君のその顔が…
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SCP-014-JP-EX-αが確保された。』

そう報告を受けた時の雛倉の顔はどんな顔をしていただろう。少なくとも、こうして面会室へと向かう今のように強張った表情ではなかったはずだ。

リノリウムの廊下に足音を響かせながら私と雛倉は面会室へ向かう。
しかし、これから未知の存在と対話するという不安は廊下を泥炭に思わせ私の足取りを重くした。反面、雛倉は力強く先を進む。その姿は炎を連想させる。それは気高くも美しい…いや、これは虚勢の炎か。全てを燃やし尽くせるように見えても、いずれは自身を灰に変えてしまう偽りの魔法の炎。

「いいか雛倉。尋問で大事なことはいかに此方の手の内を見せずに相手の情報を引き出すかだ。いつものインタビュー記録のように相手の話を聞くだけじゃない。時にはブラフを混ぜたり、相手の思考を読んで言動を予想することも必要だ。」

「…。」

「…落ち着け雛倉。」

「…大丈夫です立花さん。落ち着いています。」

「そう言って落ち着いていた奴を見たことがない。」

雛倉は立ち止まり私を睨み付けた。

「アイツは唯一の手掛かりなんです! このチャンスを逃すわけにはいきません!」

雛倉も不安なのだ。しかし、それは私の比ではない。
あの頃に比べれば雛倉も一人前のエージェントとして成長していると言えよう。しかし、今の雛倉は感情に囚われ過ぎている。

「そもそも対象がお前のいるサイトの近くで確保されたということも怪しむべきなんだ。罠の可能性もある。冷静に対処するんだ。わかるな、雛倉。」

「それは…。」

無理もない。雛倉は大人達の身勝手さで人生を翻弄され続けてきた。ここまで人生を壊されたことの無い私にその絶望的な感情は理解できないことだ。
だが、雛倉の想いは理解できる。

「雛倉。今も夢を見させられている子供たちを助けたいんだろう? だからこそ、こちらが熱くなってはいけないんだ。今は一つでも多くの情報を引き出さなくてはならない。このチャンスを無駄にするな。エージェント・雛倉。」

雛倉の人生は無意味なものでは無い。偽りの国の姫としての人生を受け入れ、一人の人間として誇りをもって生きている。その証明をするためにも。

「…はい、すみませんでした。」

今度は今にも泣き出しそうな子供のような顔をした。いつだったか、迷子で泣きじゃくっていた恥ずかしがりやの子供に会ったことを思い出して笑みが溢れそうになる。

「大丈夫だ雛倉。もしもの時のために私もいる。それに、上手くいけばお前の連れ去られる前のこともわかるかもしれない。」

「…はい!」

やっと、エージェントとしての表情を見せてくれた。その決意に満ちた眼差しは一国の姫のような誇り高さを連想させる。
面会室の扉の前に立ち、雛倉は静かに息を整えてからドアノブに手をかけた。それでいい。少なくとも相手は一筋縄でいくわけがない。纏わり付いた不安は私を包み、面会室に入ることを一瞬だけ躊躇させた。


防音処理の施された面会室の中は一般的な会議室よりもやや小さい程度で、椅子が二脚だけで向かい合うように置かれている。殺風景で一見すれば広いようにも感じるが、部屋の中央で分断するように設置された分厚い強化アクリルの壁が透明な圧迫感を出していて狭い印象を受ける。なんとも矛盾した部屋だ。そしてアクリル板を隔てた向こう側に、椅子に拘束されて目隠しをされた男がいた。

「ああ、やっと来てくれたんだね。待っていたよ。」

私より年上なのはわかるのだが、どうにも説明が難しい。特徴が無い、普通すぎる。目隠しをされているからといって、辛うじてアジア系の顔ではないと理解できるが、他の身体的特徴すら言葉にできないものだろうか? 何らかの特異性が働いていると見て間違いないだろう。

「貴方は…。」

私は椅子に座らず立ったまま尋問を始めようとした雛倉の肩を叩いて止めた。自分の人生を狂わされた人物を目の前にして、やはり冷静さは取り戻せなかったか。どうせ目隠しで見えないだろうと私は雛倉の背中を擦りながら落ち着かせて椅子に座らせる。

「やっと君とお話できるんだね。昨日はワクワクして眠れなかったよ。」

「余計な言動は控えてください。これより尋問を開始します。」

雛倉は手元の記録装置のスイッチをいれた。それを確認して私も自前の記録装置のスイッチを押す。面会室はカメラや録音機が壁やら床にいくつも埋もれてはいるが、どうにも信用できない相手だ、心配しすぎということもないだろう。

「ところで、僕の日本語はおかしくないかい? 君とお話しするために頑張って覚えたんだけど、通じるかな?」

「質問にだけ答えてください。」

雛倉の肩に手をやって落ち着かせながら、私は準備不足を嘆いた。この男はサイトの周辺に近付く不審者として確保されてから黙秘を続け、漸くしゃべったと思えば自分はSCP-014-JP-EXの関係者で雛倉に会わせろと来たもんだ。それも付き添いは上司が一人だけ認めて、それ以外が面会室に入室した時点で話すべき情報が物理的に消失すると脅しまでかけてきた。

「では、貴方の名前と所属を聞かせてください。」

「今朝は涼しかったからね、風邪をひいてはいないかい? もうすぐ冬なんだから、暖かい格好をしないといけないよ。」

物理的ってなんだ物理的って。脅すにしてもやり方が雑すぎる。だが、その雑さがこの男が何をしでかすかわからないという一種の牽制になってしまっているのは確かだ。
雑…いや、大胆さと言うべきか。どこまでが計算なのか、自身が前に出てくるだけで私たちを完全に手のひらの上で踊らせてしまった。

「質問に答えてください。薬物検査でも異常はありませんでした。貴方は受け答えできるはずです。」

「君は運命を信じるかい? 信じるよねぇ。そんなの好きだろう?」

しかし、黙秘を続けていたってわりには良く喋る。会話のキャッチボールをする気が無いせいか一向に話は進まないが。ここは私が尋問を代わろう。これ以上は雛倉も我慢の限界だ。

「いいかげんにしろ!」

…遅かったか。

「アンタのせいで、いったい何人の子供の人生が狂ったと思っているんだ! アンタ達の身勝手な遊びの犠牲者を笑いに来たのか! ふざけるな!」

まずい。これは非常にまずい。雛倉を下げさせないと尋問の主導権を奪われる。雛倉に声をかけようとしたその時だった。

「…うるさいなぁ。」

アクリルの壁の向こうから微かに、しかしはっきりと聞こえた不快そうな声。
そんなはずがない。この男の目的は雛倉との面会のはずだ。ならば話し相手の雛倉を邪険に扱うわけがない。

「邪魔しないでくれよ。君の役目は終わっているんだからさぁ。」

噛み合っていなかった歯車がミシミシと音をたてながら無理矢理填まりそうになっているような不快感。それと同時に気付いてはいけなかったことに気付きそうな背徳の爽快感が一体となって私の背中を冷たい汗となって滑り落ちた。

「さぁ、お喋りを続けよう。」

目隠しをしていたから気付いていなかった。最初からこの男は…

アイスヴァイン 。」

私の目を見て話していたんだ。

「…。」

沈黙が部屋を包む中、私は男の正体が自分の関係者である可能性を考え始める。しかし可能性がありすぎる。そもそも財団なんて組織に所属している以上、どこで誰が私の情報をを知り得たかをこの場で特定するなど不可能だろう。

「…随分と回りくどいデートのお誘いだな。」

「ロマンチックだったろう?」

自分の想定以上の異常事態に今にも泣きそうな雛倉を後ろに下げ、男を見据えながら椅子に座り込む。やはりと言うべきか、男は私の動きを確実に捉えているかのように顔を動かして見せた。

「見えているのか?」

「ああ、この目隠しのことかい? 君の姿は欠片も見えないよ、忌々しいことにね。さすがは財団製の拘束セットだ。でも、長年待ち焦がれた君の気配を間違うわけ無いだろう?」

はぐらかされてしまった。この男の特異性を突き止める一端になるかと思ったのだが、無理をして掘り下げるような話題でもない。それに、話の糸口は見えてきた。

「長年…ね。」

私が目的なのはわかった。問題はどこからが仕込みなのかということだ。

「貴方は私をアイスヴァインと呼んだ。何故知っている?」

「アイスヴァイン。君のことなら何でも知っているさ。」

「真面目に答えろ。」

「…僕が元財団職員と言ったら信じるかい?」

雛倉の息を飲む音が部屋に響いた。
完全に虚を突かれた。下手をすれば私の動揺が相手に伝わる。それは避けなければならない。

「確かに君の情報は厳重に管理されている。外部の人間が閲覧するのは非常に難しい。だが、僕が内部の人間であれば話は別だ。閲覧申請が受理された。それだけの話さSCP-014-JP-J。」

追い討ちでの情報提示とは…やってくれる。

「なるほど。確かにアイテム番号まで知っているとなれば話は変わってくるな。」

「君の処分し損ねた魔導書が残っていたわけではない。安心してくれ。」

「そいつはよかった。全部燃やしたと思っていたが、念のため次の休みは実家に帰って家捜しをしようと思うよ。どうもありがとう。」

安心できるはずがない。元財団職員という可能性が強固なものになってきたのだ。だとすればコチラの手の内も知り尽くされていると考えていい。…攻め方を変えるか?

「実家…実家ねぇ。」

男はニヤニヤと口を歪ませる。どこに笑うポイントがあった? 実家に帰って何が悪い。確かに軽口から心の距離を詰めて情報を引き出そうと思ったが、何だか反応がおかしい。そもそもおかしいのは距離感だ。コイツは私に対して随分と親密に話しかけてくるが、どうにも壁を感じる。遠い。近いようにも感じるが、何か、この男と私の間に存在するアクリルの壁のように、絶対的な隔絶がある。
ここだ。この距離を理解することがこの男の目的を知る最重要点になるはずだ。

「…なぜ私なんだ?」

「なにがだい?」

「なぜ私の報告書を閲覧した? 偶然で読むような内容でもないだろう。」

「いやぁ、どこから話すべきかなぁ。」

話す順番を吟味しているということは、全部話すつもりか? 隠すつもりが無い? 本当に私と話をしたかっただけ? バカも休み休み言え。雛倉や他のSCP-014-JP-EX被害者へしたことの説明に繋がらない。

「僕は子供の頃から影が薄いと言われ続けていてね、自分が無個性であることに怒りと悲しみを感じていたんだ。」

子供の頃の話を始めた? なんだ、本当に一から説明していくつもりなのか? いや待て。全部話すつもりならばこのまま勝手に喋らせ続けるのも手か?

「実の両親でも僕を見失う事が多かった。僕と手を繋いでいるのにもかかわらずだよ?」

本当に何なんだコイツ。言動を予測するなんて無理なんじゃなかろうか。
…両親か。父さんと母さんの顔が見たい。コイツの親と違っていつも私のことを見守っていてくれた。花火を見たあの日も赤いつけ爪が映える白くて大きな手が私を掴んで…。
ダメだ。仕事中に呆けるなんて。聞き手に回るわけにはいかない。あくまでも主導権を握らなければ。嘘を盛り込まれたら真実を見極められなくなる。

「認識されないのが貴方の特異性か?」

「焦らないでくれよアイスヴァイン。話はこれからさ。」

「その話が長い。結論を言え。」

「つれないなぁ。君たち財団職員はいつもそうだ。無駄が嫌いで結論を急ぎたがる。結果だけでなく、そこに到るまでの過程も僕は大事だと思うんだ。僕が職員だった頃も報告書に無駄が多いって何度も書き直させられたよ。それこそ時間の無駄じゃないかな?」

「そうだな。私も無駄は嫌いだ。だからとっとと結論を言え。」

「無駄が嫌い? 嘘はいけない。君は人生に一切必要の無い嘘で塗り固められた夢物語が大好きじゃないか。違うかい? 奈落の悪鬼。」

コイツ、どこまで話をはぐらかすつもりだ? まさか…時間稼ぎが目的か?

「ちなみに時間稼ぎが目的ではない。」

…思考を読まれた?

「思考も読んでないよ。アイスヴァイン、君は致命的に尋問が下手だね。感情を隠しきれていないよ。いくら目隠しをされていても話し方のテンポが実に分かりやすい。会話の間の取り方で考えてる事が手に取るようにわかる。アイスヴァイン、焦っているのかい?」

男の口元は不敵につり上がる。主導権を握る? 聞き手に回らない? 最初から私は場を左右することなどできなかった。すでに面会室は男の舞台だ。しかも男の方が何枚も上手で、私のアドリブすら巻き込んで話を展開していくような。

「それに、君と会えただけで僕の目的はほぼ達成している。後はネタバラシをするだけだ。犯人の自白に余計な相槌を入れてはいけないよ。」

ああ、違う。この男にとってこの面会室は舞台でもなんでもない。ただのメモ帳だ。予定が書かれたメモの切れ端を読み上げているだけにすぎない。私の思考も含めた全てが予定調和だからこそ、ここまでの余裕を見せていられたのか。

「…これ以上の情報収拾は無理だな。ここは素直にアンタの話を聞こうか。」

「それは助かるけど、合いの手くらいはほしいかな。君の話でもあるわけだし、是非とも盛り上げてほしいね。」

「アンタの話が面白ければ拍手もお捻りもくれてやるさ。ただ、言動には気を付けろ。アンタがいくら脅しをかけたところで、私や雛倉のボーダーラインを越えた時点でアンタは一瞬で血溜まりになっちまうんだからな。」

「おお怖い。噂に聞く財団神拳と言うやつだね。肝に命じておこう。」

そう言って男は背もたれに体を預けて足を組んだ。

「…え?」

雛倉の言葉で気が付いた。コイツ、いつの間にか拘束を解いていやがる。

「それで、影が薄いのがアンタの特異性か? 自身の行動が認識されにくくなる、と言ったところか。」

「うぅん、少し違うんだよなぁ…。」

拘束を解いても目隠しは取らない。それでも真っ直ぐに私から目線を外さない。

「僕は認識されにくい。人からも、世界からも。」

「世界…現実改変か?」

男は小さく首を横に振って否定を表現する。

「任意の改変もできないし、ただただ影が薄いだけさ。ヒューム値すら変動しない程度のささやかな個性だよ。でもね、そのおかげで僕は大規模な現実改変を逃れることができた。」

「大規模な改変? 記憶に無いな。いつの話だ?」

「記憶が無い? 当たり前だろう? 世界を丸ごと改変したのは他ならぬ君なんだから!」

男の声がアクリル板を震わせ、部屋に反響した後に訪れた耳が痛むほどの沈黙。
どこか遠くで上がる花火の音がいやに耳に残った。

「アイスヴァイン。君は間違いなく財団に収容されていた、とびきり危険な現実改変オブジェクトなんだ。空を飛び、氷の剣を振るい、霊的実体を屠る天使の生まれ変わり。それが君の本当の姿なんだ。」

嘘を言うな! …と叫びたかった。叫ばなかったのはエージェントとしての責任感か、雛倉に言った手前の大人の意地だったのか。

「…嘘を言うな、と言いたいんだがな…。」

私が世界を改変したなど到底信用できない。
事実、私の今日に到るまでの記憶は間違いなく存在している。未だにからかわれる中学生の頃や、両親と見た真っ赤な花火、白い大きな男の手、エージェントとしての活動。全てが現実であり、今の私を形作っている。

「僕は影が薄い。だから強烈なまでのオリジナリティを持つオブジェクト達に惹かれていった。そして、とあるオブジェクトの研究に携わることになった時、僕は思ったんだ。僕が持っていない強烈な個性をじっくりと観察してみたい。死んでもいいからってね。」

「…アンタ、わざと収容違反を起こしたのか。」

「そうだ。君の元にいくつかのオブジェクトの資料を届けたんだが、さすがに覚えているんじゃないのかい?」

ああ、と口が滑ってしまう。14歳の誕生日前だったか、アメリカ支部のオブジェクト資料を目にした記憶がある。当時はアニメの話と混同していたが、今にして思えば自身の無知が恐ろしい。

「その中に僕が担当していたオブジェクトも混ぜておいたんだ。あの恥ずかしがりやはそれだけで収容違反してしまう。そして、それらは別に君に送ったわけではない。日本支部の職員なら誰でもよかった。収容違反をしたオブジェクトが施設から地球の裏側の日本に向かうまでの間に僕はゆっくりと観察することができるという寸法…だったんだ。」

「だった?」

男の顔から笑みが消える。明らかに漂う空気の質が変わった。雛倉に危険が及ぶ可能性を考慮して男から距離をとるように指示を出す。男から目を離すわけにはいかないが、アクリル板にうっすらと映る雛倉の影が移動したことを確認した。

「僕の目論み通りオブジェクトは日本に上陸し、破壊の限りを尽くした。だが、いざ観察しようとしたら用意した記録装置には何も残っていなかった。それどころかオブジェクトは収容室の中で大人しくしているんだ。他の研究員に聞いても収容違反なんて起きてないなんて言う始末さ。」

「なるほど。私が現実改変をして収容違反を無かったことにしたと言いたいんだな。」

「そうだ。君が改変した。偶然その施設にいた君がオブジェクトが収容違反をしなかった世界に作り替えたんだ。おかげで僕は観察もできず、ただただ情報漏洩の責任をとらされて記憶処理をされて財団から追い出されてしまった。」

腕を組んでいた男の白い指が袖に深く食い込んでいく。
怒り? 復讐? そんな単純なものではない。

「でもね、そのおかげで気付けたんだ。」

この男の原動力は狂気。狂気の好奇心。

「僕の特異性はズレの修正なんだってことに。」

「ズレの修正?」

「生物が物事を認識するのは感覚器官から得た情報を神経が脳へ伝達し、そこでようやく自身が認識するに至る。それは刹那を越えた早さと言えどタイムラグは発生するだろう? 僕はそのラグを修正し、本来いるべき場所とはズレた場所に存在していると誤認されてしまう。脳がズレを認識し続ければストレスが溜まり、違和感を解消するために勝手に僕の存在を無かったものとして扱う。だから僕の居場所を特定しにくい。」

「アンタを認識しにくいのはそういう理由か。人は他人の顔を認識するのに今まで会ったことのある人物の顔と照らし合わせてから自分の知人かどうかを判断する。アンタはその照合の作業中にも認識の修正をするから特徴が定まらない。」

「そう。そのズレを修正することが、更なるズレを引き起こしてしまうのさ。」

拘束具から解放されて自由になった手を男はヒラヒラと動かしてみせる。

「嘘は真実となり、真実は嘘となる。僕はその狭間にいるからどちらからも認識されないし、捉えることもできない。」

男は泣き叫ぶ子供のように両手で顔を覆った。
いや、世界から隠れている自分を表現しているのか。

「なるほど、拘束すべき身体の部位をズラして認識させていたのか。いや、拘束どころか記憶処理も世界改変も意味を成さない。アンタの存在を書き換えても修正が行われて本来のあるべきアンタに戻ってしまうんだな。」

「おかげさまで君の改変、それと記憶処理を逃れた僕は財団の頃の伝手と知識を使って調べたよ。僕の計画がなぜ失敗したのか、その理由を。僕のセキュリティクリアランスが失効される前に君の報告書を閲覧できたのは本当にギリギリの幸運だった。」

がらがらと何か崩れる音がする。きっと私の心の支えが崩れた音だろう。私は男の話を受け入れ始めている。
自分が自分でなくなっていくような浮遊感が私の中で渦を巻き、私の平衡感覚を狂わせていく。

「当時の状況から君がその場に偶然居合わせたことが判明してね。君の報告書を読んで最初は笑ってしまったけど、間違いなくアイスヴァインという現実改変能力者の仕業だと確信したんだ。」

「ちょっと待て。なぜ私が関与していると確信した? 記憶も事実も全て改変したんじゃないのか? なぜ改変前のことを知ることができたんだ? そもそも報告書が真実なのだとしたら、なぜ私は現実改変をしたんだ? あの戦闘能力でオブジェクトと戦闘するなり確保するなり方法はあったはずだ。」

「僕はこれでも高レベルの研究員だったんだ。君のセキュリティクリアランスでは閲覧できない、改変を逃れた本当の君の報告書を閲覧することだって可能だ。それに、ここからが今回の話の肝なんだ。」

にちゃりと水っぽく笑う男に怖気を感じた。
全身が総毛立つ。それを聞けば全てを理解し、全てを失ってしまう感覚に襲われた。

「アイスヴァイン…。」

世界のズレが修正されるとはこのような感覚なのだろうか。築き上げた砂の城を崩して元の砂粒へと戻していくような、もう二度と戻らない砂上の楼閣に私は立っていた。

「死んだんだよ。君の両親が。」

世界を壊す決定的な一言だった。

「…あ?」

「死んだんだよ。僕が解放したオブジェクトの手によって君の両親が死んだんだ。だから君は両親が死ななかった世界に現実を改変した。」

ぐにゃりと視界が歪んだ気がした。
私の脳裏には間違いなく今日に到るまでの両親との思い出がある。
それなのに、ああ、嫌だ。手が震える。
そんなはずがない。両親が死んでいるなどそんなことあるはずがない。
否定をしたい。なのに口から言葉を紡げない。

「君は両親の死を受け入れられず、現実だけでなく自身の記憶も改変した。そして、財団はそれを利用した。君ほどの現実改変能力者が自身を普通の人間だと思い込むようになった。安全な収容を目指す財団にとっては最高のシチュエーションだ。君が記憶を取り戻さないように報告書を現在の形にし、夢見がちな少女だったと設定することで改変しきれなかった部分との齟齬を無くそうとしたんだ。」

嘘だ。嘘のはずなんだ。なのになぜ…両親との記憶が薄れていくのだろう。

「君は嘘なんてついていなかった。財団が君に嘘をついていたんだよ。」

両親との思い出は断続的な炸裂音と破砕音、噎せ返るような血と硝煙の臭いに塗り潰されていく。

「いや、君は君に嘘をついていたわけだから…みぃんな嘘つきばかりだ。そんなことより、思い出してきたみたいだね。 」

あの日、私は確かに見たのだ。

「僕の特異性は周囲にも及ぶ。つまり、改変した現実を修正できるんだ。君が世界からズラした記憶を僕が近づくことで少しずつ修正することができる。」

普通とは言えない特異性を持って生まれた私に惜しげもなく愛情を注いでくれた両親。

「しかし、いくら君が記憶を改変したとしても現実改変能力者であることにはかわりない。事実、優秀な財団は君への監視を即座に強化していたし、財団を追い出された僕には近づくことはおろか情報もろくに入ってこなくなった。」

その両親を血肉に引き裂いたオブジェクトの白い手と…その顔を。

「だから僕は君に近づけるように準備したんだ。財団にいた頃のコネを利用したり、要注意団体と接触したり。君が好きそうな設定の子供を世界中に用意して、財団が回収するように仕向けた。」

私を庇って血塗れになった両親。私の異能力があの異形を呼び寄せたと思った私は現実を改変し、自分にも強固な暗示をかけて自身を普通の人間だと偽った。

「いつか、君と僕との架け橋になってもらうために。」

ああ、なぜ気付かなかったのだろう。
花火の音が聞こえている。馬鹿を言うな、ここは防音室だ。外の音が聞こえるはずがない。

「まあ、賭けではあったよ。どれだけの時間と労力を掛け金にしたかは憶えていない。人は僕を馬鹿だと笑うことだろうけど、僕にはそんな可能性に賭けるしか道は無かった。」

あの日と同じだ。花火ではない。真っ赤な血の花が次から次へと咲いていく。銃声と大勢の悲鳴が徐々に大きくなってくる。壁を崩す音と人間のものとは異なる咆哮が防音壁を貫いて聞こえてくる。それだけの音を出せる何かが近づいてくる。

「僕は賭けに勝った。勝ったんだ!」

瞬間、私の背後の壁が轟音と共に砕け散った。部屋の隅にいた雛倉が瓦礫と共に吹き飛ばされたのを視界の端に捉える。

「長かったよ…。しかし、私の好奇心はこれで満たされた。」

男は立ち上がり目隠しを外した。
男はもう私を見ていない。溢れんばかりに眼を見開いて、生暖かい吐息を頭上に感じるほど近づいてきた私の背後の存在を凝視している。

「そうか、そうか、君はそんな姿をしているのか。君の圧倒的な存在感は絵で表現できるようなものではないな! 君の顔は死と引き換えにしてでも肉眼で見る価値がある! 僕の人生に意味はあったんだ!」

白く、細長い手足の大きな人の姿をした異形の姿が私に覆い被さるようにアクリル板に映りこんでいる。

「ああ、そうだ、SCP-096 !」

歓喜に震える男を見て異形は何を思うのだろう。だが、決して歓喜ではない感情によって身体を震わせていることは想像できた。
異形の手が男に向かって伸びていく。それはまさしく、あの日見た白く鮮血の赤に彩られた大きな…恥ずかしがりやの迷子の手。

「僕は…僕は…君のその顔が見たくて!」
 
 
 
 
   
その日、異形の絶叫が私の世界うその終わりを告げた。

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