死体を埋めに行こう!
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安堂 戯乃介が目を覚ました時、隣には死体が転がっていた。

「ひょえぇ」

思わず空気の漏れた風船のような声が出る。全身を覆うラテックススーツががさりと音を立てる。
死体は三十くらいの男で中肉中背、よく見ると首には紐が巻き付いており、赤黒い痕も残っている。

おそらくは絞め殺されたのだろうが、それ以外にも全身に切り傷や擦過傷が無数にあり、顔は特にひどい。
人の顔と認識できないそれの中心、異様に揃った歯列は笑っているように見え、むしろ死の匂いを広げている。

それらを確認し、安堂が出した結論は。

「プレイ中に殺しちゃいましたかねぇ?」

この考えに至ったには理由がある。安堂は他者の感じる快感を自らにフィードバックしてしまう特質に加え、触覚に由来する性的衝動に苛まれながら性的絶頂を覚えられない体質を有している。常に感じる性的な痒痛。それを解消するために、主に他者へ性的快感を与えたり、煽情的な言葉でもって興奮させ、それを自らの快感にする、それが安堂のルーチンであり、日常であった。

つまり隣で死んでいる男は安堂によるサディスティックな性的行為の中で事故により死んだのではないか、それが安堂の推測であった。そうでなかったとしても、現在隣で倒れている死体に自分が関わっていないことを証明するのは困難である。

「困りましたねぇ。自分としてはこんなことする気はなかったのですけどー」

何とか生き返らないモノかと頬を叩いたり、適当な心臓マッサージを施しても生き返ることはなく。途方に暮れる。

「どうしよぉっかなぁー、ルイくんに見せたらお仕置きされちゃいますしぃ♡ かといって自分一人では運べませんしー」

素直に報告する気は毛頭なく、それはそれとしてこのまま放っておくことはできない。
といいつつも自分一人で運ぶには解体しなくてはならないし、そんな手間は可愛くない。
頼れる友人の類は自分と同様に非力であり、下手に快楽をリンクさせてしまうと厄介である。

しばらく肌を擦れるラテックスの感覚に悶えながら、その快感が一人、頼れそうな人間を思い出す。
善は急げと立ち上がり、蕩けるような笑みを浮かべ、真っ白な廊下をクラゲのように進んでいく。

疼痛は治まることなく、むしろ酷くなっていく。息は荒くなり、蕩けるような笑みがこぼれる。
全身を舐め回されるような感覚だけがずっと続く。


何処に行っても白いのに、何処に行っても薄暗い。
何処に行っても言葉はないのに、何処に行っても煩わしい。
常に訪れる快楽の疼痛は、安堂にとってはずっと続く耳鳴りのように騒がしい。

その中でぽつんと一つ影法師が見える。黒く、巨大な影。どういう原理かフルフェイスのマスクにスマイルマークだけが浮かぶ。その影に飛びつき、猫のように全身を擦り付けながら耳元で囁く。

「ヤマトモせんぱぁい♡ 自分とぉ、イイこと、しません?」

エージェント・ヤマトモ。全身黒づくめの異様であり義肢を用いて体を自由に変化させる異形。
湿った粘着音すら聞こえそうな安堂のアプローチに反応することなく、三本の腕を用いて端末でゲームを楽しんでいる。

「おう、安堂ことヤマトモ二号機。生憎俺は今から仕事だけど話だけは聞いてやろう」
「死体を埋めに行くんですけどぉ♡」
「仕事先でオブジェクトが盆踊りし始めたから仕事は中止になった。海と山どっちにする?」

ゲームを落としてからのヤマトモは早かった。「海がいいですねぇー」と言った安堂に頷くと即座に車を用意し、手際よく死体の四肢を分割するとトランクを充填し、サイトを飛び出した。

目に痛いほどの青い空にぽつぽつと雲が浮かぶ。何処までも続く代わり映えのしない景色の中で対向車もないまま海へ向かう。助手席からその景色をほうと見つめる安堂へ、ヤマトモは昨日の映画の感想でも聞くように問いかけた。赤信号が車を止める。

「で、なんで殺しちゃったの」
「知らないですよぉー、そ・ん・な・に、気になっちゃいますぅ?」
「いいや、全然? お前が誰を殺そうとどうでもいいんだけど、お前が話したいかと思ったんだよ」

信号が変わり、カーラジオからは聞いたこともない歌詞が流れ出す。安堂はくねくねと煽情的に動くが、ヤマトモが反応しないのを見て目を閉じた。延々と同じ歌詞が流れているかのような錯覚、景色は変わらず、ずっと同じ場所を走っているような感覚に囚われる。

何回目かの赤信号でヤマトモがトランクを指差した。

「あー、でも誰かってのは聞いておきたいな。誰だよコイツ、俺も知らねえんだけど」
「嫉妬ですかぁ? 僕の方が先に好きだったのにビクンビクン♡ ってぇ、惨めに涎垂らしちゃいますかぁ?」
「……お前ってさあ、確か相手が気持ちよくなってるかどうか分かるんだろ? なら俺と一緒にいるの嫌じゃね?」

ヤマトモの笑った口元だけがマスクの下から浮かび出る。白い歯の残像だけを残し安堂は強く目を瞑る。
青信号に変わり、カーラジオが繋がらなくなってくる。その音が完全に消えたとき、安堂はぽつりと呟いて笑う。

「ん~、いえ? センパイってぇ、不感症じゃないかって思うくらいでぇ♡ 静かでいいですよ」
「俺が静か!? 耳掃除してやろうか!?」
「えぇ! 耳かきプレイなんて、だ・い・た・ん♡」

フロントガラスに反射した光が届く。水平線が行く先に見えていた。
何処までも続くその向こうを見るようにヤマトモが呟いた。

「お前も俺も似たようなもんだわな」

赤信号が車を止める。


白い砂浜には誰もおらず、死体を埋めるにはいい場所だと安堂は考える。
寄せては返す波の音だけが耳を打ち、太陽が目へ容赦なく差し込んでくる。

安堂は遠くに広がる水平線を眺めていた。どこかで見た記憶はあるが疼痛により蕩けていく。

財団から回収されるまでの記憶は曖昧である。人間よりはるかに長い時間を生きているのにもかかわらず、ここ数年の記憶と、おそらく記憶のない期間に躾けられた情報しか安堂には寄る辺がない。ただどこかで壊されたという感想と、燃やされたような記憶だけがたまに渡り鳥のように去来し、そして快楽と共にすぐに去っていく。

ざわざわと潮の音が耳の奥に反響する。

ヤマトモが背後で武骨なアタッチメントを砂浜へ放り投げる。その音が潮の騒めきを弱め、安堂は背後へ振り向いた。
いつから着ていたのかアロハシャツを着たヤマトモが義肢を取り外し、その熱に愚痴を吐く。

「あちぃ~、これだから黒づくめはヤなんだよな。うし、じゃあ今から俺は腕をドリルに変えて掘るから遊んで来い」
「えぇ~、センパイも遊びましょうよぉ~」
「死体埋めるって誘ったのはお前だろ。遊ぶってスイカとビーチボールとシュノーケルにサーフボードしかねえぞ!」
「焼きそばは~!?」

スイカ割り、ビーチバレー、シュノーケリングにサーフィン。屈託もなく遊び、日は暮れていく。
そうやって遊び惚けた後に二人で穴を掘る。潮の騒めきは止まることなく、バイオリズムを感じさせる。

砂浜に掘った穴はすぐに埋まるため、海の見える高台へ移動していた。
おおよそ3m程掘ったところでヤマトモが息を吐き、穴の側面まで這い上がってくる。

「掘れたな、安堂改めヤマトモ2nd。しかしイイ感じの墓穴だ。ピュリッツァー賞狙えるね」

既に日は傾いており、夜が迫る水平線の端には星の光が浮かび始めていた。覗き込んでも穴の底はもう見えず、闇が湧き出してくるよう。ヤマトモが軽々と死体を運び、穴の中に放り入れる。四肢を失った達磨のような死体はズタズタになった顔で胡乱な目を二人へ向けていた。

夕陽を背に浴び、影を伸ばす黒々としたシルエット。ヤマトモと安堂の違いすら分からない。分かるのはその口元のみ。

「あははっ♡ せぇんぱぁい、楽しかったですかぁ?」
「あー、楽しかった、楽しかった」
「……嘘ついちゃダメですよぉ?」
「そっか、お前には分かるんだよな。そうなんだよ、俺さぁ、何やっても楽しくねえんだよなあ」

死体から目を離すことなく、ヤマトモは口元を笑いの形にしたまま話し続ける。
昼の光は既に力を失い、砂浜と海と空と、全ての境界が曖昧になっていく。

どろりとした快楽が自分の膜を破って流れ出していくように安堂には思えた。
既に境界はヤマトモの笑顔と、穴の底で光る死体の整った口元だけ。
そして全身から快楽が流れ出した時、安堂は周囲から音が無くなったことに気が付いた。

思わず笑ってしまう。

同時に、強い衝撃と共に墓穴へ叩き墜とされる。

「あれ、センパイ、なんで」
「だからさあ、夢でもこんな役なんだよ」

安堂は死体に抱き着くように墓穴の底に倒れ込む。
死体の揃った歯列だけが目に映り、上から何かが降りかかり、埋められていく。
全身に感覚があるのに快感はない。囁くような疼痛は無く、ただひたすらに静かで、これが当然のように思えてくる。

ヤマトモの声だけがその中に響いている。

「なあ、俺と一緒にいると静かでいいって言ってたよなあ。何でか分かるかァ?」

安堂はこれが夢だと気づいた。思えばあまりにも都合が良すぎ、あまりにも現実感が無かった。
誰もいないサイト、赤信号の乱反射、潮のざわめき。自分たち以外に、ヤマトモと死体以外に、誰もいなかった。

「お前も俺も死んでるからなんだよ、ひでえことされてぐちゃぐちゃにされて、自分ってのが死んだくせにこうやって這い出してきてるのに、笑ってるふりを続けてるからだよ」

安堂はそれが事実だと知っていた。
ヤマトモはどんなときでも快楽を感じていなかった。安堂は快楽だけを自分の頼りにしていた。自分とヤマトモはよく似ていた。"自分"が生きていないのに幸せな振りをして、這い出してきたからこんなにも五月蠅かったのだ。

「気づいたんだろ? お前は誰だよ、お前の名前は何だよ? それのどこが正常なんだよ」

ヤマトモがマスクを脱ぐ。隣の死体と同じ顔が闇の中で一瞬光る。
壊され、溶かされ、自分が死体なのか、死体が自分なのか分からなくなってくる、暗中で目の前の歯だけが笑っている。

「一度死んだのに生き返った奴はな、誰かがもう一回埋めてやらなくちゃいけねえんだよ」

安堂は気づいた。今話しているのは死体でありヤマトモであり自分であると。だからこんなにも安心できるのだ。




──────あははははは、だからこんなにも静かなのだ。自分の笑い声しか聞こえない。




「なあ、生きてるのは辛かっただろ、うるさかっただろ、安心しろよ」

自分たちはズタズタに裂かれ、グチョグチョに蕩かされ、それなのに笑うことだけは止めなかったのだ。
あはははは、自分の笑い声だけが墓穴に反響する。静かだ、もう何も聞こえない、存分に笑っていられる。

「俺の名前を言ってみろよ、安堂」

それは笑う。墓穴の底でその歯だけが白く残り、そして消える。
真っ暗で、静かで、ひどく静かで、ずっと笑っている。




──────あははははは、あははははは、ははははははは。





そんな夢から安堂戯乃介が目を覚ました時、隣にはヤマトモが転がっていた。

「起きたか、安堂の名を捨てたヤマトモ後継機、うっかり大和博士殺しちまって、今から埋めに行くから手伝え」
「はぁい♡ センパイのためなら自分、地の底まででもイッちゃいますよぉ♡」

艶めかしく蕩けたその顔から、白い歯列だけが笑って見えた。

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