奇想天獄 2025年第3号

表紙イラスト=ミタ・リョウ
表紙装丁=一桐参平
CONTENTS
特集
時間旅行と服。
別の時代からモノを持ち帰っても良いのか?
取材記
旅支度に着替える。
- Rose Bertin - 近代欧州紳士服専門店
- まきの着物店 - 江戸の織物と履物
- NEW MOVES - 着脱自由なパワードスーツ
コラム
ホラーな時間旅行。文・小泉ジェイムズ
特別対談
時間を旅する僕らの記憶。
アンドレ・モクレール × 小泉ジェイムズ
時間を渡り歩いた2人が語る、過去を旅する意義とは?
- 時間旅行のススメ。
- "歴史を変えようとするな"。
- 行く末に立つ僕らは。
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特集 時間旅行と服。
時代に浸るために、まずはファッションから。
実家の物置に眠っていたアーティファクトが目覚めた。近所に住んでいた天才発明家の遺品を引き取った。あるいは、裏山にある不思議な門を開けてしまった、図書館で開いた歴史書に吸い込まれた、ネットオークションで競り落とした品が本物だった……。何はともあれ、君はタイムマシンを手に入れた。そして必要に迫られてこれを読んでいるということは、まだ誰かに奪われてもいないのだろう。
おめでとう! 最初に、こう言っておく。君はこれから自由気ままに、時間旅行を楽しむことができる。気を落としたかもしれないが、時間旅行者は君だけじゃない。うっかり時を渡り歩く立場になってしまった人々は数えられないほどたくさんいる。時間を跳躍するのは理論的には可能だと、"一般的な"物理学者も言っているほど。だから君と同じように、時間旅行者になった"選ばれし者たち"だってそれなりにいるものだ。
「時間移動が君だけの奇跡じゃなかった」というのは、それだけ先立つ知恵が蓄積されているという意味でもある。時間旅行者以外に秘密を漏らしてはいけない、旅立つ時代でペストやコレラが流行していないかチェックしろ、現代の通貨は価値ある品物に換えておけ──トラベラーコミュニティで囁かれる"時間旅行者の14箇条"は、これまで散っていった時間旅行者たちの血と知恵によって作られた。何者かにタイムマシンを奪われて記憶を消された、特効薬のない時代に出発して帰らぬ人になった、食料を現地調達できなかった挙句に紙幣偽造を疑われ死刑。歴史を歩く時間旅行者にも歴史があり、その歴史もやはり屍の上に成立している。
そんな"時間旅行者の14箇条"の最初の項目は──"とびきりの服を用意しろ"。
冗談は言っていない、本当のことだ。外見の大部分を構成するファッションは、時間旅行を楽しむ最高の味方になってくれる。その時代の人々に紛れ込むには、服だって当時のものを着なくちゃならない。当然、過去には過去の流行がある。旅する年代にどんな服が存在してどんな服が存在しなかったかは、服飾の専門家にしか判別できない。しかし旅立つ時代が昔になればなるほど、服そのものが入手できなくなってしまう。仮に手に入ったとしても、衣服というのは劣化しやすい。10年も経てばボロボロだ。仕方なくボロを纏えば新品だらけの周囲から浮いてしまうし、何より居たたまれない気持ちになってしまう。せっかくの時間旅行なのに!
何事も、プロはプロに任せよう。時間旅行者が営むセレクトショップでは、それぞれの時代から持ち帰ったアイテムが棚に並んでいる。"ビギナートラベラーのため"と、ショップの店主たちも取材を許可してくれた。どの時代と国に旅立つかに合わせて、目的に合った店を選んでほしい。
タイムマシンに乗り込む前に、まず"時と場合"に見合った服を着ること。すべてはそこから始まる。
別の時代からモノを持ち帰っても良いのか?
17世紀を中心に旅する時間旅行者が使うカトラリー。
食器を自身で管理することは旅の安全にも繋がる。
このアイテムも旅先の時代で購入したもの。
"別の時代からモノを持ち帰っても良いのか?"──ビギナートラベラーの中には、こうした疑問を抱く人もいるかもしれない。
結論、問題ない。これまで何人もの時間旅行者が事実として過去を旅し、過去の品物を持ち帰っているが、歴史は僕たちの知るそれから大きく変動してはいない。トラベラーコミュニティでの検証の結果、歴史は現代の僕たちが起こす行動すら飲み込んで進行するようだ。君が出発した現代は、過去で君が起こす予定の行動結果を既に反映している。
君が自分の父親を殺すために過去に向かったとする。君が誕生している時点でその歴史は覆せないものであり、親殺しは失敗に終わる。だが、買い物なら。もしも帳簿に君の名前が記録されてないなどの出来事があれば、失敗する可能性もあるだろう。それでも不信感さえ持たれなければ、店主が商品を売らないことはない。そして商品を持ち帰ったとしても、現代に同一の商品が存在しなければその後に影響は及ばないはずだ。そもそも物質の移動が歴史を改変するとしたら、時間移動者が靴底に付着させた砂粒だけで未来は容易に壊れてしまう。
"時間旅行者の14箇条"の最後の項目は、"歴史を変えようとするな"。それは、時間旅行者が歴史を変えられる存在だから明言されているわけじゃない。歴史を変えようと躍起になったところで、僕たちでは徒労に終わる。君がもし他の超能力を持っているなら話は別だが、時間旅行者とはいえそうした力を持つ人は少ない。
すべての歴史は僕たちの現代に向かって進行する。君が覚えておくべきはそれだけだ。僕たちはただの時間旅行者。時間は映画の中よりも遥かに堅牢で、僕たちはあまりにも弱い。でもそれは悲観することじゃない。普通の観光客と同じくらいなら、何をしたって許されるんだから。
取材記 旅支度に着替える。
時間旅行者たちが営む店々は、普通の方法では発見できない。"一般的な"店を装っていることもあるけど、リスクが大きいからと隠れている場合がほとんどだ。僕たちの大切なタイムマシンを狙っている人間はそこらじゅうにいるからね。
だけど君が時間旅行者だと証明できれば、店主たちも喜んで店の扉を開いてくれるだろう。僕の知る限り、店主たちは皆、ある時代への偏愛を持って熱心に活動している。君がその時代を訪れる1人になってくれると知ったら、アイテムをその手に抱えて快く迎えてくれるはず。
近代欧州紳士服専門店 Rose Bertin
ベル・エポックを彩る、紳士たちの必需品。
Rose Bertintの店内。
19世紀末から20世紀初期にかけて製造された幻のスーツが並ぶ。
専門年代/地域 19世紀~20世紀/ヨーロッパ・アメリカ
ジャンル 紳士服/ジャケット・シャツ・ベスト・スウェット・ハット・ステッキ・シューズなど
入店方法 会員制/呪文型ポータル接続
フランス語で書かれた封筒を開く。入っていた錠を自室の扉に取り付け、同封されていた便箋のメッセージを読む。僕がその言葉を唱え終えると、錠は独りでに開いて床に落ちていた。おそるおそる扉を開く。スーツショップの店内と老紳士が僕を出迎えた。錠は彼がトラベラーコミュニティのツテを使って作らせた特注品らしい。
「過去のヨーロッパを歩くのであれば、スーツは必須。向かう時代に合わせた、素敵な品々を揃えております」
Rose Bertin(ローズ ベルタン)は、19世紀から20世紀にかけての紳士服を中心に取り揃えた紳士服専門店。主に販売しているのは同時代のスーツだが、この時代こそが現代スーツの雛形となった時代であり、主流となるスーツの形状も折々の流行に沿って変化している。
「スーツは18世紀に確立された外出着が原型と言われていますが、時代が新しくなるにつれて機能性を持つようになります。丈が短くなっていき、19世紀末から20世紀にかけて現代のスーツへと近づいていきます。この過渡期に多様なスーツが生まれ、5年変われば細かな形状が異なります。丈の長さやシルエットの太さ、ボタンの数など、違和感を生じさせないために考慮すべきことは多々あります。私も、時代に沿ったジャケットを着て向かったと思ったら、その時代の人に古風だねと言われましたよ」
スーツの歴史を語るのは、店主のアンドレ・モクレールさん。服飾デザイナーをしていた32歳の頃、購入したアパートの壁に埋め込まれていた電子基板に手を触れたら、部屋の外が100年前に繋がっているのを発見。以降、その機械を使って滞在年代を操作し、開店する数日のみ現代に戻っている。元よりパリに住み、パリを愛するモクレールさんは、"ベル・エポック"と呼ばれる19世紀末から20世紀初頭をよく旅したそうだ。
「やはり時間旅行をするのであれば、100年以上は昔に向かいたいでしょう。であれば、ベル・エポックのパリがビギナートラベラーにはお薦めです。芸術と文化が栄えた時代でもあり、象徴主義やシュルレアリスム、キュビズムといった現代芸術の基礎になった芸術運動の勃興を眺めることができます。華々しいパリの空気を味わいながら、後世で名画となる絵画たちを発表された展覧会で見る。これ以上の贅沢があるでしょうか」
幻のブランド"ヴァランタン"のスリーピーススーツ。
モクレールさんが収集したスーツは、当時はメジャーだったスリーピーススーツがほとんど。イギリス社交界に向けたタキシードなど目的に合わせたコレクションもさることながら、Rose Bertinの本命は現代では廃業したブランドのスーツを揃えているところにある。
「こちらは1941年に廃業したブランド、"ヴァランタン"のスーツです。現代では名前の知られていないブランドですが、デザインや職人の仕上げは秀逸そのもの。こうした品々を評価し、名を記憶してもらうことも我々時間旅行者の役割なのだと思います。だから私はあの日、あの基板を手にしたのでしょう」
最近は商品を仕入れつつ、その時代のカフェで一息つくのがお気に入りの過ごし方らしい。楽しみながら、自分に課せられた役割を果たす。それも時間旅行者の在り方だ。
江戸の織物と履物 まきの着物店
自由と抵抗。それが江戸と和服を作った。
今年、まきの着物店は創立20周年を迎える。
あなたの街にもいつか現れるかもしれない。
専門年代/地域 17世紀~19世紀(江戸・明治以降近代)/日本
ジャンル 和服/江戸に集合した日本全国の織物
入店方法 通常入店式/店舗の次元歪曲合流
届いた地図は僕の自宅の近所を示していた。商店街に入って、普段は通らない路地へ。懐かしい雰囲気の和服屋がそこにあった。取材後にその場所を確認すると、店のあったスペースごとどこかに消えていた。時間と空間、そして記憶に割り込むこの店の特性には知っていても驚かされる。
「旅は一期一会。お客様のご縁も一度きり。だからこそ、至高の一着を御用意します。ようこそ、まきの和服店へ」
まきの着物店。情景に溶けるように姿を変える店の中では、数々の着物が並ぶ。品揃えは明治大正から江戸の全時代と幅広い。取り扱っているのは和服と履物に限られているが、素晴らしいのは店主の知識量と対応力。江戸と一括りになっていても、その歴史は約250年にも及ぶ。
「江戸の町人は質素な暮らしをしていました。それでもみな御洒落が好き。できる範囲で様々な模様の着物を楽しんでいましたが、幕府は定期的に贅沢を禁止する法令を発しています。その時期にはその時期の御洒落があって、もし時間旅行者が派手な格好のまま江戸の町に向かったら御上に目を付けられてしまいます。そうなっては大変ですので、最大限のお手伝いをさせていただいております」
柔らかい口調で牧野瑠季さんが話すのは、江戸の規制の歴史。かつて江戸に店を構えていた呉服屋の子孫だという牧野さんは、実家の店舗を継いだ際、地下に謎の絡繰りを見つける。そのときの操作によって店の時空移動機能が息を吹き返し、以降は江戸と現代を行き来する旅の商売人となった。長期に渡って現地で過ごした経験から、華のお江戸をどう楽しむかについても朗々と語る。
「当時でしか楽しめないものといえば、やっぱり興行ですね。相撲や歌舞伎、落語など、その公演に立ち会わなければ見られない演者はたくさんいます。名横綱の雷電為右衛門、現代にも名の残る七代目市川團十郎や初代三遊亭圓生など、その活躍を自分の目で見ることは江戸の時間旅行でしかできません。江戸の喧騒を歩いたり、屋台飯を食べたりするのもいいですよ」
色の派手さを抑えながらも洒脱な印象に仕上げた着物。
まきの和服店が取り扱う品々は、実際に手に取れば質の高さがわかるものばかり。各地の職人が仕上げ、江戸へ運ばれた品物を牧野さんが買い取って集めている。 当時、身分によって着用して着物は厳密に指定されており、素材や柄に対する販売規制も存在した。しかし江戸の町人はそれに対抗し、規制の穴を突いた柄や小物などの装飾で個性を発揮した。
「こちらは柄のない小袖です。地味な色合いではあるものの、洗練された印象をもたらしてくれます。江戸時代は庶民の絹製品、本来の意味での呉服の着用が禁止された時代もあり、うっかり現代の着物を着ていくとそれだけで目立ってしまいます。例えば薔薇など西洋植物の柄の着物は大変可愛らしいですが、これは大正期に作られたものです。目立ちたくないなら、柄を避けるのも知恵の1つですね」
身分格差が存在し、帯刀した武士が闊歩する江戸時代。町人として潜伏するなら想像するより気の抜けない時間旅行にはなるだろう、と牧野さんは言う。それでも町人たちはみな明るく、ドラマで見るような快活な江戸の情景もそこにはある。飄々とした旅人は現実を見ながらも、今日も江戸と現代を繋ぐ。
着脱自由なパワードスーツ NEW MOVES
どこへでも行くための、どこへでも行ける装備。
サイバーパンクなトレーラーの内部には倍の空間が広がる。
時速150kmのドライブでも無振動。
専門年代/地域 21世紀後半~22世紀/アメリカ
ジャンル パワードスーツ/汎用作業・全気候対応
入店方法 通常入店式/移動販売
20桁の番号をスマートフォンに入力する。数学的に「奇跡の数字」と呼ばれるそれ──素数だったか、公約数だったか、完全数だったか、僕には高度すぎて理解できなかった──を入力した18秒後、トレーラーは田舎道を塞ぐように現れた。虚無から出現した車両の運転席で、フルフェイスヘルメットが大きく揺れる。
「2025年の君よ、いらっしゃい! 今はタイムサービス中でね、2050年までなら相乗りもタダだよ」
トレーラーの内部を店として運用しているNEW MOVES(ニュームーヴス)は、2130年を拠点年代とする移動型店舗。空間拡張技術により広々とした店内には、これから開発される運動補助作業服──パワードスーツがずらり。ガラスのショーケースに陳列された様子は、ヒーロー映画のワンシーンを思わせる。
「パワードスーツは2040年代に中東でその原型が発表され、建設作業や介護の現場で使われ始めた。初期型はコスト削減のため、外部にエンジニアがいないと着脱ができないなんて代物だったんだ。改良が重ねられ、一人でも着脱できるパワードスーツが広まる。ああ、その技術を盗もうとしても無駄。ハッキングしようとした瞬間にコピーガードが作動して、頭がバグらされるから」
嬉々として語るのは、全身にスーツを纏ったノア・アーウィングさん。彼自身は2030年代の出身で、モビリティ開発作業時の事故によって2053年に飛ばされたという。その後、独自に時間跳躍理論を理解し、車両に搭載することで時間移動を可能にした。しかし興味本位で購入したパワードスーツが着脱不可の品物だったため、現在は資金を稼ぎつつ装備を外す方法を探しているそうだ。
「未来を旅するコツはとにかく寛容になること。国境は薄れつつあり、異文化の合流が新しいカルチャーを生んでいる。テックを軸にした文化発展も著しい。2080年代からはSNSから発展するかたちで空間にペイントする技術が広まって、街は誰かの描いたグラフィティで彩られている。パワードスーツはアンテナの役割も果たすから、着るスマートフォンみたいなものでもあるかな」
着脱性や動きやすさに配慮した2084年型。
取り揃えているパワードスーツは各時代で発表されるもの。2070年以降では気候変動や大気汚染の影響により、都市部ではパワードスーツを着るのが当たり前になっている。紫外線や汚染物質からの身体保護を兼ねながらも、自分を着飾る精神は忘れない。その需要がより利便性の高いパワードスーツの開発を推し進めた。衣服に近いスーツが開発されてからはそれをどう飾るかが重視され、購入者自身がデジタルデザインできる仕様になりつつあるらしい。
「年代が進むとリバイバルブームも起きる。特に1990年代の宇宙服風デザインが人気で、ちょっとしたレトロブームを若者の間に起こしつつある。相変わらず、こっちの時代も大変だよ。でも、生きるのっていつの時代も大変なんだ。そんな日々を少しでも楽しむ心っていうのは、いつまでも変わらないかもね」
ちなみにノアさん自身も、パワードスーツのおかげで毎日快適に過ごしているようだ。「汗もかかない、味覚もチューブを通して体感できる。不満は風を感じられないことくらい」未来に向かっても、人間は人間らしさから離れられない。それを認識していれば、ハイテクな世界も親しみを持てるだろう。
コラム ホラーな時間旅行。
文・怪談蒐集家 小泉ジェイムズ
人間が幽霊を目撃するのは過去も現代も変わらないものです。伝承として現在まで伝わっている話もありますが、多くは歴史の闇に消えていく。私としては、そんな暴挙は許せません。たとえ時間が相手でも。あとはみなさま、おわかりですね?
遅れまして、怪談蒐集家の小泉ジェイムズと申します。怪奇譚を求めて世界中を渡り歩く、恐怖に満ちた日々を今日も過ごしております。インターネットを起点とする怪異までもが囁かれる昨今ですが、怪異がいたのは現代に限りません。昔にだって怪異はいて、人々を怖がらせてきました。そうした怪異は人を介してさらに広がり、現代へと繋がります。
一方で、こう考えたことはありませんか? 消えていった怪異とは、どんなものだったのだろう。好奇心が身体を突き動かし、私はタイムマシンを手に入れていました。自分の収集した噂から時空移動へと繋がるヒントを導き出し、それはもう無我夢中で。形状や起動方法については伏せさせていただきます。
これまで、怪奇溢れる時間旅行をしました。私はアメリカ人である母の血を引いていますので、コーカソイド系の旅行者を装えば諸外国を旅することができました。記録から零れ落ちた怪奇譚を手帳に綴る毎日。世界中、そしてすべての歴史を旅する私だからこそ、現地の人々に怪しまれないよう、当時のファッションは入念に情報収集をして調達しています。
1921年に撮影。
慌ててカメラマンを捕まえ、フィルムを奪取。
服については一通り揃えています。階級や身分に見合った服装、特定の場所に入る際にドレスコードとして必要になる衣装。それを国ごとに。用意しておくべき服はたくさんあります。よく扮するのは新聞記者ですが、オカルト絡みとなれば上流階級を装う必要もありました。
ロンドンで開かれる交霊会、不穏な噂の流れるニューヨークの暗い街並み。方々の国々にかつて残っていた、帝国主義に塗り潰される前の地域伝承。どれも貴重な経験でしたが、収集した話の中には「おや?」と首を傾げるものもあります。
「語られている怪異こそ、その時代にやってきた時間旅行者なのではないか?」──いくら紛れたとしても、時間を移動するというこの世の条理を逸脱した行動は、不自然の種を当時の人々に与えます。時を超えた人の交わりが、そこに存在しない怪異を生み出す。なんとも興味深い現象ではないでしょうか。
特別対談 時間を旅する僕らの記憶。
時間の旅を重ねて、人はどうなっていくのだろうか。2025年現在、各地でトラベラーコミュニティが誕生して約20年ほどが経ったが、長く時間旅行を続けた人はまだまだ少ない。取材した店主と交渉した結果、過去を旅した思い出を語ってもらえることになった。親交のある経験者もお呼びして、ここに時間旅行者たちの座談会が実現。
旅はその人の価値観を変えるという。なら、時間旅行は何を変えるのだろう?
人物紹介 アンドレ・モクレール
※個人情報保護のため、
特殊処理を施しています。
1960年生まれ。フランス、オー・ドゥ・セーヌ県出身。近代欧州紳士服専門店『Rose Bertin』店主。前職は服飾デザイナーであり、その際に培われた素養を活かして過去のアイテムを収集。
『Rose Bertin』では19世紀末から20世紀初頭を中心に、ヨーロッパ・アメリカで製作された紳士服を取り扱う。最古年代は1805年、最新年代は1975年。アイテムの総数は1万点を超える。
趣味は飲食店巡りと芸術鑑賞。現在では老舗のキャバレーである"ムーランルージュ"の開店当時の姿を見たり、第1回印象派展を鑑賞したりと、過去のパリを何度も楽しんできた。
人物紹介 小泉 ジェイムズ(こいずみ・-)
※ご提出いただいた画像であり、
加工はしていません。
本名、年齢、来歴不詳。怪談蒐集家として世界各地、全人類時代の怪談を集めることを目的としている。時間旅行者としての経験も深く、危険年代とされる時代への渡航も試みている。
本人曰く、現在までに収集した怪奇譚は800に及ぶ。
ジェイムズさんの邸宅を舞台に、対談はスタート。おどろおどろしい洋館だったが、ジェイムズさんの移動装置で転送されたので、年代や地域は筆者にも不明。
愛する時代も旅の経験も異なる2人は、一体何を語るのか?
時間旅行のススメ。
──本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介をお願いします。
アンドレ・モクレール(以下、モクレール): 『Rose Bertin』店主のアンドレ・モクレールです。ビギナートラベラーの方々に向け、時間旅行の魅力やその時代の服を着る意義について語れたらと思います。
小泉ジェイムズ(以下、ジェイムズ): 小泉ジェイムズと申します。人が過去へ向かう理由は様々。しかし服を着るのは同じ。私も怪談蒐集家として各時代を巡っておりますが、いろいろな服を着ることそのものも時間旅行のポイントといえますね。モクレールさんには、私も普段からお世話になっています。
モクレール: お久しぶりですね、ジェイムズさん。1920年代のニューイングランドは楽しめましたか?
ジェイムズ: それはもう! ラブクラフトが怪物を綴るに至った土地の雰囲気をしっかりと取材できましたよ。現在では途絶えてしまった御伽噺も、無事にこの手帳の中です。
モクレール: それにしても、今回はジェイムズさんが仲介役になってくれて助かりました。取材場所の確保ともども、ありがとうございます。
ジェイムズ: とんでもない。秘密保持のための拠点など、怪談蒐集家ならいくつか持っていますよ。
──それでは時間旅行における、旅の醍醐味とはどのようなものでしょうか?
モクレール: やはり歴史書や古い写真で見た過去を、自らの足で歩けることでしょう。建物、行き交う人々の服装、乗り物、提供される料理に至るまで、すべての過去を自分の身体で体験できるのです。テーマパークでの再現とは違う、自然な雰囲気のまま堪能できます。
ジェイムズ: イメージするのは難しいかもしれませんが、例えば同じ国でも言葉が少し違いますからね。当時しか使われなかった言葉が会話の中で突然出てくるなんて経験をすると、「昔の時代に来てるんだな」と感動するものです。とはいえ、言語が変わらないなら問題なく言葉は通じるはずですので、ご心配なく。
モクレール: 現代で扱われている価値観との相違も体験できると思います。「印象派」が当時の批評家による批判から成立した言葉というのは有名な話ですが、それが発される現場に行ってみると受け取り方も変わるでしょう。我々は歴史を断片的にしか知りません。当時の世界を知って初めて、その時代の細部を認識できる。解像度が高まる、と言った方がわかりやすいでしょうか。
ジェイムズ: そう、細々とした物事は実際に立ち会ってようやくわかるもの。有名人のゴシップに当時流行していたジョークなどなど、人々の生活に根差したものであるほど記録には残りませんからね。私が収集する怪談も、過去の人々が何を恐れていたかという価値観の表れです。まぁ、本物の怪異が元になった、本物の怪談かもしれませんがね。
モクレール: さすがはジェイムズさん。面白い冗談をおっしゃる。
ジェイムズ: いえいえ、私はいつだって本気ですよ。今はいないが昔はいた、そんな怪異だっているでしょう。
モクレール: とにかく、旅そのものは同時代の旅とあまり変わりません。景色を眺め、人と話し、料理に舌鼓を打つ。資料を読むだけではわからない、その時代の本当の魅力を知ることができるはずです。
──モクレールさんはアパレルショップの店主でもあります。過去に向かうにあたって、服装などで気を付けるところはありますか?
モクレール: 服がその時代に相応しいか。これに尽きます。中世で現代の服装が通じるはずがないというのはご理解いただけると思いますが、過去は現代と服に関する感覚がかなり違います。1950年代以前にTシャツで街をうろついていた人間はいませんし、スニーカーが流行するのは1970年代からです。現代では一般的な服装ですら、100年前には存在しないのです。
ジェイムズ: なるほど。ですが、そこまで細部にこだわらなくてもいいんじゃないですか? まさか時間旅行者が来訪してるなんて思わないでしょうし、素材や細々した形状を見分けられるほど現地の人々が観察眼に優れているわけでもないでしょう?
モクレール: その油断が、我々にとっては命取りなのです。近代のアメリカやヨーロッパでは、過去に旅立ったまま失踪した人間が何人もいます。感染症や紛争の影響ではなかったので、個人的な事件に巻き込まれたのだと思いますが……どうやら過去にも、時間旅行者の実在を確信して動いている集団がいるようです。
ジェイムズ: なんと、まさしく陰謀論のようではありませんか。興味深い。今度はロゴプリントのTシャツにジーンズ、クロックスで旅に出ることにします。
モクレール: やめてください。本当にしたら二度と服を売りませんよ。
ジェイムズ: ふふ、もちろんしませんとも。
モクレール: ジェイムズさんは置いておいて……どうせ時代に紛れるなら、本物を着ていった方が心地もいいです。向かう時代によっては、異物と見なした存在を排除しようとする意識が強い場合もあります。魔女や悪魔と断定された時間旅行者が殺害された事例も確認されておりますので、準備は入念に。
──そうした準備のしやすさも含め、ビギナートラベラーが時間旅行をするのにオススメの時代はどこでしょう?
モクレール: 私からは、近代から現代にかけてのアメリカやヨーロッパをオススメします。まずなにより、医療がそこそこ発達していて現地でも治療できる怪我や病気が多い。
ジェイムズ: 抗生物質の発明以前を旅行する際は、必ず内服薬を隠し持ってくださいね。薬が尽きて、私も何度か現代に引き返したことがあります。無理に留まった人間も見ましたが……後日その時代を訪ねたら無銘の墓が増えていましたよ。
モクレール: 私からは是非ともベル・エポックのパリを……と言いたいところですが、世界大戦や大恐慌が控えていて危うさのある時代でもあります。第二次大戦が終結する1940年代後半以降が、初回の時間旅行にはオススメではないかと。
ジェイムズ: 80年しか離れていないようで、2025年とは世界そのものがまるで違いますからね。デジタル技術が進化する以前の時代でもあるので本屋や芝居小屋にも活気がありますし、アートが好きな方にはたまらない時代かと思います。戦争が日常だった時代と地続きでもあり、怪談にもその影響を見ることができます。出現する霊の死因に「戦死」が現れるのはいつも戦後。当たり前のことですが。
モクレール: ファッションが好きな方も一度訪ねてほしい時代ですね。現代ではあまり見ないけれど、時代を築いたデザインを新しいまま購入できます。特にレディースファッションの分野では、1910年代から続く女性の社会進出の流れを汲みながら、戦争の暗い気分を打ち砕く新しいシルエットが続々と登場します。
「ニュールック」
ジェイムズ: 『Dior』(ディオール)なんかがまさにそうですね。
モクレール: まさしく。引き締めたウェストと丸いドレス……クリスチャン・ディオールが1947年に発表したコレクションは、その画期的なデザインから「ニュールック」と呼ばれました。ディオールの登場をきっかけに、パリは再びファッションの中心地となっていくのです。そういえば、怪談話以外もお詳しいのですね、ジェイムズさん。
ジェイムズ: この時代は何度も来てますから。それと、会ったことあるんですよ。他でもない、クリスチャン・ディオールと。晩年の1957年に。
モクレール: なんと……その年にはディオールはデザイナーとして世界的な地位を築いているはず。どうやって接触を?
ジェイムズ: 上流階級のパーティに紛れ込むのは得意なんです。これもあなたが時代にあったスーツを渡してくれるおかげですよ、モクレールさん。
モクレール: 服のおかげだけとは思えないのですが。
ジェイムズ: いいじゃないですか。派手な真似はしていませんよ。この通り、歴史は変わってないでしょう?
和やかな雰囲気で対談は進む。
しかし、ある話題を境に空気は一変。そのキーワードは……"歴史を変えようとするな"。
"歴史を変えようとするな"。
──トラベラーコミュニティの方々に取材をする中でときどき聞いたのですが……私たちが何をしても歴史は変わらないというのは本当でしょうか?
モクレール: えぇ。当然でしょう。現在は過去を受けて成立している。なら、その過去は既に確定したものです。動かすことはできません。故に"時間旅行者の14箇条"でもこう語られています──"歴史を変えようとするな"と。
ジェイムズ: それについて、前々から思っていたんですが……気を付けようがないんじゃないですか? 歴史は変えようと思っても変えられないものなんでしょう? どう振る舞ったところで結果が現在に帰結するなら、わざわざ注意喚起する意味もないでしょう?
モクレール: その通りです。歴史は変わらない。なら、変えようとしなければいい。その通りですよ。問題は、それでも歴史を変えようとしてしまう、時間旅行者の心理にあります。言い方を変えましょうか。"歴史を変えようとするな"──これが、"何かできると思うな"だとしたら、意味が伝わりますか?
ジェイムズ: 随分と非情な言い切りですね。
──すみません、もう少し詳しく教えていただいてもいいですか?
モクレール: 我々は、現代に至るまでの歴史を知っています。そこには悲惨な歴史もある。戦争、災害。人間それぞれの人生も悲喜こもごもです。旅先で、時代やそこに暮らす人間に愛着を持ったとしましょう。我々はその運命を変えられない。どんなに願ったとしても。
ジェイムズ: 行動することに意味はないと言いたいのですか?
モクレール: えぇ。行動を起こしても、最後には歴史の示した通りになる。時に、愛した時代や人間は蹂躙される。知っていても、何もしてはいけない。何故なら、私たちに歴史を変えることはできないから。変えられないのに抗っても、虚しいだけだから。それを受け入れろと、この言葉は言っているんです。
ジェイムズ: ただ説明するにしては、何やら代弁者のように重たい言い回しをしますね。実際にそうした体験があるんですか?
モクレール: はい。ビギナートラベラーだったあの頃。時間を移動できる自分は、誰かの人生をも操れると思っていた。実際は違いましたがね。
ジェイムズ: 失敬。私も軽口が過ぎましたね。ですが、私の関心もまだ止みません。よければ、お話ししていただけませんか? 時間旅行者の後輩に向けて。
──こちらとしては、この話題はこれ以上話していただなくても結構なのですが……もし問題がなければ、お願いしたいです。
モクレール: 構いません。基板に触れた私は、様々な時代のパリを旅していました。何度も基板を起動して時間旅行にも慣れ始めていた頃、私はミスを犯しました。着ていく服を間違えたんです。1937年に、1917年の服を着ていってしまった。それに気付かずカフェで休んでいると、若い女性に声をかけられました。「古風な服を着ていて素敵ですね。状態もとてもいい。どこで手に入れたんですか?」
ジェイムズ: 現代で考えれば、20年も時代が違えば大きな違和感になるでしょうしね。窮地に追いやられたみたいですが、どう返したんですか?
モクレール: 咄嗟にこう言いました。「古い服が好きで、その筋の人間と取引しているんだ」と。すると彼女は「だったら、昔の服についてたくさん教えてちょうだい」と、会ったばかりの私に頼んできたのです。デザイナーとして独立したばかりだという彼女は、過去のスーツのデザインを取り込んだクラシカルなスーツを製作していました。負けん気が強くて茶髪の似合う彼女……名前はヴァネッサ。私は毎週末に彼女と会うことになりました。「古風なスーツが好き」という自己紹介の手前、それ以降も時代に合わないスーツを着続けて。
ジェイムズ: 素敵な方だったみたいですね。
モクレール: えぇ、それはそれは……ともかく、ヴァネッサは服に関する知識では私を超えていました。あんなに服への情熱に満ちた人間は、過去にも現代にも彼女しか知りません。しかし実際に過去のスーツが手に入らなければデザインの再現は難しいそうで、そこは私が本物を彼女に見せて伝えていました。議論を重ね、時に衝突しながら私はヴァネッサの服作りを見守りました。彼女と彼女のブランドはきっと服飾史に名を遺すだろう、私はそう思っていたのですが……ふと調べてみると、どの本にもヴァネッサの名前はありませんでした。
ジェイムズ: 何か起きたんですか?
モクレール: 起きましたよ、戦争がね。第二次大戦、ドイツ軍のフランス侵攻。その影響で彼女のブランドが失われる。なら、ブランドを維持できるよう彼女を逃がせばいい。私は当時の政治不安も交え、ヴァネッサにアメリカへの移住を提案しました。しかし1940年に突入してドイツが戦争を始めても、彼女は提案を笑い飛ばし続けました。「ファッションの魂はパリにしか宿らない」なんて言って。彼女の昔馴染みの客を辿って、ようやくわかりましたよ。ヴァネッサは、フランス軍に志願した恋人を待っていたんです。
ジェイムズ: 危険を知りながら、パリという土地から動こうとしなかった。
モクレール: そうです。時間移動で彼女ごと連れ去る手もありました。でも、部屋に彼女を閉じ込めて基板を起動しようとした瞬間、ヴァネッサが涙したのです。私は彼女を置いて時代を去り、ドイツ軍はパリを占領。戦後のパリにて情報を集めましたが、それきりヴァネッサは行方知れず。掴めた情報といえば、彼女のブランド──"ヴァランタン"が1941年に廃業していたことだけでした。
ジェイムズ: 最初から、そこへの帰結は決まっていたんですね。
モクレール: わかったでしょう? 歴史は変えられない。第二次大戦という大きな事象はおろか、彼女を逃がすことさえ叶わない。私に打つ手はなかったんです。
──本当に、何もできなかったんですか?
モクレール: では、あなたは第二次大戦を止められるのですか? ヴァネッサのブランドはかのドイツ軍のせいで廃れた。根源を辿るならナチスを解体しなくてはならない。あなたにはそれができるのですか?
ジェイムズ: たしかに、無理な話ですね。ポーランド侵攻をはじめとするドイツの軍事行動はそれまでの国内情勢によるものですし……その原因も第一次大戦の敗戦にあります。ヒトラーやら幹部陣やらを軒並み殺し回ったとして、ナチスは結成されるでしょうね。戦争を止める決定的要因などというものは存在しない。
モクレール: そもそも、人間を殺すことだって簡単な話ではない。待ち伏せて襲いかかったとしても、必ず成功するとは限らないのです。偶然が手を止めて、いつも好機を逃してしまう。
ジェイムズ: 史実に標的の没年が確定しているなら、失敗も確定していますからね。それにしても随分とお詳しい。経験があるんですか?
モクレール: 回答は差し控えます。いずれにしても、過去は変えられない。ならば、忘れないように努めなくてはなりません。技巧を伝え、語り継ぐ。だから私はあのときパリに降り立ち、彼女と出会った。これすらもおそらく、歴史で定められていたのです。私はそう信じている。
ジェイムズ: 私には、何もできない自分を皮肉って自虐しているようにしか聞こえませんよ。
モクレール: そうかもしれませんね。我々はただの時間旅行者。過ぎ去り、隣をすり抜けていく旅行者でしかない。決して、歴史を変えられる英雄などではない。
ジェイムズ: それがあなたの結論ですか。
モクレール: えぇ。我々が変えられることは何もない。過去を眺め、見送ること。それしか私たちにはできないのです。
ジェイムズ: では、ここで異を唱えましょう。本当にそうなのでしょうか?
唐突に、ジェイムズさんが言った。それまでの微笑むような表情から一転、神妙な面持ちで。
ジェイムズさんは分厚い手帳を取り出し、迷いなくページを捲り始めた。
行く末に立つ僕らは。
──どうしたんですか、ジェイムズさん。何か気になることが?
モクレール: あなたもしつこい方だ。まだ食ってかかるつもりですか?
ジェイムズ: 食ってかかるなんてとんでもない。確認したいことがあるだけですよ。
モクレール: 歴史とは変えようとしても変えられないものなのです。何十人もの時間旅行者が、それを飲み込んで旅をしています。誰もこれには抗えない。
ジェイムズ: それはそうですとも。私も同意見です。ですがモクレールさん……いや、あなた以外の時間旅行者のみなさんも、歴史というのを大きい尺度で捉えすぎだと思いましてね。
──大きい尺度?
ジェイムズ: はい。先ほどモクレールさんも言ったでしょう? 「人間それぞれの人生も悲喜こもごも」だと。当時の人と会って話しているなら、それだけで十分、歴史に変化は与えられているんじゃないですか?
モクレール: 「出会って別れるだけでも歴史に介入している」……そう言いたいのですか?
ジェイムズ: えぇ。人間は思考します。思考によって生き方を変えます。私たちとの出会いが誰かの思考を変えるきっかけになるのであれば、それは人間の人生を変えるのと同じです。
モクレール: 何を言うかと思えば……話を聞いていましたか? 私はヴァネッサに訴えかけた。けれどその忠告は受け入れられなかった。何も変わってはいないではないですか。
ジェイムズ: 影響が出るのが何年も後だったとしたら? 現代には残らなかった、ミクロな変化が静かに起きて消えていたとしたら?
モクレール: どういうことです?
ジェイムズ: あなたたちの行動は後々になってようやく、しかしたしかに影響したんですよ。それを示せるかもしれない証言もこの手帳にあります。怪談として。私の本業は怪談蒐集家。時を渡り歩いて消えるはずだった怪談奇談を集める……旅の中で、私はある持論を持つようになりました。
モクレール: どんな大層な持論なんです?
ジェイムズ: 語られている怪異の正体は、その時代にやってきた時間旅行者である。今回、この雑誌に提供するためにいくつか話を用意していたんです。服に関する怪談奇談。誌面では使えなくなってしまうでしょうが……よろしいですか?
──問題ありません。ジェイムズさん、一度話していただけませんか?
ジェイムズ: わかりました。モクレールさん、私はさきほど「クリスチャン・ディオールに会ったことがある」と言いましたよね?
モクレール: たしかに言っていましたが……それがどうかしましたか?
ジェイムズ: 私、ディオールから話を聞いたんです。特上の怪談を。
モクレール: ふざけないでください。怪談話は関係ないでしょう。
ジェイムズ: これがあながち侮れないものなんです。世界を変えるほどの大きな出来事には昔から不思議な逸話が絡んでいる。本人が語らず死んだだけで、ディオールもそうだったんです。さて、モクレールさん。ディオールが発表した「ニュールック」には、シルエット以外にも特徴があります。わかりますか?
モクレール: 素材の贅沢な使用と……ジャケット。男性的なジャケットを女性の身体に合わせて設計した、バージャケットが特徴です。
ジェイムズ: その通り。ディオールはメンズジャケットのディティールを織り込んでいる。そして、ここからがディオール本人に聞いた話なんですが……彼には隠れた協力者がいたそうです。メンズジャケットを女性的にカスタムするにあたり、それまでのスーツの知識と女性からの視点、この2つが必要だった。悩みながらパリを歩いていた彼は、1軒の小さな仕立て屋の噂を聞きつけます。なんでも、1910年代のスーツを再現したデザインスーツをオーダーメイドで作ってくれるという。
モクレール: まさか……いや、そんなはずはない。
ジェイムズ: ディオールは仕立て屋を探し出し、針子と対面しました。40歳の自分と同い年ほどの女性が黙々と服を作っていた。まるで構造が頭に入っているかのように、彼女は古風なスーツを仕上げてみせる。ディオールはビジネスパートナーとして彼女に協力を頼み、ジャケットへの助言を求めた。知識も実際の手捌きも、自分のブランドの職人よりはるかに優れていた。ディオールは尋ねます。「誰に師事したんだ」と。彼女は笑って言ったそうです。「過去の亡霊に学んだ」と、冗談めかして言った。
モクレール: 亡霊。
ジェイムズ: 「生まれる年代を間違えたような古いスーツをいつも着ていて、どんな古い服も現物をきちんと持ってくる。そして戦争が近づいたら、パリを離れるように警告してくれた。彼は過去の、ベル・エポックの亡霊だったのだろう。第一次大戦に巻き込まれた、栄華を纏った亡霊。私が拒絶した瞬間に、二度と現れなくなった。彼の知る時代を伝えられて、私は満足している」……これが、その仕立て屋の言葉。ディオールが「ニュールック」の完成を知らせようと再訪した時には、仕立て屋は消えていたそうです。近隣住民曰く、夫の故郷に越したんだと。まったく、どちらが亡霊なのやら。
モクレール: おい……それは本当にヴァネッサなのか? いつに跳べば会える? どこに向かえばいいんだ?
ジェイムズ: わかりません。ディオールもおぼろげでしたからね。でも、これが本当にヴァネッサさんなら……彼女の知識と腕は、しっかり次代へ託されたんです。ディオールという、パリが再びファッションの中心地となるための重要人物を介して。
モクレール: そうですか。彼女の技術は、あのディオールに。
ジェイムズ: 確定した情報ではありませんよ? これは怪談話。早とちりなさらないように。
モクレール: わかっています。でも……ヴァネッサは、戦争を生き抜いたのかもしれない。その可能性を知れただけで……年甲斐もなく、胸の高鳴りが止まらないのです。よかったと息を漏らすには、何もかも不足しているというのに。
ジェイムズ: 話してかなり経ちますし、そろそろ一息入れましょうか。
──それでは、対談も終わりたいと思います。最後におふたりから何かあれば、お願いします。
ジェイムズ: モクレールさん、ひとつだけお聞きしても?
モクレール: なんでしょうか。
ジェイムズ: 時間旅行者は口を揃えて「歴史は変えられない」と言う。それでも事実として、時間旅行者の来訪によって人間の運命は変えられていく。それでもあなたは、「歴史は変えられない」と言いますか?
モクレール: まさかそれを聞くために、先の話を披露したのですか?
ジェイムズ: どうでしょうね。トラベラーコミュニティの先輩方に苛立つ気持ちがあったのは本当です。歴史とは人と人の繋がりによって構築されていくもの。人間ひとりに作用すれば、それは変化として未来を変える。「我々にできることは何もない」などと思考を放棄しないでいただきたい。怪談という、人々の間から生まれる物語に魅入られた身としては。
モクレール: わかりました。ですが、"歴史を変えようとするな"とは唱え続けるでしょう。我々には戦争を止める力もなければ、疫病を掃う力もない。我々は時間旅行者でしかない。大局は変えられず、確定した未来から愛しき人々を逃がすこともできない。本物の人間は、都合よく動く駒ではないのですから。
ジェイムズ: そうですか。
モクレール: そして、だからこそ──人々と接することに、意味はある。旅とは旅人の価値観だけでなく、旅で出会った人々の価値観も変えるものだから。今の今まで、それをすっかり忘れていました。岩を削る水のように、我々の足跡も過去に刻まれる。行く末を曲げ、その先に我々はいる。そう信じたい、今の私がいる。
ジェイムズ: 過去のあなたが、今のあなたを変えた瞬間ですね。1937年に彼女と出会わなければ、この現在はありえなかった。非情に興味深い。
モクレール: 90年の時を経て、ですか。これはまた、随分と長い時間旅行だ。
文・撮影・聞き手=秋月 幸水









