「……さん、佐藤さん」
呼ばれ、佐藤は目を覚ました。
周りを見回し、どうやら机に突っ伏して寝てしまっていたらしいことを早々に自覚する。
「就業時間中に、感心しませんね」
「申し訳ありません」
佐藤はある企業の研究所で働いていた。五年目だ。大学で博士号を取得してからの就職なので、もう三十近い。
今、佐藤は自分の関わるプロジェクトの発表資料をまとめていたところだった。
「お疲れですか? 最近居眠りが多いようですが」
「すみません、気を付けます」
佐藤自身にも自覚はあった。
海外の学会に研究発表をしに行って、帰ってきてからというもの、疲れが溜まっているようだ。
そのとき何があっただろうか、思い起こす。
「アンテナに飛んでくる入力は直接波だけではありません。直接波がビルなどに反射して遅れてくる遅延波、本来の入力とは異なる電波である妨害波があります」
そんな発表を終えた佐藤のところへ恰幅のいい男がやってきた。彼は海外のどこぞの研究所の偉い人らしい。詳しくは……名刺を見れば思い出せるだろう。
「佐藤博士、いい発表だったよ! うちにも君みたいな優秀な研究者が欲しいところだね!」
「ありがとうございます」
それから少し話をしたことは覚えている。どんな内容だったかははっきりしない。
確か、財団だとか言っていたと、佐藤は思い出していた。
「……佐藤さん」
「ええと、はい!」
「またぼんやりしていましたが。コーヒーでも淹れてきましょうか」
少し考えに耽っていたか。佐藤は反省する。
「大丈夫です。ああ、でもコーヒーはお願いします」
それから佐藤は書きかけの資料に向き直る。
どこまで書いただろうか?
「えー……『これらの波を区別することで通信の品質を上げることが可能です。例えば……』」
「なるほど。あのノイズとしか思えない電波にもそれぞれ意味があると」
そういうことです……頭の中で答えたところで佐藤は気付いた。
自分は今、見慣れない場所にいる。どこかのオフィスだろうか、仄暗い場所だ。
目の前には白衣の知らない男が立っている。
「あの……ここは?」
「寝ぼけているのなら思い出したまえ、佐藤博士。あの異常な放送の謎を解き明かすために君に意見を求めている。君は就業時間外なら協力しようと言ってくれたはずだ」
「そう……でした、かね」
釈然としない。だが佐藤の頭には反論が思い浮かばなかった。
代わりに出てきたのは、今の話の続きだ。
「簡単に言えば、妨害波の項をゼロにし、遅延波の項を時間遅れを加味して足し合わせればいいのです」
「……藤さん」
「はい?」
「本当に大丈夫ですか?」
「それは、大丈夫です、たぶん。就業時間外のお手伝いだけですし」
「何の話ですか?」
問われ、佐藤は考えた。
自分は今、何の話をしていたんだろうか?
「これらの干渉波の低減は信号処理とソフトウェアで可能です」
「ふむ。ところで、実際に波がどのように飛んでくるかの解析はどうするのかね」
「それは実際に計測するのが一つの手です。私も研究所に入って一年目に機材を担いでやらされました。気をつけなければいけないのは、人間も電波に干渉する要素だということです」
「どういうことだね?」
「機材を保護しておかないと計測結果が乱れるんですよ」
「いや、それが原因かもしれない」
「……電波に晒されると気が狂うことがですか?」
「佐藤さん!」
「えっ、はい!?」
叫びに意識が覚醒する。
「どど、どうかしましたか?」
「苦しそうな顔でぶつぶつ寝言を言っているからですよ! 本当に大丈夫ですか?」
「私は問題ありません……」
「それよりも、電波自体も多重化していると考えるべきでしょう」
「周波数がかね?」
「それだけではありません。時間や空間などでも周波数領域は分割できます」
「では、もっと別のものさしで分割できるのならどうだね?」
「どういったものですか? ちょっと想像できないのですが」
「資料を用意しよう。SCP-……の計測結果が出たところでね……」
「あふれの位相が関係しているとか?」
「佐藤さん!!」
「はい?」
佐藤はなぜ自分が名前をよばれたのかわからなかった。
ただこの場にそぐわないことを言ってしまったような、そんな気は確かにした。
「も、申し訳ありません」
「よろしくお願いしますよ。このことは機密扱いなのですから。財団の外で喋られては困ります」
「ありがとう。君のおかげであれが垂れ流していたメッセージが解明できた」
「お役に立てて光栄です。この研究でわかったことのいくつかは学会で発表できますね」
「一般に公表しても問題ないことならね。君はもう一般の研究員とは違うんだからよく考えてくれ」
あれ、そうだったっけ、と佐藤は思う。
確か自分は財団の研究員で……。
「佐藤博士」
「はい?」
「君の次の仕事はAnomalousオブジェクト-2226の研究だ」
「それはいいのですが、私本来の仕事が……」
「何を言っているんだ」
その男は少し間を空けて言う。
「ここが君の職場じゃないか。よろしく頼むよ」
……いや、自分は財団職員で。
ああ、なら何も問題ないじゃないか。
「わかりました。ええと……サイト-8181でしたね、それが収容されているのは。すぐに向かいます」
佐藤博士は部屋を出た。
まだ何か腑に落ちない気がしたが、サイトに入るのに自分の職員IDを見せたときには、すっかり忘れていた。