私たちは何かって? そうだな、これも例え話になるのだけれども
私やあなたが今乗っているのは世界という海に漂っている 救命いかだライフラフト
明日沈むかも、沈められるかも分からない、太陽が昇れば渇きを恐れ、雲を見れば嵐を怖がる
それに乗り合わせただけの遭難者さ。それに過ぎない
──『生き残るためのオリエンテーション』より引用
時間というものは、人の暮らしを否応なく変えていきます。それが30年ともなれば、まったく違うものにしてしまうのに十分すぎる長さです。だからこそ、私はその時間を思わずにはいられないのです。両親は良い終わりを迎えられたのでしょうか。兄弟はどのような伴侶を得、その子どもたちはどのように笑うのでしょうか。我が家の庭には、今年もひなげしの花が咲くのでしょうか。彼らはそれを、いったい誰と眺めるのでしょうか。
いずれにせよ、きっとそこに私の居場所は残ってない。本当は今でも故郷が恋しいけれど、そんな希望は長い月日の中で風化した。だからせめて、私はまだ故郷に居場所が残る若者たちの手助けがしたいのです。私が水面を掻き、いかだを少しでも岸辺に寄せることができたのならば……そのとき初めて、私の30年もまた無駄でなかったと兄弟へ胸を張って言えると思うのです。
たまにですけどね、故郷のことを思い出しますよ。そんないいもんじゃなかったとは思います。虹色の煙に覆われて、たまに鳥が襲ってくる。こっちの人からすれば住みにくいでしょうね。なんか肺の構造も違うらしいですし。
だからこっちに来たときは驚きました。あのときみんなに助けられなければきっと、死んでいたでしょう。コミュニティにもよるらしいですけど、俺のとこはわりと仲間意識が強かったんです。多分、全員がもう故郷に帰ることを諦めていたからでしょうね。仲間たちがこっちに馴染んでいくたびに、ささやかですけどお祝いをしました。
……そう、もう故郷のことよりも、その記憶の方が強い。
ただ、故郷のことではっきりと覚えてる記憶があります。俺は母子家庭で育ってたんですけど、仲がいいとは言えませんでした。喧嘩も多かったし、俺も不満を持ってたんでしょうね。あの日。虹色の煙が全部晴れた日。何千年ぶりかの青い空をみんなが見上げた日。みんな、喜んでいたのに。何に気付いたんでしょうね、母親だけは何かが違いました。顔は覚えていません。覚えているのは、背中を強く押されて振り返ったときの痩せた手だけ。
その記憶だけを残して、俺の世界は滅びました。
……俺は、この世界に馴染みたいわけじゃない。でも、帰る場所もない。仲介者やってるのなんて、それだけの理由ですよ。寂しいけれど、仕方のないことですから。
なぁ、マジで俺たちって運が悪いよな。
お前の場合がどうだったかは知らないが、俺の場合は突然現れた強い光に襲われて、今ここにいる。マジで理不尽だし、マジで腹が立つ。なんで俺たちじゃなきゃいけなかったんだ?候補ならいくらでもあっただろうに。なぁ、兄弟、なんでなんだ。意味分かんねぇよな。クソッタレ。こんな異世界に飛ばされちゃってさ、明日さえどうなるか分かんねぇ。それなら故郷に本当に帰れるかどうかなんて分かるはずもねぇ。けど、けどな。分からなくたって俺たちはへこたれたままではいられないんだ。踠いて、足掻いて、泥水啜ってでもこの地獄から這い上がってやろうぜ。俺たちはクソッタレな災害に巻き込まれた被害者のままじゃいられない。
あの日、ボールを夢中で追いかけ、道路に飛び出した私を救ってくれたのは兄なんです。トラックがすぐ側まで来ている事に気づいた次の瞬間には、私は歩道に投げ飛ばされていました。……その時、私は確かに見ました。トラックにぶつかる瞬間、私を見て安堵の表情を浮かべる兄の姿を。でも、兄はトラックに轢かれなかった。兄は私の目の前で煙のように消え失せたんです。その日からもう50年、私は兄を探し続けています。
漂流者でもないのに救命いかだに乗っているのも、それが理由です。砂漠の中で1本の針を探すような事だとは分かっています。それでも、探すことを諦めたくないんです。それに、漂流者を助けることで、兄の助けにもなっている気がして……。いや、違いますね。私自身が救われるためにやっているだけなのかもしれません。
とにかく、私は兄がどこか別の世界で生き延びていると信じています。そして、出来ることならまた会いたいんです。話したいことが沢山あるんです。あなたに新しくもう一人の妹が産まれたこと。私も結婚して、もう孫まで居ること。何より、"ごめんなさい"と"ありがとう"を伝えないといけないんです。
焼けた鉄柱を抱かされたかのような灼熱。全裸で吹雪に晒されるかのような極寒。熱砂を彷徨うかのような渇き。深海に沈んだかのような息苦しさ。煮詰めた糞を飲み下したかのような吐き気。全身を這い回る蟻走感と掻痒感 この世界は一睡、一呼吸、ただの一時さえも、私に安寧を許してはくれなかった。
心身、五体、五感六感、五臓六腑に至るまで、無事なものなど何もない。腕はあるのか?脚はついているのか?そもそも心臓は動いているのか頭と体は繋がってるか?視界は極彩色に明滅し、破れた鼓膜は音を合わさず、腐れた臭気が鼻腔を満たして吐き戻す反吐の風味はヘドロよりなお悍ましい。壊れた感覚器官を通して世界から流し込まれるあらゆる苦の伝達信号に、脳髄が溶け落ちていくのを感じる。思考は千々に引き裂かれ、縋るべき自我すら掻き集めた端からばらばらに散じて消えていく。
比喩ではないこの世ならざる苦悶に喘ぎながら、世界に爪立てるかのように生にしがみつかせる思いはただ一つ。嫌だ 私はこんな世界ところで死にたくない。
私は帰る。帰る。帰るんだ。たとえこの世のすべてを焼き尽そうと
グループ通称: "ライフラフト"
異称: GOI-9519,方舟,互助会,他多数
構成員: 世界中に1000人以上
説明: ライフラフトは様々な異世界を出身とする知的生命体の互助組織の総称です。ライフラフトの名称はあくまで便宜的な呼称であり、各コミュニティや構成員によって自称されているものではないことに留意してください。構成員及び各コミュニティは世界各地に点在しており、コミュニティの構成・規模等は大きく異なる場合があります。コミュニティ間の交流が希薄であるのに対し協調がとれているため、指導者のような存在1がいるのではないかと推測されています。
構成員は、主にこの文章が存在する世界とは異なる世界より偶発的に転移した知的生命体であり、既存の人類種及び生物種とは異なった形質、特性を持つ者も多く確認されています。各構成員の目的は出身世界への帰還であることもあれば、安定した生活環境の獲得であることもあり、一定ではありません。そのため、コミュニティによっては構成員の合流・離脱が高い頻度で行われていることが確認されています。
ライフラフトが初めて財団の注意を引いたのは19██年ですが、多くの関連資料や聞き取りの結果19世紀後半頃にはヨーロッパを中心にライフラフトの起源の組織が活動していたことが分かっています。また、現在のライフラフトとは直接的な関係はありませんが、19世紀以前の歴史上に同様の互助会がいくつか存在していたことも分かっています。このことや組織関係者からの聞き取りから、団体の組織的なアイデンティティは薄いと考えられています。
財団との関係はその性質上、大まかには緩やかな緊張関係にあります。一方で各コミュニティメンバーにより非常に敵対的な行動を取ることもあれば、徹底的に秘匿する、一定の関係を築く例も確認され、対応するコミュニティごとに判断が行われます。他団体との関係も同様であり、一時的にライフラフトへ在籍し、各団体に所属する構成員も確認されます。