと居ますあなたと居る猫はずっとずっとずっとずっと、
 
 
 
 
 
ねこです。よろしくおねがいします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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