滑稽噺:お菊の井戸
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本日は学生さん達に聞いていただくっちゅう事で、少し新しいお話をしたいと思います。世の中には温故知新っちゅう言葉がありますね。故きを温ねて新しきを知る。私の好きな言葉でございます。落語なんてのは歴史のある芸能なんですが、物事は古いばっかりではあきません。例えばある酒屋さんで──

「おお。このワインは随分古そうやね。」

「ええ。10年も熟成してますさかいに。」

「へえ。この値段で10年も熟成してんの? ほんまに?」

「ええ、ワイナリーで5年、この売り場で5年。」

なんてな具合で、古いばっかりではあきません。物事っちゅうのは新しくなっていくもんなんですね。かと言って新しいばかりでもあきません。私のような人間は、物事があんまり一遍に新しくなるとついて行けなくなりますから。この前私は車を買うたんですが、最近の車は凄いですね。車体にセンサーが付いてたり、インターネットに接続してまして、何かあると言うてくれるんです。「前との距離が近くなってますよ」とか、「この先は雪が積もってますよ」とか。ただ、私は運転が不得手なんでね、最近はずっと「車体のふらつきが大きくなっています。居眠りしないように休憩を取りましょう」と言うてくるもんですから音声を切ってしまいました。

新しくなっていくものといえば、怪談話だってどんどん新しくなってますね。インターネットのあるサイトにアクセスしたら呪われるとか、SNSでフォローしてはいけないアカウントがあるとか。ただしね、一番怖いのはそんな物じゃあありません。うちの師匠が今までワンクリック詐欺に5回、ツークリック詐欺に6回遭ってはるもんですから、そんなお話じゃあ怖くもなんともありません。師匠が送ってしまった私の個人情報がどんな風に使われてるかが一番怖い所でございます。

怪談と言えば主役は大抵お化けになるもんですが、落語には怖くないお化けもぎょうさんおります。ある真昼間、男が家でぐーたらしてると──

「ばあっ!」

「わあっ! おい! おい! お化けやないか! どうして昼間なんかに出た! お化けやろお前! 昼に出る奴がおるか!」

「夜はお化けが出て怖いじゃございませんか。」

落語にはこんな気楽なお化けがおるもんなんですね。今日のお話はそんなお化けのお話です。
 
 
 
ある町に保吉さんと清八さんの仲良し二人がおったんですが、保吉さんはおっちょこちょい、清八さんはしっかり者っちゅう正反対の性格をしておりました。その日の夜も保吉さんが急に清八さんの家に押しかけまして──

「おい! おい清やん! この町一番の美人っちゅうのが誰か知っとるか?」

「急やなお前は。3丁目のみっちゃんと違うの。」

「それが違うらしいねん。8丁目に大きな屋敷があるやろ?」

「あれは空き家や。」

「そうや。あそこは昔青山鉄三あおやまてっさんっちゅうお金持ちのお屋敷で、そこに美人で有名なお菊さんなる女の人が働いてた。」

「昔の話やろ。」

「おう。それでな、鉄山はお菊さんに惚れてたんやけど振られて、その仕返しにと、お菊さんに任せていた十枚の高いお皿のうち一枚をこっそり隠して、お菊さんに目の前で数えさせた。」

「酷い事するなあ。」

「それでお菊さん、「一枚、二枚、三枚……」と皿を何遍数えても九枚しか無い。一枚足りず、窃盗っちゅう事になってしまって、鉄山に斬られて屋敷の井戸に落とされてしまったそうなんや。」

「じゃあ死んでる。」

「ああ死んでる。けどな、ある晩、鉄山が井戸の近くを通ると、「一枚……二枚……三枚……」と声がする。鉄山が見に行くと、井戸からぬっと白い装束を着たお菊さんが身体を出して、皿を数えてるんや。お菊さんが「九枚!」と恨めしそうに叫んだら、鉄山それで事切れてしまって、毎晩丑三つ時にそんな声がするもんやから屋敷には持ち手がつかず、そのままになっているそうや。今晩も多分出るで。」

「おう。」

「行こう。」

「おいおいおい。「九枚!」って叫ぶのを聞いたら死ぬんやろ? じゃあなんで行くねん。」

「よう考え。鉄山お金持ちや。それが召使いのお菊さんに惚れるって事は相当の美人って事やろ?」

「おう。」

「行こう。」

「行こうやあらへん。美人を見たら死んでもええっちゅうんか。」

「九枚で死ぬんやったら、七枚くらいで走って逃げたらええがな。清やん、肝試し好きやろ。一緒に来て。」

「俺は五枚で逃げたるからな。」

そんな事で、二人はあっさりその屋敷の井戸に出発してしまったんですね。月明かりのある夜で明るかったんですけれども、辺りは静かで、言い出しっぺの保吉さんも怖くなってきました。

「なあ、お菊さんは「九枚!」聞かなければ大丈夫やろうけども、他のお化けが出たらどうする?」

「誘ってきたのお前やないか。この時期やと「べとべとさん」なんてのがあるな。誰もいないのにひったひったと足音が後ろから聞こえてきて、振り向いても何も見えない。歩き出すとまた、ひったひったと足音が始まる。」

「へえ。そりゃどうすんの?」

「「お先にどうぞ」と言うて道を空けると、べとべとさんの足音は消える。」

「へえ。でもな、そんなのよう言わんで。」

「なんでよう言わんねん。」

「だって「お先にどうぞ」なんて言ってな、ただ足音が消えたらええで。誰もいないのに「ああどうも」なんて聞こえたら……」

「馬鹿な事言わんで歩けや。」

こんな具合で、二人はお喋りをしながらとうとう屋敷に着いてしまって、お菊さんの出てくるという井戸を見つけました。

「これがお菊さんの井戸やな。時間的にはそろそろと違うか。」

なんて言うてますと、井戸の中からさくっ、さくっ、と音がしてきます。肝試しが得意な清八さんも、さすがに井戸から少し離れます。

「なんやこの音。」

「お菊さん、井戸の底から這い上がってるんと違うか。」

そうこうしていると黒い髪が見えまして、その次の瞬間にはにゅっと、白装束を着たお菊さんの上半身が出てきました。清八さんはびっくりして腰を抜かしてしまいます。しかしその横では——

「わあ! お菊さん! やっぱり美人や!」

「言うてる場合か! 逃げる準備をせな!」

「一枚……二枚……三枚……」

お菊さんはゆっくりと皿を数え始めます。清八さんは腰を抜かしたもんですから慌てて四枚目くらいで逃げ出したんですが、保吉さんは言っていた通り、七枚目まで聞いてから逃げ出しました。二人は屋敷の前まで逃げ切ります。

「な! 美人やったやろ! 明日も来よ!」

「凄いなお前。確かに美人やったけれどもな、もし途中ですっ転んだら九枚目まで聞いて死んでしまうねんで。」

「じゃあ明日は清やん来なくてええよ。わし一人で行くから。」

そう言われて、清八さんは翌日から屋敷に行かなくなりました。一週間、二週間と時間が経っても、毎晩毎晩保吉さんはお菊さんの屋敷に欠かさず通います。保吉さん、お菊さんがあまりにべっぴんなもんですから興行にしまして、町内からたくさんの人が集まるようになり、ついには町外からもお客が来るようになりました。ある日清八さんは保吉さんに誘われて、例の屋敷を訪れます。井戸の前にはたくさんの人が並んで座ってまして、清八さんは一番前の特等席に座ります。

「なあ、なあ保吉。井戸の横に提灯があるな。あんなもん付けたら雰囲気が崩れるのと違うの?」

「そうは言ったってな清やん、丑三つ時なんか真っ暗や。月の出ない日はせっかくの美人が見えんのや。」

「そうか。じゃあ脇にある出店は? 何やあれ。」

「あんな、興行って言っても入場料取る訳にはいかんやろ? だから食べ物とか飲み物とか、地面に敷く敷物とかでお金を取らなあかん。」

「にしたって酷いであれ。何や「お菊さんの十枚目せんべい」って。」

「飛ぶように売れてるお土産や。うちの主力商品。」

そんな事を言っていますと、観客の後ろからドドンと太鼓の音がしまして、三味線の演奏が始まります。

「なあ保吉、何やねんこの音楽。」

「出囃子や出囃子。お菊さんうっかり寝過ごした日があったから、目覚まし代わりに出囃子を鳴らしてくれって言うたんや。」

「お化けが寝過ごすなんて事があるんか。」

出囃子がチャチャンカチャンと鳴っている中で、井戸からはカン、カンと音が聞こえてきます。

「保吉、この音は?」

「お菊さんがハシゴを上ってくる音や。お菊さんが素手で登るのしんどいって言うから大工呼んで井戸に据え付けて貰ったさかいに。」

「大工さんにあの井戸で仕事させたんかおい。」

出囃子が終わる頃、お菊さんは井戸からぬっと上半身を出します。そうするとお客さんは

「いよっお菊さん!」

「日本一!」

と喝采を上げます。お菊さんは一礼をしたかと思うと、井戸から出て井戸の前の座布団に座ります。

「おい井戸から出たでおい。」

「そりゃ、井戸の中で数えさせたら可哀想やがな。」

「そうかあ……」

清八さん、とうとう文句を付けるのをやめて逃げる支度を始めました。

「一枚……」

お菊さんが数えると太鼓がドドン!と鳴ります。

「二枚……」

清八さん、この人数では逃げるのが難しいと思って二枚目の時点で振り返りますが、誰も逃げる気配を見せません。

「おい保吉、保吉、これどうやって逃げるん?」

「この人数やぞ、逃げられると思うか?」

「五枚……」

周りの人々はまだ盛り上がっています。清八さん、大慌てでしたが結局逃げられずに、

「九枚!」

「わあ! 死ぬ!」

「十枚!」

清八さんもちろん死にません。

「おい十枚あるやないか。」

「この前十枚目のお皿を買うたんや。この後はお菊さんの漫談が一時間続いて、皆帰る。」

「漫談。皿を数えるだけ数えて漫談すんの。」

「でな、清やん。わしが体調を崩した時には、代わりに見張りをして欲しいねん。最近はお菊さんの人気が凄いから、たまに妨害しにくる奴がおんねん。」

「お化けの漫談を妨害しにくる奴がおんのかいな。まあええわ。お前は滅多に体調を崩さへんし、その位はしたるわ。」

そんな口約束をしまして数カ月後、保吉さんが珍しく体調を崩しまして、清八さんは丑三つ時にまたお菊さんの井戸の前に待機します。この前よりも派手な出囃子がジャカジャカジャカジャカと鳴って、お菊さんは井戸から腰に巻いた縄で持ち上げられて、颯爽と登場します。この前とはちごてお化粧もしてはります。

「随分変わったねおい。」

「一枚、二枚、三枚、四枚……」

お菊さんは雑に皿を数え終わって、漫談に入ってしまいました。お客さんは異常なくらいに盛り上がります。

「本日はありがとうございました。明日の晩も来てくださいね。お帰りの際にお土産を買っていただくと、私直筆の署名が付いてまいりますので。」

「凄い商売だね。」

清八さんは、客が皆はけたのを確認して帰りました。会場には誰もいなくなる筈だったんですが、さっきのお客の中には外国人のお客が居まして、この催しを見て大変驚きました。そりゃそうです。お化けが大勢の前で漫談をしてるんですから。驚くだけならよかったんですが、どうやらこの催しを危険やと思ってしもたようなんですね。「これは破壊しなきゃいけない」ってんで、お菊さんが二度と出てこないよう、井戸を塞いでしまおうとしたそうで。翌日、噂を聞きつけて清八さんが屋敷を訪れると、提灯は落とされ、お菊さん用の座布団は裂かれ、井戸は沢山の岩で埋められてしまっていました。これを見た清八さん、焦ってしまって井戸を覗いて、

「お菊さん! お菊さん! 大丈夫ですか!」

と言いますと、横の扉がガラガラと開きまして。

「ふああ。何ですか。」

お菊さん、楽屋で寝てはって難を逃れたそうです。

『お菊の井戸』
演者:海柳亭朱炉
2022年12月10日 大須演芸場にて

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