『O5議会がSCP-005-JP特別破壊処置の決行を承認しました。皆様、奮ってご参加下さい』
桑名博士は行事連絡のメールを流し読みした。
SCP-005-JPと呼ばれる、4羽の鳥を象った彫刻のことを桑名博士は知っている。何らかの目的を持っているが、身体を動かすことができずにただ喋るだけのオブジェクトだ。非情に堅牢であるが故にこちらからも干渉できない。その膠着を破る許可をO5が直々に下したのだ。
すると桑名博士のオフィスへ、男が意気揚々と飛び込んできた。白子博士だ。
「桑名博士、見たかね! 005-JPのことだ! もちろん君も参加するんだろう?」
「いいえ。何故、私が」
「何を言っているんだ。日本支部の五虎大将軍と呼ばれる君が」
「誰がですか。それは誰がカウントされているんですか」
「一体どの機器を持ち込むつもりかね? 私は超振動カッターを持ち込むつもりだ」
「だから私は参加しないと」
「そこで君に良い報せがある」
彼は桑名博士に耳打ちする。
「005-JPは可能性のある物に、神性を持つ武器、というヒントをくれた」
「それが何か。私には心当たりなんてありませんよ」
「君が大事に仕舞い込んでいるアレだ。黒い剣のことだよ」
桑名博士はAnomalousオブジェクトとして黒の直剣を管理している。神性かどうかは知らないが、確かに曰く付きのものだ。
「何かがわかるかもしれないし、試してみてはどうかね?」
「ぬあああああああ!!」
「落ち着いて下さい桑名博士!」
何度目とも知れぬ剣の振り下ろしは、これまで同様に破壊不可能の金属に弾かれた。
叫び返すのはSCP-005-JPだ。
「もっとちゃんとやりたまえ! それだけの神格を持つ剣なら破壊は可能な筈だ!」
「であああああああああああ!!」
「博士! ちゃんと魚を狙って下さい!」
しばらく繰り返して桑名博士は剣を投げ捨てた。
「ぜぇ、はぁ……」
「全く駄目だ、話にならん。神剣があっても使い手がこれでは。誰か他に強い法力を持つ者はいないのか」
「いるわけ、ないでしょう……。私の処置は以上です。結果は失敗、いいですね?」
その時、実験室の壁に取り付けられた電話が鳴った。博士が受話器を取る。
「はい、桑名……理事? は? 修行で法力を高める? 修験者免許? 私が?」
桑名博士はこじんまりとしたビルの前にいた。自動ドアの隣には『大黒山道場修験道教習所』の表札が付いている。
中に入った博士を、ジャケットを着た男が出迎えた。
「ようこそ、大黒山道場修験道教習所へ。私は教官の栄です」
「大竹です。よろしく」
仮の名前を名乗る。ここでの博士は、財団が用意した架空の人物だ。
桑名博士は免許を取りに来た。
修験者免許だ。
修験者として修行を積み法力を高めた個人に与えられるライセンス。このために財団は博士に3ヶ月の休暇を与えた。その間に十分に修行をし、神剣を使いこなせるように、SCP-005-JPに破壊処置を施せるようになれというのだ。
修験道教習所のことは一般には秘密にされている。桑名博士も知らなかった。それがここに来る流れになったのは、ある理事の紹介である。免許を発行する団体、蒐集院は一部を財団に吸収された組織で、彼はそことパイプを持っていた。
「それにしても、修験道と言えばいかにも日本の古風な感じをイメージしていたのですが……現代的な建物ですね。本音を隠さずに言うと自動車教習所みたいな」
「以前は山の中の寺院で運営していたのですが、不便ですからね。古風なら雰囲気は出ますが、それだけでは受講者は減る一方で、通信インフラも弱いですし」
「ええ、まあ……そうですか」
どこも世知辛いものだ、桑名博士は心の中で思った。
翌日から免許合宿が始まった。
桑名博士以外に11人の受講者がいた。全員がジャージを着て、長野県のとある山中をランニングしていた。
先頭を走るのは教官の栄だ。
「皆さん! 山と一体になるのです! 後に続いて下さい! — I'm a valiant captain!」
「I'm a valiant captain!」
メタルのような明らかに向かない選曲を桑名博士は無視した。山の中、足場が悪い場所をほとんど全力で走っていたために、ついていくことすら難しかった。
それは他の受講者にとっても同じで、栄も途中からはほとんどペースを落としていた。
「大丈夫ですか、皆さん! なに、最初はそんな感じですよ!」
「そう、ですか……」
集団は崖っぷちを駆け、山を登っては下った。
川を上り、滝行をした。
それから来た道を戻って合宿所まで戻る、それが初日のスケジュールだった。
翌日、博士は筋肉痛に苛まれた。
それも1ヶ月続くと、全員が栄と同じペースで走れるようになっていた。なので、より過酷なコースに切り替えられることになった。
3ヵ月後。
山の中を呼吸を乱さず走る受講者達の姿があった。
木々の間を時速15kmで走り、幅20mの谷を飛び越え、滝を遡上した。
息を切らさぬ特別な呼吸法を覚え、どのような場所でも走ることができる走法を身に付けた。
さらに言えば。
「I don't wanna die!」
「I don't wanna die!」
集団は歌を完全に覚えるまでに成長していた。
「これで合宿は終わりです。皆様、よく付いてきてくれました。今回は脱落者も無く、全員に免許証をお渡しすることができます」
栄の修了挨拶。
その言葉に、桑名博士は疑問を覚えた。
「あの、一ついいですか? 我々、やったことと言えば体力作りだけで、これで法力が身に付いたのでしょうか?」
「もちろんです! 皆様は山と一体になることでその神通力を得たでしょう。それに、マントラも覚えてもらいました」
「マントラ?」
「修行中にあんなに歌っていたじゃないですか」
それから、受講者達は免許証を受け取った。桑名博士はそれをまじまじと見つめる。
外見はほぼ自動車免許証と同じで、各々の顔写真が入っていた。
名前は偽名の『大竹真琴』と書かれている。
免許証の隅には発行者の名前が入っていた。
『蒐集院/The Global Occult Coalition』
ぎょっとした桑名博士は栄を呼び止める。
「あの、この発行者の後ろの組織……」
「ご存知ありませんでしたか? うちのお上はもう連合に加盟しちゃったんですよ。いやはや、グローバル化の波には逆らえませんねえ」
博士は何も言葉が見つからなかった。
SCP-005-JPの設置された実験室には、今、歌い声が響いている。
「It's the time for peace —」
桑名博士は神剣を2、3度素振りする。そして、005-JPに対し青眼に構えた。
周囲の研究員達は息を呑んだ。珍妙な歌はともかく、博士を取り巻く空気がいかにも神妙なもののように思えた。余計な言葉を口にすれば今にも断ち切られてしまいそうだった。
「Hey!」
剣を振り上げ――。
「Stop now this war!」
刀身が、金属の魚を打った!
数瞬。
時が止まる。
最初に動きを作ったのは、桑名博士。
「ぬあああああああああああ!!」
剣を投げ捨て、手を振り払う仕草をしてみせた。
「手が! 痺れて!」
「また失敗ではないか! ちゃんと修行してきたのか!?」
「してきましたとも! 免許だってこの通り!」
博士は修験者免許を取り出し、005-JPに見せ付ける。
005-JPは視線を動かしたわけではないが、それを見て。
「貴様! これは普通免許ではないか!」
「……は?」
桑名博士も免許を見る。並んだ枠の一つに『普通』の文字が書かれているのみ。他の欄は空いている。
「大型特殊でないとそのクラスの神剣は扱えんわ!!」
「何ですかそれは! 私は知りませんよ!」
「とにかく、貴様じゃ話にならん! 誰か他の奴を!」
「いるわけないでしょう。私はもう勘弁です。この件にはもう関わらない。いいですね!?」
その時、実験室の壁に取り付けられた電話が鳴った。
桑名博士は受話器を取る。
「はい、桑名……理事? は? 受けてみる? 大型特殊? 私が?」