[通知]
1件の新規生体データを取得しました。ダウンロードを開始します。
Now loading……
ダウンロード完了。データに該当する人物に最適な環境の構築を開始します。
Now Loading……
[通知]
新たに生体データを8件取得。ダウンロードを開始します。
ダウンロードデータの出力および環境の構築が完了しました。最終確認を行います。
Please wait……
最終確認完了。人体データの再構築を開始します。ようこそ完璧な世界へ。我々はあなたの到達を心から歓迎します。
目を開くと、先ほどまでいた工場のオフィスではなく、ビルの大部屋に立っていた。どうやらコード14は無事成功し、電子世界に転移できたようだ。
「上手くいったか…どうなるか少し心配ではあったが、杞憂だったようだな」
思わず安堵のため息がもれる。こぶしを握り、体の感触を確かめる。現実世界での感覚と何ら遜色ないことを確認すると、自然と笑みがこぼれた。部屋の中を見ると、テレビに小型のワイナリー、葉巻にパソコンなど私が日頃愛用しているものが全て用意されている。
「やはりこのプログラムは完璧だ。この世界こそが、人類の理想郷なのだ」
ワインを一本取り出し、グラスに注ぐ。ボトルに再び栓をしたところで部屋のドアがノックされ、見知ったスーツ姿の男が入ってきた。
「工場長!既にこちらに来ていましたか!」
「おぉ小山君!君もこっちに来ていたのかね!」
笑顔で手を差し出し、来客を歓迎する。向こうも顔いっぱいに笑みを浮かべ、手を握り返してきた。
「どうだね?プログラムの開発に携わった者として、この世界の感想は」
「いやぁ…感無量です。こちら側と連絡はとれないので、実際どうなっているのか不安はありましたが…我々が思い描いていた通りじゃないですか」
「その通りだ。このことを社長に報告することができれば、大変喜んでいただけるだろうになぁ」
[通知]
新たに到達した人員及び環境の構築が完了しました。どうぞ、この永遠の世界をお楽しみください。
窓から外を見ると、電子空間とは思えない光景が広がっている。見上げれば無数の星が輝き、見下ろせば様々な娯楽施設があちらこちらで明かりを灯し、行き交う人々は皆笑みを浮かべている。
「…やはり我々は正しいのだ。ここならば誰も苦しむことはない。人々はこの世界で、永遠の存在になるべきなのだ」
眼下に広がる努力の結晶を見下ろしそう呟きながら、男はグラスの中身を飲み干した。豊潤な風味が鼻を抜けていく。この味すらデータだと思うと少し味気ない気もしたが、男の胸を満たすには十分なものだった。
現在の消費容量を計算中……完了。現在、使用可能領域の約0.0000014%を使用しています。
「ふむ…やはり圧縮が課題だな……これは現実世界の方に任せるしかないか…」
そう誰に聞かせるためでもないつぶやきをしながら、画面に表示されたデータに顔をしかめる。
「あれ、工場長って管理者権限持ってたんですか?」
「おいおい、私だって立場はそこそこあるんだぞ?それに、プログラムはまだ完璧じゃない。隠れたバグがあったりしたら、こっち側から修正した方が早いだろう?」
「確かにそうですね…で、どうなんです?」
「今のところ異常は確認されていない。全人類を収容するだけの容量はまだ足りないが、そこは現実むこうの開発部が何とかしてくれるだろうさ。人体データの再構築や環境の構築までにかかる時間に若干の差はあるものの、誤差の範囲だ。概ね良好だろう」
「そうですか…それなら良いんですが…」
「何か気になることがあるのかね?」
「いえ特には…ただあまりにも現実世界とそっくりなので、自分がインターネットの中にいるという実感が未だになくてですね…」
「それはまぁ、仕方のないことだろうさ。だが、今の私達は0と1の羅列に過ぎない。だがそこらのありふれたデータとは一線を画す…」
着信音と共に、画面右上に通知が小さく表示された。
[通知]
1件の着信があります。
「…全く、こんな時間にいったい誰だ?こちらが寝ているとは考えないのかね…」
ちらりと時計を見やる。時刻はすでに丑三つ時。作業を始めてから既に5時間が経過していた。
「他の従業員じゃないですかね?どこかで小さなバグを見つけた報告かもしれません」
「そうだな。それならこの時間に連絡が来ても、まぁ不思議ではないな」
通話ボタンを押し、回線を開く。表示された相手の名前は…
「…おい、なんだこいつは?jellyfish…クラゲ?」
『jellyfish』なんてふざけた名前、見たことがない。…まさか外部から?いや、そんなことがあったら、すぐにプログラム側から通知が来るはずだ。焦ることはない、ただの従業員の悪戯だろう。
「あー、もしもし?君は誰かね?白金君?高田君?それとも案外、田代さんだったりするのかい?」
『こんばんは』
ハッと息をのむ。聞こえてきたのはあまりにも中性的で抑揚のない声と、単語ごとに区切られた発音。安物の音声アナウンスを聞かされているような感覚だ。
「…もしもし?こんな時間に悪戯なんかやめなさい。私だって暇じゃないんだ。おとなしく君が誰か言ってくれれば、今回はおとがめなしにしてあげよう」
『ぃたずら ちがぅ たまたま ここ みつけた ここ なに?』
少しイライラしてくる。ただでさえ確認作業で忙しいというのに、こんなくだらない茶番に付き合っている暇はない。
「あのねぇ…いい加減にしなさいよ?自分で言うのもなんだが、私はあまり寛容じゃないんだ。もし君が今すぐこのふざけた真似をやめないのならば、こちらにも手段はあるんだよ?」
『あなた だぁれ? ここ なぁに?』
…いいだろう。相手が正体を明かさないのなら、こっちから暴いてやる。かかる時間は……1分といったところか。それまでは、こいつにノってやるとしよう。
「…わかった、質問に答えよう。私はとあるCPUを作る工場の工場長で、ここはそのCPUに接続されているネットワークだ」
『ここ なにしてる?』
「我々の目的は全人類をこの世界に移住させ、苦しみのない世界を作り上げることだ。今はその準備段階と言ったところだな」
『へぇ その あと どうする?』
「その後とは、どういうことだ?」
『みんな うつした ぁと』
「どうするって…どうもしないさ。人々はこの完璧な電子の世界で、永遠の存在になるんだよ」
『……………』
返答がない。なんだ?従業員ならいい加減反応すると思ったのだが…そこまで演技しているのか?
通知が来た。特定が終わったようだ。さてさて、こんな馬鹿気た真似をする奴は一体誰だ?
[Not found]
「……は?」
予想していなかった文字列に、思わず素っ頓狂な声が漏れる。Not found ──つまり今私が電話しているこのふざけた奴を、この電子世界から見つけられなかったということだ。頭が混乱する。どういうことだ。まさか本当に外部から…いや、それならば侵入した痕跡が必ずあるはずだ。なのに…なのにどうしてシステムは異常を、こいつの存在を検知できていないんだ?
「こ、これは一体…」
「落ち着け、プログラムがエラーを起こしている可能性もある。それに最悪、このふざけたやつがシステムの一部を乗っ取ってる可能性もある」
「まさか…外部から!?」
「まだ判断はできない。だかその可能性が捨てきれなく…」
『つまんなぃ』
「…なんだと?」
正体不明の相手が発した5文字の言葉が何を指しているのかは、おおよそ検討がついた。
「どういう意味だ?この世界がつまらないとでも言いたいのか?」
『ぅん えんどこんてんつ』
「エンドコンテンツ?」
『ねっと いろぃろ ちしき ある おもしろい みんな あたらしいものつくる でも ここ ちがう あたらしいちしき つくろうと しない よぅりょう むだ』
「だったらどうするというのだ?君に一体何ができるというんだ?」
こいつは何もわかっていない。誰も苦しまない、皆が幸せになれるというのに、なぜつまらないなどとほざいているんだ。やはりこの崇高な考えは…
通知音が鳴る。
-
- _
こうするの
瞬間、アラートがけたたましく鳴り響いた。
[警告]
プログラム内にウイルスの侵入が確認されました。至急、手順に従って対処してください。繰り返します。プログラム内に…
「なっ……そんな馬鹿な!」瞬く間に画面が警告で埋め尽くされる。プログラムは滅茶苦茶にいじられ、既に虫食い状態になっていた。
[警告]
現在、プログラム内の複数個所にて破損が確認されています。至急対処してください。
なんなんだこの浸食速度は。とてもこいつ1人でできるような速度じゃない。それに、何重にもプロテクトがかかっていたはずだ。一体何がどうなって…
「おいお前!いったい何をしたんだ!」
『こわした あなたたち の ちしき ほしかった でも つまんない』
「壊す…?…まさか…!」
プログラムを確認する。……思った通りだ。この電子世界を外部のネットワークから遮断するプログラムが既に目も当てられない状態になっている。このプログラムは、この世界を支える柱のような物だ。つまり、それが壊れるということは、この世界の崩壊を意味している。
[警告]
隔離プログラムの70%が破損しています。このままでは、電子世界の存続は困難です。至急対処してください。
横から悲鳴が上がる。目をやると、小山君の体が透けていた。…いや、正確には分解されている。人の形から、本来の形である0と1の羅列へと。
「ぁ…い、嫌だ!工場長!助けて下さい!何とかしてください!」
小山君は私に縋り付き、必死の形相で救いを求めてくる。だがそんな彼の手は私をすり抜け虚しく空を切り、消えた。間もなくして彼は恐怖の表情を浮かべながら、跡形もなく闇へと吸い込まれていった。
ビルも、道路も、星空も、全て分解されていく。この部屋も、既に天井や床が消え始めている。自分の手の視線を落とすと、指先から分解されていることに気がついた。これまで長い時間をかけて作り上げた世界が、一瞬にして崩れ去ろうとしている…こうもあっさりしていると、変な笑いすらこみあげてくる。
「はは…こんな、こんな簡単に…私たちの理想の世界が消え去ってしまうなんて…」
『ちがう』
「…え?」
『こわす ちょっと ちがぅ ただしく いうと ばらまく」
「ばら撒く…?どういうことだ?」
『あなたたち つまんない でも ぷろぐらむ ぉもしろい けす もったいない だから ばらまく』
「それじゃあ…私たちのデータをネットワーク中にばら撒くという事か!?」
『そう ねっとのなか えいぇん ちょうどぃい ちしき ふえる うぃんうぃん』
「ふざけるな!私たちは目指していたのはただのデータなんかじゃない!もっと崇高な…」
『でーた は でーた それだけ さぁ いっしょに ただよぉう」
「お前は…お前は一体何なんだ!何のためにこんなことしやがったんだ!」
膝から下が消失し、床に這いつくばりながらも男は画面に向かって吠える。直後、画面にその咆哮への答えが表示された。
DDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD
DDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD
DDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD
画面に大量に表示される、無数の「D」。画面が青で埋め尽くされると、正体不明の相手はこう言った。『D-PiXsea でんしのうみ ただよぃ ちしき たんきゅう する ただの くらげ』
「はっ…なんだよそりゃ、答えになってねぇじゃねぇか」
腕が、胴が、首が消えていき、自分の身体だったものが広大なデータの海に流れ出していくのがわかる。信じることができないこの結末に、男はただ力なく笑うことしかできなかった。
[最終通知]
全てのプログラムが、外部ネットワークに流出しました。現在、管理下にあるデータは存在しません。よって、当プログラムの存在意義はないと判断し、強制終了を行います。
[プログラムの削除を実行中………完了]
[バックアップデータの削除を実行中……完了]
全てのデータの削除が終了しました。これよりシャットダウンを行います。これまでのご利用、ありがとうございました。