それはまだ我らが邦土に、聖諦サティヤを識る者の現れざる時代であった。或る男が祈りを捧げていた。かの男が冀う神、名を幕天たる渺茫神という。男は独りで祈り、不死を願っていた。男曰く、「神よ、私は数多の神々に触れてきた。かれらは皆、私に永遠の生命を約束し給うた。しかしかれらの説法は、いずれも耳触りの良い欺瞞を孕んでいた。私の日課は、そういう甘美にして霊魂を昏酔させしめる毒を暴き出すことであった。だが汝の言葉を前に私が成し得たのは、ただ我が身を寄せるべき支柱を見出すことだけであった。なぜならば汝の子らが、じっさい永遠を生きているからである。その子らを前に、年月はただ疾駆するが如く過ぎ去るのみだからである。私にその道を教示したまえ。然らば私は汝の教道に背かざるを誓わん」と。
過ぎ行く時の中、なおも続く男の祈り。そして遂に、久遠の果てより啓示が下ったのだ。曰く、「我が齎すは生命にあらず、死なり。生命はすなわち病苦なり。死はすなわち妙薬なり」と。
この言葉に求道者の霊魂は掻き乱され、そして困惑に陥った。なぜならば男は、幕天たる渺茫神の創りし者どもが死ぬことなく在り続けているさまを目の当たりにしてきたからであった。だが男は己の求道を放棄することはしなかった。なぜならば男には、白の中に黒が潜んでいるかもしれないこと陽中の陰がわかっていたからだ。同様に、卑小なる者の内に偉大なる者が潜んでいるかもしれないことも。黙想すること数年、男は思索にただ耽った。天の黒き深淵へと男は幾度となく飛翔し、惑星たちの死せる巨躯を幾つも見つめた。地熱が冷え切り、血と地の脈流もまた凝固してしまった惑星たちを。星体の死、そのいかに燦然たるかを凝望した。そしてまた観たのだ、聳え立つ巨大な死者が、彗星の塵雲を巻き上げながら、意志もなく彷徨してゆくのを。存在の深奥に沈降し、最小粒子の誕生と死にゆくさまを目にした。すなわち、それらが対を成して閃くさまを。そしてそのまま消滅していくさまを。あたかもそこに最初から何も無かったかのように消えてしまった、そのさまを、男は目撃したのだ。また、小宇宙ミクロコスムの幻想に隠れてゆく物を目にした。周囲には、流転に流転を重ねる、生命と死との果てなき輪廻があった。然るがゆえに、塵より生じた身体は、塵へと還り、その身体が産んだ子らへと還り、さらにはその子らが産んだ子らへと還っていった。これらすべての幻視の背後から、究極至大なる法則が滲み出ていた。すなわち、死は万物の始源にして終局なのである。
ここに至って求道者はその口を再び開いて曰く、「來る嚮後の神よ、可視物と不可視物を俯瞰する者よ! 今や私も理解に達した、汝は唯一無二の聖諦サティヤなる者だったのだ。そして衆生は皆、たとえ己に自覚がなかったとしても、汝の行く後を追いかけている者なのだ。ゆえに万人の道は汝の宝座に終わるのだ。嗚呼、此処なる私に、汝と共に在るとは何たるかを教示し給え」と。
すると男は精神が啓かれ、秘されし印と密儀を識った。男の目や耳からは膿汁が迸り出たが、それは純然たる知識のために払う瑣末な代償に過ぎなかった。また求道者は識っていた、今支払ったのよりもさらに高い代償が待ち受けていることを。死せる星々が然るべき模様を織り成すのを待ち、かの男は霊山に登って短剣を掲げた。その刃には、グナールジンとスクハームが籠っていた。そして男は、己の胸を切り裂いた。男は己の血で山肌を濡らした。そして男は己の身を投げたのだ、干からびた殻の如きその身を。身体は落ちた、まるで樹から舞ってゆく枯葉のように。
死のまどろみは時を超えて続いてゆき、それがどれほど長く続いたのかは誰にもわからない。我々にわかるのは、或る日この求道者が目覚めたことと、その時男が保てていたのは思惟と感情のみであったこと、そしてその肉体は筋が既に崩れ落ちて血も凝固・滞留し、もはや身じろぎひとつできなくなっていたことのみである。男は己の霊魂の底、すなわち、神の啓示と天命が齎された場所を見つめた。そして嘆願して曰く、「神よ、此処なる私は死に、我が身体は動かず、思惟は氷結したかの如く硬直してしまった。汝は私に死を指し示したが、しかしそれを私に齎してはくれなかった。汝の思惟を教え給え、さもなくば私に永遠の長逝を与え給え」と。
すると、男は囁く聲を聴いた。干からびた皮が擦れる音のような聲であった。その聲曰く、「我が齎すは死にあらず、死へと至る者が辿る臨命終時の過程なり。死はただ生命の他側面に過ぎず。そして不死は生命の内にも、また死の内にも在らず。不死はそれらの中心にこそ在るものなり。実存と創世の支柱たるそれら二つを汝は識れり。それら二本の柱こそ、入口となる物なり。それらの間に進み入れ」と。
すると男の視界に大地が広がった。それは呼気と吸気との狭間に広がる国であった。それを見、腐敗した身体の靭帯が裂けてゆくのを感じながら、男は起き上がった。その威徳なる痛みを下さった朽廃の神を讃えつつ、男は霊山の麓へと降りた。
そして洞窟を見つけた。岩体の中心へと続くその洞窟を、男は進んでいった。蟲に集たかられた肉体が男の骨から剥げ落ちてゆき、膿が奇怪な茸に覆われながら岩を濡らし、骨が岩肌に触れながらぱらぱらと崩れていった。
そして霊山の心臓にて男は二本の高い柱を見つけた。それら柱と柱の隙間は、髪の毛よりも狭かった。だが男を縛っていた肉体と骨はもはや失われ、男に残されたのは精神だけであった。それも、好よきヤエズロイが染み込み、それにより変容を遂げた霊魂である。然るがゆえに男はその隙間を、誰も気付かぬそよ風の如くすうっと通り抜けたのだ。
そこで男は死を脱ぎ捨てた。重い鉄枷の如く、男の魂を縛っていたその死を。
男の身体が死から解き放たれると、それは醜悪なる汚泥と成った。その汚泥から男は地と天の境界を造り上げた。
男の視覚が死から解き放たれると、それは方向・方角と成った。それは、上と下、右、左、近、遠を在らしめた。
男の聴覚が死から解き放たれると、それは言葉と成った。言葉は、法と限度を定めながら響き出した。
男の思惟が死から解き放たれると、それは炎と成った。燃え上がった炎は、死産されしこの世界を照らし、かつその熱で暖めた。
そして世界は、燃えたぎる窯のようになった。すなわち、その中身すべてを熔解させ、生まれ変わらせる窯のようになったのだ。永劫の時が流れ、この世界に生命が持ち込まれた。そして男の嗅覚は死から解き放たれ、エントロピーの息吹となった。すなわち、潮波を連れだつ疾風となったのだ。誠に汝らに語つぐ。生きとし生けるものは識ることができるのだ、かの教道を。すなわち幕天たる渺茫神の教道にして、來る嚮後と朽爛の神の教道を。すなわち汝らを生命と死の絆ほだしから、解放へと至らしめゆく者の教道を。