好事魔多し
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好事魔多し
何かが上手く行っている時ほど邪魔が入りやすいということ。


ヘルメースは上機嫌であった。彼は今しがたビジネス上の話を成功裏に終え、帰路に着いたところである。彼も神の1柱というからには瞬間移動のような芸当も出来ぬではないが、そこは交通と道の守護神故にか、最寄りの神界ポータルまでは徒歩で移動するのを好んでいたのだ。

このまま行けば3年以内には正式に会社を立ち上げることができるだろう。共同経営者への良い土産話ができたと喜びつつも、この国の「好事魔多し」という言葉が頭の片隅に置かれていた。こういう時こそ調子に乗ってはならない、勝って兜の緒を締めよ、身を引き締めてかからねばと、決意を新たにする。

あと2つ角を過ぎれば目的地という所で、彼はそれに遭遇してしまった。物陰から顔をのぞかせたそれは、ただの蛇のようにも見えたが、よく見れば胴体が膨らんでいるようだ。人間のオカルト雑誌で見たことがあった「それ」は、ツチノコと呼ばれるモノに違いなかった。これは面倒事に巻き込まれたものだとヘルメースは思った。


同じ頃、トートもまた近くの小道を歩いていた。今日はヘルメースとは別行動で、市場調査に繰り出していたのだ。人間のそれとは大幅に形の違う頭部を幻術で隠してまで徒歩で帰るのは、社長のそれとは違う理由ではあったが、やはり彼の神格としての性質、書物の神という側面を反映したものであることには違いなかった。

彼が足を止めたのは奇妙な雰囲気の漂う古書店の前であった。勿論古書店というものは多かれ少なかれ独特の雰囲気を漂わせる場であるが、彼はこの店に、これまで出張先で幾度も訪れた幾つもの書店のどれとも違う雰囲気を感じ取っていた。深呼吸を一つ。

彼はこれまで、古今東西あらゆる書物を収集し、その知へと還元してきた。そして、もしやこの店ならば自分のお眼鏡に叶う稀覯本もあるやもしれぬと、そう感じたのである。そうしてその予感は的中した。意気揚々と店内に足を踏み入れた彼の目に映ったのは、"ネクロノミコン"と、背表紙に書かれた一冊の本であった。これは珍奇な物を見つけてしまったなとトートは思った。


ツチノコ、70年代に大ブームを巻き起こした昭和オカルトブームの立役者。そんなモノが一体どうしてこのような街中にひょっこり顔を出しているのか。そんな疑問は兎も角として、向こうはこちらが人ならざるものである事に気付いたらしかった。

「アンタ…神さんやろ?しかもこの国のやない。」
「えっ、喋った。」

ツチノコというだけでも随分と驚きの出会い、それに加えてその蛇の口からは日本語が飛び出してきた。これには流石のトリックスターも驚きを隠せない。つい率直な感想が口から出てしまう。

「うぃー…そら喋るよー。」

しかも酔っ払っている。そういえばオカルト雑誌には「ツチノコは日本酒を好む」などと真偽不明の怪しい記述があったような気がする。どうやら真だったようだ。

「これは失礼いたしました。貴方は…ツチノコ…ですよね?」
「まあ…今はそう…呼ばれとるな…。昔は…昔言うてもまだ神話の時代の頃やけども…八岐大蛇って言うたらわかるか?それが一応…本名って事になんのかな?」

酒のせいか、途切れ途切れに喋るツチノコ。待ってほしい、この蛇は今聞き捨てならないことを口にした。八岐大蛇、異国の神とは言え、その名を知らぬヘルメースではなかった。まさかそんな強大な怪異がこんな所で人間のオカルトマニアに追いかけ回されているなどと誰が想像しようか。

酔っ払いの戯言と片付けてもいい。こんな面倒ごとに首を突っ込んでいくなど非合理的だ。だがヘルメースはこの蛇に幾許かの興味を抱いてしまった。本当に八岐大蛇と言うならばここで交流を持っておくのは良い事だし、ツチノコの知り合いを作るのも悪くはなかろうと。

「八岐大蛇ですか。存じ上げておりますよ。随分と有名人、いや有名蛇じゃないですか。」
「おぉ…そう言ってくれるとありがたいもんだなぁ…。」
「ここではなんですし、せっかくですからそこの喫茶店にでも。」
「あ…でもよぉ…店員や他の客に見られんようにしてくれよ…これでも賞金首でなあ…。」
「ご心配なく。その手の幻術の類は得意ですから。」


ネクロノミコン、もしかすると世界で最も有名な魔道書と言えるかもしれないそれは、フィクション作品の中のものである。少なくともトートはそう認識していた。あれに魔術的価値は存在しないはずだ、大方熱心なファンが作ったものがたまたま流れてきたのだろうと。それでも、ラヴクラフトの作品を当時から好んで読んでいたトートはどうしてもその本に心を惹かれ、手に取った。

背表紙に触れた瞬間に力を吸われる感覚があった。直後その本は、厚み、デザイン、タイトル、全てを変化させた。新たに現れたタイトルは"Les Prophéties de M. Michel Nostradamus"、日本語訳すると「ミシェル・ストラダムスの予言集」となる。近頃日本中を騒がせている元凶の原作…と言ったところか。

「これはもしや本の付喪神…でしょうか。初めて見ましたが。」
「私の正体を一瞬で看破されるとは…相当博識なお方とお見受けいたします。」

本が話しかけてくる。読書というものは文字を介した著者との会話である、というのが彼の持論の一つであったが、こうして実際に会話するというのは全くの初めてであった。

「表紙を"擬態"してこの書店に?しかし不可解です。まるで私が手に取ることがわかっていたかのようですね。」
「分かっていましたとも。なにせ予言書ですので。力を失う前にこの表紙になっておけば、いつか相応しい者が現れて私を手に取ってくれると。まさか神様だとは思いませんでしが。」

喋る上に予言までするとは、なんとも興味深い本に出会えたものである。これは何としても購入したいものであったが…。

「しまった、日本円の持ち合わせがない。」

財布の中の硬貨はほとんどがオボルス銀貨で、日本のお金と言えるものは100円玉が2枚だけ見つかるのみであった。一方でこの喋る予言書は、その真の価値にこそ気づかれていないものの、古いというだけあってそれなりの値札が貼られている。

「でしたらこうしましょう。」

言うが早いか、その本は再び形を変え、「ノストラダムスの大予言」になっていた。

「この本、最近は投げ売りされているようでしてね…200円あれば足るでしょう。是非とも私を持ち帰ってくださいな。」

なるほど、コイツは自分よりは社長に似た思考をしているらしい、とトートは思った。もちろん口には出さなかった。


数分の後、そこには随分と意気投合した神と蛇の姿があった。

「どうですかオロチさん、ウチで働きませんか。人間に追われることはもうありません。それに、その溢れんばかりの妖力、魔力を我々に提供してくださるなら、見返りとしてお酒は支給しますよ。」
「えー…そりゃあなかなかいい話やないかぁ…。」

酔っ払いを説得し、強引に雇用契約を結ぶ行為に多少の罪悪感が無いではなかったが、これがwin-winの関係であることは確信していた。この時代、行き場を失った怪異の辿る末路は悲惨である。人間に捕まって見世物にされるか、逃げおおせても、世間に忘れ去られるといつの間にか消えてしまうのだ。いや、消えてしまうという言い方は少し違う。どうも何かに飲み込まれてしまうらしいのだ。そういう噂をヘルメースは聞いたことがあった。

「ともかくうちのオフィスを一度見に来てください。きっと気にいると思いますよ。」

彼は支払いを終えると、ツチノコを腕に抱えてそそくさと店を出た。


トートは小脇に本を抱えて歩いていた。急いで自室へ戻り、この稀覯本をコレクションに加えたかった。幸いなことに目的地はもうすぐで、瞬間移動も使うまでもない。普段は仏頂面の彼が珍しく笑顔を浮かべながら交差点に差し掛かったところで、馴染みの顔に出くわした。

「社長。」
「おや、トート。君も帰りか。」

しかし馴染みの顔の下には馴染みのない爬虫類の顔がある。まさかこれを社で飼いたいなどとは言い出すまいかと少し身構えるトートであったが、目の前のギリシャ神の放った言葉は少し違っていた。

「彼を雇いたいと思ってね。」
「えっ。」

なんとまぁこの神は蛇を従業員として雇いたいというのだ。頭がおかしくなってしまったのか。いや、まさか、自分はこの商売の神を信頼してここまで付いてきた。断じてこの方は狂人などではないはずだ。目も真剣だ。第一自分も得体の知れぬ付喪神をここまで連れてきてしまっているではないか、お互い様だ。

「ま、まぁ兎も角。話はオフィスで聞かせてもらいます。」
「もちろん、君のその大事そうな本についてもね。」
「あっ。…はい。」

東京の街、その交差点に集った超常なるモノ達。人の街にひっそりと息づく怪異達を夕日が包み込んだ。


交路魔多し
四辻には怪異が集うということ。古来より四辻は異界との境界とされてきた。

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