クレジット
シリーズタイトル: 京都呪縛戦争/毒蛇、病毒
章タイトル: #1 はじまりのよるに
著者: ©︎souyamisaki014
作成年: 2025
2009年6月、京都
────開戦
夜闇
高鳴り
始まる
#1 はじまりのよるに
暗がりを走る。
六月の京都は蒸し暑い。じっとりとした空気のせいで、嫌な熱が体にまとわりつく。
一心不乱──吐いているのか吸っているのかも分からない息が気管を通る。呼吸と足のリズムが噛み合わなくて、踏み込んだ衝撃が体の内側に伝った。カフッ、と口から漏れた空気は息なのか悶絶なのか。
考えている余裕はない。
夕暮れの京都市街を走る。命がけで。
今はただ一歩でも、速く遠く──追ってくる怪物から、逃げないと。
(何が……何がどうなってるの……!?)
ほんの数刻前まで、修学旅行を一緒に回るクラスメイトたちと歩いていたはずだ。
みんな死んだ。今まさに背後へ迫る、昔話の鬼がそのまま出てきたみたいな化け物が薙ぎ倒していった。血とかもいっぱい出た──腕の一振りで、級友はそんなになった。
その光景を脳が理解するより速く、彼女──佐藤茱萸ぐみは逃げ出していた。
(死ぬ。あれに捕まったら、終わる……!)
気が逸る。恐怖──生命の危機に対する、純然たる恐怖心。本能に衝かれて、黄昏の街を駆ける。
が、無情にもそれは追いついてくる。
背後に迫る、振動と足音。
(速い……!?)
傾いた日が、鬼の巨体の影を落とす──影はもう、すぐそこまで迫ってきている。生き物としてのサイズがまるで違う。まるで人を嬲り殺すために出来ているかのような、圧力。
殺気混じりの息遣いさえ感じるのは、きっと勘違いではない。
肩口から返り見た暴鬼は、まさに今、腕を振り上げた──もう既に、間合いの中!
「ッ──!」
咄嗟に急ブレーキ、そして、方向転換バックステップ。勢いのまま、地面を転がる。
間合いは逆に、ゼロ距離に近づく。人だろうが、獣だろうが、鬼だろうが──自身の懐には、振り上げた腕は届かない!
「っ、いま……!」
咄嗟の判断は功を奏した──鬼は、腕を空振って、無防備に背中を晒している。
立ち上がり、走り出す。今だ。
このままなら置き去りにして逃げ切れる。進行方向を睨み、強く踏み込んで、前へ。
「──きゃっ!?」
が──そう上手くはいかなかった。
足がもつれて、転ぶ。無理な体勢から走り出したせいで、足を滑らした。
視界がぐちゃぐちゃになって、コンクリートに投げ出された衝撃で体が痛む。
自分に何が起きたかを理解するのに1秒、起き上がろうと地に手を付くのにもう1秒。マズい、早く──後ろを確かめるため振り向いた視界には、とっくに茱萸を間合いへ捉えている鬼の影。
──たった一薙ぎで人を粉微塵にする腕は、既に振りかぶられている。
「あ……」
死んだ。
確信。
体が固まる。
目を閉じることさえ忘れ、呆然。
自分もこれからそうなるであろう級友たちの肉片が、脳裏に浮かんだ。
「強制停止キャンセル」
「──ッ!?」
瞬間、指を弾く音──そしてそう唱える女の声が、茱萸の意識を現実へと引き戻す。
視界の隅で、漆を塗ったように艶めく黒髪がなびいた。茱萸を守るように、黒い髪の少女が彼女の眼前へ躍り出る。
そして、その彼女に対しても、振るわれた鬼の腕は届かない──風が微温火を吹き消すように、彼女を追い立てた巨体が消し飛んだ。
余波で生まれた風が、黒髪の少女の上着を小さく揺らす。
「っ……ぁ」
心臓が早鐘を打っている。余韻めいた静寂の中で、ドッドッドッ──と心臓の音。
声も出せず、茱萸はただ口をぱくぱくさせた。少女の背中をただ眺めるしかできない。
(助かっ……た……?)
安心感で全身が弛緩しているのと、目の前で起きた出来事の理解が追いついていないのと。呼気は掠れて、心臓の鼓動だけがうるさい。
「大丈夫?」
自身の心音を切り裂いて、茱萸の耳に届いたのは凛とした声。
茱萸の方に振り向いた黒髪の少女が、手を差し伸べていた。期せずして同時、街灯が点る。
ハッとして視線を移す──白く細い指。すらりとした手脚に、和柄の羽織ものとジーンズ。素朴ながらも質の良さそうなシャツ。そして、肩口からするりと零れた漆黒の長い髪。
佐藤茱萸を助けたのは、そんな少女だった。
「だ……大丈夫」
手を借りて立ち上がる。
完全に止まらないまでも、震えは収まった。
「えっと……ありがとう。きみは──」
口を突いたのは疑問だった。少女の素性や名前もだがそれだけじゃなく──いま何が起きていて、さっき何をしたのかとか。頭の中わからないことだらけだ。
がしかし、それらが言葉になる前に──
「しっ──ごめん、下がって」
少女が腕を伸ばし、それを遮った。
彼女の視線は既に茱萸にはない──通りの向こうから現れた人影を向いている。
「誰かと思って来てみれば、お前か。なむな」
「蓮花──やっぱり貴女なんだね、これ」
茱萸を庇って立つ少女の姿を認めて、通りの向こうの人物はそう投げかけた。
少女も応える。現れた人影と、茱萸を助けた少女──両者は睨み合う。
知己なのだろうが、その間にある雰囲気はおよそ穏当な間柄のそれではない。双方ともに、言葉の端に非難の色が滲んでいる。
一触即発──空気が張り詰めていく。
「やるつもり? いたちごっこだけど」
「お前こそ、どういうつもり? それともそういうつもり?」
「解釈は任せるよ」
向けられた重圧を受けて、なむなと呼ばれた少女は指を鳴らそうと手を構えて問う。
対し、相手も何やら腕を伸ばして構えた。腹の探り合い──飄々とした答えを返す。
「ああ、そう。そういうこと。ふぅん。いいのね?」
「いいも悪いも無いよ──どっちかと言えば、都合が悪いのは貴女たちでしょ。いいの? 私と敵対して」
「それはお前にも言えることだわね。本気?」
「じゃなければ、今こうしてないよ」
構えは解かず、されど事を構えず──舌戦。緊迫感だけが増していく。
双方譲る気はなさそうだ。いざとなれば互いに無事では済まない──そんな口調で、二人は圧し合う。
「──やめた。確かにお前とやり合うのは得策じゃない」
「賢明だね」
一気に緊張感が消える──馬鹿らしいというように、相手が腕を下した。
少女は構えを解かない。警戒を隠さないまま、そう言った。
「覚悟しろよ、なむな。お前に帰る家はない」
「承知の上だよ。蓮花──みんなに伝えて。貴女たちに未来はない」
「言ってな──白虹ビャッコ」
応酬は続き、そして最後に残されたのは捨て台詞──蓮花と呼ばれた女が消える。
視界の端をよぎったのは、高速で飛行する白い影。
「と、飛んだ……?」
「蓮花の式神だよ」
「式神……」
去っていく影を見送り、少女は構えを解いて言う。
式神。特定の個人あるいは集団との契約により機能する限定神格だ──従えるには、相応の資質を要する。教科書的な知識はあるが、実物は初めて見た。
「さっきのも……」
「そう。あれも彼女──翁鳥おうとり蓮花の仕業」
あの鬼も、蓮花というあの女の従える式神──ということらしい。
「この街はいま戦場になってる。きみを襲ったのも、彼女が放った尖兵だ」
「……何が起きてるの? というか、きみは──」
改めて問い質す。聞きそびれた答えを、今度こそ少女は口にした。
「きみは京都市を舞台とする儀式に巻き込まれた。そして、私は翁鳥なむな──この京都せんじょう唯一の良心だよ」
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