煙鬱島の██少女 小川晴ちゃんへの友情
石榴倶楽部 会報
煙鬱島の██少女 小川晴ちゃんへの友情
2746
《御品書き》
【食前酒】
清酒
【前菜三種】
湯豆腐
ザクロ酢醤油
ホタルイカのお寿司
【椀物】
柚子の御吸物
【向付】
ザクロとイシガキダイのお造り 山葵を添えて
【強肴】
ザクロ炉端焼き
【ご飯】
釜炊きご飯
【お食後】
抹茶羊羹 蜂蜜どら焼き
《食評》
清酒が一口、喉を通り過ぎたなら、澄み切った口当たりが美食に相応しい食欲を誘います。
ホタルイカのお寿司を侵す湯豆腐の滑らかさは、組み合わさって恬淡かつ暖かな味覚体験を生み、新鮮なザクロ酢醤油とは鮮明な対比を創り出します。二つの異なる食感が舌の上で交錯する様は、何とも奇妙な心地でした。
柚子の御吸物のさっぱりとした口当たりを頭から爪先まで伝わせたなら、前のお皿が残した温もりにお別れを告げて、次なる美味の幕を開きましょう。
ザクロとイシガキダイのお造りはとても繊細なお味でした。一口目に感じたものは、わずかな血腥さと据わりの悪さ。まるで生きたザクロへ噛み付いたよう。けれど一旦目を閉じて、頭の中からしばしの間視覚を追いやってしまえば、素早く通した火の暖かみは鼻をつく刺激的な血の匂いの活気と一つになり、高貴なイシガキダイの風味も相まって、唇と歯の間のザクロが命を取り戻したかのような、比類なき体験を得られました。
その次に運ばれてきたザクロ炉端焼きは、ザクロの食感をいっそう生き生きと取り入れていました。小さな炎の上で蒸気を燻らせる炉端焼きは、生まれたばかりの赤子にも似て、昔懐かしの喜びを口元へ掻き立てました。
釜炊きご飯が食卓に彩りを添え、二つのデザートがお料理を円満に締めくくりました。
《紹介》
この度倶楽部の盛宴を彩りましたのは、そのザクロをケトン体の上へと花開かせた小川晴ちゃんの貢献に他なりません。
歳は19、血液型はO型、全身の筋肉と皮膚へごく僅かに残る古い傷跡は、彼女が愛用の太刀で刻苦勉励した証でしょう。その身体は正に完璧で、引き締まった筋肉は長年の鍛錬の力強さを、しなやかな身なりは若さのみが備える未熟の美を示していました。
晴ちゃんは煙鬱島で一番秘密のお屋敷、つまりは迷宮よりいらした代弁者で、あたかも私たちの傍へ漂う神秘的な蛍の光のようでした。一年前の夏、静まり返った真夜中に、京都の街を歩く私と、私を見つけ出した彼女。それが私たちの出会いの始まりでした。
あの時の私は、彼女が私に関する情報の一切を易々と言い当てたことにひどく驚いて、それを鼻にかけもせず謙虚な表情のままでいる彼女にも、また驚いてしまったのでした。
あの夜、彼女は京都の街角で、諜報員の身の上も押し付けられた重責も、砕けた口調で軽々と打ち明けてしまいました。さながら彼女が、私の長いこと忘れてしまっていた旧友だったかのように。
星降る交差点にて、彼女はさよならを言う前に、こんな頼み事をしたのです。
「一年間だけ、友達になってくれない?」
不思議なお願いに私がはい、と答えるのを聞き届けると、彼女は笑って振り向き、夜の帳へと消えていきました。
それがこの一年で、彼女との一度目の、最初のお別れでした。
一年間、彼女は私と倶楽部の傍にずっと居てくれました。初めは疑いや恐れを抱いていた私たちも、次第に彼女と仲を深め、時間という名の風が友情の結晶を凝縮させました。
晴ちゃんから付かず離れずの神秘性が消えることはありませんでした。彼女に倶楽部へ加入するよう勧めたこともあったけれど、一笑に付されてしまいました。泣く泣く連絡を断ってみたあの日も、次の朝になればいつも通りに、彼女は街角のファーストフード店で待っていました。
段々と、私たちはこの感覚をはっきりと、最も素朴な友情であると表現できるようになりました。長い年月の前置きもない、たった一年の間に築き上げた友情です。
彼女は私たちの生活に過度に首を突っ込むことはなく、ましてや所謂「なぜ」の問いを投げかけることもありませんでした。それでも、彼女は別れの言葉もなしに去ることも、裏切ることも無かったのです。彼女は電話口でいつまでも駄弁り続けることのできるサークルの同志であり、ショッピングモールをぶらつきながら古い噂話で盛り上がれる同級生でした。
周りの人々が得られた成果に目を眩ませている時でさえも、彼女はその裏側にある苦労と献身を気にかけるような人でした。
運命の流れへ出し抜けに挿入された一年間の友情、その唐突さに最も驚いているのは他ならぬ私たちです。彼女はその最後まで、神秘のベールの向こうに真心を抱き続けた、人生の贈り物でした。
ついに一年の時が過ぎ去り、頂いた時計の針が止まったその時、私たちは彼女の言った「一年間だけの友達」の意味を知ることになりました。
今日がこの一年で、彼女と二度目の、最後のお別れです。
《調理に際して》
晴ちゃんの太刀には「葬火」という名が付いています。詳しい知識が無いため専門的な評価はできないのですが、持ち主である晴ちゃんにぴったりの、厳かで素敵な刀です。
今日のザクロ料理は、晴ちゃんが自ら「葬火」を操って、この場で調理してくれました。そして食材となったものは、彼女自身です。
他の食材も次々と食卓に運び込まれ、晴ちゃんは一糸纏わぬ姿で食卓の上に跪き、ありのままの身体を見せると、「葬火」をきめ細やかな肌へ滑らせました。
晴ちゃんの握る太刀が、時に包丁のように、時に彫刻刀のように、時に本物の武士の刀のように見えました。鋭い刃に切り裂かれながらも、彼女は敵う者なき匠の顔を見せていました。時折寄せる眉間の皺が、彼女が受けている途方もない痛みを伝えます。けれど表情を歪めるのもたった一瞬のことで、すぐに泰然自若、一意専心の面持ちへと戻ります。
脂肪に逢うては切先で軽やかに斬り、神経に逢うては刃で両断、骨に逢うては刀背で砕く。肢体はタンポポの綿毛のように飛び立って、ザクロの花を芽吹かせます。
彼女はザクロを作る全ての工程において、匠の心構えを貫きました。動脈より噴き出す血を、溢れる骨髄を、意に介することはありませんでした。やがて葬火は着々と血の色に染まり、血は炎へ転じました。暗赤色の火炎が切り取ったザクロの表面を包みます。驚いたことに、この炎でザクロの熱処理を行っていたのです。生のものから火の通ったものまで、ザクロ酢醤油、ザクロとイシガキダイのお造り、ザクロ炉端焼きが次々と完成して、空中からお皿の上に盛り付けられます。そこへ少々の飾り付けを足したならば、すぐにでも宴会を始められるようになりました。
嵐のごとき調理は、その身を烈火へ焚べる構図でフィナーレを迎えます。晴ちゃんは葬火を高く掲げ、それを喉へ一息に押し込みました。太刀は主人の喉を貫き、彼女の体を真っ直ぐ串刺しにしました。穴だらけになった胸と腹の格子の向こうで、澄ました刃がきりりと光っていました。彼女の残骸が血濡れの芸術品として完成したその刹那、暗赤色の火焔が彼女を呑み込み、一切を灰燼へ帰しました。
空へと昇っていった炎のひと欠片は、私たちの宴席が終わるまで散ることはありませんでした。彼女が以前、私たちへと語った言葉を思い出します。最後まで友達の傍にいられて、最も素朴な形で自然に燃え尽き、大切な人の糧になれるのなら、この命は新しい一歩を踏み出せるだろう、と。これで本当に良かったのかどうかはわかりません。けれど宴席が終わった時、私は消えていく炎から、満足げに囁く「ありがとう」の声を聞いたような気がするのです。
これは私がこれまでに見た中で最も美しいザクロ料理であり、最も深く記憶に残る友情です。
(記・秋津)
ページリビジョン: 5, 最終更新: 20 Feb 2024 14:38