スズランの花
rating: +32+x
blank.png

サイト-8181の敷地内の片隅にひっそりと咲く、スズランの花。

もうじきその時間になる。
私は、じっとその時を待っている。
 


 
私がこの組織に所属してから、神恵研究員とは数年の付き合いになる。
最初は、ぴょこぴょこと動く姿が小動物のようで可愛らしい人だなあ、なんて思っていたのだが…年上と聞かされて大変驚いた。私の親戚のスタッフ達とも仲が良かったので、私との親交が深まっていくのにも、さほど時間はかからなかった。
仲が良くなるにつれてわかったことは、彼女はかなりの"いじられキャラ"であるということだった。親戚のスタッフにはたびたび頭の花を毟られそうになっているし、誰かのペットに襲われて涙目になっている場面なんかをよく見かけていた。
その度に私は、必死に笑みを堪えながら彼女の救出へ向かうのであった。
 
私が研究助手として勤めだしてからも交流は続いた。支給された白衣を見て、よく似合ってるね、なんて言って無邪気に笑っていた。
相も変わらず、彼女と色々な日々を過ごした。
年頃の女性らしく流行りのコスメの話をしてみたり、休日の計画を立てたり、彼女の管理する植物園に行ってみたり、お菓子の作り方をたくさん習ったり。
業務に追われる毎日の中で、彼女と過ごす時間は唯一の癒しとも呼べる特別な時間だった。
 
 
「ねぇ薮下ちゃん、これあげるよ。」

「ん?なにこれ。」

「スズランの種。5月1日に好きな人に花を渡すとね、両想いになれるんだって。」

「やだ、そんなの信じちゃって乙女ねえ。」

「いーの、心はいつまでたっても乙女なの。本来はね、種から育てるのは手間も時間もかかって大変でさ、苗から育てるのが一般的なんだけど…薮下ちゃんは特別。」

「ええ…そんな、私に出来るのかなあ。」

「大丈夫、ちゃーんと私が教えるよ。だからはやくいい人見つけて一緒に育ててね。きっとうまくいくから。」

「そうねえ…その時がきたら考えておくわ。」

「うん、頑張ってね?」
 


 
それから数年。
私の手には未だにスズランの種があった。
 
 
「薮下ちゃん惚れっぽいと思ってたけどなぁ。まだそれ持ってるの?」

「悪い?いい男がいないだけよ。あんたのほうこそもうすぐ30でしょ?いい加減どうなのよ。」

それは本当に一瞬の間。
少しだけ、時が止まったような気がした。

「うーん、そうだねえ…」

それっきり、彼女は黙って窓から空を見上げてしまった。
こうなった彼女は何も語ってはくれないことを、私は良く知っている。
はあ、と短くため息をついて、私は沈黙を引き裂いた。

「…まったく。仕事終わったらお茶でもしに行きましょ?温かいものが飲みたい気分なのよね…なんだか今日は冷えるし。」

「…うん、そうだね」

彼女は私の呼びかけに対してただ穏やかに、いつものように、にっこりと笑顔を向けた。
 
 
 
呼び出されたのはその日の夜遅くのこと。

彼女の心臓に急に異変が生じ、搬送されたというのだ。
私は自室を飛び出し、高度治療室へ向かった。

吐き気がするほどに静寂な夜。到着してすぐ、私は親戚の医療スタッフに彼女は無事なのかと詰め寄った。

大丈夫、彼女が居なくなる筈がない。
だってほら、今日だって「また明日」って。

そんな私の淡い期待も空しく、彼はただ静かに、首を横に振った。
全身の力が抜け、血の気が引いていく。

───ふいに、あの時の彼女の表情を思い出した。

彼女は、こうなることを悟っていたのではないか。
私が気づいてさえいれば、こんなことにはならなかったのではないのか。
そうだ。いつもより寒かったじゃないか!
何年も彼女と一緒にいて、どうしてそんなことに気づけなかったの!?

やりきれない思いに、私は抑えきれずにその場に崩れ落ちた。
あまりにも唐突過ぎる別れに、哀しみを通り越してしまったのか…不思議と涙は出てこなかった。
代わりに溢れ出したのは、不甲斐のない自分に対する怒りと、自責の念だけ。

ねえどうして、どうして、どうして。
 
 
───ふと、傍らにいた医療スタッフに肩を叩かれる。
力無く彼を見上げると、目の前に"何か"を差し出された。

「これ、彼女が大事そうに抱えていたもんだ。あんたに渡しておく。」

「これ…は…?」

「あんたならしかるべき処置をしてくれるだろうよ。」

震える両手に託されたのは、綺麗に咲いたスズランの鉢植えだった。よく見ると宛名が書いてあるのが確認できる。
そこには「葉高様」と記されていた。

そういえば、彼女が彼と仲良さそうにしている場面を見かけたことが何度かあった。

ああ、そうか。
これが彼女の最期の願いだ。
死の間際に想いを伝えようとして、彼女は私に邪魔をされてしまったのだ。

───私には責任をとる義務がある。
 
 
葬儀を終え、なにもかもが日常に戻りかけて来ていたその日。
私はあのスズランを持って葉高氏のデスクを訪れた。
葉高氏は業務中で熱心に集中しているように見えたので、私は声をかけるのを躊躇ってしまっていた。

意を決して葉高氏に声をかけようとした、その時。
葉高氏の背後からすっと、コーヒーを持った女性が現れ、彼に声をかけた。葉高氏はお礼と共にそのコーヒーを受け取ると、親し気に、そしてとても楽しそうに談笑を始めてしまった。

お互いに気遣いを見せているというか、親しくない私でも感じ取ってしまう程に、二人の波長は重なり合っていた。

成程。そういうことか。
彼女が"これ"を渡せなかったのはこのせいだ。
元より、彼女が入り込む隙間などなかったのだ。

私は静かにその場から立ち去ることにした。

その帰り道、私の両目からやっと大粒の涙が溢れ出した。
震える声も、止めることはできなかった。

葉高氏や、彼のパートナーが悪いわけではない。それでもどうにもならなかったことが、ただただ悔しくて仕方がなかった。

とめどなく溢れる涙で霞む視界の中、私はスズランを彼の居るフロアが見える敷地内に植えることにした。
ここからならきっと、時々彼を見ることができるだろうと。
そう、思ったのだ。
 


 
サイト-8181の敷地内の片隅にひっそりと咲く、スズランの花。

もうじきその時間になる。
私は、じっとその時を待っている。
 
───彼女が亡くなった、その時間を。
 
スズランの花が輝きだし、ヒトの形を形成する。
似合ってるねと言ってくれたものと同じ白衣を着て、ウェーブのかかった、甘いミルクティーの様な髪を揺らして、彼女が現れる。
一度別の職員が通りがかったことがあるのだが、どうやら彼女の姿は見えていないようだった。
 
だからきっとこれは私が見ている幻覚。
そうに違いないのだ。
 
灰青の瞳が、彼のいるフロアを見上げる。そこにはあの女性と楽しそうに談笑する彼の姿があった。
彼女はその様子を見て、まるで花のように優しく微笑む。
 
私はそんな彼女の姿を何日も、何年も見続けてきた。
  
彼女が眠る墓は、今もたくさんのスズランの花に囲まれている。彼女はそのことを知りもしないのだろう。
まったく、花を育てるのがこんなに大変だとは思わなかった。

三人の想いが交差することは決してない。
だとしても。
 
きっと、これでよかったのだ。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。