小噺 ~酩酊街~
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しばらくのあいだお付き合いを願いますが。

昔はお金のことをお足と呼びました、これはまあ、落語なんてものを聞きたがる様な人なら知っていることだとは思います。何故お足というか、これはお金と言うものは足が生えたようにあっちやこっちへ動き回り、気付いたときには財布の中はすっからかんてなことがあるためだなんて説があります。

江戸っ子はこの足がとにかく速く夜に儲けた金を朝までに使ってしまうというからとんだ韋駄天小僧。宵越しの金を持たないのが誇りというのですからおかしなものです。この足が向かう先とは昔から決まっておりまして呑む打つ買う。打つは博打、買うは女、そして呑むはもちろんお酒でございます。

このお酒というのもまた厄介なものでございまして、適量であれば百薬の長、そんじょそこらの病気は寄ってこれませんが、度が過ぎると寄ってこないのは知人友人のみならず親族に世間。壊れるのは体だけでなく心や関係なんてのも凍り付き、これが本当のあると凍るアルコールてなもんで。ただまあ、人と言うものは危険だろうと欲のためには飛び込んでいく因業な生き物でございます。今日はそんな金と酒の話を一席。




八五郎「隠居さん、こんちは!」
ご隠居「なんだいなんだい騒々しいねえ、誰かと思えば裏の八つぁんかい、どうしたんだ、まま、おあがり」
八五郎「へぇ、ま、あのですね、用ってほどのこともねえんですが実は折り入ってご相談がありまして」
ご隠居「なんだい改まって。ヤな予感がするね」
八五郎「へへ、他でもねえんです。酒をくれ」

ご隠居「……ばあさん箒持ってきな、今からこの馬鹿を叩きだすからね」
八五郎「いやいやいや、叩きだすなんてひどい」
ご隠居「ひどかないよ、え? なんだい、人の家にずかずか上がってきて開口一番酒だ? そんな失礼な話があるかね」
八五郎「話を聞いてくださいよご隠居さん、これには長屋の井戸より深いわけがあるってんで」
ご隠居「あそこの井戸は最近埋め立てたよ」
八五郎「そんな屁理屈言わねえでくださいよ、そのわけってのがね……」

八五郎「竹の野郎から聞いた話なんですが、なんでも酔っぱらってなきゃ行けない街ってのがあるんですって。そこは竜宮城みたいなところで朝から晩まで酒を飲んで嫌なことはぜーんぶ忘れられるって夢みたいな場所なんだそうです」
ご隠居「ふん」
八五郎「でね、話はここからが本番、三つ隣の町に稲荷さんがあるでしょう? あそこがその街へ行く入口になるってんですよ。竹も人から聞いた話だってんですが、酔っぱらったまんま夕方にそこの鳥居を三回行ったり来たりしてくるっと逆立ちをする。するってえと知らねえ場所にいて、色っぽい姐さんがちょいとアンタ、と肩を叩いてくれる。そこがその街への入り口だってんです。どうです? こんな話聞いて試してみてえとは思いませんか?」

ご隠居「……お前さん、馬鹿な話を真に受けたねえ。そんなもんは子供でも騙されない与太話だよ」
八五郎「与太話ィ? 試してもみねえでなんでそんなことが。よく言うじゃないですか、百分に一分はおかず」
ご隠居「それを言うなら百聞は一見に如かず、だな」
八五郎「あ、そっか。ならその一見に如かず」
ご隠居「まあそう言われちゃ言い返せないが。ただその話が本当だとしてだ、私がお前に酔っぱらわせるほど呑ませて何の利があるね?」

八五郎「ふっふっふ、そこなんですよそこ。そこが他の奴と俺の目の付けどころが違うって話で」
ご隠居「前置きはいいから話しなよ」
八五郎「隠居さん、俺は隠居さんに金を借りている」
ご隠居「そうだな、こないだ二分貸したな。返してくれるのかい?」
八五郎「いいや、でも今話したそこへ行けば返す算段があるんですよ」
ご隠居「む? どういうことだい」

八五郎「お、興味を持ったなごうつくジジイ」
ご隠居「ばあさん鎌持ってきな」
八五郎「冗談、冗談ですよ、嫌だなあ。……で、算段ってのがですね、そうやって行った場所はまだその街じゃないんですって。何でもそこに行くまでの道で、そこには色んな忘れもんがあるんだと。その忘れもんってのに聞いた話だと金銀財宝が混ざってんですって。だからそれをこう、ちょっと、ね。ほら、拝借して、ね」

ご隠居「盗みを働こうってのかい、ふてえ野郎だ」
八五郎「盗みじゃねえんですよ、ほら、考えてくださいよ、あくまで忘れもんなんですよ? それもそんな妙なとこにある。それを拾ってね、世の中に返してやろうってんじゃないですか」
ご隠居「まあ、それだけ聞きゃあ物拾いを仕事にしている人間もいるが」
八五郎「でしょう? 俺は儲かる、隠居さんは金を返してもらえる、忘れもんはいつか回り回って持ち主に届くかもしれねえ、全員が万歳だ! 万歳三唱! そーれ! ワーイ!」

ご隠居「騒ぐんじゃないよまったく。……まあ、いいだろう、別にお前さんなんかに貸した金が戻ってくるとは思っちゃいねえさ。呑ましてやるよ」
八五郎「いいんですか?」
ご隠居「何で驚くんだ。いやなに、私もね、そういうもんがあったら面白いと思わないでもない、夢に金を払ったと思って呑ませてやるさ」

八五郎「ありがとうございます! いやあ、流石隠居さん! 気前がいい! ワーイ!」
ご隠居「ただし、この酒はあくまで貸しだ。この前貸した金に酒代を足しておくだけのことだからね」
八五郎「わーい…………、ま、いいや、呑めるってんならそれに越したことはない。よし、上等の酒持ってこーい!」

ってんでこの八五郎、隠居さんとこでしこたま酒をかっくらい、へべれけになってふらふら~、ふらふら~、となんとか三つ隣の稲荷さんまで辿り着きまして。

八五郎「へっへっへ、……こう、ね、ちょいといい気分だねぇ。やってきましたぁ~、おいなりさぁ~ん。……何で来たんだっけ? えーっと、隠居さんのとこで沢山お酒ごちそうになったのは覚えてんだけど。……あぁ、そうそう、ここの鳥居をね、逆立ちで~、三回行って来て~、財布の中全部賽銭箱に放り込んで、でんぐりがえしでワン! ……へっへっへ、なんか違うような気もするなぁ。……あれ? おや? 鳥居が見えなくなっちまったよ? 一体どうしたってんだ、そこまで酔ってるつもりはねえんだけどなぁ」

八五郎、ぐるりと回りを見回しますが、そこには鳥居どころかさっきまでいたはずの町も見えません。

八五郎「周りはガラクタばっかりだね、あっちの方が明るくて騒がしいけどなんか祭でもやってんのかね。……ん? 物がいっぱいあって、どこかに行く道ってことは」
  「ちょいと、お前さん」
八五郎「! そうだそうだそうだよ、ここがその場所だよ! ってことは今肩を叩いてるこの手は、色っぽい姐さんってことで……、はぁ~い! ……不細工だね。煮しめた芋みたいな顔だよ」
  「なんだい藪から棒に、失礼じゃないか」

八五郎「いけねえいけねえ、つい口が滑った」
  「失礼を上塗りしてるんじゃないよ。それはともかく、お前さん、何だってこんな場所にきたんだい」
八五郎「へぇ、それがかくかくしかじかってんで」
  「はぁ、ここの話を聞いて、ガラクタで金を返そうと、……はぁ~、バカだねえ、お前さん」
八五郎「バカてななんだ! それならおめえは不細工! おかめ! 使い古した雑巾!」
  「流れるように悪口を言うね。まあ、話を聞くにちゃんと伝わってなかったようだから仕方ないんだろうけど。お前さん、ここがどこだか分かってんのかい?」

八五郎「そりゃあ、竜宮城へ向かう道なんじゃないのかい?」
  「道てのは間違いじゃないけどね。ここは忘れられたモンの来る道なのさ」
八五郎「へぇ~」
  「で、この道は一方通行、帰ることはできないんだよ」
八五郎「へぇ~」

  「分かってないね」
八五郎「分かってるよ、ここは忘れもんが集まるんだろ?」
  「だからお前さんはこのままじゃあ、家に帰ることはできずに、一生ここかあの街に行くしかないんだよ?」
八五郎「……? するってぇと何かい? ここに来た奴は帰れないってことかい?」
  「最初っからそう言ってんだろ」
八五郎「やだー!」

  「やだじゃないんだよ、ああ、腕を振るな、地団太を踏むな、子どもじゃないんだから」
八五郎「やだやだ、やだよお! 俺はまだやりてえことがたくさんあるんだ! まだ伊勢参りにも行けてねえし、かかあだってもらってねえ! どうにかなんねえのかよ!」
  「……仕方がないねえ。ここから出る方法はただ一つ、何かお前さんが忘れたもんを思い出すことさ」
八五郎「忘れたもんを? そんなの簡単じゃねえか!」
  「おやおや、本当にそうかい? ここはね、どんどんいろんなことを忘れていくんだ。それでそのうちにあの街に辿り着いて酒だけ飲んで全部忘れる輩になっちまう。お前さん、名前は? 覚えてるかい?」

八五郎「バカにすんじゃねえよ、そんなもん忘れるか! 俺の名前は、は、は、は……」
  「くしゃみでも出そうかい?」
八五郎「ちげえよ! 俺の、俺の名前は……、なんだっけ?」
  「そら、言ったろ。いや、ここまで早いとは思ってなかったけど、酒の回りが速いか余程の粗忽だね」
八五郎「と、とにかく探しゃいいんだな? 俺は、俺は帰るぞー!」

と、意気込んだのはいいんですがこの八五郎、生まれついての粗忽者、あっちはどうだ、こっちはどうだと探し回ってるうちにすっかり道に流れている酒気に当てられたと見えまして。

八五郎「うぃ~……、ひっく、もうねぇ、よくよく考えればねぇ、いいんじゃねえかなあって。こういう風に機嫌よ~く酔っぱらって、それでな~んにも忘れちゃえば、いいじゃねえのねえ。そうだそうだよぉ~、お足もすっかり稲荷さんにくれちまったし、忘れて何が悪いぃ~! 俺は、もういいや! あの街に行っちまおう~!」

ってんでよろよろふらふらと、街の方へ。街はどんちゃんどんちゃんと騒がしく、八五郎も笛を吹く真似なんかしながらひょこひょこと歩いていこうとして、はたと足が止まりました。

八五郎「あれ~? おっかしいね、右の足がね、動かないんだなぁ。なんかどっかに引っ掛けたかな、と?」

言いながら足を見ると。

八五郎「ひえっ! 手だよ、誰かの手だけが俺の脚を掴んでるよ! なんまんだぶなんまんだぶ、なんだよお、俺は幽霊に足捕まれるような真似はしてねえぞ。勘弁してくれ勘弁してくれぇ! 俺はもうちょっとであの街に行けるんだから掴まねえでくれよぉ。なんまんだぶなんまんだぶ、うぅぅぅぅ……」

八五郎「? 待てよ? さっき見た幽霊の手、どっかで見た気がするね。もう一度……。そうだよ、この入れ墨は……、そうだ! 隣町の兄貴だ! いや、でもなんだってんで兄貴が俺の脚を? ……そうか、そういや兄貴にも借金があったね。畜生あの野郎、俺があっち行けば借金も帳消しになるってんで掴んでやがるな? そうはいかねえ、這いつくばってでも行ってやる」

八五郎、掴んだ手の正体が分かると足を引きずって街の方へ向かいます。しかしこれがまたぴたりと止まり。

八五郎「……こんどは左足だよ、一体誰だい。この節くれだった手は三矢屋の番頭だね、あのときはおごりだって話だったのにあとから「すまねえ八つあん、金が入り用でな」なんてこと言いだしやがって、女みてえな野郎だよ。負けるもんかい、俺はあの街へ行って毎日飲んで……、また手が増えたよ、あ、隠居の手だ、くたばりぞこないが。こっちは竹の野郎だね、こっちは熊の奴だ、なんだいなんだい、みんなして俺の足を引っ張りやがって!」

八五郎の足にはすっかり両の手で数えられない手が絡みついております。八五郎、これはもうたまらんと。

 

八五郎「なんだいなんだい! これじゃあ、酔いが醒めちまう!」

 

そう叫んだとたん、八五郎の前の景色が吹雪のようにびゅうと消えたかと思うと、ぷっつり、八五郎は気を失ってしまいました。目を覚ますとそこはすっかり朝になった稲荷の前。やれやれ酔っぱらって変な夢でも見たのかなと思って足を見ますと、そこには何人もの蒼い手形。ようやくあれは夢じゃないと気づきますと今度はやおら背中が寒くなり、一目散でご隠居さんのところに戻り事の次第を話しまして。

八五郎「てなことがあったんですよ」
ご隠居「ははは、まったく間抜けな奴もあったもんだね。だがよく戻ってきたよ、これに懲りてこれからは与太話を真に受けるなんてのはよしな」
八五郎「へぇ、今回ばかりは肝が冷えました。ずっと掴まれてたからか足も痛くて仕方がねえし、賽銭放り込んで一文無し。しばらく歩くこともできねえ脚気煩いです」

ご隠居「しかし借金てのは悪いもんだとばかり思っていたが、何が世間様との縁になるか分かったもんじゃないな」
八五郎「じゃあ俺は借金に助けられたわけですから、これからも存分に金を借りればいいってことですかね?」
ご隠居「バカなこと言っちゃいけないよ。そんな考えで今回は引き込まれかけたんだ。もう二度と行くんじゃないよ」
八五郎「そりゃもちろん、なんせもう」

 

八五郎「そこへ行くお足がありませんもんで」




おあとがよろしいようで。

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