ブウウ――――――――――ンン――――――――――ンン……………。観察室のコンピューターが、鈍く悲鳴を上げる。それと同じく、居合わせている僕ら職員達も何とも言えない表情を顔面に浮かべている。耐熱・耐冷強化プラスチック窓の先の実験室に居る醜悪なケダモノ……うん。「スクール水着」を着た30代程の男性…D-081-JP-1に、僕達の視線は釘付けだ。
「ダイ君、これ旨いぞ。あと、あれどう思う?…うま。私はとんでもなく醜悪な…化け物か何かだと考えているんだが。」
車椅子に腰掛けた物部博士が僕に問う。こういう時に、この人に返すべき言葉は一つのみである。
「僕はダイじゃなくて大佛(おさらぎ)です。あと、食べるか喋るかどっちかにして下さい。」
ケダモノについては何も言及はしない。それが僕、大佛(おさらぎ)研究助手の僕なりの処世術なのだ。
僕は、昔は神童と呼ばれるぐらいには頭の良い子供だった。4…いや、5?とにかく、それぐらいで色々な学問の初歩は理解出来ていて、周囲からの期待を一身に受けた物だった。
その調子のまま進歩に進歩を重ね、結果かの有名な海外の大学に入学する話も持ち上がってきたので、当然僕はそれを受け入れて渡米をした。あの頃が、多分だけども僕の絶頂期なんだろう。
だが、絶頂に至ったのなら後は落ちるのみ。熱心な教育家の両親から離れた事もあってか、講義が全く面白く思えてこなかった。理解は出来るが、それに関心が惹かれるような事が無かったのだ。大学の職員になってもそれは変わらず、研究を名目に帰国をして自堕落な研究生活を送り…SCPとの会遇を経て、財団へと辿り着いた。
その結果が今の状況である。何が悲しくて車椅子オッサンと共にスク水オッサンを見なくちゃいけないんだよ畜生、ファッキン4文字。
「だいぶつだろうが…ぉむ、おさらぎなんて洒落た名前して。んぐ、大体な、私はあの大佛次郎ってヤツの名前からして認められん。…んっ、あれは大仏次郎だ。旨い。そっちの方が語呂が良い。」
僕の隣で、かき氷の氷を口から撒き散らしてグチグチと愚痴を零してるこの人は物部 幸四郎博士。30ぐらいのクセに白髪の混じった黒髪に、痩せてガリガリな青白い体、実家のお婆を思い出させるような丸渕眼鏡、そして妙な貫禄のある車椅子。どう見ても4,50代はいってるようなお方であり、結構な偏屈屋だ。自分の認められない物は中々どうして認めようとしてくれない。それが僕の上司なのだ、胃が凭れる。
そもそもだ、名前とは各々に与えられる大切な贈り物であり、それを気軽に弄るような事は本来して良い物なんかではないのだ。それをこの人は…もう慣れたが。
話が結構逸れた。今僕達は、██小学校で回収されたSCPアイテム、ひんやりスクール水着の着用耐性実験をしている。この水着は自分の周囲に氷柱を形成する性質を持っていて、どうにもこのスク水は人体に影響を与えるんじゃないか、という事で今回のスク水オヤジが用意されたのだ。ちなみにスク水は、オヤジが着用する際にめっさ伸びてなんだかめっさ気持ち悪かった。オヤジは履いてから凍傷を負った様子一つも見せないわ何故か冷たく濡れてるわで、非常に目の毒だ。
ちなみに、今物部博士が食べているかき氷も水着からの氷から削られた物なのだ。博士曰く、頭がキンキンしないし、すいをかければスイッと飽きない美味しさで旨いんだそうな。かく言う僕も、次があるのならそれで4杯目である。
あぁもう、話がまた逸れる。今回実験する事は主に3つ、実験室の温度を上げる事で生じる被験者への影響を確かめる実験、次は逆に温度を下げる事で生じる影響の実験、最後は、温度実験で消失の危険が無いのならば被験者とスク水へのちょっとした放火だ。派手に燃やしたい。
「さて、物部博士にD-081-JP-1。まずは室温上昇実験ですね。ご存じの通り、実験室の温度は20℃に保たれています。それを30分をかけ人体や一般的なスクール水着の発火点よりは低い300℃にまで上げて、その際に生じる影響を我々が観察します。」
「あぁ、D君。これ旨い。安心していいぞ、40℃だとかで…ん、君に影響が出るのなら実験は中止するからな?データは採れるし。」
D-081-JP-1は、どことなく恥ずかしげな表情を浮かべながらこちらを睨んでいる。やめろ。物部博士は、この期に及んでまだかき氷を食している。止めろ。あぁもう、さっさとフェーズ3の実験に移りたい…
「これおかわり。実験、開始だ。」
うるせぇよ。
実験室の室温は150℃になった。本来なら、人体は血液の沸騰やタンパク質の変性で死亡するような温度だが…D-081-JP-1に変化は無い。彼の報告も未だ明細を保っていて、彼の体温やスク水の表面温度にも変化無し。やはり、あのスク水は人体に高温に対する耐性を持たせるようだ。
「魔界とかがあるなら、ああいう人間料理もあるかもしれんな。怪奇!人間のサウナ焼き!みたいなメニューで。」
「なんでTVの3流ホラー番組みたいな料理名なんですか?はい、おかわりですよ。」
有難う、と言いながら即座にかき氷を咀嚼する物部博士を尻目に、僕は自分の体が宙に浮いているような奇妙な感覚を覚えた。別に、あのスク水SCPから何か影響を受けているって訳では無い。僕に新たな超能力が目覚めたという訳でも無い。
…ただ、何だか今の現実が、途轍もない夢物語、目覚めてしまえば朝日に溶けてしまうようなお伽話に思えてならないのだ。あの自堕落で、いつ堕落してしまうかすらも分からない生活から、この少し不思議で、いつ何が起こるか分からないような生活への変貌。余りにも、僕みたいな一般人に起こるような出来事では無い。
「…博士。あなたは、財団は…何だ、なんだろうな…どういう所だと思いますか?」
「…かき氷が溶けてはならん。手短に話すぞ。私にとって財団とは、絶対正義だ。財団に不可能など無い。」
そう言い放つ物部博士の目には、一見狂気の塊と見えるような、それでいて頑固な光が宿っていた。何故かは分からないが、僕にはその光が妙に羨ましく思える。
「財団にだって出来ない事は幾らでもあります。…それに、僕には財団が正義だとは…」
「正義だ。ここに来て、ここのやり方に倣っている以上、財団は私たちの正義なんだよ。そう理解するんだ。悪役を好んで演じるような輩は財団には決していらない。分かるだろう?収容違反の恐ろしさは。」
「そしてだ。財団に出来ない事がある?とんでもない愚問だな。それはただ単に、『今の』財団に出来ないだけだ。何十年先の財団が確実に不可能を可能にする。腑抜けが不抜けになるんだよ。」
「私はな、財団に仇なす者を許す事はしない。私が財団で、財団が私だ。君もここに勤め上げていれば何れはそうなる。私たちは、貉を殺して穴に入り浸る『同類』だからな。分かるだろう?分からないのなら今夜の入浴中にでも理解しろ。」
何だか、突いたら崩れそうな理論だ。論点ずらし、一方的な断定。議論の場では用いてはいけないような物だが、それでも、なんだか奇妙な安心感を覚える。彼なら、この理論を一時凌ぎの補強で済ませて済ませ続けて、その内に難攻の籠城を作ってしまいそうな気さえする。
そして、物部博士は器用な事に、その場で車椅子ごと体をくるりと回転させこう言い切った。
「私はな、大文字君。財団のお陰で今この場に立って…いや、座っているんだ。私は財団に恩義を感じているし、財団の事を限りなく信奉している。私の前で、あまり財団を貶さないでくれ。分かるな?」
「…貶した覚えはありません。あとダイで…いや、僕の名前は大佛(おさらぎ)です。」
ちょっとだけ、足が地面に着いたような気がした。
「これやっぱり旨いぞ。君ももっと食べなさい。」
あの後、二つの温度実験を無事に終わらせた。残念な事にオヤジにもスク水にも何ら影響は無かった。途中、物部博士が冷凍オヤジの事を「我々は魔界の極寒人間料理を見た!とかどうかな?」だとか言っていたが、せめて文章じゃなく名詞に…あぁもう、そこはどうでもいい。
僕の下には地面があるし、僕の隣には人がいる。それだけでいいではないか。細かい事はあまり気にしない事にしておこうじゃあないか。さもないと、ハゲて「財団の髪の毛ハザード組」とか周りの奴らに呼ばれてしまうに違いない。
そしてようやく待ちに待った燃焼実験。今夜は焼肉、「オヤジの踊り焼き」かな!
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あぁクソ。あの後、興奮し過ぎて物部博士にはっ倒された。だってあのオヤジ、燃えないクセして炎からわぁわぁ喚いて逃げ出すのだもの、少し面白く感じてもしょうがないだろうに。博士だって途中までは楽し気に写真をバンバカパシャポン撮っていたクセに…
真っ赤に腫れた頬を同僚に訝しげに見つめられながら、僕と博士はスク水SCPの報告書を提出した。僕の暴走について博士がちょっとしたお叱りを受けたものの、それ以外に特に問題は無かったようだ。
「ダイ君。あまり私のメンツを潰さないでくれるか?え?私たちがSCPの実験をする目的は何だと思う?決して遊ぶ為では無いのだよ。あくまで、SCPの性質をキチンと理解し、その上でSCPを活用し収容するのが目的だ。遊ぶのは実験が終わってからにしなさい。」
博士のお叱りとよく分からない武術が耳と体に響く。僕は、水抜きをする時の様に右耳をポン、ポンと叩いて、サイト施設の廊下を歩いていく。けれども、強く叩いた時に、ちょっとだけ、頭がキーン、とした。