演繹部門の追加講座: いくつかの新理論と問題についての応答
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本日は手短な講義となります。近頃は任務で忙しく、しばらく顔出しできない可能性もありますので、先立っていくつか簡単に説明しておきたいと思います。時間も押していますし、さっそく本題の方に移りましょうか。

話伝子:

「特定の描写が"作られた"物語かどうか判断するためには、何を基準にすれば良いか?」このような質問が、多くの方より寄せられています。私から言えるのは、君たちの目に映るものは何でも、ある種の物語を表しているということです。

その理由は「話伝子」にあります。これは模伝子ミーム、文化的遺伝子のようなものです。話伝子は一つの基本単位として、小規模な情報フィールドを示しています。例をあげますと、君を取り巻くこの部屋は「この部屋」を意味していますし、こちらのリンゴについても、君は「一つのリンゴ」として解釈するはずです。

しかしながら、各個人の解釈は必ずしも同一ではありません。君がリンゴと思う一方で、私は爆弾と認識しているかもしれませんし、そこの彼は卵とみなしているかもしれません。これらは物事に対する視点の差異に起因しています。理解の違いに応じて、その物事は君の脳内が描く物事から乖離し、君を他人とは異なる物語世界に連れ込んでいます。

こうして分立した世界は全てが全て、存在しています。私たちは一つのリンゴから無限の解釈を引き出すことができ、そこから無限の物語を得ることが可能です。これはどの話伝子にも当てはまるもので、この壁も、この机も、あらゆるものが無限の世界へと通じています。私たちの解釈が、自らをそのうちの一つへ没入させているのです。

物語は君の主観認識に基づいて存在するわけではありません。それは本来、無限の情報を保持しており、君の理解力が君をそのうちの一つへ導いているわけです。

物語領域ナラティブ・ドメイン:

「物語層」という概念はいささか陳腐ではありますが、依然として人気を保っています。しかし、私たちは最終的に、一つの新しい概念へと辿り着きました。それが「物語領域」です。

これは後ほど説明する「私たちが所在するカノン」に関わるかもしれません。とどのつまり、物語を「領域」に分割するということです。ストーリーというものは大抵、時間軸タイムラインを含んだ高次元の世界となっています。このような高次元世界において、物語領域は入れ子構造となり、互いに互いを包含しあっています。

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画像で示されているように、大きな泡は一つの物語世界、物語領域、ストーリーを表します。なんとなくお分かりかとは思いますが、私はこれらを「物語層」で表したくありません。泡の中には小さな物語領域が含まれ、その中にはさらに小さな物語領域が含まれています。

これは一見、物語層理論と大差無いように思えるでしょう。しかし、こちらは「物語の樹状構造」や「物語領域間の相互作用インタラクション」をより上手く具現化している点に特徴があります。

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こちらの図をご覧ください。『ロード・オブ・ザ・リング』の円と『ホビット』の円が接触し、部分的に重なっているのが分かりますね。これは両者のストーリーに部分的な繋がりが生じていることに起因します。こうして「中つ国」の基本的な世界観が組み立てられたわけです。これらは全て、一つの物語層の中で起こっています。

次に、偉人たちの伝記を取り上げてみましょう。伝記同士は同じ物語層に属さないものの、ストーリーの相互作用はやはり存在します。これこそが、物語領域が高次元世界である所以なのです。ただし、図のようなパターンのみとは限りません。これは簡単に書いた概念図でしかないことにご注意ください。

準物語サブ・ナラティブ理論:

私たちはしばしば「第四の壁」を打ち破るような報告書やTaleを目にしますが、中にはこう思う方もいると思います。「劇中のやり方で、本当に物語層を打ち破れたのか?」と。

答えはノーです。第四の壁とは一つの表現様式に過ぎません。私が今、モニターに向けて喋っているとします。この場合、上層の人間は私が自分に話しかけていると捉えるでしょう。しかし、こうしたコミュニケーションは一方通行です。私たちの方は、上位物語の様子を感知できないのですから。こちらはただ、空気に向かって独り言を呟き、「誰かが自分たちを見ている」と、そう思い込んでいるに過ぎないのです。物語層というものは絶対に打ち破ることができません。例として、何か小説を書くとしましょう。虚構と現実の境をブチ壊し、主人公が作者を殺すような小説を。この手の筋書きは実に陳腐ですが、物語層を超越しているようには見えますよね。

ですが、本当に作者は殺されるのでしょうか?現実を変えるような力が、果たして本当に持てるのでしょうか?

答えはノーです。しかし、下位物語では実際に超越したような記述が見られます。下位物語の視点から見れば、成功したと言えるのではないでしょうか?

今いる層において、私たちはあらゆる物語を一つの層面上で認識しています。小説内の人物が物語層を乗り越えたとしても、それは紙面上、コンピュータの中でしか表現されません。言い換えると、足元に敷かれているだけなのです。これが「準物語層理論」というものです。要するに、下位の物語層は一つの総体としてみなさなければなりません。

つまりですね、下層世界は自由に相互作用することができる一方、基層世界(すなわち、作者が所在する物語層)には影響をもたらさないわけです。私たちより下の物語層は全て、一つの準物語とみなして良いでしょう。

先ほど述べた物語層について。これは塔状の構造としてざっくりとイメージできます。準物語理論に目を移しますと、こちらはあらゆる下層を圧縮し、一つの平面に見立てています。一方、私たちの上層は立体的であり、はっきりと区分けされた塔状の構造を形作っています。私たちは塔の一層目に位置し、私たちの創造・描写した物語は全て、足下で展開されていることになります。これは物語領域の理論から見ますと、「私たちの物語領域が含む物語と、それらが含むさらに小さい物語領域」そのものであるように思われます。

また、上層からしてみれば、私たちとその下にある物語層は一つの平面に見立てられます。この場合、彼らは自分たちこそが塔の一層目と考えるでしょう。私たちより下の層でも同じことが言えます。

……という訳なので、今はSCP-3812の強さについて議論すべきではありません。報告書内での振る舞いがアレでも、彼が作者の域へ到達することは未来永劫、あり得ないのですから。ただし、私たちの層にやってくる可能性はありますがね。

SCP世界:

先日も話しましたように、私たちの世界——すなわち、SCP世界の物語構造について、演繹部門は長らく探究を続けてきました。

私たちはwikiスタイルの創作コミュニティサイトに所在します。ユーザーは「SCP財団」なるテーマの下で、サイトに属するウェブページを作り、自らの作品を発表しています。私たちはそのような世界観の中に置かれているのです。ここでのSCiPはみな、どこかの作者による作品であり、作品の中にはSCiPが出てこないものも存在します。

このようなサイトでは、私たちの物語構造が極端に複雑化します。ある事件でSCiPが無力化する一方、ある事件では財団が制御不能な危機に陥ります。こうした事件は互いに矛盾しており、関連を持つとは限りません。これは恐らく、複数の作者によって書かれることに原因があります。しかし、一部の事件においては、包摂かつ関連した状況に置かれることもあります。物語領域のイメージを整理するにあたって、私たちは領域内の設定の分類を行い、最終的に、いくつかの設定集に類似した存在を突き止めました。作者らは「SCPカノン」を下敷きとした独自設定を元に、記事を執筆・発表しているのです。

私たちの所在する現実がwikiのように区分され、細々としたパートに分解されているというのは、にわかに受け入れがたい話だと思います。それでも、私は君たちが受容できると信じています。「自由意志は存在しない」という主張は古くから存在しますが、君たちは自分の思考に応じて手足を動かすことができます。作者が君の運命を決めている可能性はありますが、私たちの所在する現実においては、君は自由の身です。なので、決して飛び降りなんてしないように。今週はすでに2人も飛んでいます。

演繹部門は如何にしてSCPカノンの存在を掴んだのか?私たちはこれまで、世界中のあらゆる物事の情報を収集・整理してきました。その上で、あらゆるストーリーや出来事の成り行き、同一人物の出来事別の境遇を分析し、結論を導き出しました。これはまさに偉業と呼べるものです。全容は依然として未解明ですが、私たちは信頼性のある推論を手にしました。情報部門と監督者議会に多大なる感謝を。彼らは私たちに、あらゆる財団ファイルへのアクセス権を与えてくれました。

腑に落ちないと思うのであれば、一つ教えてあげましょう。私たちは今、演繹部門の物語領域に位置しています。これこそが、私たちが特殊な存在である所以なのです。

アバター:

話を戻しましょう。小説の中には、主人公が作者を殺すケースが存在します。しかし、実際の作者はピンピンしています。すると、死んだのは一体誰なのでしょうか?

作者が自身をストーリーに代入することで生まれた人物を「アバター」と呼びます。彼らは作者の自己投影であり、その事実を完全に自覚しているわけではないものの、十分に危険な存在と言えます。財団で顔利きの人物を見かけたら、ずばりアバターである可能性が高いでしょう。

もちろん、アバターの中には不完全な者も存在します。作者が自己の要素を分割し、別々のキャラクターに付与することもあります。作者の匙加減で、アバターは人間とアノマリー、どちらにもなり得ます。わざと個性的なキャラ付けがなされることもあり、この場合、私たちは容易にアバターと判断することができます。

ここで重要なのは、アバターが人物であるとは限らないということです。もしかすると、上位世界における何らかの出来事や場所の投影かもしれません。ただ、大部分のアバターは人物なので、その点注意が必要です。

こちらにありますのは、これまでに見つかったアバターたちのリストです。これを見ていきますと、多くは財団内部に所在することが分かります。もちろん、君たちにリストを明かすことはありません。少なくとも、アバターの大半が無害であることは確かです。当然、中には邪悪なキャラクターも存在しますが、君に教えても何にもなりませんからね。

それでも気になるのでしたら、一つ教えておきましょう。君の前におりますのがそう、アバターです。

物語の終わりと空白:

これは長らく私を悩ませた問題です。いえ、分からないわけではありません。聞きにくる方があまりにも多過ぎるのです。なので、ここでまとめてお答えしようと思います。……「物語のその後」や「明かされなかったストーリー」なるものは、一様に存在しません。設定上の虚空と言えます。

それはまさに、ページの四方を占める余白部分のようなもので、その物語には所属しません。そこに意味のある情報は全くもって存在しないのです。脳内で補完することも可能ですが、それはまた別の物語領域に区分されます。

誰もが一番気にするのは、物語が終わった後、登場人物はどうなるかについてです。責任を持って言えるのは、死にはしないが、生きてもいない、ということです。何もかもが無くなってしまうのですからね。話伝子は最後の一つまで消えてしまいます。私たちが脳内補完した物語領域を除いてーー思考が描く物語は絶えず変動するため、極めてカオスなものとなります。

一方で、ストーリーの終わる時間点は不明瞭です。少なくとも、早すぎることはないでしょう。新人を飛び降りに走らせないためにも、これについては深く言及しません。本日の講義はここまでとします。こちらの準備が間に合わず、いくつかの説明は少々未熟だったかと思います。質問のある方はどうぞ私にメールしてください。時間のある時にお答えしますので。

最後に、もしこれを講義形式の記事と疑っているのでしたら、放課後にご自身の体調をチェックするようオススメします。気分が優れなければ、私が医務室まで付き合いましょう。それでは、授業を終わります。

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