交渉という手段
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交渉とは、まず第一に行われる穏便な手段。それでいて、血生臭い拳を振りかざした上で行われる、最後の手段だ。

『交渉しよう』『取引だ』『一つ、提案がある』


その言葉を敵対勢力に向けて放つ時、我々の真の技量が試される。少なくとも、僕はそう思っている。勿論そこに遍在している決裂した際のリスクや、成立してもいつ互いのポケットに仕舞われたナイフが飛び出してくるのか。その見極めと場を乗り切る地の力があって初めて、交渉は上手く纏まる物だ。それが例え、上っ面の物であっても。

「なぁ、そうだろ?」

───熱気。肌が焼けた様な熱を感じ取る。何処からか火花の弾ける音が鳴り響くこの空間に、僕と奴は相対している。

蛇の手。我々の理念とは真っ向から反する、異常実体達の巣食う組織。その幹部こそがこの男だった。冷たく染まった目、重く閉ざされた口元。体格も合わさり、正しく獲物を付け狙う蛇の様な男である。僕の率いる機動部隊の警戒対象に奴らの名が刻まれた時から、僕達と奴らは幾度ともなく肉薄し、出し抜き合い、時に殺し合って来た。今回の一連の事件もだ。奴らが必ず絡んでいる。その判断のもと、僕達は駆り出された。

その結果は語るまでもないだろう。全く、両者共々上手く嵌められた。


僕達を遮る煙は段々と濃くなっている。熱気が肌をヒリヒリと炙る。この空間に窓は見当たらない。出口は1つだけだし、その扉も開く可能性は低いだろう。いるのは僕と奴の二人だけだ。無言で睨み合っている暇は、無い。腕時計を確認する。ネクタイを緩めて、深呼吸を1つ。

笑顔。交渉とは何たるかを、見せてやろうじゃ無いか。

「少しばかり、手を取り合わないか?」


奴が少しだけ首を揺らす。それが許容なのか拒絶なのか、まだ僕には判らない。すかさず続ける。

「綺麗に一杯食わされた様じゃないか。僕も、お前も」
「……」
「どうやら、奴等は思っていたより頭が回る。頭が回る上に、事態はかなり厄介だ。なぁ、気づいてるんだろ?両陣営のどちらかに」
「内通者が居る、か」

突然の反応に少し気圧される。奴の顔に痛々しく残る傷痕は、この男の潜ってきた修羅場を表している様に感じる。僕と奴で住んできた世界が違う事は自明だった。
呑まれるな。何故かその戒めは、闘争心となって僕の血を燃やす。上から睨み返す僕を前に、奴の重い口が開いた。

「まさか、こんな場所で交渉されるとは思ってもいなかったよ」
「日本男児の魂を舐めんじゃねえぞ」
「どうでもいい。何故組むか、何故組む必要があるのか。それを示すのが先だろう」

自分でも分かっている癖に面倒臭えな。だが、その通り。それは交渉における前提条件だ。

「一つ。僕達の目的は、"奴等を潰す"という点で一致している事だ。勿論その先の目的は違う。だが、互いに手を拱いてるのは事実だろ。三つ巴よりは遥かに事が早い」
「どうかな」
「二つ。さっきも言った様に、どうやら薄汚え鼠が紛れ込んでいるという事。相互監視の末に炙り出せれば万歳、駆除できれば万々歳。勿論、この停戦は極秘だ。信用出来ない上層に揉み消される事も無い。悪い話じゃ無いだろ?」


静寂。僕の額に滲む脂汗は、緊張による物か加速する熱気のせいか判別はつかなかった。
奴が口を開く。「───確かに」

「確かに、ここで私達が手を組むのは合理的な判断だと言えるかもしれない。だが」
「だが?」
「お前達は我々の同志を殺しただろう。そして、我々もお前達の仲間を殺した」
「……」
「その罪は決して消えない。互いにな。自分たちが定めた理の外を異常として閉じ込めるお前達と、それに抗う我々。その暗く深い溝が埋まる事は決して無いだろうさ」

「私達は、何処まで行っても、分かり合える事は無い」


火花と油の弾ける様な音が、再度耳の裏に木霊する。
どうやら長くなりそうだ。もう一度深呼吸して、腕を捲った。

:

「すいませーん、特選カルビとタン塩3人前づつ追加で!」


白く艶やかに光る米がほかほかと肉を出迎える。タレを少しだけ受け止めた米、そして良い色に焼けたカルビを共に口の中へと運べば、溢れ出る肉汁と旨味が僕を満たした。柔らかな食感、しかし噛めば噛むほど旨味は染みる。甘じょっぱいタレと優しい米のバランスも最高だ。完全個室の焼肉屋は何度行っても快適である。

「3人前って頼みすぎじゃないか」
「良いんだよ僕の奢りだし。タンは焼けるのが早いから食べ放題では最強なんだぜ」
「タレのやつが美味しかったんだが」
「黙ってタン塩食ってみろって。ガチうめぇぞ」

奴が不満気に鉄箸をカチカチと鳴らす。どうやら、タンを気に入ったらしい。わかる、わかるよ。あのコリコリとした食感、ジューシーな旨味。最強だよな。残ったタンを頬張る奴をよそ目に、水を注いで一口飲んだ。焼肉食った後の水って何でこんな美味いんだろう。

「……なぁ、お前さっき分かり合える事は無いって言ったけどさ」
「何だ」


「肉が美味い。何処まで溝が深くても、僕達はそこで確かに分かり合える。そうだろ?」


そう言いながらグラスを傾けた。水同士の、シケた乾杯。でもこれは確かに僕の本音なのだ。
一瞬の静寂。火花が散る音は、もう耳には木霊しなかった。代わりに聴こえたのは、ふふっ、という呆れた様な笑い声。

「そうかも、しれないな」

グラスがカチンと合わさる冷たい音が、確かに部屋に響く。
見たか。交渉ってのは、こうやるんだよ。

カルビが美味え。

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