カーテンコールは蕭々と。
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 それは、静かに雨が降る日だった。"どこか散歩にでも行こうか"と思った。
 窓に滴る雨音が、サイト内テラスに染み渡っていた。
 
「隣、良いですか」
 
「へ? あ、あぁ。いいですよ」
 
 ガラスの外へと絞られた焦点が、突然の呼びかけによって戻る。
 サイトに敷設されたカフェは、今日も繁盛しているようだ。
 
「雨の日だと、思い出しますね」
 
 相席者は、自分の座るソファに腰掛けながらそう言った。
 
「そうですね。……まぁ、思い出すとはいっても、まだ数日前の事ですけど」
 
 紙コップの熱を両手で感じながら、空調の効いた冬に溜め息をこぼす。
 その様子を見て取った相席者は、慰めるように言葉を紡いだ。
 
「……落ち込んでいる所申し訳ないのですが、少なくとも"アレ"は仕方のない事だった、と私は思います」
 
「その、失敗で。  今の僕は手持ち無沙汰、担当無しの博士ですよ。はは」
 
 悔恨は吐けども吐けども尽きない。けれど、人前で悔し涙を流せるほど恥を捨てていなかったし、だからといって、割り切れるほど自分は強くなかった。
 
 担当オブジェクトがNeutralized指定を受けたのはつい最近の事である。ただの「壊れたモノ」でしかない物体に職員を充てる程の無駄はないだろうが、それでも、嚥下しきれないものが喉の奥にはあった。
 
「そんなに自分を卑下しないでください、塚原博士」
 
「別に卑下をしてるつもりではないんですけど。  強いて言うなら後悔、ですかね。
 貴方も助手だったから分かるでしょうが、僕は思うんですよ。『特設ステージなんてするもんじゃなかった』、と」
 
「ですが……それは、さっきも言ったように『仕方のないこと』だったじゃあないですか。ああでもしなければ、548-JPの異常性は損なわれていたかもしれないんですよ?」
 
 諦めるような物言いをする自分へ、相席者は反駁する、が。
 
「だけど結局、それをしたことで異常性は損なわれた。永久にです」
 
 ガラス壁に向かうよう設置されたソファーは、しんしんと降られる木々や雑草が収められたフレームを、これでもかと言わんばかりに見せつけてくる。自分はそれをぼうっと眺めていた。
 
 ふと、絶対音感を持つ人々は雨音が旋律となって聞こえる、という話を思い出した。個人的にはそんな馬鹿な話あるものかと思うのだが  もし、真実なのであれば。
 もし真実なのであれば、彼らの耳には今頃、ピアノの音でも奏でられているのだろうか。
 
「……」
 
 気づけば隣は静かになっていた。この状況になってやっと自分の言い草が酷く無愛想であったことに気付く。後の祭りか、と漏れた溜め息ばかりが、騒がしいカフェテリアに溶けていった。
 取り直せない気を取り直そうと、冷めたコーヒを一気に飲む。
 
「……。取り敢えず言えることは、貴方は悪くないという事です。博士」
 
「すみません。……ありがとうございます」
 
 どこまでも優しい言葉に傷つけられ、苦笑いで返すことしか出来なかった。外れかけの仮面すらも、上手く付け直せなかったのだ。
 


 
 助手との会話から逃げるように去った後、自分は一枚の申請書を書き上げていた。
 
「『目的: 経過観察』、と……」
 
 無力化したアイテムは、一定のクリアランスを持つ職員なら目的、手順、目的を行う場所、そして時間を指定をすることで許可申請を出すことができる。
 
 許可される理由はまちまちだが、無力化されたオブジェクトの元担当職員であれば申請は容易に通る。他だと、新人職員の教材や構造の研究などが多い。
 
 無力化オブジェクト  Neutralizedというものは、単に異常性が消失したのみでなく、それ自体が「安全性の証明」でもあるのだ。その情報や物品は、そのオブジェクトの破壊に至るような事柄でなければある程度共有される。
 
 書類を提出して約15分、認可の押印を受けた申請書のコピーを受け取って、収容ロッカー室へ向かう。
 
 
 今日。
 
 今日という日は、SCP-548-JPがNeutralized指定を受けて以来、初めて雨が降った日だ。
 
 足音を鳴らして目的地に歩を進める度、上手く言葉にできないような苦しみが心を支配していくのを感じていた。
 
 
 
  あの時の事は強く覚えている。
 
「べきっ」
 
 と、"何かしらの強い衝撃"の前で柔な骨組みが折れる音が響いて、その場に居合わせた全員が呆気にとられた。
 
 
 声にならなかった。突然に壊されたその瞬間、時が止まったかのような驚愕の中で、ただ、雨だけが忽然と降り注いでいた。
 拍手の雨は止んだのに、空が晴れることはなかった。
 
「ぁっ」
 
 どちゃっ、と、醜く歪んだ傘が勢いよく落下するのを見て、自分は無意識に手を伸ばしていた。
 「何が起きたのか」。その理解を、脳が拒んだ。
 
 縋るように。
 
 伸ばしたその腕はついぞ報われることなく、いくつかの雨水を掴んだだけだった。
 
 
  まともに差せなくなったビニール傘は、何も奏でなくなった事を靜かに証明した。
 
 "最後の演奏"から数週間は掛かったのだろうか。
 何度も行った検証。修繕、修復、修理……。自分はいつまでも期待を、希望を抱いていた。
 だが、雨が降る度に行った検証の結果が、覆ることはなく。
 
 
「……SCP-548-JPの持ち出し許可をお願いします」
 
「はい。認可証のコピーはお持ちですか?」
 
 収容ロッカー前の受付で、持ち出しの最終手続きをする。
 危険性の低いオブジェクトほど手続きは簡略化されるため、今回はコピーの確認作業が済み次第、すぐにロッカー室へ入ることが可能だ。
 
「確かに確認しました。それでは、こちらがカードキー、そしてこちらがロッカー用のキーになります。
 指定時間内に必ず返却するようにして下さい」
 
「ありがとうございます」
 
 渡されたものを受け取り、脇の廊下へ向かう。
 
 いくつかの危険度やクリアランス指定で分類された、複数のロッカー室。その中で、基本的にAnomalous指定のアイテムが収容されている部屋の扉をカードキーによって解錠する。
 
 スライドドアは人の通過を検知すると 即座に閉じられた。
 灯る明かり、壁に沿って置かれた沢山のロッカーが映し出される。ここは何となく居心地が悪い。
 
 アイテム番号がプリントされた無骨なロッカー群のその内に、SCP-548-JPと書かれたものが一台。
 
 無力化指定を受けた際にここへ移動させて、それから初めて解錠することになるロッカーの中身には「もしかしたら」という期待を寄せずには居られなかった。
 緊張で強張る手を動かし、ダイヤルとシリンダーの錠を丁寧に解いていく。ダイヤルの番号は月に一度変更されるが、まだ最後の解錠から一週間も経っていないので聞かずとも覚えている。
 
「……」
 
 息を呑んだ。カチ、カチとダイヤルを合わせ、既に刺さっている鍵を、回す。
 
 がちゃ、と音を鳴らし、ロッカーがゆっくりと開いていく。
 
 
 正直に言えば、もう中なんて見たくなかった。どれだけ期待しても、どれだけ願っても  
 
  壊れた姿を、その目に焼き付けてくるから。
 
 湧き上がる絶望を必死に食い止める。数日前に見た姿となにも変わりやしない、と強引に納得させ、その補強された骨々を、痛ましく継ぎ接ぎされたビニールを見据えた。
 
 そうっと手を伸ばし、出来るだけ丁寧に傘を抱いて、ロッカー室から退出する。手の中で揺れる傘の感触に、どうしようもない虚しさが湧き上がる。もう、自分が何をしているのかさへ分からなくなってきた。
 
 
 ロッカー室から第3中庭へ向かう道すがら。
 かれこれ複数年通り続けた道だ。だからこそ、大きな何かが欠如してしまった事を、改めて知った。
 
 
 廊下を曲がって「第三中庭」と書かれた看板の扉を開ける。
 足を踏み入れると、そこは運動場のような開けた場所。周りはサイトの壁で囲まれているが屋根はなく、今日の朝から降り続ける小雨が今も続いていた。
 
 傷つけないようにそっとSCP-548-JPを開き、頭上に差す。
 歪な形の安っぽい傘は、やはり何も奏でない。落胆と同時に、どこか安心してしまった自分に嫌気がした。
 
 歩く。
 
 幾つも実験をしたが、こうしてSCP-548-JPと自分のみになってしまうという状況は初めてだな、と思いながら、中央の方へ足先を向ける。
 
 中庭の散歩は、有り体に言ってしまえば自分のエゴだ。何も宿らない傘に出来る限りいい気をさせてやろうと、そうすれば罪が認められるのではないかと、心のどこかで思っている、自分の。
 
 そんな自分の気持ちを知らない傘は、弾く雨音のみを返している。
 
 
 雨がビニールに当たる鈍い音を聴いていると、SCP-548-JPの異常性が減衰してしまった時を思い出す。あの時はまだ小さくとも鍵盤の音が鳴っていたが、それでも心底焦ったものだ。必死に実験申請を書き連ねていた当時が懐かしく映った。
 
 ぱらぱら、さらさら。
 
 心地の良い音に思わず目を細めたりしている内に、中庭の真ん中へ到着した。
 
 辺りを見回す。一面が白い壁で囲まれており、その内側をいくつかの緑が覆う第三中庭。見慣れた光景だ。
 
 
 
 目を閉じて、深呼吸を一つ。
 
 
 
 
  やっぱり、何も起きなかった。
 
 無駄に抱いていた一縷の望みを捨てて、踵を返そうとし  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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~ ♪


 
 
 
 
「……ぁ」
 
 音が、聞こえた。
 それは、ぼろぼろの傘が奏でる、歪な音だった。
 
 とても聴き慣れた旋律。「練習曲作品10第3番ホ長調」のその冒頭が、おもちゃのピアノの様な音色で響いた。

 一音一音を、確かめるように。少し臆病に挨拶をするかのようなそのおとに、感情がかき乱される。
 
「どう、して」
 
 突然、始まった演奏会は、奏者の急速な成長に彩られた。
 子供のお遊びかと思われるようだったそのピアノは、その音色を重ねるごとに美しく変貌し、往時のそれを一瞬で乗り越え、音符の嵐を巻き起こす。
 
 SCP-548-JP。そのオブジェクトの説明が成された報告書を読んだ人なら、思わずにはいられないだろう。
 ただ、ただ少しだけ、確定した情報と根拠が足りないだけなのだ。
 
 蕭々と降る雨、その雨を叩き割るように鳴り響く、"少女"の演奏を!
 
「す、ぁ。すま゛ない  ずまな゛い……!」
 
 一生懸命にその生命を燃やして演奏する姿へ、何もできない自分が悔しかった。

 
 今までの感謝が詰まった、自分宛ての演奏。それを感じるほど溢れる涙に、雨音とピアノの旋律が寄り添っていた。
 


 
「はぁ……。雨の日に外なんかへ出るからですよ。体調大丈夫ですか? はいこれ、差し入れです」
 
「本当に何から何まで」
 
 助手の差し入れを受け取り、マスク越しに謝辞を述べる。
 冬の雨の中、外に数時間居座った自分は当然のように風邪を引いていた。
 
 
  最後まで演奏しきった傘は、それからうんともすんとも言わなくなってしまった。
 自分は、演奏が終わった後も傘を地面に取り落としたまま、雨の降る中で号泣した。 
 
 それから1、2時間が経った後、びしょびしょの風体のままカードキーを返却しに行き、事務の方に心配されながらサイト内の自室に直行、軽く体だけ拭いて寝て、今に至る。
 
 何もする気が起きなかったとはいえ、せめて風呂には入っておくべきだったかもしれない、と咳き込みながら考えた。
 
「何があったかは訊きませんが。……随分、明るくなりましたね」
 
「あぁ、その事なんですが……昨日は本当にすみませんでした」
 
「え? あぁ、全然気にしないでください。担当だった博士が一番辛いだろう事は承知でしたので」
 
 やはり善意の塊である助手の言葉に、申し訳ないと思いつつも感謝の念が湧き出る。
 
 
 
 昨日起きたSCP-548-JPの"異常"は、誰にも話さない事にした。もしバレればクリアランス降格以上の厳罰が下される事は重々承知だが、それでも、そっとしておくべきだと思ったのだ。
 
 
 
 窓の先では、雨上がりの空が日差しに煌めいていた。

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