“クンストカンマー病”についての講義と症例紹介
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 みなさんは、目の前の空間に何があるかを説明できますか?

 大声を出してしまい、申し訳ありません。始めさせていただきます。この講義に空き時間を回してくれた受講者のみなさんは、さぞこの講義内容に興味がおありでしょう。言い換えるなら、私の名前や所属などはどうだっていいのです。名乗っておくと、私は対話部門所属の桃井と申します。勤続年数はかれこれ20年ほどになりますでしょうか。

 この講義は全体向けの内容になっていますから、対話部門というのが初耳だという方も多いでしょう。だから、前もって重要ではないと言ったのです。簡潔に説明すると、我々財団職員が無自覚に負う精神的なダメージを修繕すると同時に、そのダメージの原因または状態の調査と記録を行う部門です。

 ダメージ。また知らない例えが出てきましたね、すみません。ですが、この精神へのダメージという観念が本講義の軸となっているんです。……そこのあなた、具体的にダメージを負った状態とはどのようなものか、想像できますか? なるほど。「認識災害、精神影響に分類される異常を受けた状態」……間違ってはいませんし、むしろ普通はそちらを想像するでしょうね。ただ、今回の症例の原因となる精神へのダメージは、そういう明確に異常と表現される状態とは異なります。

 即ちダメージとは、我々が思い浮かべる正常にヒビを入れ、亀裂を生じさせるような精神的衝撃を指します。認識災害、精神影響よりももっと根本的な事象であり、それこそ一般社会でも起こりうる話です。異常な存在を隔離する我々であっても、社会という大きな括りには含まれるということをお忘れなく。それでは、スライドを切り換えます。

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 強迫的ホーディングをご存知ですか。謂わば重度の収集癖で、それが日常生活に著しく支障をきたす場合を言います。ゴミを捨てられないだとか、本が塔みたいに積んであるとか。ちなみに、過度な書籍収集者はビブリオマニアなんて呼んだりもします。研究が始まったのも最近なので、安易な診断はできませんがね。

 今回取り上げる“クンストカンマー病”という強迫性障害も、強迫的ホーディングの類例と考えられています。一般社会ではあまり確認できない、超常社会でのみ確認される症例です。クンストカンマーとは、スライド画像のような部屋です。別称を驚異の部屋。知識人が収集した珍品貴品を大量に陳列するための部屋で、15世紀から18世紀にかけて作られました。ま、こんなトリビアは私の名前くらいどうでもいいのです。

 この強迫性障害に精神を追い詰められた患者は、部屋をとにかく物品で埋め尽くしてしまう。クンストカンマーの俗称はそれに由来しています。……そこのあなた、鼻で笑いましたね? いや、いいんですよ。馬鹿らしいのは私も同じです。話を戻しますが、問題はなぜ部屋を埋めてしまうか。そういう強制力だったら診断も楽ですよね。当然、違います。

 先程、私は「“クンストカンマー病”は強迫的ホーディングの類例」と言いました。あくまで類例なのです、ビブリオマニアのようなサブタイプではなく。決定的に、起因する感情が違うんですよ。例えば、ビブリオマニアが収集するのは本に限られています。ゴミ屋敷の住人だって、集めるガラクタに価値を見出している。強迫的ホーディングは物品への執着心が原因です。では、“クンストカンマー病”は?

 改めて、スライドを見てみましょう。ここに映っているのは珍品貴品ですが、やはり纏まりというものがない。陶器、刀剣、書物、剥製、化石、貝殻……ね、バラバラでしょう? 珍しいものなら何でもいいのです。この空間を埋められさえすれば。

 もうわかりましたよね。“クンストカンマー病”の患者が何を感じているか。彼らは必死に空間を埋めようとしている。何が何でも。……何で?

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 ここからは実際の症例を交え、さらにこの症状について説明していきます。そのために、スライド上での紹介にはなりますが、私の患者で長年の友人でもある人物を登場させたいと思います。

 甘梨 和明氏。オブジェクト撮影用の機材選定や現場での撮影担当者として活動する撮影技師で、遠隔機材の設置が困難な事例でシャッター係をしています。今映っているのは、彼の私室の壁です。財団に雇用される前にはジャーナリスト兼カメラマンをしていたこともあり、写真が趣味だと聞いています。

 どなたか、関わったこともあると思いますよ。新人職員用の証明写真を撮っている一人だそうですから。ええ、あのサングラスとキャップの彼です。あ、知っていますか。それはそれは……え? とても精神を病んでいるようには見えないくらい明るい人柄だって? それも実は……あまり重要じゃないんですよ。症状が酷くなって、治療に集中していた頃なんかはよく独り言を呟いてました。

 何もない空間がある。と、真っ白な壁の前で。


 彼との出会いはもう7年、10年……いや、15年? 付き合ってかなりの年数になることは変わりません。最初に対面したとき、彼の背後には保護官がいました。ガラス越しに見える甘梨氏の顔には笑いが浮かんでいましたが、口の端からは不安が漏れ出ていて。当時はまだ帽子やサングラスを常備していない頃でしたから、顔が良く見えたんです。

 あ、囚人や異常存在だからこの扱いなのではありませんし、精神病に関してはまだ診断すら下っていませんでした。オブジェクト由来の異常性が発現した可能性があり、未確認の状況だったからそのような待遇になったんです。被影響者の疑い、と言った方が分かりやすいですかね。

 監視付きの対話室で彼は自らの症状を訴えました。自分の周囲に絶えず気配を感じ、何かの予兆のようなものが頭から離れないのだと。彼が病室の空間を埋め尽くす、4ヵ月ほど前の出来事でした。

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 これは甘梨氏が任務中に撮影した写真です。何も仕掛けはありませんし、現に何も映っていないのでご安心を。彼の職務については軽く触れましたが、このときもオブジェクトの撮影を請け負ったそうです。電子機器による記録を拒む種だったらしく、端的に言えば失敗したのですが。

 深夜、都内の特定エリアに路上を蠢く怪異がいる。十字路付近に出現し、ゆっくりと這って移動する。丸い塊がいくつも連なった外観、狭い路地なら飲み込むような巨体。その頃に共有された情報はそれくらいでした。そのオブジェクトは収容されておらず、調査も始まったばかりでしたからね。甘梨氏を始めとする撮影班が借り出されたのも、視覚的情報の入手のためです。定点カメラが役に立たない。みなさんも経験があるでしょう?

 複数人の仲間とともに、甘梨氏はオブジェクトの撮影を試みました。出現条件がはっきりしていないオブジェクトに対しては、移動手段を用意した上で、機材を構え待機するそうです。1時間、2時間……5時間でしたかね? 長い待機時間の果てに、10メートル先の十字路を直進する黒い物体が見えた。本当に、突然だったそうです。何もなかったはずの空間に、少しの前触れすらなく、それは現れた。

 この撮影任務の直後、甘梨氏は精神不安を抱えるようになり、行動を制限されるようになりました。新たに発見されたオブジェクトの異常性を受けた可能性があるので、原因が追究されるまで隔離。正しい判断です。他の部門が研究を進める傍らで、私は対話部門の職員として、彼の精神面から異常性の発現要素を探ることになりました。みなさん以上に、私には彼が正常に見えましたよ。話せば話すほど、彼が何らかの負荷を受けているとは思えませんでしたから。

 探る、といっても特殊な技法を使用するわけではありません。初対面で精神状況を読むだなんてホームズみたいな真似はできませんし、患者の精神に寄り添うのが我々心理学者の役目なのだとしても、心を読むのは分野からして違います。財団には思考誘導ミームもありますが、あれは相手が自己意識をしっかり認識していることが前提です。言葉にできない感覚を引き出す上では貧弱な補助にしかなりません。

 基本的に、我々の取る手段は心理カウンセリングのみです。交流を通して精神へと語りかけ、感情を発露させる。同時に、この方法はコミュニケーションでもあります。相手を負荷から解放し、標準的な状態を知ることで精神異常の度合いを浮き彫りにするのです。なので、患者の心を侵している病を知るためには、まず患者を知らなくてはなりません。

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 綺麗でしょう? それとも、不気味でしょうか。何を撮ったかよく分からないかもしれません。とある演劇ホールの小劇場、それを横から覗き込むように撮ったものだそうです。役者が出入りするあの部分。客席から見て左側。甘梨氏が、休暇中の劇場バックヤードツアーで撮ったのだそうです。写真の他に、珍しい場所に入り込むのも趣味らしく。それが財団での勤務動機の一つなのだとも語ってくれました。

 舞台裏を訪れたとき、甘梨氏は最初、どうとも思わなかったそうです。去り際になって、舞台を照らす照明の光が隙間を通ってこちらに流れているのに気が付いた。急いでカメラを構えた結果、ピントは合わずブレブレで映りも粗い。自分でそう切り捨てていましたが、それでもこの光景をいたく気に入っていると零していました。なぜ、と私は聞き返しました。なぜだと思います、そこのあなた。……ふむ、舞台の表と裏という位置関係や、差し込む光の様子に属する組織の立場を思い出し、親近感を感じたから。随分とポエミーですね。

 甘梨氏曰く、ぽっかりと空いた場所に、個性を見出しているからだそうです。何もない空間には、「何もない」が存在する。囲う物質の性質や色によって、多種多様な「何もない」が出来上がる。そして、写真によって固定された何もない空間は、恒久的にその状態が維持される。それに安堵するのだそうです。

 理解できない。私もです。そりゃそうでしょう。感覚は人それぞれなのですから。だから、他愛のない会話を通して個人を把握しなくてはいけないのです。私の仕事は、黙って頷くだけ。甘梨氏は、確かにこの写真を気に入っているようでした。しかし、写真を眺めているとき、ふと表情が凍るときがありました。彼が自覚している感情を肯定しつつ、私は訊きます。なら、これを見ている時間は不安を感じないんですね、と。

 彼は、私の思った通りの返答を投げてくれました。いや、それがここ最近になって嫌になる瞬間があるんだ。嫌とはこの写真への嫌悪感か、と繰り返し訊きました。近いけど、惜しい。気に入っている一枚ではあるものの、妙な想像をしてしまうそうです。

 写真の「何もない」を壊す物体が突然現れてしまわないか、変に恐ろしくなるのだと。

 この時点では、甘梨氏が直感している気配や予兆の本質に肉薄できていると、私は経験から考えていました。突然現れるという恐怖感覚は、オブジェクトの特徴とも一致します。他の部門の研究も滞りなく進行しており、あとは連携を取りつつ結論の出せる材料を待つだけでした。その間も、甘梨氏の治療は続けてられていました。カウンセリングで克服できるなら、民間人相手のカバーストーリーも外部に委託できます。最終的に記憶処理を処方するのだとしても、抉るべき心理外傷の要因を突き詰める必要がありました。異常が発生したのが財団内部の職員なら、診療をパターン化するための土台を築くこともできます。そういう意味でも、彼は雑に扱えませんでした。

 原因究明まで、彼の身柄は内部の医療機関に預けられる手筈になりました。病棟での生活が実質的な隔離であることは、みなさんもよくご存じだと思います。ですが、精神回復にはリラックスできる環境の構築が不可欠です。異常性拡散のリスクを推し量っても、外出が制限されるのは治療の面で手痛いものがあります。その穴をどうにかして埋めるために、我々対話部門は動きます。甘梨氏に対しても同様に、私は結構な頻度で彼を尋ねました。

 会話の内容は主に写真と旅行、それから映画と、他の雑多な娯楽について。年下の同性と腹を割って話す機会なんて、役職が重くなるほど希少になっていくものです。私にとっても、カウンセリングは癒しなんです。一家言ある分野の話をしていると、お互いに腹の底を晒し合うことになります。日々の健康状態をチェックリスト以外で計りたいなら、友人を作った方がいいですね。鏡がなくては、自分は自分を見られませんので。

 だから分かってしまったんです。甘梨氏の表情が、日を追うごとに暗くなっていくのを。自主的にできるリラクゼーションの方法として、私はいくつかアドバイスをしましたが、歯止めにはならなかったようで。好きな場所を思い浮かべて絵を描くとか、いろいろね。

 オブジェクトに変異が起きたからか? いいえ、丸く連なった塊は変わらず深夜の都市を這うばかりでした。おおよその出現法則や構成物質についても研究は着々と進んでいて、何事も順調でした。翌朝の太陽の位置によって地点を変えるとか、なんとかいう霊的実体だったとか。そんなものは私からすればノイズでしかない。甘梨氏への治療と並行して、外部の目撃者や撮影班の職員にもヒアリングを行いました。誰もいませんでした。甘梨氏のような、何もない空間を破壊される恐怖に怯えている人間は。何人かのDクラス職員にオブジェクトを視認させても、例の症状が出ることはありませんでした。

 上層部は甘梨氏の経歴や血筋に、オブジェクトと結びつく何かがあるのだと判断しました。財団の調査班は優秀です。彼とあの怪異に因縁がないか、総当たりで調べ尽くしました。この方法でいくつものオブジェクトに隠されたバックストーリーが判明しているのが、これまた不思議なものです。ただ、それが常に当てはまるわけではありません。

 甘梨氏とオブジェクトに個人としての因縁はない。それを示すかのように特別収容プロトコルは制定され、怪異の収容は完了しました。事件解決です。甘梨氏が無関係な精神病に心を苦しめられているのは、財団が扱うべき事件にカウントしません。無事が分かったなら、一般的な福利厚生を軸に支えていくのみです。だって、何もなかったんですから。

 プロトコル制定日の数日後には、甘梨氏は病棟から解放され、通常職務に戻ることなっていました。私としても、診断を下さねばいけない時期です。正常と異常の境界線は私に委ねられています。面と向かって言わなければならない。あなたは大丈夫だ、と。

 診断結果が書かれた書類を持って施設を訪れると、保護官が玄関先で私を迎えました。異例の歓迎です。ですが、それほど深刻でもなさそうでした。彼らは致命傷を負った人間が隔離されたまま死んでいく様子を何度も見ています。本当に焦るのは異常絡みのときだけです。私も含めて。主治医の到着を待っていられるなら、まだまだ余裕があるということ。財団で取り扱うケース全体で考えれば、軽微なイレギュラーでしかありません。

 ところで、みなさんは病棟内の病室に入った経験はありますか? ない人のために説明しておくのですが、予想される異常の危険度によって段階が分けられていて、部屋の環境も異なります。甘梨氏が自殺する可能性は低かったため、彼には自立した生活を送ってもらいました。筆記具使用可、娯楽品有、シャワールーム併設の病室。隔離が目的なので保護官が立ち入ることもあまりなく、監視のための機器もない。通信メディアや私物は制限されていましたがね。何にしても、あの病室には物品が少ない。生活に必要な家具以外は設置されていない。壁には何もかかっていないし、圧迫感のない小綺麗な部屋でした。何もない部屋だったわけです。

 保護官が病室のロックを開けます。驚きました、私も若手でしたからね。人間は衝動だけでここまで派手に動けるのかと、どこかに感心すら湧いていました。いや、怖かったんですよ、本当に。

 部屋の中心に、シーツを被った塊がありました。典型的な幼児退行です、それだけならね。塊を囲うようにして、床が埋め尽くされていました。マットレス、着替えの衣類、タンスの引き出し、トイレットペーパー、歯ブラシとチューブに至るまで。しかも、乱雑に置かれていたわけではないんです。隙間が生まれないよう、ぴったりと。片付いているのに足の踏み場もない。奇妙でしょう? しかし、私が床に気付いたのは数秒経った後です。最初に目に飛び込んできたのは、壁でした。

 ルーズリーフが、マスキングテープで緻密に貼り付けられていました。これまた、隙間がないほどに。真っ白な壁が覆われていたんですね。……え、白い壁に紙を貼っても白いまま? ああ、失礼。ご丁寧に、一枚一枚に絵が描かれていたんですよ。線の安定した、落ち着きのあるボールペンの風景画。彼の描いた絵が崩れないまま。覗き込むような視点のトンネルや、森の広場や、劇場ホールの絵が。

 何もない空間がある。だから、出てくる。

 なだめながらシーツを剥ぎ取ったとき、甘梨氏は両手で目を押さえていました。何もない空間だったはずの自室を物体で壊し、何もない空間の絵で周りを囲んで。その後、何かが出てくることはありませんでした。


 この奇行により、甘梨氏の退院予定日は延長されました。そのおかげで、さらなる研究を行う時間ができました。類似する症例が過去のカルテに残っていないか、探し続けましたよ。臨床心理学そのものが生まれてから日が浅いため、異常性を含まない異常行動となると蓄積が少ないのです。何とか、比較対象になる記録が見つかりました。物品で部屋の空間を埋めてしまう患者。彼らが抱えている恐怖感覚。

 彼らは空白が怖い。なぜ、空白が怖いか。そこを突き破って、あまりにも突然に、自分に害を与える存在が現れるかもしれないから。

 それが“クンストカンマー病”……正式名称“脅威的存在出現強迫”の根源です。自分の目の前に何かが現れ、自分に襲いかかってくるかもしれないという思考を繰り返す。そんなことは起こらないと自分を信じさせるために、物理的な手段でそれを阻止しようとする。そのため、何かが出現しそうな空間を物品によって埋め尽くす。

 さっき鼻で笑っていた人。もう一度笑っていいですよ。結局はこれ、妄想なんですから。正直言って、眠れない幼児の悩みと同レベルです。実際、一般社会でも似たような思考を抱く人はいるでしょう。大抵は周囲の大人か精神科医に、そんな怪物は存在しないと諭されます。ですが、我々はどうですか?

 我々は、虚空から出現するケーキを知っています。
 
 我々は、永遠に産出されるヒヨコを知っています。

 我々は、前触れなく起こる理不尽を知っています。

 もちろん、我々はそうした異常に対抗する手段を持っています。この講義室の現実性は保たれていますし、現実改変能力者を爆殺する機構だって簡単に量産できます。けれど、この世界に絶対はありません。これまで、サイトがいくつ音信不通になりましたか。強襲されるエージェントの不幸は何件ありましたか。世界を壊しかねないとされる現象を記録し続けてどれだけ経ちましたか。

 我々は怪物を知っています。表の世界では非科学的と一蹴される存在の実在を、科学的に確定させています。一般社会とのズレが、かつて生活していた世界との差によるダメージが、我々の心には発生し続けています。

 残念ながら、みなさんは根源的な恐怖から救われません。思い出してください、我々は人類の最前線にいて、退くことのできない位置にいます。心は既に、蝕まれているのです。

 甘梨氏が奇行を取った理由に特別な物語はありません。耐えられなくなった、それだけです。多くの人には、ダメージを受けたとしても受け入られるよう自動的に修正する機能が備わっています。時間をかけて、ズレを埋めていく。ただし、許容できる量があります。修正されなかったズレに負荷が重なれば、ズレはより深くなる。ズレが深くなると、修正を待てなくなります。すると、心は粉々に砕けてしまいます。

 彼の職務は、オブジェクトの出現を捉える撮影担当者。エージェントや研究員と並んでオブジェクトを視認する機会は多く、特に「突発的な発生」という超常現象に限定すれば最も経験する回数が多い職種です。現場で活動するうちに、無自覚なダメージが蓄積されていったのでしょう。さらに、彼の場合は過去の経歴も遠因に加えられるでしょう。彼の前職はジャーナリストで、それも張り込みによって対象の秘密を暴くような、汚れ仕事の側面を持っていたそうです。覗くことに関しては、得意な領分だったのかもしれません。何もない空間を見据え、そこに現れる人物を食い扶持にして生きてきたわけです。だから、覗き返され、こっちに向かってくることを異様に恐れたんです。

 入棟前に遭遇したオブジェクトは、きっかけでしかなかった。たった10メートル前で巨大な影が現れる。その現象に、自分が抱えている恐怖感を突き付けられた。我慢の度に後回しにされ、積み上がっていったその感覚が彼の中で炸裂した。すぐそこまで、強迫観念は迫っていたはずです。ただ、彼は必死に堪えました。もし吐き出してしまえば、認めなければなりません。食い殺されてしまうほどに弱々しい、架空の怪物に酷く怯えた自分を。

 それから、甘梨氏はどうなったか。そこの人が言ったように、今は元気に職場に復帰しています。抱えているのは異常性ではないですし、支援はしやすい部類です。私は復帰に当たり、2つの行為を習慣付けるようアドバイスしました。

 まずは安全と思える場所を作ること。解釈を変えれば、彼は「突然何かが出現すること」だけでなく「逃げ場がないこと」にも怯えています。一旦セーフルームを構築し、すぐに避難できるよう思考を練れば、万が一が起きた場合も落ち着いて行動できます。現実的な対策は、平時に安堵感を与えてくれるものです。このときの「安全」には物理的な意味も含みますが、心の拠り所という意味もあります。好きなものに囲まれた空間をどこかに作っておけば、心でそれを再現して安堵できます。甘梨氏の例でいえば、写真で埋められた私室をまず作る。症状が治まるにつれ、徐々に掲示する写真の数を減らす。いきなり全部を奪っても逆効果ですからね。

 次はもっと単純です。みなさんの中に、栄治博士の講義を受けた人はいますか。認識災害への対抗策。精神が侵されたとしても、そうでなかったとしても、やるべきことは決まっています。認識しなければいい。これ、相手が異常ではない場合も有効なんですよ。徐々に認識から外していき、恐れそのものを忘れさせる。“クンストカンマー病”の場合は少々厄介ですが、基本的な考え方は変わりません。何かが現れそうな空間を見なければいい。それが無理なら、そんな想像ができないよう、普段の視界を鮮明ではない状態にしてしまえばいい。サングラスでも使ってね。

 少し不満そうな顔をしている人が何人かいますね。部屋を埋め尽くすような極端な患者を、どうやって復帰まで戻したか……それが知りたいのでしょう。いいですよ、教えましょう。

 随分前に、私は「“クンストカンマー病”は強迫的ホーディングの類例」と言いました。強迫的ホーディングの原因は物品への執着心だとも。……ただ物品を集めまくるという症状が似通っているだけで、類例に含めると思いますか? “クンストカンマー病”もまた、執着心が原因なのです。

 安全性、および何も起こらない世界への執着。不条理な事象が起こり続けるのだと知って生まれた負荷が、その負荷の持ち主に逃避を促すのです。ですが前述の通り、逃げ場はありません。潔癖症のような他の強迫性障害と同じく、叶わない願いです。苦しみ続けるでしょう。我々にだけ許された方法を使わなければ。

 これまた単純な話です。執着が原因なら、その執着を排除すればいい。我々にはそれが可能です。記憶から消し去ってしまえばいいんですから。甘梨氏の場合、その発端は「何もない」という概念への安堵感でした。「何もない」を守ろうとして、侵入されないようバリケードを築いた。まぁ、敢えて言うまでもないんですが、処理しましたよ。

 甘梨氏が好んでいた、何もない空間に対する個人的な感覚を。執着は、裏を返せばアイデンティティを構成する一因でもあるので、慎重にならないといけないのですが……やむを得ませんでした。あの独特な感覚は失われてしまいましたが、将来的な財団への貢献と比べれば重要ではないのです。どうだっていい。

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 以上で、この講義を終了します。甘梨氏の劇場の写真辺りから文字のスライドばかりになって申し訳ありません。でも、あの写真が印象に残ったのではないでしょうか。最早あの写真は、彼の頭には根付いていません。あれを見ても、甘梨氏はもう感動しないわけです。綺麗だと思ったのなら、少しでも長く覚えてやってください。

 症例は甘梨氏の許可を得て紹介しました。何の異常性も絡まないので機密情報でもありませんでしたし、財団内部の精神病についてみなさまの理解が深められたらと思い、追加しました。理解の及ばない存在に面と向かっているのですから、元々いた社会では起こりえない疾患も起こるものです。その疾患は非異常性ながらも、害あるものなのは間違いありません。

 それにしても、目の前の空間に何があるかを説明するのって、難しいでしょう? 何もないように見えても、空気が詰まってたり、色が充満していたり、本当は光が通っていたりするんですから。世の中は、見えないものの方が多いんです。それでもって、見えないものが重要だったり、重要じゃなかったりする。正しくは、何が重要で何が重要じゃないか、取捨選択を迫られる。どんな形をしているかすら分からないのに。

 ……そうでした。この真っ黒なスライド終了画面を見て、何か不安を感じる人はいますか? いや、簡単なテストです。吸い込まれそうとか、画面を潜り抜けて何かが出てきそうとか、そういう思考をすぐに捨てられるか。この画面はただの黒い平面です。見間違えないでくださいね。

 違和感を覚えたなら、対話部門までお願いします。今度会うのは診察室になるかもしれません。

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