「なにがどうしてこうなった……ッ」
愛宕 鎮花は騒がしい居酒屋の座敷で1人密かに頭を抱えていた。
異常から世界を護る秘密結社、"財団"。愛宕はその一員である。そして同時に、大日本帝国異常事例調査局、IJAMEAの隠将軍が一人である。つまりのところが、財団に潜入した間諜なのである。もっとも、間諜といえど、IJAMEAの組織規模故にそこまで大きな事例にかかわることはなく、稀に不利益となる情報を流す程度、言ってしまえば小間使いのようなものなのだが。
愛宕自身も自身の立場に思うことがないでもない。隠将軍とは聞こえこそいいが、要するに過去の軍国時代の影法師のようなものである。もちろん誇りはある、この国を護るという使命も分かる。だがまあ、ここから再興することはかなり低い可能性、あったとしても非常に困難だろう、と密かに考えていた。そんな環境ではあるものの、元来生真面目で、勝気な委員長気質でありながらも権威や規範に弱い、いわゆる小市民的な愛宕は文句の一つも言わず、それはそれ、これはこれとして順当に働き続けていた。
だからこそ、突如与えられた指令の内容に目を剥くことになる。
≪月下氷人委員会に接触し、カップルの増加を阻止せよ≫
冗談のような指令だが、無論伊達や酔狂で送られてきたものではない。添付されていた複数の資料を確認し、愛宕は丸めていた目を睨むように細めた。
「シンコンサン計画……、なるほど、話には聞いていたが、まさか縁結びの神が顕現するとは」
シンコンサン計画。IJAMEAが以前少子高齢化に対抗するため、縁結びの神を勧請し実施した計画である。縁結びの神を降ろし、それによってカップルを作ることで子孫繁栄に繋げる。そこまでは良かったのだが、縁結びの神が乱心、IJAMEAの勢力下を抜け出し、こともあろうに財団へ居座るとそこかしこの職員を手当たり次第に結び付け始めたのだ。そして話はそれに留まらず、なんとこんどは結びついたカップルが物理的接触をすると爆発する、という奇っ怪な事象に発展し今に至る。
そしてそんな爆発事故が複数起これば原因を調査するのが当然であり、これによって縁結びの神の仔細が分かれば、IJAMEA全体へ悪影響を及ぼしかねない。しばらくは静観に回っていたが、流石に危険と判断したのだろう、白羽の矢が立ったのが愛宕であった。何とも厄介な仕事であるが、新卒採用で潜り込み、数年間働いている実績が加味されたのだと思えば悪い気持ちはしなかった。早速月下氷人委員会へ接触を図った。
……そこまでは良かったのである。だが。
「えっ、愛宕さん婚活パーティーに興味あるの?」
「は、いや、そういうわけでは」
「愛宕さん、なんか寄り付きがたい雰囲気あるもんねえ、氷の女って感じ、じゃあ、私から参加希望出しておくよ」
「そういうわけじゃなくって、ただ月下氷人委員会って何をしてるのか」
そこから話はあれよあれよとあらぬ方向に走り出し。
「早速お見合いパーティーのお誘い来たよ、参加するよね」
「えっと、その日は少々仕事で都合が悪く」
「ん、愛宕君お見合いパーティーに参加するのか? ちょっと待って、……よし、その日は空けといたから」
「いや、あの」
「こっちは気にせず楽しんできなよ、別にそういう関係じゃなくても友人を作る場だと思って」
気が付けばいつの間にやら。
「今回は少人数で居酒屋だって、だから外見が変わった人は来れないね。そういう好みあったりする?」
「いや、好みとかそういう話ではなく純粋に辞退を」
「……ゴメン、確かに人の外見云々でそういうのはよくないよね」
「まあ、それはそうですが、そっちではなく」
「うん、そういう真面目なとこきっと気にいってくれる人もいるよ、頑張ってね!」
お見合いパーティーの参加者として、居酒屋の片隅でちびちびとオレンジジュースを啜る羽目になっていたのであった。
(……まあ、冷静に考えれば参加者として潜り込むのは無難な選択肢だ。何よりも、まず接触するべき相手に会えたのだから良しとしておこう)
言い聞かせるように気を取り直すと、横目でこっそりと幹事の席を見やる。眼鏡をかけた痩せぎすの男、たった一人の月下氷人委員会にしてこのパーティーの主催者。────シンコンサン計画によって降ろされた縁結びの神。佐藤である。見たところ、通常の人間ではあるが油断はできない。なにせ他者の関係を勝手に捏造し、縁を結ばせるという強力な神なのである。可能な限りの準備はしてきたが、到底敵う相手ではない。観察に徹し、関与を避け、この場を乗り切ろう。ふっと、視線が動いたのを察し、居酒屋のメニューを確認するふりをしてかわす。
しかし、猥雑な場である。愛宕の人生にこういった場所での経験は少ない。規律を求め、秩序を重んじる愛宕にとってあまり得意な場所ではないのだ。好き放題酒精を呷り(まあ、このような場だからあえて豪気な面を見せている者もあれば、量を調整しているものもあろうが)、盛り上がる空気の中、なるべく呑み込まれないよう、適度な受け答えと会釈を飛ばし、場の一員としてそれ以上でも以下でもないように努めていた。
だが、そんな愛宕は参加者の1人が放った言葉で波乱の渦に巻き込まれることになる。
「よし、宴もたけなわのところで、王様ゲームといきましょう! 幹事、いいですか?」
ツーブロックの男性職員が言いだすと、佐藤は頷き、前もって準備していたのか、鞄から人数分の棒とカップを取り出した。棒は一本だけ箸が赤く塗られており、その他の棒には番号が書かれている。この場の人数は全員で10人、つまり赤い棒が一本と、1から9まで書かれた棒があることになる。王様ゲームとは、この赤い棒を抜いた人間が番号を指定し、その番号を引いた人物に特定のアクションを起こさせるゲームである。例えば、「1と7がハグ」であれば、その通りにせねばならない。断ることはできず、『王様の命令は絶対』なのである。
「幹事からお許しが出たところで、早速やっていきましょう。あ、流石に初めてどうしがほとんどですし、あんまり過激なのは無しにしときましょう、ダメだと思ったらブーイング、下剋上ですね」
あまり面白くない洒落だが、酒の勢いもあってかどっとウケる。気をよくしたのかすっかりツーブロックが場を仕切る流れになった。佐藤はどうした佐藤は、と横目で見るが緑茶ハイを片手にニコニコと場を眺めているだけで、干渉はしてこようとしない。素性を知る愛宕としては得体の知れなさに眉をひそめた。
────そして、神事ゲームが始まった。
『王様だーれだ!』
王様を引いたのは佐藤。静かに座敷を睥睨すると、蟇目のごとくよく通る声で告げる。
「────1番と5番は5分間手をつなぐこと」
愛宕の背中にゾワリと何かが走る。第六感、虫の知らせ、呼び名は何でもいい。まるで周囲の気温が下がったような不安、それよりも強い静寂を伴った多幸感。咄嗟に唇を噛み、その痛みで意識を引き戻す。即座に仕込んでいた記憶補強材を飲み、記憶の改竄を可能な限り防ぐことに徹した。見れば、1番と5番に選ばれた男女はおずおずと指を絡め、耳を赤くしている。周囲のざわめきが、2人の関係をそれとなく示唆してくる。いわく、同期に財団へ加入した仲である、いわく、一時期同じ機動部隊に参入したことがある、いわく、そこで2人だけで逃げ延びた。
その真偽を愛宕は問うことができない。だが、もし最初からそういう仲であれば何故お見合いパーティーに参加するのか。そこまで思考を巡らせ、呻いた。
(……やられた、ここは既に縁結びの神の神域か!)
目の端で佐藤を睨む。おそらく王様ゲームが始まった段階で既にこの座敷は縁結びの神の掌中。発生する一挙一動はどのような形であろうと、縁を結ぶ結果に落ち着いてしまう。まるで虎口に飛び込んだが如く。なんとかこの場を抜け出すことができないかと浅く呼吸する愛宕に無慈悲なタイマーの音。5分経過したのだ。
すなわち再度、コールが響く。
『王様だーれだ!』
王様を引いたのはやはり佐藤。
「────4番と2番は互いの印象を答えること」
奥深い森の中で深呼吸したような香気が胸を満たす。漠然と心臓が温かくなるような幸せ。
……だが、それは与えられたものだ、愛宕は膝に爪を立てる。
4番は先ほどのツーブロック、2番は大人しそうな眼鏡の事務員。それでいながら、2番は矢継ぎ早に4番への好意を明け透けに放ち、4番は顔を真っ赤にして押されている。ああ、傍から見れば微笑ましい光景だろう。だが、それはこの場を舞い踊る神の余技に過ぎない。結ぶためだけに造られたものがあっていいはずがない。しかし、この場のルールは既に支配された。縁結びの神が眺める叙事詩の場へと。
(この場の王様は、ゲームの便宜的呼称ではない。まさしくアレこそが節理にして秩序、王の中の王……!)
この場を抜けることさえ、王様の命なしにはできないだろう。ふんすと惚気を言い切った2番の横で4番がしおしおとなっているのを横目に、また、コールが響く。
『王様だーれだ!』
王様は、佐藤。有り得ない確率に、誰も異議を唱えない。いや、唱えられない。
呼吸の1回、まばたきの1回、その全てが支配された甘やかなる重圧。
(現状の佐藤はこの空間の王にして神……! いわば、神君……!)
「────7番と1番はそれぞれ弱点を答えること」
次のペアは同じ部署の上司と部下。それぞれ相手の苦手な部分を言い合っているが、よく聞けばそれは互いを思いやっての行動だと気づかされる。周囲がそれとなく気づかせ、2人は相手の存在の大きさに気付き……。また、カップルが誕生してしまった。この場のルール、「王様の命は絶対」。いわんやその王が神であれば。
穏やかな周囲と相対して愛宕の背には冷や汗が流れる。既に趨勢は決まっているようなものだ、たった1人の神ならざる身で、どのようなことができようか。強大な神に対抗することなどできようか。ああ、このまま流されれば、このまま神の手によって撫でまわされれば、どれほどに楽だろうか。
(……だが、私は)
私は、何だ? もはや形骸化した軍部の影法師、いずれ歴史の中で消えゆくただの1人。
気持ちだけで何かが変わるのであれば皆それぞれの幸せを享受するはずだ。
そうでないから人は神に託す。幸運も、不条理も、喜劇も、悲劇も。
人と人が結ばれる奇跡も、結ばれたどうしが爆散する奇禍も、全ては起こるだけのこと。
無情に、コールが響く。揃ったそれはもはや人のものではない。
『王様だーれだ!』
王様は、佐藤。
「────8番と9番は好きな人を発表すること」
ああ、起こることなんて予想が付く。当たり前のラブストーリーが大衆酒場の一画で開かれている。それだけ、それだけのこと。全ては決められた筋書き通り、このゲームにあたって運命は変えられるものでなく、ただ与えられるもの。
────だから愛宕は、納得できなかった。
(私は)
陳腐なやり取りが終わってのち。神託が如きコールが響く。
(私はまだ、佐藤と同じ視座に立っている)
『王様だーれ……
この座敷で唯一、愛宕は佐藤と同じ光景を見ている。このゲームの中で何が起こっているかに気付いている。
そしてこの瞬間のみが、佐藤が王でなくなる瞬間。王様ゲームが終了し、次の王が選ばれるまでのほんのわずかな隙。
愛宕のみがこのゲームに干渉できる。このゲームを動かす手段を知っている。
する必要などない、やる必要などない、それでも愛宕が動くのは。
(私は)
隠将軍たる使命ではない、上位存在への反抗でもない。
(誰かとくっつけられ、爆散するのなんてまっぴらごめんだ!)
あまりにも小市民的な悲壮で単純かつ明確なる生存への意思だった。
愛宕は立ち上がり、コールが響き終わるより早くカップから全ての棒を力任せに奪い取る。
周囲が呆然とする中、赤い棒を引き上げると高らかに天へと突き上げた。
「王様は……!」
────宣言する。
「私だ!!!」
────すなわち、自分が神君となること。ルールを破り、神を引きずり落とす。
全身に何かが漲った。場の全員が驚愕の視線で愛宕を見る。
赤い棒を、既に表情すら分からない芒洋とした神へと突き立てる。
周囲の人間が魂を抜かれたように、あるいは宗教的光悦を得たように、2人を見つめ両手を合わせている。
「佐藤、お前は、王様と……」
代償は、大きい。この一瞬だろうと、人の身で神となる。
────覚悟の上だった。
数週間後、財団の一部では奇妙なカップルの噂が流れている。
「聞いた? 愛宕さん、お見合いパーティーで主催の佐藤さんをお持ち帰りしたんだって! 情熱的!」
いわく、月下氷人委員会として職員間の婚活を勧めていた佐藤が、参加者の愛宕に迫られ、付き合うことになったのだと。
そのあまりにも劇的な告白シーンはすっかり語り草となっている。
「なんでも王様ゲームのカップを奪い取って王様だって宣言したんだって」
「めっちゃ度胸あるよねえ」
広がる噂の片隅で誰かが呟いた。
「そういえば最近爆発事故減ったよね」
「ああ、なんかカップルがよく巻き込まれてたやつだよね、噂じゃどこかの団体がって話もあったけど」
「色々と調査してたっぽいけど、めっきり減ったもんね」
「……意外と愛宕さんのおかげだったりしないかな?」
「どういうこと?」
「ほら、愛宕神社ってさ」
噂話とは離れた私室で、休暇中の愛宕は笑顔の佐藤が手を振る悪夢を見ながら呻き声を上げていた。
「防火の神様なんだよ」



