スズランの花咲く夜更けに
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サイト-8181の敷地内の片隅にひっそりと咲く、スズランの花。
もうじきその時間になる。
私は、じっとその時を待っている。

私、薮下 朧がこの財団に所属してから、神恵 凪雪とは数年の付き合いになる。

最初の感想は、ぴょこぴょこと動く姿が小動物のようで可愛らしい娘だなあ、といった程度だった。その後に彼女が私より4歳年上と聞かされて大変驚いたものだ。身長でさえ彼女の方が僅かに高い。私が受けた幼げな印象はきっと童顔のせいもあるのだろうが、それ以上にどこか人を惹き付ける、愛嬌ある彼女の振る舞いによるところが大きいのだろう……彼女と親交を深めていく内に、私はそう感じるようになっていった。

実際、神恵凪雪の名を知るものは多かった。彼女が定期的に開くお茶会には入れ替わり立ち替わり多くの人が集ったし、私の親戚のスタッフ達   端的に言えば、かなりの変人揃い   とさえ仲が良かったので、私はたびたびその交友関係の広さに舌を巻いた。社交スキルといえば身体目当ての男を引っかけるか"飲みニケーション"くらいしか心当たりの無い私にとっては、いつだって彼女の人当たりの良さは驚異的に思えたのだった。

「人と仲良くなる方法かあ……うーん、楽しくお喋りするとか?」

その言動にはどこか打算的なものがあるのではないか?と私が下衆な勘ぐりをしたときも、彼女が全くの無邪気な眼でこのように返すものだから、私は「なるほどね」などと応えつつ心中では赤面するばかりだった。仲が良くなるにつれてわかったことは、彼女は純粋な性格で、それ故にかなりの"いじられキャラ"であるということだ。親戚の医療スタッフにはたびたび頭の花を毟られそうになっていたし、誰かのペット(犬や猫、カラスなど)に襲われて涙目になっているのもよくある風景だ。

そうした場面を見かければ、私は笑みを堪えながらすぐ彼女の救出へ向かう。その度に彼女は、ほっとした顔で弱々しくこちらへ手を伸ばすのだった。

そんなことを続けていたからか、いつしか彼女は私を「頼れる友人」として認識したようだった。曰く、人生経験が豊富で大人っぽいということらしい。困惑しつつも私の胸には嬉しい気持ち……誇らしい気持ちが、薄暗い自尊心とともに渦巻いていた。私が、神恵凪雪という特別な人間の「特別」になれた気がしたからだ。それに思い至ったとき改めて自分のことを、浅ましい、と感じた。そして、それでも彼女の側に居たいと思う自分が居ることにも気づいた。

私の心を知ってか知らずか、彼女との交流は意外にも長く続いた。いわゆる"年頃の女性"らしい流行りのコスメや恋愛遍歴の話題から、彼女の異常性……その身体を取り巻く氷の花と蔦の調子や、つまらない収容違反で私が失った左腕と左足についてといった財団職員特有の内輪話まで、どうでもいいような話でも彼女と語り合うだけで楽しく思えた。彼女の管理する植物園に行ってみたり、お菓子の作り方をたくさん習ったり。彼女と色とりどりの日々を過ごした。

業務に追われる毎日の中で、彼女と過ごす癒しの時間が私の中の「特別」になるまでには、そう長く掛からなかった。

「ねぇ薮下ちゃん、これあげるよ」

ある日の茶会。彼女が手袋に包まれた手でそっと差し出したのは、小さな植物の種だった。

「ん?なにこれ」
「これはね、スズラン。5月1日に好きな人に花を渡すと、両想いになれるんだって」

何故?と尋ねれば彼女は植物学者らしく、饒舌に語り出した。その習慣は16世紀のフランス王、シャルル9世がスズランの花のプレゼントを好んだことに由来し、現在のフランスでも愛する人への贈り物という形で引き継がれているということ。
高く伸びた葉に隠れるように咲く雪のような白い花が特徴で、そこから慎み深さや愛らしさといった花言葉が付けられていること。
にもかかわらず有毒植物であり、うかつに摂取すると嘔吐やめまい、血圧低下や心臓麻痺を引き起こすこと。でもそこにギャップがあって可愛らしいということ……延々と続く彼女の蘊蓄を遮るように、私は「やだ、そんなの信じちゃって乙女だねえ」と茶々を入れた。

「いーの、心はいつまでたっても乙女なの。本来はね、種から育てるのは手間も時間もかかって大変でさ、苗から育てるのが一般的なんだけど……薮下ちゃんなら大丈夫だと思う」
「ええ……そんな、あたしに出来るのかなあ」
「大丈夫、ちゃーんと私が教えるよ。だからはやくいい人見つけて一緒に育ててね。きっとうまくいくから」

いい人。一瞬思考が滞り、目の前の彼女をつい見つめてしまう。動揺を勘付かれないように、あいまいな言葉を継ぐ。

「そうだねえ……その時がきたら考えておくよ」
「うん、頑張ってね?」

私の心を知る由も無く、相も変わらず彼女は無邪気に笑っていた。

 
それから数年。私の手には未だにスズランの種があった。

「薮下ちゃん惚れっぽいと思ってたけどなぁ。まだそれ持ってるの?」
「悪いかい?あんたのほうこそもうすぐ30だろうに、いい加減どうなのさ」
「むう……居るよ、私にだって。好きな人は」

そう言ってから、"しまった"といった風に彼女は口を塞ぐ。

彼女が、恋。思いも付かぬことだったが、私は私自身が平静を保てているのを不思議には思わなかった。分かっていたでは無いか、彼女にとって私は単なる「頼れる友人」だということを。ならば、彼女の後押しをするのが、私に求められている役割なのだろう。

「へえ、それはそれは……その男とはどこまで行ったんだい?」
「何にも!まだ告白もしてないよ。あーあ、私も薮下ちゃんみたいに恋愛経験豊富だったら、勇気を持ってズバッと自分の気持ちを伝えられるのになあ……」

何が恋愛経験か。貴女の目の前に間抜けな顔をひっさげて座っている女は、夜の寂しさに耐えかねて多くの男と枕を共にしただけで、貴女と共に過ごす暖かみも知らなかった軟弱者だ。
何が勇気か。ここに居るのは、貴女とこれだけの長い時間を過ごして、多くの言葉を交わしておいて、たった一言『貴女が好きです』とも言えない臆病者だ。

「……それで、お相手は誰なのさ?」
「うーん、そうだねえ…」

彼女は珍しく言葉を濁して、それっきり窓から空を見上げてしまった。はあ、と短くため息をついて、私は沈黙を引き裂く。恋の成就について心配はしていなかった。彼女のことを嫌う者など居るはずが無い。彼女のまっすぐな好意を向けられてなお、それを拒絶できる者など。

「まったく。あんたになびかない男なんて居ないんだからさ、自信を持ってアタックすりゃいいんだよ。マジに惚れてるってことを伝えることさえできれば、おのずと恋も実るってもんだ」
「……うん、やっぱりそうだよね。ありがとう」

彼女は、私の中身の無い助言に対してただ穏やかに、いつものように、にっこりと笑顔を向けた。

彼女の心臓に異変が生じたのは、数日経った夜遅くのことだった。

彼女の異常性が、その心臓に負担を掛けていることは知っていた。それが"ウェンケバッハ型房室ブロック"だのという長ったらしい病の症状と似ているらしいことも知っていた。強い心理的ショック等に起因する予期せぬ異常性の進行により、死に至る可能性があることも、知っていた。

知らせを受けた私は自室を飛び出し、吐き気がするほどに静寂な夜を駆け抜けて、高度治療室へ向かった。到着してすぐ、私は親戚の医療スタッフに彼女は無事なのかと詰め寄った。

彼はただ静かに、首を横に振った。

全身の力が抜け、血の気が引いていく。
あまりにも唐突過ぎる別れに、哀しみを通り越してしまったのか……不思議と涙は出てこなかった。代わりに溢れ出したのは、理不尽な運命に対する怒りと、やるせない困惑だけ。

何故、何故、何故  

  ふと、傍らにいた医療スタッフに肩を叩かれる。力無く彼を見上げると、目の前に"何か"を差し出された。

「彼女が大事そうに抱えていたもんだ。これ、あんたに渡しておく」
「これ、は?」
「あんたならしかるべき処置をしてくれるだろうよ」

震える私の両手に託されたのは、綺麗に咲いたスズランの鉢植えだった。そうか、今日は5月1日。

  5月1日に好きな人に花を渡すと、両想いになれるんだって

鉢に刺さったメッセージプレートには宛名が書いてある。強い芳香を押しのけて顔を近づけると、そこに「葉高 道然様へ」と記されていることが確認出来た。

そうか、葉高。入浴に関する収容スペシャリストとして活躍している彼は、異常性の影響を緩和するため、彼女に入浴を通した身体の温め方を指導していたことがあった。どこかおおらかで余裕を持った葉高氏の立ち振る舞いに、多少なり好感を抱くものも居るだろう。きっと、そうした交流が彼に対する彼女の恋心に繋がっていったのだ。

ああ、彼女はその恋を伝えることが出来なかったのだ。これが彼女の最期の願いなのか。ならば彼女の思いを遂げさせてやるのが、私が彼女にしてやれる、友人として最後の務めなのだろう。そうしてやりたい。

その時の私には、それだけしか出来ることが思いつかなかった。

葬儀を終え、なにもかもが日常に戻りかけて来ていたある日、私はあのスズランを持って葉高氏のデスクを訪れた。彼は熱心に業務へ集中しているように見えたので、私の臆病な心はまた、一言をためらう。

  これ、神恵が育てていた花です

  以前のお礼として葉高さんに差し上げたがっていました

  大事にしてやって下さい

これだけでいい。彼女は優しかったから、彼女自身も、彼に死んだ者からの恋心を背負って欲しいとは思っていないはずだ。ただ、彼にスズランを渡すということだけでも達成できれば……。

意を決して葉高氏に声をかけようとした、その時。

葉高氏の背後からすっと、コーヒーを持った女性が現れ、彼に声をかけた。葉高氏はお礼と共にそのコーヒーを受け取ると、親し気に、そしてとても楽しそうに談笑を始めてしまった。交わす言葉こそ少しトゲを含んでいながら、どこかお互いに気遣いを見せている。そんなことを親しくない私でも感じ取ってしまう程に、二人の波長は重なり合っていた。

成程。そういうことか。彼女が"これ"を渡せなかったのはこのせいだ。

きっと彼女は私のアドバイス通り、勇気を出して……スズランという武器を携えて、5月1日もここへ来たのだ。そして、彼女も悟ったのだろう。二人は一朝一夕の関係では無い。元より、彼女が入り込む隙間などなかったのだということに。

彼女のまっすぐな好意を向けられてなお、それを拒絶できる者はいない。私はそう信じていた。だが、彼女自身が思いを伝えないことを選んだならどうだろう。彼女はきっと、自分から身を引いたのだ。己の我を通して要らぬ不幸を生み出すより、自分一人が心を押し込めて……。

『彼女は純粋で、優しかったから』

私は静かにその場から立ち去ることにした。
その帰り道、私の両目からやっと大粒の涙が溢れ出した。震える声も、止めることはできなかった。
葉高氏や、彼のパートナーが悪いわけではない。それでもどうにもならなかったことが、ただただ悔しくて仕方がなかった。

もし、私が考え無しに、あんなアドバイスをしていなければ!

自責の念と、とめどなく溢れる涙で霞む視界の中。明かりの付いたサイト-8181の窓から、夕暮れに沈む足下へ、葉高氏の長く伸びた影が映し出された。ああ、ここからでも、彼が見えるのか。

私はこの場所に、このスズランを植えることにした。ここからなら、少し見上げれば彼の居るフロアが見える。ここならきっと時々、彼もこの花を見降ろして、その可憐さに眼を留めることがあるだろうと。

そう、願った。

サイト-8181の敷地内の片隅にひっそりと咲く、スズランの花。
もうじきその時間になる。
私は、じっとその時を待っている。

  彼女が亡くなった、その時間を。

スズランの花が夜闇に淡く輝きだし、幽かな光はやがてヒトの形として結ばれる。小さな花と同じ色の白衣を着て、ウェーブのかかった、甘いミルクティーの様な髪を揺らして、彼女が、神恵凪雪が現れる。

「よお、暫くぶり」

呼びかけても、彼女は答えない。今が人気の少ない夜更けで無ければ、私には好奇の視線が痛いほど突き刺さっていただろう。一度別の職員が通りがかったとき、どうやら彼女の姿は見えていないようだった。
だからきっとこれは私が見ている幻覚。
そうに違いないのだ。

「今日も仲良くやってるねえ、あの二人は」

灰青の瞳が、彼のいるフロアを見上げる。そこには今日も、あの女性と楽しそうに談笑する彼の姿があった。
彼女はその様子を見て、まるで花がほころぶように優しく微笑む。

私はそんな彼女の姿を何日も、何年も見続けてきた。

「そうだ、墓の方は見たかい?やっとあんたほど奇麗に出来るようになったんだ」

彼女が眠る墓は今、たくさんのスズランの花に囲まれている。彼女はそのことを知りもしないのだろう。まったく、花を種から育てるのがこんなに大変だとは思わなかった。

「こんなゴツい義手でさ、うっかり折らねえようにするのはムズいっての。まあ、あたしも成長したってことかな」

スズランは高く伸びた葉に隠れるように、雪のような白い花が咲く。そう言ったのは彼女だったか。薮の下に隠れたその小さな花に気づく者は少ないのだろう。きっと、花自身さえ見つめられていることに気づかない。

「だから、さ。今なら言えるよ」

これまでも、これからも。
三人の想いが交差することは決してない。
だとしても。

「貴女が、好きでした」

きっと、これでよかったのだ。

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