デビルアラモードの謀略
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深夜の歌舞伎町タワー。

「……やぁ」

水が流れる音が廊下に響く。個室以外にプライベート空間のない化粧室で、俺は壁で不貞腐れているとある少年を眺めていた。

「今の女の子は?知り合い?」

「……何見てんの」

「振られちゃったの?」

「……俺から振ったんだよ。何」

「ほんとかねぇ。どうすんの君警察呼ばれちゃったら」

「ここの奴らが自分から警察呼ぶわけないだろ」

「それもそっか」

目深にニット帽を被りオーバーサイズのダウンジャケットを着た彼はやたらと着膨れしていたが、ちらりと見えた顔は白く、目尻の線は濃く、唇は艶めいている。年にそぐわず垢抜けた少年だった。

カーゴパンツで適当に水滴をはたいて、真横を早足で通り抜けようとする少年。俺はその右肩を半ば強引につかんで引き止める。

「ごめんごめん。君に話があって来たんだよ」

「なに」

「……天くん。お金欲しくない?」

𖤐

歌舞伎町には神がいる。

全ての人間を監視し、街の隅々までを見通し、過去から現在に至るまでのあらゆる出来事を陰から見ている存在。

ここで超常社会を生きる人間は全て彼の目を恐れ、無意識に悪事や逸脱行為を勝手に避けるようになる。

そんな男と。

俺は今パスタを食いに来てるわけだけど。

「何食ってんの」

「なんか冬限定の……牡蠣のやつ」

「へぇ。俺牡蠣苦手なんだよな。よく食えんね」

「うるせぇ。ガキじゃないんだから好き嫌いすんな」

気に食わないその視線を躱しながら俺は箸で麺を掬う。ちょっぴりジャンクだけど上品な、めんつゆの香りが口の中に広がる。

「んでさ。話って何」

この店ではいつもフォークじゃなくて箸を使わされる。すすらないようにパスタを食うのが俺はどうも苦手だった。別に下品な食べ方をしたところで怒るやつはいないけど、世話焼きで口うるさいコイツがいると、変に気を使ってしまう。

普段ホストなんかしてるような羽振りいい奴ならもっといい店行けよって言われそうなチェーン店だけど、俺はここのこだわりを感じる料理が好きだった。こういうのでいい。

VALKOMMEN経由でお前に依頼が来てる。ちょっと手間だがこれを手渡ししたくてな」

「依頼?俺に?」

「お前に個人に来る話なんか一個しかないだろ。いいから読め」

"ネル"はそう言うと、茶封筒の中から便箋を取り出した。

「……食材調達。元々の依頼者は石榴倶楽部会員で、別れてしまった息子をひと目でも見たいらしい。弟の食料品からうちに連絡があった」

「ひと目見たいって。それ食うんだろ?」

苦笑する。

「うちに在庫確認したってことは……ここ来てるってことか」

「あぁ」

「やめといた方が良いと思うけどなぁ〜トー横キッズの肉なんて何入ってっかわかんないじゃん」

「一度は出てった大事な息子が食えるならそれでいい。それが母親としての思いなんだろうな、充分歪んでるけど。それにラプラス、お前の店で出た料理で健康被害とか起きたことないだろ?」

「あぁ。そんなもんは作らない」

人々が求める「特別な味」に俺も憧れを抱いたから、俺は弟の食料品でスタッフをしていた。VALKOMMENに来てからも、俺は料理には手を抜きたくなかった。厨房とキャストの二足のわらじにはかなり参ってるけど。人手がたんねぇよ。

誰かが望んだ味を、必ず再現する。それが俺の料理人としての矜持だった。

「気持ちはわかるからさ。料理に関しても店の奴らが食えるようにしてくれるだろうね──でも、どうやってそいつを調達する?」

俺はその母親からの文面を眺めつつ、皿の端っこに残っていたベーコンをかき集めて口に放り込む。

「その家出少年の活動圏はだいたい把握してる。どうにか接触をはかるところからお前に頼みたい。それに、下処理の指定も来てる」

最近のVALKOMMENお得意の、子供を懐柔して引き入れるやり方。こんなこぢんまりした町で通行人を突然ハイエースにぶち込むなんて目立つ真似はウチじゃできない。今回のガキはうちで雇うために誘いこむんじゃないから、警戒心を解いたりするのはあまり重要そうじゃなさそうだけど。

便箋には『もっといい生活をさせてあげたかった』『自分のことばかりだった。二人の時間をもっと大事にすればよかった』『私を愛してくれていた昔に戻ってほしい』というような、悲痛な思いが上品な字で綴られていた。

「……なるほどね」

大事に育てたのであろう息子がこんな場所に来ていることを知ったら。

そりゃ、激しい後悔で胸が焼かれることだろう。

𖤐

手紙には「天」って名前が確かに書いてありはしたが、天と書いて、ヘヴンと読むらしい。

あの筆跡の母親にしては……横文字の当て字なんて、かなりまともじゃないネーミングだ。"ラプラス"を名乗ってる俺が人の名前にとやかく言う権利なんかないけど、俺だったらその生まれついてのDQNネームが原因でグレる可能性は大いにある。

人は見た目によらないな、と思った。

「何、金くれんの?俺普通に乞食するよ?プライドとかないからね」

仕事着の見た目の整ったスーツを着てくるだけでも、彼らはこっちを「収入のある金持ち」「縋るべき大人」と判断してくる──特段警戒心が強くなければ。

2人しかいないタワーの廊下。足音を止めた途端、排水管の中を流れる水音がまだかすかに聞こえてくるような夜。本来ならば俺は仕事中だし、15歳は家でいい子に寝てるような時間。

「そうじゃなきゃ冷やかしでしょ。どっか行って」

「いやいや。この辺りによくいるの見てたから、お仕事とか興味ないかなー?と思ってさ。君かっこいいし、スカウトしに来たんだよね」

「……ホスト?」

「そう!天くんさ、モテたいでしょ」

「そうだけど……なんで俺の名前知ってんの?そんなに有名人?」

ネルによれば、このヘヴンという名の少年は度々トラブルを引き起こし、ここの界隈では厄介者として知られているらしい──ついさっき出てきた女もそうなんだろう。この辺の何人もの女に声をかけて関係を持ち、振ったり振られたりして、拗れた関係の中心にいる人物。

顔は良いと思うんだよな……でもそんな女への必死さが透けて見えることや、何よりその若さが……皆が彼をまともに取り合わない理由なんだろう。年上の女ばかり狙ってるらしいが、15の少年なんか話通じないレベルで世代差があるだろうし、体の関係になろうものなら大人の方は確実に捕まる。

「うちの店の子が格好いい子いるって話しててさ~。気になったから顔覗きに来ちゃった。常に人手不足なんだよね、うちの店。だから力貸してほしいの!待遇も良くするし」

「う~ん……ちょっと考えさせてくれない?」

ヘヴンは意外にも歯切れが悪いというか、ガードが固い。この辺りに出没する子供とは毛色の違う落ち着きを感じた。自分で言うのに反して、しっかりプライドが高そうな語り口調。

さりとて俺も引き下がるわけにいかない。仕事だし。

「そ〜う?ここだけの話君スタイルいいし垢抜けてるし、未成年なのも言わなきゃバレないと思うよ?」

「それはまあそう。普段も隠してるし。でも働いてる暇はないかもな」

「そうなの?もうなんかやってんの?」

暇だろ絶対に……なんて言葉は飲み込みつつ、俺は行けるところまで探りを入れる。

「いや、そういうわけじゃないけど。俺もう次の奴決めてるから……そうだ」

そう言うと彼は自分のコートから取り出したスマホで、ある女性の写真を見せてきた。ビルの影でスマホを見ている、大人びた雰囲気の銀髪の女性。その写真の撮り方がやや姑息で陰湿そうなことについては触れないが。

「最近オプチャ入ってきてここにも来るようになった子でさ。めちゃくちゃ好みなんだよね。だから今付き合ってた子も振ったんだけど」

俺の事を雑にあしらっていたさっきまでと違い、彼の目には少しの感情がこもっていた。遊び好きな家出少年のその目に見つめられれば、彼とのその先の関係を期待してしまう女の子たちのことも、ちょっと理解できる気がした。自分で言った言葉を反芻する。このルックスなら、未成年だと疑われないだろう。自ら明かしても信じて貰えないかもしれない。

「俺とこいつが付き合えるように協力してくれない?そしたら、あんたの店のことも考えてあげるから」

白髪ニット帽はそう言って上目遣いで俺を見る。それが意地の悪い策略の提案でなく、ここが歌舞伎町でなければ、お前はどこでもやっていけたろうに。そう思わせてしまうような美少年がそこにいた。

𖤐

「な〜んか回りくどいことしちゃってるな〜」

連絡先を俺に預けてくれはしたものの、ヘヴンの告白大作戦に付き合わされることになってしまった俺は、ネルの元でまた文句を垂れに来ていた。今日はこの部屋に泊まり。前貰ったフレンチトースト美味しかったからまた食べに来たかったし。

「あんま時間かけられても困るからな。仕入れには1ヶ月時間貰ってるとは言え、そいつが歌舞伎町に戻ってこなかったりしたら、また手間だから。にしてもヘヴン、素材がいいもんだからもったいないな。そのうちラプラスより稼ぐようになりそうなのに」

「うっせえよ!俺の方がイケメンだからな、言っとくけど!」

ビルの一室を模して作られたネルのこの巨大な作業部屋は、VALKOMMENを経由することでしか行けない異空間に浮かんでいる。窓からは歌舞伎町の景色を見下ろすことができるが、外から発見されることも物理的に鑑賞されることもまずない。キャストとして働く俺も部屋を貰ってるけど、高所恐怖症なので適当な地上付近にしてもらった。

ネルはここでVALKOMMEN内のシステム、キャストや利用客の個人情報、スケジュールや他組織との連絡に、協力関係にあるフリーランスの把握と監視……

そして歌舞伎町の結界を、1人で管理しているらしい。

「それに引き受けるって言ったんなら仕方ねぇだろ。ほら、こいつが件の女」

俺はヘヴンから貰った盗撮写真と、監視カメラで俯瞰された女の映像を交互に見る。間違いなく同一人物だろう。

ネルのこの8面モニターのPCでは、街中の監視カメラに常にアクセスしつつ、資料と似た服装や体格の人物、あるいは遺失物をAIで割り出すことが出来るようになっている。人探しなんかで大変重宝するが、そんな健全な動機でこれが用いられたことは未だにない。

「とりあえず名前はミクで良かったんだよな?」

「何が?」

「お前、ヘヴンにLINE上での名前教えて貰ったんだろ?それ以上の情報が出てこない。こいつ、歌舞伎町来るのが今回初めてみたいだ」

俺は少々面食らって、部屋にあるチェアを勝手に引っ張り出して腰掛けた。

怪しい……とまでは言わないが、ネルが何にも情報を引き出せないというだけで、この個人への違和感は強くなる。

歌舞伎町の神である、ネルですら掌握できない人物ということらしい。

「たまたまかもしれないけどな。こんな街に縁もゆかりも無い人間なんか、ごまんといるわけだし」

ネルは恋昏崎出身で霊能力者の血を引いている。名門ってほどじゃないし、習い事感覚でみんなやってる時期があった、って本人は言ってた。VALKOMMENを立ち上げてからは己の技術を現代のテクノロジーと組み合わせる方面に発展させていったらしい。

歌舞伎町にネルが隈なく貼りめぐらせた結界。彼は町内の監視カメラの全てデータを見ることができる上、この中のあらゆる電子機器を、ハッキングせずに覗き込むことができる。

「ただ、ミクのスマホにもなんの情報もなさすぎる。新宿にあるショップで契約してから1週間ぐらいだし、apple IDも新しい。データが消されてたり何かしらの保護がされてることもない。検索履歴も歌舞伎町近辺の飲食店とかネカフェぐらいのもんだな。出入りがあったかどうかあとで確認しておくとして」

「機種変のときにデータ移行とかしなかったのか?でも年明けてからスマホ作ってるってなると……」

「やっぱ思うよな」

ネル曰く、スマホの内部のファイルや、位置情報や検索の履歴がわかれば、持ち主の人格は把握できるらしい。今時スマホは必需品で、誰もが肌身離さず持っている。特に意識しなくても日々の行動はその板に焼き付いていき、人ひとりの人格を構成できるほどになっていく。

たとえ本人が覚えていなくとも、あらゆる事実をスマホは記録している。

「いやでも、親とかに粘着されたりしててスマホ作り直したかったっていうのもあるんじゃない?それにオプチャで知り合ったって言ってたし、誰かしらと会うためにトー横まで来たはず」

「それもおかしいんだよ。今ミクが入ってる、界隈の主な奴らが加入してるオープンチャットは公開されてない。検索しても出てこないで招待リンクが必要なタイプだ。つまり誰かしらと知り合ってからオプチャに加入してるんだよ。それにLINEのアカウントも作り直す意味がない。ここまで来たときに本人である証明ができないからな。身内からの連絡はブロックしとけばいい話だし」

「なるほどね……まさに“湧いた”って感じだな……ここまで不自然な感じだとやっぱり」

「あぁ」

ウィンドウを全て最小化し、ネルはこちらに向き直る。俺は背もたれに乗せていた顎を離して姿勢を正した。

「どっかしらの人間である線が濃厚」

VALKOMMENは一度、歌舞伎町の人間を超常現象に曝すテロを起こしたことがある。その時は財団の部隊に被害を抑えられ、ヴェールの破壊は果たされなかった。

半分失敗ではあるものの、当時の作戦の首謀者であるうちのNo.1はちゃんと別プランを進めていた。一番の目標である、「新宿から財団を排除する」ことのために次の作戦を実行に移していた。

財団には未だVALKOMMENの足取りは掴まれていないはずなのだが……万が一ということもある。それにうちは職業柄、数多の超常組織と繋がりを得てきた。我々の資源を横取りするため、どこかからスパイが送られた可能性もある……新宿の人材って正直豊かだし。

「当然憶測の話だし、ただ怪しいからといってこの女に直接的な行動は仕掛けづらい……ただ、ヘヴンとミクをくっつけるとしたらどうだ?ミクのことも探れるしヘヴンの要望に応えられればヘヴン自身を引き入れることもできる」

「確かにそりゃ一石二鳥だけど……ヘヴンは女とっかえひっかえして連敗ばっかのガキだぞ。そう簡単に年上のおねーさんと順調にいくとは思えないんだけど」

「そうだな……そうだ。くっつけられるかは知らんが、2人を纏めて捕らえるやり方ならあるかもしれない」

ネルは写真フォルダを開きスクロールする。去年のちょうど今頃の時期、店で振る舞われた洋酒入りのチョコレートの写真を見つけると、俺を見つめて言う。

「あの酒を使おう。お前、こういうの作れるか?」

それはもともとヘヴンに使う予定のものだったけど。既に入ってきてるはずだし、やってみる価値はあるかもしれない。

𖤐

バレンタインが数日後に迫っている。

「本命チョコなんて貰ったことも渡したこともないけど。都市伝説だと思ってた」

噓だろ……こんなイケメンがクラスにいたらモテすぎて仕方ないと思ってたんだけど。まぁここいらの連中はここに来てメイクを覚えたり髪を染めたりして、ビジュアルが覚醒するのが大半だと同業から聞いたことがある。すっぴんのヘヴンのことは知らないし、以前は案外さえない奴だったのかもしれない。

今日もヘヴンは歌舞伎町にいた。作戦会議をしよう、と声をかけさくら通り裏の路地に呼び出して、ミクにプレゼントを渡す算段を伝えた。その中身が『相手を必ず落とすチョコ』になることはまだ告げずに。

「世の中の女性は案外季節行事が好きなんだよ。学校のガキども相手してた時はそりゃあ気づけないだろうけど」

「いや女同士で友チョコ送り合ったりはしてたよ……でも逆チョコなんてうまくいくかな」

「大丈夫だ。歌舞伎町のNo.1ホ……料理人の俺がついてる。それに」

No.1ホストを名乗るのは流石に憚られた。だがそんな虚勢は必要ない。

「俺には超能力があるんだよ。わかるんだ、今度こそうまくいくって」

「はぁ?」

ヘヴンは真面目な表情を崩さず、呆れたような声で言う。俺はネル考案のとびきりのハッタリを用意した。俺は上位のキャストみたいに、見つめただけで相手を射止めるすべは持っていないから。

俺にはなんの特別な力も技術もない。ちょっと料理が得意な水商売の男だ。それでもやるしかない。

「ラプラスの悪魔って知ってる?」

「ポケモンの?」

「違う違う。物理学の言葉で……まぁ簡単に言うと、この世のあらゆる物理法則を駆使すれば、どんな未来の出来事も予測できるっていう話。俺の源氏名はそこからとってる」

噓だ。ラプラスの悪魔の話もネルの受け売り。もう少し複雑な話だった気がするけど俺自身あんまり理解してないし……

「はぁ……?いや元気づけてくれてるのはわかるよ。でも別にきっかけぐらい自分で作れるし」

ヘヴンは今までで一番不信感を露わにした表情を見せるが、ここで簡易的な奇跡でも起こせば、これぐらいの年頃の子なら黙って受け入れてくれるはず。気を使い慣れてる感じの反応が刺さりに刺さるけど。

「信じてないだろ?じゃあ……ベタだけど、次あそこの道から出てくるのが男か女か当ててみようか」

「いいよ別に……鏡とか置いてないよね?目塞いでもいい?」

「もちろーん。案外乗り気じゃん」

今の俺の耳の中には超小型の通信機がつけてある。近づかれたり耳元を触られたししても違和感がない代物だ。俺とヘヴンの会話は全てネルに繋がっていて、町内の監視カメラで見たものを俺に伝えてくれる。

狭い路地裏でホストが身を屈め中坊に目元を押さえつけられてるという若干事案じみてる体制のまま、俺はネルからの言葉を待つ。へヴンの手から緊張が伝わってくるようで、この震えは俺の緊張せいな気もしてきた。自己弁護のつもりはないが、俺は根っからの悪人じゃない……はず。人を騙して信頼を得ようとすることも、まだ怖がってるんだ。

「女。ひとりだけだな」

「マジ?」

「あぁ、しかも――」

両腕を下ろし通りの方を見つめるへヴンは……俺の言葉通り、一人の女が通りを横切るのを目にした。大人びた雰囲気で白のワンピースを身に纏う少女は、また、目線をスマホに落としたままだった。

「ミクじゃない?あれ」

「……!」

通り過ぎるのは一瞬だったと思うが、へヴンにも彼女であることはわかったらしい。そしてそれを、へヴンのことを見つめたまま言い当てた俺に対して、さすがに動揺を抑えきれないようだった。

「え、ちょ、待って俺行くわ」

「待て待て!今飛び出してったってどうやって声掛けんの?それにこんなとこにいたら待ち伏せしてたって思われて引かれてもしょうがないぞ」

「別に待ち伏せぐらいしてたよ今までも」

「そんなんだから今まで長続きしなかったんだよ」

「うるさいなぁ……俺は悪くないのに」

へヴンから目を逸らさずに、信じてくれた?とドヤ顔の俺。白い前髪がやや乱れたのを直しながらへヴンは怖いわ、と呟く。なおニヤけそうになるのを抑えつつ、俺は姿勢を正してニット帽を見下ろした。

「へヴンの頼みだし、今回はガチなんでしょ?もっと段階を踏んで歩み寄らなきゃあの子とは付き合えないぞー。それよりさ、へヴンは何でミクちゃんが気になったわけ?そこから聞かせてよ」

へヴンは女遊びが好きというか、体目当てで誰でもいいみたいな、よくあるクズの性格とは少し違っていた。恋愛はちゃんとしたいし、付き合ったあとのことを見据えているようだ。ただ、相手に冷めやすくて、見限って捨てるまでが早い。

まあ今回はあまり関係のない話だけど。チョコレートボンボンを食わせて強く酩酊しているふたりをVALKOMMENに連れて帰ったら、昏睡状態になる前にミクに自白させたり所有物を調べればいいだけ。へヴンは綺麗にして出荷だ。彼らの恋愛に長さとか熱とかの概念は存在しない。

「まぁ…… 言った通りタイプだったってだけだよ。俺にあんまり興味なさそうなのが好きで」

「へぇ。結構、自分に尽くすタイプの女の子が好きなのかと思ってたけど」

「俺メンヘラに好かれがちなんだよ。ドライな関係のままでいたいし、距離感近すぎるのもめんどくさいじゃん?だから毎回最初は付き合いやすい人を探してんのに、だいたいそのうちヘラってかまってもらわなきゃ死ぬ感じになるんだよ。本当ダルい」

「なるほどね。ヘヴンがそっちに歩み寄るのが嫌じゃそういう子は無理だろうね。そもそもなんでそんな彼女作りたいの」

「え?ここらへんで底辺の生活してる奴らの中から1抜けするため。セックスもしたいし」

「……」

……都合のいいカスめ……。

トー横の連中とこんな直接話したことはなかったけれど、こんなガキの頃からこの価値観で生きてると中々外での生活は難しそうだった。そもそもこのコミュニティは生まれた環境とか周囲の大人とかに恵まれなかったうえ、様々な規制を打ち破って逃げてこれるほどに追い詰められた奴らで構成されている。毎日を生きるのに、常人の倍以上必死になる必要がある。

まぁそんな生活から、お前はもうじき抜け出せるんだけど。よかったな。かけがえないお前を求めてる人がいるんだ。心中の寒気のようなどす黒い感情を自分で落ち着かせるため、俺は成り立ってない理屈で納得しようとした。個人的に気になったので、そことの関係も聞いてみることにする。

「へヴンって家はどんな感じだったんだよ」

「……クソ。中学受験落ちてから親不機嫌で。もともとすぐ手でるおっさんだったけど、ずっとストレスのはけ口にされてた……でも母親の方が嫌だったな」

「母親もあんま大事にしてくれなかったのか」

「なんていうか過保護だったんだよな。殴られたあとの俺見ていつも大丈夫?って。ガキじゃないんだから。助けてくれるわけでもないのに気遣ってくれてるフリすんのやめてほしかった。あいつも親父に逆らえなかったからって、俺を味方に引き入れたい感じが見え見えだった」

親って呼ぶのも嫌だけどね、と愚痴るようなへヴンの顔は皮肉にも、今までで1番子供の表情をしていた。夜も深まり通りのざわめきは一層増している。俺もお前も、普通の生活からは外れてしまったんだ。人混みを外れ、こんな裏路地にまで来てしまった。

「だから、俺に依存するような人とはもう関わりたくない。他人から必要とされるの疲れちゃったよ」

俺はその言葉になんとなく感じ入ることしかできない。今、この世で一番お前を求めてるのは俺だからだ。

「……じゃーヘヴンがミクちゃんゲットすんの全力でサポートしないとな。食べたら相手を絶対好きになる、みたいなチョコ作るわ」

「そんなのあんの?」

「あぁ。俺なら作れるんだよ。ラプラスの悪魔の力があればね」

「未来予知できんのとはなんか違くない……?」

今までもこれからも自分の境遇を受け入れていくのであろう俺ができることは、ヘヴンのことを後腐れなく開放してやることだけだった。通りに出てトー横の方面に戻っていくヘヴンを見送って俺は、暗闇の中に“入り口”を開いてVALKOMMENに帰還した。

𖤐

「居酒屋お探しの方〜!」

「コンカフェやってまーす!」

「そこのお姉さん方〜!ホストどうですか?1万から遊べますよ!」

22時ともなると、TOHOシネマズの足元は通行人に対してあらゆる店の勧誘がアーチを作っている。こうなるともう雑踏やら勧誘の声やらで、スピーカーからのチャッチ防止を呼びかけるアナウンスは掻き消される。

2/13。世間がバレンタインで賑わう中も、歌舞伎町の路上はいつもと変わらない様相を呈していた。VALKOMMENのメンバーである、とある男もキャッチとして路肩に立っていた。ただそいつの勧誘先はここじゃなくて、一般の人間に向けて営業してる普通のクラブ。

その黒服のスパイの前に、とある女性が足を止めたらしい。

「……」

「おねーさん!ホスト興味あります?初めてならお安くできますよ!」

「……今から飲める席ある?」

「もちろんです!美人なあなたに釣り合うようなキャスト、いっぱい控えてますんで!ぜひ案内させてください!」

行先に向かって手を差しつつ、くるりと背を向けて黒服は女性を連れていく。彼の耳にも、俺、ラプラスと同じ小型の発信機がつけてあって、いつでもVALKOMMENと連絡が取れるようになっている。

「……あの、ラプラスさんいますか」

𖤐

「釣れたぁ!?ミクが!?」

なんという偶然か、うちと繋がっている黒服がミクを自分の店に入店させたらしい。ミクの容姿と捜索届けはVALKOMMENのメンバーに手早く拡散されたわけだが、ネル以外の人間はミクの居場所を全くといっていいほど把握出来ていなかった。

ミクはずっと、トー横の広場にちょくちょく顔を出しながらも歌舞伎町のメインストリームには一切出没せず、ホテル以外のどこの店にも入らず、あたりをうろうろしていたらしい。そんな怪しい挙動あるか……?という感じだが、ネルほどの人間じゃなければ、彼女の行動範囲を把握して違和感を抱く奴はいないだろう。

そんな彼女がフラっと、ホストクラブの勧誘に応じたらしい。チャンス到来……と言いたいところだけど、俺はついさっきチョコレートボンボンが完成したばかりだし、少しだけ間が悪い。

「……おっけ。なんとか店の外で引き止めといておける?酒は飲ませないでほしい。合わせるやつを向かわせるから」

席の準備中だとかトラブルの収拾とか訳言えば平気なはず。時間を稼いでもらっている間、俺はヘヴンに通話をかけた。

「もしもし?ヘヴン今どこだ」

「大通り寄りのとこだけど。サキュバスシーシャバーの前」

「TOHOシネマズの裏までこれるか?ミクがいる。チョコ渡しに行こう」

「お、チョコできたんだ。ミクどこいんの?」

「うちの店向かってるみたい。誰かが飲ませたりする前に渡した方がいいだろ?」

「……わかった」

俺はすぐさまスマホをしまって、冷蔵庫の中のチョコレートを取り出す。弟の食料品から譲り受けた特別な酒が配合されている、今日のためのチョコ。ただ強烈なだけの致死量のアルコールじゃあない。口にしたものに、最高の料理に仕上げるための下ごしらえを施すんだ。

風の噂で、これは元々は病を抱える子供を救うための薬として生み出されたものだと聞いた。でも、何事においても間違った使い方なんてものは無いと俺は思う。子供の命を救い、いつまでも支え合って生きていきたいと願った親と、自分を見捨てた子供を連れ戻し、体で取り込んで二度と離れたくないと願った親と、それぞれが居たというだけの話。

会えたのがヘヴンで良かった。お前のことがわかってやれなくて良かった。変に情が湧いたりしないカスのお前で助かった。だからお前との約束を果たしてきっちり全てを終わらせるつもりだ。本当は未来予知の力なんかないけど俺にはわかる。この先生きていたってヘヴンの未来だけは、暗闇なんだって。

数分後にやってきた白髪ニット帽に、ラッピングしたチョコを渡そうとしたのだが。

「やっぱいいや。ミク追っかけるのはやめることにした」

俺はあまりに不意打ちな言葉に、か細い声が出そうになった。

「はぁ〜〜〜?なんでだよー。せっかくチョコも作ったしお前散々タイプみたいな話してたじゃん」

「萎えたんだよ。いいだろ別に」

取り繕って見せる俺だが内心テンパっていた。

「ホスト行くような女だったんだろ。自分らの客層がどんなやつらとか流石に把握してるでしょ?」

ヘヴンの顔は歳にそぐわず険しく、怒りやら諦念やらが入り交じった感情を顕にしていた。クソ、せめてこの熱があと少し、バレンタインまで持ってくれれば。

「人に依存するようなメンヘラは嫌いだって言ったろ。仮に付き合えたとしてもホストに通われてるのなんて嫌だし」

しくじったか。ホストクラブに来たことぐらい伏せてヘヴンを呼びつけられなかったのか。でもそこで酒を飲むミクの姿を目にしたヘヴンにくるりと背を向かれたりしたら同じことだ。

待ってくれ。今ここで、お前に去られると困るんだよ。お前ら2人を確保するチャンスを失う。

「ミクはホス通いしてないし今日は酒目当てみたいだぞ。お前が望むならキャストは通さないように今から連絡するし、まだチャンスだ。会って気持ち伝えに行こうよ」

「そういうことじゃないんだよな……はぁ……」

「お前とミクちゃんは絶対うまくいくよ。俺が言うんだから間違いないって。今のクソみたいな生活を抜け出したいんだろ?」

「何がわかるんだよお前に!」

通行人はヘヴンと俺の事を見て見ぬふりして通り過ぎていく。東京の人間は全員が自分のことで精一杯。期を逃してしまえば他者との関係は永遠に築けない。

ヘヴンは淡く黒い目元を釣り上げてこちらを睨みつける。自分のことを理解しない大人に向ける眼差しを、俺に鋭くぶつけてくる。

「俺があの女と付き合って幸せになれるってなんでそう思うんだよ。未来がわかるならここで俺が帰ろうとするのも分かってるんだろ?今の俺がお前の筋書きに乗せられてるのも心底気持ち悪い。舐めんなよ」

どうすればいい?今の俺ひとりでどうコイツを引き止めればいい。俺に本当に超能力だとか腕っぷしがあれば無理やり引きずっていけるのかもしれないが……時間もあまりない。ミクを店に無理やりとどまらせている間にヘヴンを連れていかなきゃいけない。

こういう時VALKOMMENのやつらなら、どうやって──

「教えてくれラプラス。なんでそんなに俺の事求めてんの?お前の目的はなんなの」

俺はヘヴンにゆっくり近づいて、チョコレートを口元に押し付けた。

「──!!」

「なんもわかってやれなくてごめんな。確かにそうだよ。ミクもお前のこともどっちも俺のものにしたいだけなんだ。でも、俺なら今のお前の苦しみから絶対に解放してやれる」

ヘヴンの両手首を掴んで引き寄せる。60%のアルコールで急速に紅潮していく白かった顔は、未成年には到底許されない表情になっていて口の端が震えてきている。

「な、なに、これ。こわい」

「大丈夫。ちょっとおまじないをかけただけだから安心して。誰にも知られない場所で俺たちで幸せになろう。そのためにまずは、ミクのことも誘わなきゃね」

残りのチョコレートを無理やり握らせて、俺の体にもたれかかっていたヘヴンを立たせる。この瞬間、どう転んでも24時間後には彼の人生の終わりが訪れることになった。

俺は懐から名刺を取りだした。店で渡す時に使うための特殊な加工や装飾がなされていて、シルバーに輝いている。基本的にはゲストが店から離れないようにするためのものだし、男に使うのも初めてだ。

ただ酒が入ってあらゆる思考力が低下している今なら、俺の誘導も効いてくれるかもしれないと思ったのだ。名刺を見つめるヘヴンは、徐々に吐息を漏らし始めた。

「ヘヴン。大丈夫だから。お前が何かを我慢したり押し付けられたりする必要はもうないよ。俺に委ねておいで」

美少年の口元を抑えて、体重を支えながら俺はクラブの元へ向かった。虚ろな目で足元を探りながら歩くヘヴンを見て、俺はコイツを絶対に綺麗な形に料理すると決意した。

𖤐

ミクは店の裏で1人だけだった。細い路地の自販機に背を向けてスマホを叩いている彼女のもとに、俺は体を引きずるようにして歩くヘヴンを向かわせる。その手にはチョコレートボンボン。1個でも食わせられれば中に入った酒のおかげで、ミクは動けなくなるはず。

俺のミームを搭載した名刺をしっかり見たヘヴンも思考力が大幅に下がって、俺の命令だけに従うようになっている。奥の手に取っておくはずだったんだ。1度洗脳された頭は元に戻らないし、無理やりな処理をすると全ての記憶が消えるリスクを負う。

「……あのさ」

「ん?誰よあんた……あ、オプチャにいた人?トー横に来てるって言ってた」

「前、俺の自撮り見せただろ」

彼をただの手駒にしたくないだなんて、誰も望まない、俺自身の欲望のためでしかなかった。ヘヴンからの信頼が揺らいだせいで諦めざるを得なかったけど、到底無理な話だった。昔から人に取り入るのは下手なんだ。ホストとしていまいち売れないのもそのせいだろうな。

「初めまして。俺がヘヴン。渡したいものがあって」

「なんか顔赤くない?大丈夫?」

「チョコレート持ってきたんだ、ミクのために。バレンタインだから」

「……ありがとう」

ヘヴンは息切れしながらも逆チョコを差し出した。少し離れた路肩の俺からでも、ヘヴンの様子のおかしさは見て取れてしまったけど……俺を見てかえって警戒心を強めるようなことがあったらよくないし、上手くいかなきゃ助けに行けばいい。大丈夫だろう。ヘヴンならうまくやれる。

「……ミク」

「何」

「今ここで食べてくれる?」

顔を赤く染め、息を乱れさせた少年にチョコレートを手渡されている。私はただ酒が飲みたくて、席を片付けてるからと外で待たされていただけなのに。歌舞伎町に来てからというもの道端に突っ立ってる私は絡まれてばっかだったけど、一目見てわかるような、普通じゃない雰囲気を醸し出していた。

「……感想聞かせてほしいから」

「あんたが作ったの?これ」

「いや……その辺の店で買った」

「ふーん」

知らない人……いや知ってはいる、私がトー横の広場に行って最初に絡んできたのがこの人だった。というか15らしい。子供とはいえどこのどんなチョコなのか、何が混ざってるかわからないものを不用意に口にするわけにはいかない。本当にアルコールなりなんなりを過剰摂取しているなら、手っ取り早く交番の方に連れていかなきゃいけないし。

「……帰ってからでもいい?」

「は?」

「感想はあとでLINEするから」

「……なんでだよ。今食べればいいだろ」

バレンタイン前夜。歌舞伎町の人通りが最も多くなるこの時間帯に、私たちは路地裏で対峙している。ここに来て初めて知った。普通に仕事をしたり学校に行ったり生活している人々がいる裏側で、恵まれなかった生活から逃れて、何かに救われることを求める若者たちがいることを。

そんな彼らの命が。人生が。

理解を示さない大人に搾取されることなど、あってたまるか。

「おい!」

少年はもう正気を保ててない。勢いよく私の襟元を掴んできて──

その両腕を挟み込んで勢いよく横に投げる。身長高めとはいえ体が薄すぎるし足元のおぼつかない少年なんて、一般女性でも適当に押し倒せるだろう。

小さく呻き声をあげる少年の左腕と右腕をそれぞれ取って、伏せた背中に押し付けて手錠をかける。訓練生時代に体術習った時も交番でぬくぬくしてた時も、子供相手に使うなんて嫌なこと考えたくなかった。

「東京都の青少年の健全な育成に関する条例、の違反で連行します。ギリギリ23時……てか傷害と、酒も入ってるわよね?じゃ関係ないか」

「おっ……お前……」

「私?私服警察でーす」

iPhoneを入れていたちいさなショルダーポーチから革の手帳を見せつける。少年の両眼は充血していてどこを見てるのかわからなかった。私はそれを見ながらある番号を打ち込んで──

「……すみません」

男が背後から声をかけながら、私の視界の端に何かを差し出してくる。銀色に輝く──名刺。

「……!!」

「警察だったんですか?こいつは俺の弟なんです。乱暴してすみません……薬の副作用でちょっと気が動転しちゃうことがあって。見逃してもらえると……」

咄嗟に顔を見あげると、ピンク髪のホストらしき男が名刺をチラつかせていた。その瞬間、ある意識が私の脳を一瞬で埋めつくして、手足を脱力させる。目を開けられなくなってもかろうじて手錠だけは掴んだまま、私は項垂れる少年と一緒に男に抱き上げられ、手を引かれていく。

「……意識はあるよな?自分で歩いてくれよ……いやあまさかミクちゃんが警察だったなんてね……まぁ怪しい部分もあったけど、こんな長期に張り込まれたのなんて初めてだったからさ……何が目的だったのか、教えてもらおっか」

男の声を遠くに聴ききつつ、その反響の仕方から、私は雑居ビルの隙間のような狭い場所に連れ込まれたことを悟る。酷い頭痛に苛まれながらも目を開くと、男の手には何やら錠剤が握られていた。

「はいこれ自白剤。飲める?」

顎クイで命の危機を感じることってあるのか。男の右手が無理やり私の口を開き、薬を放り込み、そして閉じる。

ごくり。

「俺たちのことはいつから知ってる。ただの警察が邪魔できると思ってんじゃねえよ」

数秒間、私は両手を膝について地面を眺める。いつ頃からか気を失っていた少年は私のリュックに覆いかぶさって重たい。呼吸を整え、腹の中から込み上げてくるようなものを、そのまま──吐き出した。

あぁスッキリ。錠剤は苦味だけを舌の奥に残して、東京の汚い路上に転がり落ちた。

「飲んでねえじゃねぇか──」

背負い投げの要領で少年を私の前方に振り下ろす。男の体にあたりはしなかったものの、怯んだその一瞬を見逃さずに私はリュックの奥底から拳銃を抜き取る。

「悪かったわね。ミーム攻撃も効かなければ自白剤飲むフリもできるただの警察じゃなくて。あなたもただのホストじゃないってことぐらいとっくに知ってるわ。今増援を呼んだから大人しく降伏しなさい、それとも顔のど真ん中にピアス穴増やした方がいい?」

「……クソッ……この……悪魔が……!!」

ホストの格好をした男は、私に拳銃を突きつけられたまま影に溶けて瞬時に消えた。目の前で逃がすような真似になってしまったけど、この被害者の少年を連れて帰るだけでもかなり役得だろうし結果オーライだろう。まぁ、私の体ひとつじゃもう足元に伸びているこの少年は連れて帰れないだろうから、はやく迎えに来てほしいところだ。私の中の拒否反応でミームによる洗脳だけは避けれたものの、精神衰弱の影響は多少受けてしまった。意識を保つのがやっとだ。

そんなことを考えながら、私は財団に助けを求めた……それにしても、増援を呼んだのも男の素性を知ってる風なことを言ったのもどっちも嘘のハッタリなのに。あんなに簡単に信じて退散するなんて、あの男は組織の中でもヘタレな方なんじゃないか?

だって顔もそんなにかっこよくないもん。

𖤐

サイト-81B12のかなり狭めな治療室の時計は午前の10時を指していた。学校の保健室みたいで窮屈だ、とエージェント・檀崎はぶつくさ文句を垂れている。私には経験がないが。

「……ご気分は」

「ご覧の通り。心配しなくとも私は大丈夫。それより新宿で異常に曝露した少年を連れ帰ってきたことを称えなさいよ。快挙でしょ。活躍しちゃうのよね、私って」

「えぇ。檀崎様が突然クラブに行きたい気分になされたりしなければ今回の任務は長引いて、なんらかの被害も出ていたかもしれません。私の方からも感謝を申し上げさせて頂きたく」

「……あんた、名前なんだっけ」

「イ・ハクと申します」

「そう。短くて覚えやすいわね」

光栄。

ベッドの上な癖にかなりふてぶてしい彼女……檀崎美紅ミクに与えられた任務は、注意すべき超常組織をあぶり出すための歌舞伎町への潜伏だった──私服警察というていで、民間人に紛れるような形で。

交番に勤務していた過去を持つ元警官でありながら、新宿に媒介しているミームドラッグ等による影響に対し強い耐性を持っていることで、今回の任務に適役として指名されたらしい。なんでも「嫌な予感がした」というだけの根拠で、あらゆるミーム災害を無意識のうちに退けてしまうんだそうだ。そんなやり方で済むなら財団職員たちの苦労は無いのだが……檀崎は本当にやってのける。その点において、彼女は逸材だった。

「少年は?あれからどうなったの」

「死亡しました。SCP-1321-JPのものと思しき成分が検出されたようです。石榴倶楽部に出荷される予定だったと思われます」

「そんな……いろいろ話して貰おうと思ったのに」

「ええ。ですが彼の所有物からとあるホストクラブの名刺が発見されました。VALKOMMENのラプラス。今しがた検査が終わったところですが、貴女の曝露しかけたものと同様と思われるミームが検出されました。奴らと対峙するための、大きな攻略情報となりそうです」

「そう。つまりは私の大手柄ってことでいい?あと3日は休みが欲しいところね。あんた掛け合ってきなさいよ、上に」

「その間に飲むつもりでしょう、今日の午後にはサイト-81YMあたりへに戻る司令が待ってますよ」

「あんたね、ガキだからわかんないかもしれないけど、解禁してから飲む酒が1番美味しいの。2週間近く歌舞伎町にいて限界だったのよ?それに歌舞伎町よ!?どいつもこいつも四六時中酒飲んでるような街で、私だけ酒禁止って!仕事中だから!」

「……酒のことはわかんないですが、あんたではなく、イです。あまり口出しはしませんが健康にはお気をつけください。檀崎様は、特別です」

「ふん。うっさいわね。イくんもタバコの臭いとか気をつけなさいよ。モテないわよ」

セクハラを非難してもいいシチュエーションではあるが、檀崎の今後の待遇は私の知るところではないし、荷物を纏めて部屋を出ることにした。

2/14。色々な形で愛し合うこの世の人々が、誰しもそれを形にして伝えることができる日。毎年のこの日を、全ての人が無事に迎えられるように、我々は影の中に立っている。伝えられずに終わってしまった愛情が、ひとつでもなくせるように。

未だはっきりと全容を掴めない悪の組織──VALKOMMEN。歌舞伎町の全てを掌握し、人命を軽々と手の上で転がしているような連中。またしてもその毒牙にかかってしまった若者の魂を弔うためにも、あの町、いや世界を変えるために、我々は動き続けなければならないのだった。

「そういえば」

部屋を出ようとして扉に手をかけた私を、檀崎が呼び止めた。彼女が顎でさす方向には、一部の薬品を保管しておくための冷凍冷蔵庫がある。

「せっかくのバレンタインだし、やっぱりチョコ食べたくなってきたのよね。おつかい頼まれてくれない?」

……今回の件で、というわけではないが、最近覚えた日本語がふたつある。

ひとつは「逆チョコ」で、もうひとつは「義理」。

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