三菱合資会社及び九十九機関における労働争議対策
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岩崎弥太郎

一たび着手せし事業は
必ず成功せしめざるべからず。


特務

「スガモ サン ロクバン」

串田萬蔵は出社直後に暗号電報を受け取り、思わずため息をついてしまった。レンガ造りの建物が並び、ほんの数十年前は湿地帯であったこの丸ノ内は、今では一丁倫敦と呼ばれる先進的な街になっていた。周囲一帯が三菱の建物であり、そこを「三菱マン」らしくきちんとした身なりの人物が行きかう。第一次世界大戦にも勝利し、国際連盟の常任理事国にまでのし上がった「一等国」日本の中心部にふさわしい丸の内の、さらにその中心部。日本に君臨する大銀行である三菱銀行の取締役がこんなげんなりとした顔をしているのは、不況でもやってきたか、自身の上司である三菱合資会社社長、つまり天下の三菱財閥総帥である岩崎小弥太から呼び出された時だけである。
串田はもう一度電報を読み返す。社長室ではなく「スガモ」「ロクバン」とある。ということは銀行の話ではなく、「九十九」の方の件だと理解し、もう一度ため息をつく。

「九十九機関」

明治維新の前後に設立されたいわゆる「正常性維持機関」の一つであり、日本国内や世界から入ってくる人智を越えた物品や現象を集積し、解析し、時には利用する機関である。初代理事長は岩崎弥太郎。つまり三菱財閥初代総帥であり、それ以降、三菱は九十九機関を運営してきた。

とはいえ、これまで九十九機関はそれほど活躍してこなかった。というのも、初代理事長が大隈重信と提携しながら政府直属機関として動こうとしていたが、その大隈重信は明治十四年の政変により失脚、三菱郵便汽船会社も共同運輸との値下げ合戦で痛手を被り、初代機関長も前後して死去し、勢力を失ったためだ。さらに言えば二代目の岩崎彌之助は表の事業の再興に忙殺され、三代目は自身の趣味もあり農場経営などを行っていたため、農業関係の異常存在や異常生物学者との繋がりを有したが、それ以上に活動を押し広げることはなかった。今では、国内の異常物収集や解析を行うのは軍隊や政府、そして蒐集院であり、国外からは「財団」がやってきている。

そんな九十九機関であるが、第四代機関長の岩崎小弥太は、三菱を激烈な力で改革し、拡大したのと同様、第一次世界大戦による好景気の影響を受けて潤沢な資金を持ったことで、これまで以上に積極的な活動を行っている。そして、串田は三菱銀行の取締役兼九十九機関の財布役を担っていたのであった。

そんな串田が「ロクバン」~暗号で九十九機関の本部を意味する~に呼ばれるということは、大きな任務を与えられることに間違いはない。社長のおっしゃることに逆らうことはもちろんできない。しかし、そうした任務は難しいものが多すぎる。串田は既に気が重いのであった。


「よく来た。座りたまえ。直ぐに本題にはいる」
身長180cm、体重130kg。各種スポーツのおかげで練り上げられた巨体を前にし、串田はやはり緊張してしまう。社長室なら兎も角、九十九の活動は一歩間違えれば死か、それよりも酷い目に会うためいつも緊張するのだが、さらに岩崎小弥太直々の話となればより緊張する。
「それでは失礼いたします」
「うむ。さて串田くん、率直にいうが、これから九十九の特務に従事してもらいたい」
「特務、でございますか。」
「今回の特務は三菱の行く末とも関わる重大なものだ」
小弥太はいった。
「今回君に与える特務は二つである。一つ目は、先日の神戸での労働争議の後始末だ。といっても、もちろん九十九のやり方でだ」

大正10年川崎・神戸造船所の労働争議

神戸にある川崎造船と三菱神戸造船の労働者が労働争議を行い、最終的には軍隊も出動する事態となっていた。
小弥太は言葉を続ける。
「労働者が争議を起こすのは今に始まった事ではないが、どうも今回はソビエトから異常物品が流れてきているようだ。これが、その証拠である。適切に処理させたものだから見ても影響はない。見なさい」
小弥太は一枚のビラを見せた。ビラには「労働者よ団結せよ!資本家の横暴を許してはならない!」とお決まりのスローガンとハンマーをもった労働者が資本家と思われる紳士を殴りつけている絵が描いてあった。
「絵柄は若干過激に見えますが、一見なんともない、通常のアジテーションのビラのように見えます。これが異常物ということでございますか」
「うむ。どうやらこれを見ると、それほど激烈ではないにせよ、反資本家思想を持つようになり、暴力に訴えやすくなるらしい。取調べでもこのビラを見てから急に暴れ出したくなったという証言がでている」
「ということは、これの出所を探るという」
「まぁまて串田くん。今回君にしてもらうのは、このビラのような、意思の支配を行う物品への対抗手段を創ってもらうことだ。いや、というよりも「創れそうな人物とコネクションを持ち、九十九機関のために働いてもらう契約を結ぶ」ということだ。そしてもう一つの特務は」
小弥太はここで言葉を区切り、続けた。
「そうしてできた対抗手段を、三菱の職員に摂取させる口実をつくることだ」

沈黙。

串田は小弥太の意図を飲み込めず、小弥太は串田が意図を飲み込めていないことを不思議に思っている。
「わからないか?」
「恐縮でございますが、その、理事長は・・・いや、社長は三菱の職員が暴動を起こす可能性があるとお考えなのですか?」
「うむ。何年か前からSMUなんぞできているだろう。一部の学者たちも最近では「労働者と管理者が団結して資本家と闘え」なぞ言っている。これは良くない傾向だ。労働者たちは数が多く腕っぷしも強いが所詮は烏合の衆だ。警察や軍隊が動けば大したことはできまい。だが、そこに職員のような知識のある連中が加わったら、これは一つの軍団となってしまう。それは防がねばならんと思うのだ」

三菱では一般的な肉体労働者とは別に、学歴をもつ所謂「サラリーマン」を職員と呼称し、分けて遇している。小弥太は所謂「サラリーマン」たちが今回争議を起こした肉体労働者と手を組み、労働争議を起こすことを警戒している。そして、その前兆としてSMU・・・「サラリーメンズ・ユニオン」という所謂「サラリーマン」たちの労働組合の結成があると考えているようだ。

「理解が及びました。労働争議の「頭」が生まれる可能性を予め潰す、ということでございますね」
「うむ。指揮なき力はただの暴力であるが、指揮を得た力は戦力となる。暴力に対抗することは簡単だが、戦力に対抗するのは難しい」
串田は小弥太の意図をつかんだものの、具体的な手法は思い浮かばない。しかし、九十九の幹部として、そして何より「三菱マン」として、社長の言葉にはこう返すしかない。
「承知いたしました。必ずや理事長の望むように。」
小弥太は微笑む。
「頼んだぞ。三菱の方でも、不況の始末をさせていて苦労をかけるが、三菱のため、ひいては日本国のためだ」
串田は立ち上がりながら言った。
「そして、私にとっては何よりも社長のためでもあります」
「三菱マン」としての矜持が、九十九の任務遂行を支えているのだ。


人探し

「うーん・・・それは無理でしょうねぇ。私のは完成しないとどういう力があるのかわかりませんしねぇ・・・」
「そうですか。それは残念ですが仕方ありません」

これで6人目もダメだった。
串田は銀行事業の合間を縫って、特務のために芸術家と接触していた。串田はとりあえず、例のポスターと同じように芸術品の改造という方向からアプローチすることにしてみた。そして、九十九でかつて関係を持った人物のなかから「特異な」芸術家を探し、話をしているのだが、なかなか上手くいかないのであった。

6人目も上手くいかず、串田は次に接触すべき芸術家を選ぶ。悩む。思いのほか難しい。そもそも、ソビエトと同じ手法で本当にうまくいくのかすらよくわからない。九十九は本業に関係がある、機械工作や金銭のやりとりに関わる特異な物品に関しては一日の長があるが、こういった芸術方面はあまり強くない。仕方がないので現在は、九十九機関が過去に接触したり、目星をつけている人物の一覧表を上から順番に当たっている状態であった。

「はぁ。こういう精神論みたいなことなら私なんかよりよっぽど赤星くんの領分だろうに」
雑誌やら講演会やらでいつでも「三菱精神」を強調する同僚の赤星の顔を思い出しながら、代わってもらえないか考えてしまう。
「しかしまぁ、理事長直々の特務であるしな・・・」
なんだかんだと言っても小弥太の言うことには逆らえないし、小弥太からの特務は自分ひとりの力で解決したいと思ってしまうあたりが、「三菱マン」たる串田の性根であった。


「そろそろお時間です」
これから銀行の会議が始まる。頭を頭取のそれに切り替える。
三菱銀行の采配も、下手をすれば自分のひとことでいくつもの会社が吹き飛び、労働者が路頭に迷う可能性があるから責任重大ではある。「表」の銀行業と「裏」の九十九、どちらからでも日本を支えるのが、我々「三菱マン」のあるべき姿なのだ。


そうやって数日が過ぎ、また接触した芸術家にも断られ、また数日かけて選び、という作業を繰り返す串田であったが、進展はなかった。

「これはやり方を根本的に見直す必要があるだろうか」
串田は深夜、書斎で独りごとを言う。もうそろそろ寝ようかと思うのだが、こうも特務が上手くいかないと小弥太に対して申し訳が立たないと思い、色々な考えを巡らせている。

しかし、やり方を見直すとはいうものの、芸術家方面でダメならばどうすればいいか。科学者と思ったが三菱内には科学者はあまりいない。技術者なら多いが、どちらかといえば工作機械の分野に特化しており、「意思を支配する物品」は創れそうもない。

学者との繋がりを利用して大学にでも行こうかと思ったが、あまりそちら方面に首を突っ込むと政府の連中や軍人とかちあってしまう。特に帝大系の異常物関係者はほぼ確実に軍か政府の息がかかっている。
初代理事長と繋がりの深かった大隈重信の学校とも思ったがあそこは文学の方が強い。小説家はいるだろうが、そういった小説家たちが大学と順当に付き合いを持っているとも思えない。福沢の学校の方は、ライバルの財閥である三井系の牙城と化している。
三井が九十九のような機関を有しているとは聞いていないが、彼らも政府や大学とのつながりを有する巨大財閥。多少なりと裏の事情にも通じているはずだ。その状態で、九十九の活動がわずかでも三井に感づかれるのはよくない。表でもやりあっているのに、裏でもやりあい始めたら共倒れ間違いなしだ。

今まさに串田は八方ふさがりと言ったところであり、どこを候補に挙げても上手くいかない理由の方が先に頭に浮かぶのであった。

「さてどうしたものか・・・」
とりあえず九十九機関が繋がりを持つ組織・人物の一覧表を見直す。資本蓄積が次の事業の基礎となり、その事業が更なる資本蓄積をよぶように、九十九の基礎的な情報の蓄積を見直し、そこから展望を考える。表の事業と同じく、基本に忠実に。
一覧表を見てみると、初代や二代目と関りがあった人々は死去しているのが大半であり、今存命なのは小弥太が紹介したり繋がりを持った人物か、三代目の時代の人物である。顔を思い浮かべながら思案していると、三代目が連れて来た人物の中に眼を引くものがあった。


園田正幸。

33歳。福島県の地主の一族出身。先祖代々異常生物学者として活動。園田家の村では米の生産量が突出しており、天保年間には幕府より使者が来て視察を受けたこともある。

3代前の園田藤左ヱ門は江戸に遊学し、「生類塾」で技術を学ぶ。その秘伝の技術を子らは受け継いでいるとみられる。

正幸は帝国大学⁽現:東京帝国大学⁾に入学し、医学を学ぶ。ドイツへ留学もするが帰国後数年間行方不明となる。その後、父の急逝を伝え聞いたことをきっかけとして帰郷。村民から推戴される形で父の後を継ぎ、31歳でという異例の若さで村長となる。現在は村の運営以外に農業に従事。園田家の小作人は軍隊のように規律正しく農業を行うため収穫量が非常によい。

なるほど、農園経営に力をいれた三代目らしく、農業関係の技術者との繋がりがあったようだ。かなり遡って経歴をまとめているところも何となく三代目らしいと思う。この調査票を見る限り、おそらく三代目は、突出した米の生産力という部分に注目し、園田と接触したのだろうが、串田の眼にとまったのは「軍隊のように規律正しく」という部分であった。園田正幸は医学を学んでいる。そして九十九機関の調査票に名前があり、「軍隊のように規律正しい」とくれば、稲の方ではなく小作人たちのほうになんらかの仕掛けをしている可能性が高いと考えるのが自然なのではないだろうか。

それに、在野の人間ならこれまで考えてきた他の機関とぶつかるような懸念も回避できるだろう。行方不明期間と帝大出身であることは気になるが、少なくともこの一覧表に名前が載っている以上、軍や政府、他の会社と正面衝突することはないはずだ。園田の存在は、串田にとってか細いがしっかりした蜘蛛の糸のように思えた。


「労働特化型人類」

「機関長。それでは以前申し上げました通り、福島県まで出張に行ってまいります。銀行の方では遠い親戚の葬儀ということになっております」
「うむ。まさか三代目の残したものが役に立つとは思わなかった。よろしく頼んだ」

串田は小弥太に報告してから福島に向かうことになった。先に手紙を出したところ、三代目と接触し、農地で育てる作物の品種改良について助言をしたということを伝えてくれた。そして、これも縁なのでまた協力できるものならしたい、是非来てほしいといわれ、すぐに日程を調整して福島に向かうことになったのだった。
しかし、園田の村は福島とは言ってもかなり奥まった土地にあるらしく、まずは汽車で福島に向かい、そこで一泊してから翌日村へ向かうことになった。村にも一泊、さらに帰途も福島に一泊するので、要件のわりに時間がかかる。

出発する前、三菱のマークが掲げてある本社を改めてみて、それから丸の内の発展ぶりをみながら串田は考える。これからもっと近代化が進み、汽車が日本の隅々まで走り、自働車も走るようになれば、この程度の折衝にこれほど時間はかからないだろうに、と。
そして、表では三菱が、裏では九十九機関が行う様々な事業こそが、そうした近代化し、快適で生きやすい日本を創るために必要なのだ、とも思った。


予定通り福島で一泊し、さらに汽車を乗り継ぎ、歩き、ようやく園田の村に到着した。でこぼこ道と見渡す限りの田んぼであり、幼い時、まだ明治の初めころの空気を思い出すほどだった。いや、もしかしたら江戸の頃からあまり変化が起こらなかったような村なのではないか、とさえ思う。

あまりにものどかな農村なのでなんども確認してしまったが、やはりここであっている。まさか帝大を出て留学までした人物がいるような村には思えないが、事前にやり取りした手紙には「来ていただければお迎えに上がります。折角ですので、村人や田んぼの様子でも見てお待ちください」と書いてあったので、待ちながら様子を見ることにした。

「思ったより規律があるようには思えんな。むしろあまりやる気がないというか気力がないというか」

村人たちから、なんというか覇気を感じない。確かにそれなりにキビキビ農作業をしているのだが、心ここにあらずというか、力が抜けているというか、そんな雰囲気である。これはなにかあったのだろうかと思っていたところ、こちらに気が付いた村人が近寄ってきたので、園田への取次を頼むと同時に、待っている間に少し話をした。

「私は農作地の管理人なのですが、ここは村長の指導のおかげで収穫量が素晴らしいと聞いて、視察にきました。ここで米を作っておられるのですか?」
「はい。ワダシのウヂは昔っからここで米さつくっデまス。このあダりにはほかにやっこともすっこともネから、米サつくっことしかでギねぇですし。もっと都会にでもでればいいんだべなとは思うんスけどね、ワダシの村捨てデまで都会さ出っこともねぇべかなと思ってるわけでス」

流石に訛りがきつく、ところどころなんと言っているのかわからない部分がある。しかし、村の雰囲気を掴むためだと考え、更に話をしてみることにした。
「代々農家というわけですか。村長はどういうご指導をなさっているのですか?」
「指導ったって大したこドしてるわけでもねぇんです。少し前まではワダシたちもなんだかわかんねぇけども、必死に働かなくてはなんねべなと思って、若けぇのからじいさまばあさままで体ぼっこれるくらいまで働いてたんでス。ほだけども、村長がやり方さかえっぺっていってから体ぼっこれたのもみんな良くなっデ、今では反対にあんまり無理に働かねでもいいべなっていっデ、あんまりはたらかねようになったんでス」

「具体的にはどのように変わったのでしょうか?」
「前は本当に、朝から晩まで、なんだかわかんねぇけども働くべー働くべーっていって休みなく働いててないィ。村長があれやれーこれやれーって色々言うと、その通りにやらねばなんねべなと思って体が勝手に動くみダいにして働いてダんですけどもね、最近だと、一日の働く時間は大分減ったない。その代わり誰も体壊さなくなって米自体は前よりもとれるようになったんでねべか」

串田は不思議に思う。恐らく「軍隊のように規律正しく」というのはこの村人のいう「体を壊すまで働いた」時期のことだろう。村長が号令をかけるとその通りに動いてしまう、というのも、軍隊が上官の命令通りに任務を遂行する様を想起させる。
しかしそう考えると、かつてはそのような状況だったが現在は方針を転換し、働く時間が減ったというのはどういうことなのだろうか。村民の体が壊れることが多かったことを気にして、異常技術を利用することをやめたのだろうか。

「働く時間が減ったのに米の収穫量は向上した、と?」
「んだんだ。いっときは、あんまりにも毎日働いデたこドもあって・・・あ、そうそう、あんダみたいにシャキッとした恰好さした人が村の外から来だこともあったない。その人がなーに話したかは、もう誰も覚えてネんだけドも、なんだかその後には村人みんなで村長に掛け合っデもう少し休みさ取らせてもらうように寄合でももつベな、なんて話もあったんデす。ほだけども、オラたちが談判する前に村長が「今までのやり方を改めたい。ついては一度、みんなの体の具合を知りたい」ドかなんとか言って、村長がおらたづの体さ診てくれたんデす。そしたっけ、「思ったよりみんなの体の状態がひどい。すぐに農作業の方法を改めよう」とかなんとか言って、それからやり方が変わったんだない。今は、ほどほどに、村長の指示にしたがって田んぼさ耕すようになったんだない」

串田は、「シャキッとした恰好」の人物は、誰もその人物の話したことを覚えていないこと、その人物が来てから急に村民が団結して村長に交渉しようと考え始めたことからして、異常物を保有し、それを使用したおそらくソ連か共産党の工作員であると判断した。

そうやって話していると、村長の使いがやってきた。
「まぁ、ウヂの村にはなんもねぇべけど、ワダシたちの作った米だけだったら沢山あっから、是非とも食べていってください。欲しいならまだーまだあっから、何俵か持ってってくれてもかまわねぇかんない」
そういうと村人は田んぼに戻っていき、園田の使いに案内されて家までついていくことになったのだった。



「わざわざ遠いところお越しいただきありがとうございます。村長の園田でございます。ウヂでは大したモンもご用意できませんが、どうぞお上がりください」
慌てて着替えたのか少しばかり崩れている着物を整えつつ、園田はそういうと女中に命じてお茶を持ってこさせた。
「いえいえ、おかまいなく」
「いやぁ東京からここまでは時間がかかりましたでしょう。オラほの・・・失礼、こちらの村に他所から人が来られるなんて久しぶりでして、村人も緊張しているみたいです」
世間話を少しばかりした後、串田は本題に入っていく。

「それではそろそろお伺いしたいのですが、園田さんは九十九とどのような関わりをお持ちなのでしょうか?今回私は恐らくあなたが創り上げた「軍隊の規律を持つ農民」を見に来たのですが、どうも先ほどみた限りではそこまでしっかりした規律を持っているようには思えませんでした。それに、村人と少々話をしましたが、最近は前よりも働かなくてよくなった、と言っておりました。その辺り、少し詳しくお話いただけますか?」
園田は少し黙った後、口を開いた。

「かいつまんでいえば、人間の改造を行いました。もうご存じだと思いますが、園田家は代々村人や稲を独自に改良して他では見られない収穫をあげてきました。稲を改良する人、村民を改良する人と方向性に違いはありましたが、いずれにせよ、現在「異常」と言われるやり方で、その時代にできる改良を色々やってまいりました。私は稲の改造より人の改造に興味がありまして、そちらの道を究めるべく、学業を修めてまいりました。そうして留学し、帰国した後、政府の特務機関で秘密裡に働いていたのです。しかしそこはどうにも合わず、数年で辞めてこの村に戻ってきました。その後私が開発した「労働特化型人類」の試作品として村人を改造したところ、久弥さんの眼にとまった、ということになります」

「もう少し詳しくお話した方がよいでしょう。そもそもの始まりは源平合戦の時代に遡ります。園田の先祖は平家の落ち武者、と伝えられています。京都からここまで逃げて来た先祖は、この地を安住の地と定めましたが、当時は恐らく今よりも何もない山奥の森だったと思われます。そこでは食うにも困るということで、一族の目標は「腹いっぱい食べる」ということになりました。そして様々な農法を試しているうちに、「森の民」と呼ばれる何者かと接触し、そこで人智を越えた何か、今でいう「異常な」力を扱う知識を得た。これが口伝で伝えられている園田家の始まりです」
串田はそのまま黙って聞く。

「そして「腹いっぱい食べる」ために二種類の方策を取るという形に園田家の技術は進化していきました。一つは稲の改良、もう一つは育てる人の改良。父は稲の改良に興味を持っており、私は人の改良にこそ興味がありました。そういうわけで、先ほど言ったような留学と宮仕えを経たのですが、どうにもなじめなくてここに戻ってきたときに、三代目に協力することになったのです」

園田はここで一度区切り、お茶をのむ。

少し黙ってから園田はさらに話す。
「私は「労働特化型人類」を作成しようと試みました。命じられたまま、一切の間違いなく命令を遂行する人類。これを父が改良した稲と組み合わせればものすごい収穫量になるはずだと思いました。実際、旧来の「労働特化型人類」が完全に稼働していた時期は普通では考えられない効率で村人は労働していました。鉄の規律を持ち、こちらの言うことには絶対に逆らわない状態。実に理想的です」
「それは確かに理想的です。なんの異常手段を使わないでも我が銀行の行員がそういう風に働いてくれればいいと思いますよ」
串田がニヤリとしながらいうと、園田もそうですね、と笑った。

園田は続ける。
「ですが、2つの問題が生じました。1つ目は村人の摩耗。もう1つは外部からの圧力です。確かに一時的に軍隊のような規律を持つようになりましたが、無理な労働を強いた結果、村民は体を壊していきました。今の経済学の用語でいうところの、再生産が不可能な情況まで村人を使いつぶしてしまった。そう、私は人間の肉体的な弱さを見誤り、目の前の生産性ばかりを重視してしまったのです」
園田はそういうと目を伏せ、少し黙った。恥じているようにも悔いているようにも見える表情であった。

「そしてもう1つはの外部からの圧力というのは」
串田はそこで園田の話をさえぎった。
「先ほど村の方から聞いた「シャキッとした恰好をした人」のことですね?」
園田は答える。
「そこまでご存じでしたか。それならば話が早いです。そうです。詳細は結局不明なものの、あの人物は恐らく左派の工作員かなにかでしょう。村人を焚き付け、団結させ、私を追放させるのが目的だったようです。しかも悪いことに、彼はなんらかの特殊な力、あるいは異常な物品を所有していました。そうでなければ、私が改良した村人が、ああも簡単に私以外の人物のアジテーションに影響されることはないはずですから」
「それほどまでに強い精神支配を?」
「えぇ、まぁ。なので、普通のやり方では園田家に反抗できるはずはありません。しかし、ある意味では彼に穴を突かれたといってもいいかもしれません。確かに私の改良した村人は私の命令に従うように強く管理されています。とはいえ、村人も人間ですから、知らず知らずのうちに過酷な労働に不満を溜め込んでいたのでしょう。それを、彼の力か異常物によって解放され、増幅させられてしまった、と考えています。そういうわけで、やり方を改めることにしたのです」
園田は続ける。
「そこで「体を壊さない」「命令には従い反抗しない」「不満を溜め込みすぎない」という条件を満たした上で効率的な労働を行わせるために必要になるのはなにかを考えました。そして、基礎的な体力向上作用と反抗する心・・・反抗のやる気と言ってもいいですが、そういうものを奪う作用を持つ薬品を開発し、村人に注射しています」

串田は口をはさむ。
「薬品?それはどうやって投与しているのですか?この村人全員に摂取させているのですよね?」
「はい。園田家主導で定期健康診断を行わせ、そこで「栄養剤」として注射しています。園田家はこの村唯一の医者ですから」
なるほど、と串田は思う。それならば違和感もないし、健康診断を受けさせることもできる。三菱でも定期健康診断は少しずつ行われているし、三菱の病院もある。そこで打たせることはできるだろう。
串田は園田の作る薬品に勝算を見出しつつあった。
「その薬品を拝見しても?」
園田は少々待ってほしいといい、女中に何かを命じ、薬瓶を2つ取ってこさせた。
「これがその薬品です。こちらの赤い瓶の方は体力増強剤で、短い時間の運動効率が上がります。緑の瓶の方は精神支配薬・・・先ほどの言い方をすれば「反抗のやる気」をそぐ薬品です。これを投与されると、「命令されたことをこなすと対価として娯楽を楽しんでよい」という意識が植え付けられます。こうすると、娯楽を得るために、命令されたことを必死にこなすようになります」
「なるほど。目の前の娯楽にだけ意識を向けさせることで反抗の意思を削るということになるでしょうか。さながら、馬の前にニンジンを吊るして走らせるように」
「まぁ、そういうことですね。以上がこの村、そして私が開発した「労働特化人類」の全てです。いかがでしょうか」


串田は迷う。
串田は考える。
話を聞けば聞くほど思っていたのとは違うと感じている。
元々は「鉄の規律」というところに関心があり話を聞きに来たのだが、その方針は取っていない。ただし、一応実績があるので、頼めばそうした薬品も開発してくれるだろう。一糸乱れず、社長の方針に全「三菱マン」が従えば、間違いなく最高の企業になれる。流石に三井を抜くことは難しいかもしれないが、住友や安田、落ち目の古河のような連中には大きな差をつけることができるだろうし、三菱が強い造船や鉱業では三井すら凌駕できるかもしれない。
今回の主目的は「サラリーマン」の意思を支配することにあるが、これを肉体労働者に適用することもありうるだろう。
園田が以前開発した形の「労働特化人類」は管理を徹底すれば素晴らしいものだと考える。

一方で、目の前の娯楽にだけ必死になる人間を創るというのはどうだろうかと考えてみる。反抗の気力を失わせ、従順ではあるが覇気のない人類にする。しかし、やるべきことはそれなりにキチンとやる。それなりに行うだけなので、無理をして体を壊すことはない。
一長一短というのは短い部分の方が多すぎるような気がするが、少なくともこの村ではこちらの「労働特化人類」は上手く機能しているようだ。

静寂。風が吹き抜ける音がする。園田がお茶を飲みほす。
静寂。

串田が思案していると、園田が尋ねてきた。
「串田さん、一つ質問があります。仮に私がこの薬品を九十九に提供したとして、九十九は何をなさるおつもりなのでしょうか?」
何を。難しい問いだ。何故なら小弥太の命令に従っている串田にはその真の目的がわからないからだ。しかし、これは言えるだろう。
「勿論九十九機関のため、三菱の為、理事長つまり社長の為です。しかし、それは私利私欲ではなく、日本の為になるはずです」
「日本の為、とは?」
「・・・日本人が日本人として、日本人らしく生きる場所を作ること。その為に三菱は、九十九は力を尽くせるはずです」

また静寂。

旧来の「鉄の規律」型を採用するか。
現行の「娯楽」型を採用するか。

迷う串田は小弥太の今回の命令を思い出す。
今回の目的は「労働争議の「頭」が生まれる可能性を予め潰す」という部分にある。つまり、最も効率よく「頭」を潰すことを小弥太は望んでいるはずである。
ここには小弥太の名代として来ている。
つまり、串田は小弥太になりきり、小弥太の考えを完璧に写しとり、判断する必要がある。



串田は決断する。



「「反抗のやる気をそぐ」形での「労働特化型人類」を創る薬品の改良、そしてそれを三菱の職員に投与する計画を立てたいと思います。細かい契約については後日まとめるとして、村を離れて三菱合資会社の嘱託社員として来てくれませんか?」

「お受けしましょう」
園田は即答する。
「実を言うと、元々このお話はどんなことだろうと、協力を申し出られた場合は受けるつもりだったのです。久弥さんには本当に良くしていただきましたから、その恩返しのつもりもあって。ですがそれに加えて、あなたの飾らない言葉に、現在の九十九機関も信頼のおけるものだと判断しました。誤魔化さず社長のためと言ったこと、その上で日本のためになると言ったこと。九十九機関をよく表していると思います。なので、お受けいたします」
串田は~特務を受けてから一度も見せていなかった~最高の笑顔をみせた。


「とりあえず、村長の立場は下の息子に継がせましょう。元々そのつもりではありましたし」
「長男ではなく?」
園田は少しだけ表情を曇らせて言った。
「私の後を継いで「労働特化型人類」を創りたいと言っていたのですが、出奔しまして。風のうわさでは、どうやら医者男爵の下で働いているみたいです」
「あぁ、凍霧男爵の。彼も医者ですし、通じ合うところがあったのでしょうかね」
園田は弱弱しい笑顔を見せてから言った。
「あの男爵を一度だけ見たことがあります。張り付いた笑顔でこちらを見てきましたよ。ワダシの息子は・・・とんでもなく恐ろしい人について行ったのではないかと、ほんの一瞬ですけど、思いました」


サラリーマンの夜は更けて

「うむ。ご苦労であった。本格的な契約書は今準備させているが、薬品の効果と健康診断という名目での注射という案、大変よろしい。ここから先は直接私が指揮しよう」

結果から言えば、串田の判断は正しかった。小弥太は喜び、これこそ望んだ結果である、と串田を褒めた。園田は串田との会談後、半年程度経過してから東京へやってきた。形式上、三菱合資会社地所部の職員として雇用されており、偽装のために農地関係の事業に携わっているが、本命は九十九機関特殊医療部門の薬品部主任である。

九十九は園田招聘以降、「裏」の界隈でもその存在感を少しずつ大きくしていた。といっても全盛期の明治初期ほどではないが、「どうやら三菱は裏の機関を持っているらしい」ということが認知されたらしく、以前よりも軍事関係者との非公式な接触が増加している。
「表」の三菱が軍需産業を担っていることや、社長の愛国意識が強いことから、恐らくは今後、軍事との関係を深めていくのだろう、と串田は考えていた。
「いずれにせよ、三菱マンは社長の言うことを抜かりなく遂行し、三菱のため、日本の為、社長の為に働くべきであるな」
三菱地所の部長であり、串田と同じ九十九の幹部である赤星陸治との昼食会でも、結局そんな結論に落ち着いた。
「真の三菱マンであれば、あのような薬剤を注入されずとも三菱の為に働けるはずであるがな」
赤星はそんなことを言っていた。「三菱精神」を新入社員への訓示で必ず話す赤星らしい言い方だが、確かにそうであろうと思った。

ともあれ、三菱では、定期健康診断と合わせて、赤星や串田が望むような「真の三菱マン」ではない「サラリーマン」たちに、園田が開発した薬品を注射を打ちはじめた。
その効力は絶大であり、業務はそれなりにこなしつつ、それでいて労働運動などには共鳴せず、今日明日の楽しみを得るために生きる享楽的な「サラリーマン」たちが産まれていった。

こうした「サラリーマン」たちは、銀座へ繰り出し、乱立していたカフェーで女給と遊び始め、あるいは宴会を催し、あるいは家族で活動写真を見に行った。結果として彼らの余暇活動は、それはそれで一つの文化を創っていったが、それはまた別の話。
ともあれ、華やかな夜の世界がこの頃産まれ、大正の夜は更けていくのであった。

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