冬はいいですね、虫が出ません。私は虫が嫌いなもんですから、高度の高いマンションになんとか住めやしないかなんて考えたんですが、まあ駄目です。この商売じゃあ信用が無いようで審査に落ちてしまいましてね。しかし、「審査」ってえのは嫌な響きです。
この前、弟弟子と一緒にアメリカに行ったんですが、この弟弟子がやらかしまして。入国審査の時に渡航の目的を聞かれて「ビジネス」と答えようとしたが、如何せんマンションも借りられないような商売ですんで躊躇われた。そいで奴さん、旅行という事にしよう思て気取った発音で「トラヴェル」と言った。するとなんだか揉め始めましてね。そいつ肩を掴まれて、さっきの発音も忘れて必死に「トラベル!トラベル!」って叫びながら私の前で別室に連れて行かれちまったんですよ。なんでも、旅行の意味の「travel」と問題って意味の「trouble」というのを間違えて捉えられたようなんです。そりゃ連れて行きますよね。日本語にしたら、「渡航の目的は」と訊かれて「問題!問題や!」って叫んでる訳ですから。自分の国で問題があってこちらに来たってんならまだいいんですが、こちらの国に問題を持ち込みに来たってえ可能性もありますからね。
日本に帰ってその話になって、兄弟子が「アホ、そういう時はサイトシーイングって言うねん」って言うたら、師匠が「入国審査で嘘言うたらあかんやろ、ビジネスって言え」って、珍しく正しい事を仰いましたね。あの人、私とロンドンに行った時に職業を聞かれて、「ラクゴカ」ってのが通じなかったから「カブキ!」って叫んで見栄を切ってはったような気がするんですが、まあ私の気のせいなんでしょう。それも通じなかったから結局「コメディアン」なんて言ってたような気もしますけれどね。
何にしても、「審査」ってえのは嫌な響きです。「あなたは審査に落ちたのでこのお部屋を借りられません」なんて言われると落ち込むもんです。なんだか受かるのが当たり前で、落ちるのがおかしいみたいな感じがしませんか。でもね、これで「オーディション」だったらどうです。落ちるのが普通で受かったらラッキーみたいな感じがするでしょう。「あなたは入国オーディションに落ちたので入国できません」なんて言われても、「よしじゃあ次の密入国は頑張ろう」なんて思えてくるもんです。
まあ、私をオーディションで落とす地主さん達の気持ちも分からない訳ではありませんよ。こんな商売をしている人間はいつくたばってもおかしくありません。そりゃそうでしょう、大抵の落語家は枕で人の悪口を言います。そんな事を毎日毎日やってれば、そりゃあ町でいきなり刺されるリスクだって増す訳ですね。だから私みたいなのは、恐らく刺してこないであろう師匠とか弟弟子の悪口を言うてる訳でね。まあ刺してくるかも分かりませんが、師匠が相手なら返り討ちにできるでしょう。だから皆自分の師匠の悪口言うてるんですな。
世の中には物知りな人がいまして、そういう人が話した知識にへえへえうんうんと頷いていると、段々それを自分も広めたい、その知識をひけらかしたいという欲求が出てくるんですね。よく落語でも起こる事ですが、現代社会だともっと多いかも分かりません。そういう人が本当に上手くいくと学者さんになれます。そういう人が途中のどこかで間違うと噺家になるんですね。
そいでもっとおかしな方向に行くと、物知りに教えてもらった知識を間違うて覚えたり、一部を忘れて自分で勝手に作ってしまって人に話すという何にもならへん人も居ましてね、今日はそんな男のお話をさせていただきます。
大阪に八五郎という阿呆がおりまして、甚兵衛というご隠居の家に遊びに来ます。
「こんにちはあ。」
「おお、八五郎じゃないか。今日は一体どうした。」
「いやあ、仲間内でわしは毎日馬鹿にされとるんですが、あいつらが「先生はこの町の生き地獄やから知恵を授けてもらえ」なんて言うんです。」
「……今生き地獄と言うたか? なんやそれは」
「へえ、生き地獄。生きてる地獄で生き地獄。教えてよ生き地獄。」
「阿呆言いなや。そんな訳がないやろ……それは生き字引と違うか?」
「ああ、生き字引! 生きてる字引で生き字引! ああ、これはいい事を教えて頂きました! それで字引ってのはなんです?」
「そこからなんやな。字引ってのは文字を調べるのに使う物や。生き字引っちゅうとまあ、物知りという意味になる。それで、わしに何を聞こうっちゅうんや?」
「それなんですがね先生、世の中には「凹へこの間」ってのがあるでしょう。」
「そんなものはありゃしないよ。「凹の間」ってのはどんなのだい。」
「壁の中にへっこんでて、奥に掛け軸なんかが掛けてあって、花瓶なんかが置いてある……」
「そりゃ床の間じゃないか。全く、とんでもない覚え方をしてるなお前は。」
「ええ、床の間! この前ね、仕事で他の家の床の間を見たんですが、そこに鶴の絵の掛け軸が掛かってましてね、仕事仲間の虎さんが「鶴は日本の名鳥や」って言うたんですよ。先生に伺いたいんですが、鶴はどうして日本の名鳥なんです?」
「ああ、それは分かりやすい。鶴というのはもちろん姿が美しいがそれだけではない。松というのは日本を象徴する木だろう。「松」と「鶴」。何か分からんか?」
「「松」と「鶴」……ああ! しりとりですか!」
「しりとりとは違う! 松と鶴っちゅうのは景色としてよく合うやろ。そして鶴は一回つがいを作ると仲睦まじくて離れないから縁起が良い。だから日本の名鳥やと言われる。」
「へえ、なるほどなあ。姿が美しいと言いますけれども、首が長いでんなあ。」
「ああ。実際、昔は鶴は鶴と呼ばれてなかったんや。」
「あだ名を付けられてたんでっか。」
「そうではない。元は他の名前やった。」
「へえ、じゃあ「鶴」があだ名でっか。」
「そういう訳でもない。元は「首長鳥」と呼ばれていたのが、いつしか鶴と呼ばれるようになった。」
「じゃあ、鶴って名前になったのはどうしてです。」
「え? ああ……そうやな、お茶飲むか。」
「いえ、鶴って名前の由来は。」
ここまで聞けばお分かりでしょうが、先生とか生き字引なんて言われてる甚兵衛さんも、かなり適当な人なんですね。
「今日中に聞きたいんか。」
「話すと明日までかかるんでっか。」
「いや、いい。首長鳥が鶴になったのはな、昔々……」
「昔ってのはどのくらい前でっか。」
「……まあ、千年くらい前と違うか。そんな細かい事を気にしなくても宜しい。とにかくそのくらい前、老人が浜辺で……」
「それはいくつでっか。」
「……百八つくらいかな。」
「わあ、長生き。」
「うん、もしかしたら仙人かも分からんな。」
「仙人なんでっか。」
「仙人という事にしよか。その仙人が浜辺……わざわざ訊こうとせんで宜しい。浜辺って言った途端に身を乗り出したなお前は。九州の北端の浜辺を歩いていた。そんな時にふと唐土もろこしの方向を見ると、鶴のつがいが現れて、雄が「つぅ────」と鳴きながら飛んできて松の木にペンと止まった。その後雌が「るぅ────」と鳴きながら飛んできてまた松の木にペンと止まった。だから鶴や。」
「へえ、「つぅ────」と「るぅ────」で鶴でっか。おおきに! じゃあまた!」
「あっ! おい! さっきのは噓やから他の連中には話すなよ! ……行ってしまったな。」
阿呆の八五郎、そのまま大工の政さんの所に行きまして、家の扉をガラガラと開けます。政さんは家の箪笥を背負うて運んでいる所でした。
「おい! おい! 政やん! 今暇やな!」
「これが暇に見えるか阿呆。気い抜いたらぺしゃんこになってしまう所やでおい。」
「いい話を持ってきたんや! 世の中には鶴ってのがいるやろ! あれ元は首長鳥ちゅうたんやって! それでどうして今鶴っちゅうのか、知りたいやろ!」
「知らんでええ! 今危ないのが分からんか!」
「政やんが知らんでええならわしも今危ないのが分からんでええわ。昔、いや千年ぐらい前、いつかは細かく気にせんでもええけどな、百八つの老人、これは長生きなんで仙人かも分からん、仙人という事にしよか、そいつが浜辺……わざわざ訊こうとせんでもええよ。浜辺って言った途端に身を乗り出したなお前は。」
「お前にはわしがどんな風に見えとるんや。身なんか乗り出してへんし、訊こうともしてへんわ。この箪笥はそこに置きたいねんからはよどけ!」
「だって、置かせたら話聞いてくれへんねやろ。」
「聞かんに決まっとるやろそんな話。」
「じゃあこのまま話させてもらうわ。えっと、仙人が九州の北端の浜辺から、とうもろこしの方向を見てたら鶴のつがいが現れて、雄が「つるぅ────」と鳴きながら松の木にペンと止まって、雌が……」
八五郎、勢い余って雄に「つる」と鳴かせてしまったもんですから、雌にどう鳴かせればいいのか分かりません。
「雌が……」
「お前、どこをどう間違えたんや。「つ」と「る」を分けないとつがいの意味が無いやないか。そんでな、この箪笥を……」
「そうや、そうやった! 思い出した! 「つ」と「る」は分けな! 政やんおおきに! 他の奴に話してくるわ!」
八五郎、政さんを手伝いもせずさっさと戸を閉めて出て行ってしまいました。
「よし、じゃあ次はどうしよかなあ。」
八五郎がいくら頭を捻っても平日の昼間に家にいる友達がなかなか思い当たりませんので、近所のガキに知恵を授けたろう思て近所の公園に来たんですが、運悪く誰もいません。「こりゃ、夕方になるのを待たなあかんかなあ」なんて落ち込んでいた所、八五郎は急に話しかけられます。
「おい、そこの人間。」
八五郎が顔を上げても、目の前には鳥の銅像しかありません。気のせいかな思てたら今度は目の前で鳥の銅像が、
「おい、そこの人間。」
「うわあ、銅像が喋った! ど、どれ、四羽いるうちのどれが喋っとる!」
銅像のうち、魚をくちばしに咥えてない鳥三羽が代わる代わる喋ります。くちばしに魚を咥えてる鳥からは苦しそうな、もがもがという音が聞こえてきます。
「口の塞がってない我々三羽は喋る事ができる。一つ尋ねる、ここはどこだ。」
「ああ、銅像やから口の魚が飲み込めんで、一羽喋られへんのがおんねや。ここはどこって、そんなの分かってるのと違うの? 銅像なんやからずっとここにおったんやろ?」
「違う。さっきここに降り立った所だ。未来から来たんだ。ここはどこか確かめさせろ。」
「未来から来たなんてえふざけた事を言うねえ。どこか教えたってもええけどな、その前に一つ聞いて欲しい話がありまんねや。」
「分かった、話してみろ。」
「お前さんら、鶴っちゅう鳥が元は首長鳥ゆうたんは知ってるか?」
「知らない。」
「へえ、知らんか。首長鳥が鶴って呼ばれるようになった理由は?」
「知らない。」
「そうやろ! 昔、千年ぐらい前、いつかは細かく気にせんでもええけどな、百八つの老人、これは長生きなんで仙人かも分からん、仙人という事にしよか、そいつが浜辺……わざわざ訊こうとせんでもええよ。浜辺って言った途端に身を乗り出したなお前らは。」
「我々は動けないぞ。」
「いいいい! こういうんはお話する時の決まり文句みたいなもんと思うてくれや!」
「分かったから早くしろ。」
「じゃあこのまま話させてもらうわ。えっと、仙人が九州の北端の浜辺から、とうもろこしの方向を見てたら鶴のつがいが現れて、雄が「つぅ────」と鳴きながら松の木に「る!」と止まって、雌が……雌が……」
「おい、雌がどうした。」
「雌はなんも鳴かずに止まった。」
「なんだその話は。まあいい、聞いてやったんだからここはどこか言え。」
「残念やなあ……にしたってお前ら、変わった鳥やね。わし今までお前らみたいな鳥見た事ないで。約束やから教えたるけど、ここは大阪や。」
「何だと! 東京はどっちの方角だ!」
「まあ、東やから大体あっちの方と違うか。」
「くそっ! 彼の地からは遠いぞ! さらばだ!」
「待って! そういえばお前らは何て鳥やねん!」
銅像の鳥達は一羽ずつ消えていきます。律儀な事に、一羽一羽が協力して、消えながらも
「ぺ──」
「り──」
「か──」
ここまでは良かったんです。ただね、最後の一匹が問題です。最後の一匹は魚を咥えていてまともに喋れないもんですから
「ん゙ん゙ん゙ん゙!!!!」
そんな訳で、ペリカンの最後の一文字は「ん」に決まってしもたんですね。
『鶴とペリカン』
演者:海柳亭朱炉
2022年8月2日 時計台ホールにて