私は誰にも言えない秘密をひとつ持っている。
家に帰りたくない、という感情は思春期の少年少女であれば一度は抱いたことがあるのではないだろうか。私はご多分に漏れず、あれをしろこれをしろと指図をする家族に嫌気がさしていた。そうして、嫌だ嫌だと言いながら夜も更けた時間になると家に帰っていた。“今”から考えてみればそれは反抗期と呼ばれるものだったことが分かるのだけれども、若い身空ではひとつも理解できていなかったのである。
そんな冬のある日、街灯のない道をぐるぐると遠回りしながら歩いて家路に着く時間を引き延ばしていた時、いかにも何か出そうな場所に興味本位で入ってみた。恐怖心より好奇心の方が勝っていたのだ。あのトンネルの奥はどんなところなんだろう、と。入ってみたはいいもののどうせ拍子抜けするのがオチだろう、とそう思っていた。
一歩、踏み出した。ただそれだけのことだった。
突然目の前が明るくなり車のヘッドランプかと思って身を硬直させたが、クラクションの激しい音と共に跳ね飛ばされて身体が地面に落ちることはなかった。では何の明かりだろう?と思って目を開いた瞬間、眼前に広がる光景に唖然としてしまった。
一面の青空、突き刺さる日差し、広がる野山、湧き上がる雲、蝉の声、生ぬるい風。
私の全身がここを夏だと認識していた。
先ほどまでの好奇心は一瞬にして消えていた。足が震えて一歩もその場から動けず、恐怖に身体が固まってしまい額の汗を拭うことすら出来ない。先ほどまで、ポケットに入っていたカイロを握りしめながら歩いていたのが嘘みたいに思えて、私はやっぱり車に轢かれて幻覚とか走馬灯を見ているんだと勘違いするくらい混乱していた。一体、ここは、何。
夏だというのに背筋に冷や汗が流れ落ちていった時、私はようやく額の汗を拭い携帯電話を開くことが出来た。無機質なデジタル文字盤が私に現実を告げる。
今は19時21分。
恐怖というものは得てしてそればかりが自分の頭に残るようになっている。あの夏に出会った後、私は逃げ帰るように家に帰ったような気がする。どうしてもその辺は何年か経つと綺麗に忘れてしまうものだ。それから数年後、私が働き始めた頃にあのトンネルは開発の波に飲まれて通れなくなってしまったらしい。車で横を通りかかった時に、工事の予定看板が立っていたのを見かけたからだ。工事の予定が立っているのだから、あの時に見たあれはもうなくなってしまったのだろう。今ではそう思っている。
私は誰にも言えない秘密をひとつ持っている。