どういうわけだか、神域の水場と見れば硬貨を投げ込まずにはいられない人間は多いもので、寺社仏閣の敷地内に存在する池ともなれば大量の一円玉やら五円玉やらが水底を覆っているのが相場だ。
私が足繁く通う神社の一角にある三つの小さな池も、例に漏れずその全ての水中に金銀銅の鈍い煌めきが揺らいでいた。
水に神性を見出しているにしても、こんなに金属を沈めては水質が悪くなるだろうに。どうせなら賽銭箱に投げて差し上げれば神社側も面倒が無くて良いだろうになあと思うが、根付いてしまった風習は滅多な事では改まらないのでどうしようもない。
来るたびにそんな事を考えながら境内をぐるりと散歩しているのだが、ある日、私は思わぬ異変に直面した。
池の一つから、沈んでいた硬貨の山が消え去っていたのだ。私は昨日もこの神社に立ち寄り、いつものように通りすがりに池の中を覗き込んでいた。その時には、それまでと何ら変わった所は無かったのだ。つまり一夜にして水底が綺麗になった事になる。
単に掃除をしただけだろうかとも考えたが、隣の二つの池には相変わらず小銭が日を反射してきらきらしている。池のサイズはどれもごく小さく、一日でまとめて掃除できてしまう程度だ。他を放っといたままこの一つだけ底を浚うのは、いささか不自然な気がする。
不自然とは言え、別に、そんな事絶対起こりやしないというわけでもない。だが私は違和感に引っ張られるままに、小銭の消え去った池を覗き込んだ。
ふと、池の真ん中に突き立っている岩の陰に、きらりと光る何かが動いたのが見えた。
魚だろうか。フナなら棲んでいたような気がする。そう思い出しながら、岩陰を注視する。
再び動きがあった。底の泥が舞い上がる。そして暗がりから光射す方向へと泳いで、思いがけないものが進み出てきた。
金魚だ。それも、片手には余るほど大きな。
恐らく琉金だと思うのだが、それは私がこれまでに見た事の無い体色をしていた。
銀色の胴に浮かぶ模様は、よくある赤や黒では無く、くすんだ黄金色。ヒレはどれも、赤銅色。金銀銅が水中に鈍く煌めく。
いや、色よりも問題なのは。
「うわ、機械だ」
ぎょっとして、思わずつぶやいてしまった。
そう、両胸ビレの下と、尾ビレの中央に、ゆったりと回転するスクリューが一つずつ存在していたのだ。
そもそもぷっくりしているはずの胴体の輪郭は、直線的で角張っている。ヒレにも優雅なしなやかさなど無い。ヒレの形に切り出された一枚の金属板が、蝶番のような関節で胴体に繋がってぱたぱたと動いていた。黒目の無い平たい目玉は微動だにしない。
ひとりでに泳ぎ回る、くすんだ金属光沢を放つ金魚型ロボットだ。
無機質な外観でありながら、その泳ぎはやけに生物的で愛嬌がある。まるで生命体のようだと思えた。
こんなロボット、そうそう出会えるものではない。私は急ぎスマホを取り出し、素知らぬ顔で泳ぎ続ける金魚ロボを写真に収める。その画像をメールに添付し、送信ボタンをタップした。
「ほぼ間違いないな」
手に持った金魚ロボットをぐるぐる回して眺めながら、その『斉藤クリーニングパートナー』という社名の入ったつなぎを着た男は、私にそう言った。
「えーと……あ、有ったぞ。尾ビレの内側だ」
「あ、此処かぁ」
彼の指さした先を覗き込むと、そこには確かに『東弊重工』の刻印が有った。
「じゃあ確定ですね」
「ああ、SCP-012-JPだ。第一発見者が財団職員で助かったよ」
私の言葉に、清掃業者に扮した回収チーム員も頷いて安堵の言葉を述べる。
金属を食べて成長し、生き物のように泳ぎだす原理不明のオートマタ。財団が常にその存在を追う謎の技術者集団、東弊重工の手によるSCPオブジェクトが、こいつの正体だ。
私のメールを受けて回収チームが派遣され、池の清掃を装ってのオブジェクト回収作業となった。勿論、神主を始めとした神社に関わる人々には、呼んでもいない清掃業者の存在を受け入れさせる為の記憶処理も施している。
と、今なお池底から回収した泥を濾して調査を続けていた別の職員が、手を止めて私たちに声をかけた。
「012-JP-A、発見しました」
「やっぱ産んでやがったか。これだけ育ってたらそうだろうな」
金魚を持つ男が応じる。離れている私には見えないが、報告してきた彼の膝元にあるシャーレには、約5ミリ程の黒い金属球が乗せられている事だろう。
「結構な量の小銭、沈んでいましたからねぇ。そりゃよく育つもんですよ」
「今や全額、こいつのボディか。勿体ねぇな」
ぶっきらぼうにぼやいて、回収員は012-JPを軽く振る。一円玉をメインに構成されたボディと、五円玉で描かれた模様がきらきら光り、十円玉のヒレがからからと揺れた。贅沢な金銀銅の金魚は、案外綺麗に見えた。
「東弊が養殖でもおっ始める気だったのか、それともまだ見ぬ購入者が卵を捨ててったのか……何にせよ、ここから連中に繋がれば万々歳なんだが」
「彼ら、逃げ足速いですからねえ」
「空振りに終わる可能性も高いが、まあよく見つけてくれたよ」
「この神社、夜中に犬頭の人間がうろついてたという目撃情報があったんですよ。神社だと怪異系オブジェクトも発生しやすいので、もしやと思って張ってたんですが」
「それで見つかったのが、妖怪どころかロボットと来たか。ところでこの辺、近所の大学の映研がよくロケに来てるらしいぞ。そっちは当たったのか」
「うえ、マジですか」
そんな会話の間に、彼は012-JP本体を規定の箱に入れ、それを変哲のないボストンバッグの中にしまいこんでいた。
これであの立派に育った金魚ロボとは、永久におさらばだろう。私は012-JPには、元来関わっていない。機密保持の為もあり、担当外のオブジェクトとは滅多な事では接触できないものだ。
そう考えると、何だか名残惜しくなってきた。かつて閲覧した資料に添付されていた写真の中の金魚よりも、あれは魅力的な姿をしていると思えたのだ。
せめて記録の為に撮られた写真のコピーを譲ってもらう事は、できないだろうか。
「あのう……」
「ん?」
私の呼びかけに、回収員が顔を上げる。彼に、先程思いついた事を頼んでしまおうか。
そんな考えに約一秒言葉を詰まらせ、しかし私は、結局こう言った。
「隣の二つの池も、掃除するんですよね」
「ああ、そうしないと不自然だからな」
当然だろう、と言いたげな視線に対し、曖昧な笑顔を浮かべて誤魔化す。
「私も手伝いましょうか」
「お前、それこそ不自然だろう。つなぎは余ってないぞ」
「そうでしたか。では私は、サイトに戻って報告書を上げる事にします」
「おう、そうしてくれ」
彼は送り出すように、手を軽く振る。私も回収チーム全員に会釈をし、踵を返して歩き出した。
一度、振り返る。バンに積み込まれようとしていたボストンバッグを。その中に眠る、煌びやかな機械の金魚を。
少しの間、別れを惜しみ、そして前に向き直る。もう振り返るような事はしなかった。
オブジェクトに愛着を抱くなかれ。オブジェクトに魅了されるなかれ。
エージェントとしての心構えを思い起こしながら、スマホを手に取る。そして先程メールに添付する為に撮った写真データを、すっぱりと消し去った。