そこは地下室であった。
絨毯のように埃が敷き詰められた床、天井隅のパイプに無理矢理括り付けられ明滅する照明、たった一つの出入口を守る、ノブが錆びたドア。
部屋の中央に置かれている、背もたれが割れた椅子以外には一切の家具なども無い、閑散とした薄暗い空間。
空気は冷えていながらどこか湿り気を帯びており、それらは部屋の隅に設置されている通気口を以てしても乱れぬほどに澱んでいた。
窓も無く、日光も差さない部屋の中にはカビとネズミの糞の臭いが漂い、歓迎の準備を整えている。
ここは地下室である。恐らくは、十年単位で誰も知る者の無かった部屋。
その部屋のドアを強引に蹴り開けて、7人の男がドカドカと雪崩れ込んだ。
内1人は明らかに残りの6人によって拘束されており、両手首を後ろ手に縛られ、頭に黒い麻袋を被せられ、着崩れた黒スーツの袖に通っている両腕を掴まれて部屋内に引き込まれる。
6人はいずれもアラブ系かスラヴ系の顔つきをした10代後半から40代前半といった男たちで、古着のように縒れた軍服のようなものを身に纏い、内2人は使い古したAK-47で武装していた。
彼らはスーツ姿の1人を乱暴に椅子の方へ投げ付けて無理矢理座らせると、手首を縛っているロープの余りを椅子に括り付け、更に別のロープで1人の上半身を完全に椅子へと固定した。
そして6人は、1人を中心に展開する。5人は椅子から3mほど距離を置いて椅子を取り囲みながらも、お互いがお互いの射線上に入らぬよう位置取りをする。
そして残った1人──恐らくは6人のリーダー格である、40代前半の男──は傷痕の刻まれた頬を掻きながら、椅子に縛られているスーツ姿の目の前に立つ。
男はスーツ姿の頭に被せられた袋を掴むと、乱暴にそれを取り払った。
その下から現れた顔は、金髪慧眼の北欧系の男性。頬と片目には殴られた痕があり、口の中を切った事による出血で口の端が赤く染まった、一人の男。
彼の名はコールマン。ファーストもミドルもラストも無い、ただのコールマン。
彼は皺の寄った眉間を左右から挟んでいる両目で周囲を軽く見回すと、目の前に立っている男を見上げて引きつった笑みを浮かべた。
「なァんだ。聞きてェ事があんならそう言やぁいいのによォ」
重篤な訛りを患った猫のようなその声が発されずとも、彼は殴られる運命にあっただろう。
男の拳がコールマンの顎の根元を打ち、首を揺らすと、彼はそっぽを向いたまま、苛立っているような叫び声を上げた。そして前方に向き直ると、男を睨み付け鼻で深く呼吸を整えた。
男は断固とした決意を感じさせる険しい表情で、その顔を見下ろす。
そして低く、焼け付いたような声を部屋に響かせた。
「ジャメル・ホウン。何故我らを裏切った」
その言葉に、コールマンは目を丸くした。わざとらしく、である。
ただ驚いたのは事実だったようで、その後自分を囲む6人の内、目の前に立っている男の後ろで控える2人の顔を覗き込んだ。
彼はその顔自体には見覚えが無かったが、軍服の襟に縫い込まれた、逆さに伏せた壷を貫く槍を表した刺繍には見覚えがあった。そして男が呼んだ、かつての自分の呼び名にも。
「おめェら『砂漠のクソガラス』の生き残りか。残党がまだいたとは驚きだなァ」
再び、拳が彼の顔面を捉えた。
「貴様のつけた渾名で我らを語るな。ジャメル・ホウン、お前はただ答えれば良いのだ。同胞を売った理由を言え」
男は血の付いた拳を拭うでも無く、コールマンを冷たく見下ろした。
コールマンは口の中に溜めた血を床に吐き捨てると、男を見上げ、片側の口角を吊り上げる。
「同胞・・・裏切った理由だァ? 良いじゃねェか、言ってやるよ。初めから全部な」
空白
空白
空白
空白
空白
お前らもあの『砂漠のクソガラス』の一員だったなら・・・わかったわかった、そう怒るな。
あの組織の一員だったなら、あの砂漠で生きるって事の意味ぐらい知ってるだろ。
あそこにゃ太陽があった。砂もあった。そして先の見えない地平線があった。その中でどうやって生き残る? やり方は少なかったが、それらは全部シンプルなもんだった。
俺の組織は、そのシンプルさを選んだユダヤ人のはみ出しもんをかき集めて作ったもんだ。
ユダヤにだって貧乏人はいるし、民族主義に食い物にされた奴もいるし、神のことが大嫌いな野郎だっている。歴史に迫害された民族から更に虐められ、爪弾きにされた連中もいるんだよ。
だから奴らは、容易く俺が差し出した銃を手に取った。生き抜くための方法としてな。
だが奴らにしろ、奴らを爪弾きにした連中にしろ、ユダヤの原動力は同じよ。「二度とこんな目には遭わねえぞ」っていう決意だ。
民族主義も宗教も経済も知恵も武力も、それを叶えるための武器でしかねえ。詰まるところ、奴らは生きることに飢えてたんだよ。だから俺は奴らを生かしてやることにしたのさ。そんな俺を、仲間は暴れ馬って呼んだよ。
俺たちはあの砂漠を隅々まで駆け回った。どこへでも行って、イスラエルの利益になるようなもんはなんでも奪った。雇い主はいくらでもいたし、奪ったもんの買い手は数限りなくいた。その殆どはユダヤ人だ。
あの砂漠で、俺たちは本当に色々なことを学んだよ。知っちゃいけねえことも、知りたくもねえことも、あの砂漠には山のようにあった。俺たちは生き残るために、それらを全部呑み込んだ。
そうだ、生き残るためだ。あの地獄みてえな場所で、俺たちは俺たちに出来ることは全てやった。その一つなのさ、異常物の蒐集はな。
あの砂漠にゃ色んなもんがあった。お前らもそれは知ってるだろう。
俺たちはそれを集めた。普段の襲撃なんざ目じゃねぇ、とんでもなくヤバいような状況も経験した。いつ死んだっておかしくなかったし、実際死人も結構出た。
だがやらねぇ訳にゃいかなかったんだよ。何せ、それは俺たちが生きてる直ぐ隣にあったんだからな。ちょっと目を凝らせば見つかるような、すぐ近くにだ。
なら、無視出来ねえ。何かしねえといけなかった。だからそれを必死になって集めて、そしてお前らが現れた。
お前の組織・・・確か、イスラム圏の統一による平和と教義の実践、だったか? 最初は、俺たちが捕まえた、背中に太陽と月が詰まったフタコブラクダを買いに来たんだよな。
まあその前からお前らの組織の話はもちろん聞いてたぜ。ORIAが内部分裂で勢力を弱めた隙にデカくなった、地方の宗教自治体からの複合出資組織だってな。
神の名の下に戦う連中は数限りなく居たが、お前らはその中でも特に規模がデカくて、色々とコネが利いたよなあ。噂じゃサウジアラビアの富豪一族とも繋がってたとかよ。
だから俺は、お前らの組織に入ったんだよ。お互い異常物を集める身として、俺たちの実力と経験をお前らが欲しがってたのは分かってたし、俺たちにとってもお前らのコネと組織力は中々に魅力的だったからな。
まあ実際、同じ砂漠を駆けずり回るのでも、お前らの協力の有る無しで大分生存率は違ったな。
だがお前ら、俺たちが組織入りする前から、実は財団に目つけられてたんだろ?
いや、俺たちもな、お前らの組織に入る前からなんだか妙な連中のことは見かけてたぜ。
飲むと一生酔い続ける酒を手に入れる時なんざ、軽い銃撃戦になったぐれぇだ。
しかしお前らはもう・・・あー、要注意団体、にその時認定されてたんだってな? 異常物を集めて、兵器として積極的に利用する組織なんて、危なくってしょうがねえもんなあ?
ああ、いや、違うね。違う違う、そんな事じゃあねえよ。
お前らと財団の争いに飽き飽きしたんじゃねえよ。俺たちは、お前らに飽き飽きしたんだよ。
確かに俺たちはお前らの下部組織になった。お前らの命令で異常物を集める代わりに、結構身の保証はしてくれた。だがな、気に喰わねえんだよ。お前らのやり方じゃあ勝てねえんだ。
神のため、宗教のため、全てのイスラム民族の繁栄のためだと?
違うね。お前らはそんな組織じゃあねえ。その逆だ。お前らは宗教と民族の対立を煽って、戦いが可能な限り長引くようにした。
二枚舌を使い、損害を生み、その損害を自分じゃない誰かのせいにした。殺し合いが決してこの世から無くならねえようにした。
だってそうしねえと、集めた異常物を使って儲けられねえからな。
俺たちの集めたもんを使って、お前らは随分好き勝手やったよなあ? お前らは売りつけもしたし、それで従わせもしたし、殺しもしたし、脅しもしたし、尊敬を得ることもした。そして俺たちにまたこう言う。「あの砂漠へ行け」ってな。
それが裏切りの理由さ。お前らは気に入らねえ。お前らは負ける。言っただろう、俺たちは「二度とこんな目には遭わねえぞ」って決意してんだよ。
だから、俺は財団の方がマシだと思ったのさ。財団とは前線で何度も戦ってたし、交渉だって何度もやってきた。財団は、お前らよりちゃんとしてたぞ。
少なくとも、あそこでカラシニコフ持ってるガキでも、女を知れる機会は用意されてたってもんだ。お前らの組織じゃ、女を抱けるのは・・・こん中じゃ、お前ぐらいなもんだったろ?
空白
ったく、殴るしか能がねえのかお前は。
キレてるフリしたって、俺はどうにかなったりなんかしねえよ。
そうさ、お前らは裏切りに対して復讐しようなんて、そんな殊勝な連中じゃねぇ。
神に対してすら不実だったお前らが、何かに本気でブチギレる度胸なんざ持ってる訳無いんだよ。
お前らが考えてるのは徹底して一つの事だけ。自分の身さ。
くくっ、だから知りてぇんだろ? 財団に一泡吹かせて、組織を再興し、あの栄華よもう一度ってなもんか?
そのためには必要なんだよなぁ? 俺が知ってるはずの事がよ。
ああ、そうだ、お前らの読みは完璧に当たってるぜ。
お前らの組織を潰す助けをしたからって、その組織の下で働いてた俺たちを財団がほぼ手放しで受け入れた理由。俺がお前らにも仲間にも財団にも誰にも明かさなかった、俺だけがあの砂漠で知り得た秘密だ。
お前らはそれが何なのか知りたいんだろ? 俺が財団への寝返りと受け入れ交渉で使った切り札だ。そいつは重大な秘密さ。そいつは多分、俺の裏切りなんざゴミみたいに思える程の、人類史そのものに対する裏切りさ。
そいつは今、多分O5の誰かの頭ん中にしまってあるだろうよ。他のとこには何処にもねえ。
ああ、そうだよ、俺ももう忘れちまったさ。
その記憶を処理するのと引き換えに、俺は財団に俺たちを受け入れさせたんだからな。
バックアップの情報も全部何もかも財団に差し出した。俺の頭ん中にゃもう何も残ってねえのさ。
生憎だったな。お前らの切り札の予約はもう、とっくのとうに差し押さえられてんだよ。
お前らの希望なんざ、もうこの世のどこにだって存在しねえのさ。
証だと? お前らも、こんな最後の手段みてぇなやり方に手ぇ出してる時点で、察してるはずだろうが。
もう何もねぇんだよ。お前らは、黙って、俺たちにぶち殺されて、あの砂漠に放り出されるだけなんだよ!
空白
空白
空白
空白
空白
男の拳の乱打が止んだ時、コールマンは口中の血に咽せ、咳き込んだ。
俯いた顔からは幾筋もの血滴が落ち、彼のスーツの汚れを広げる。
彼を存分に打ち付けた男は忌々しげに舌打ちの音を響かせると、数歩後ろに退く。
そして腰から拳銃を引き抜くと、銃口をコールマンへと向けた。
コールマンは俯いていながらもその事を察していたが、抵抗する素振りは見せなかった。
体を捩ろうとも、手首を捻ろうとも、足を擦り合せようともしなかった。
ただ、黙ってその顔をゆっくり上げ、男の顔を見上げると、笑った。
強がりでは無い。
その男の真っ赤な顔が、どうしようもなく可笑しかったからだ。
忠誠を誓った訳じゃあねェ。オレたちは、オレたちが生き残るための精一杯をやっただけだ。
その結果ァどうなったかって? 成功したよ。これ以上ねェぐれェになァ。
仲間は全世界に散り散りに配置され、オレ自身も今やただの一介のエージェントだ。
世の中がクソみてェな奴で満ち満ちてる事ァ変わらねェ。
いつ死んじまってもおかしくねェ、命がけの暮らしなのも変わらねェ。
だがなァ、それは別にいい。それはオレたちの日常だったし、オレたちはァそこを生き抜いて来たからな。平気さァ。
オレたちはな、財団に入ってから、初めて働きに相応しいもんを手に入れられるようになったのさ。
砂を防ぐための家の心配は要らなくなった。水を確保するために誰かを襲わなくても良くなった。
人殺し太陽の日差しを浴びて無限の砂漠を当て所無く彷徨いながら、頭がおかしくならねえよう必死に昨日の晩飯の事を思い出そうとしなくて良くなった。
弾薬と医療道具と食いもんの心配をしながら、いてぇいてぇって呻く仲間を放っとかなきゃならねぇような事も無くなった。
温かい寝床も、冷たい水も、綺麗なシャワーも、満足な装備も、優秀な医療も、身柄の保護も、そして給料すらもそこにはあった。
オレたちの後ろには必ず誰かが居てくれたし、その誰かは常にオレたちが満足に仕事が出来るように考えてくれていた。
オレたちは砂漠から解放されたのさ。決意は実ったのさ。オレたちには余裕が出来たんだ。
オレたちは休みの日に酒を好きなだけ飲む事も出来るし、欲しかったオモチャを満足いくまで集めることも出来るし、クサい台詞を吐きながら恋人の薬指にチャチな指輪を嵌めてやる事だって出来るんだ。
それがどういうことなのか、お前に分かるか?
オレたちはやっと、生き残るためのスタートラインに立てたんだよ。
オレは呼び続けたんだ。ずっと叫んでた。
このオレを取り巻く嵐を吹き飛ばす、もっとデカい嵐をだ。
ガキの頃から、オレはずっと戦場じゃ叫びっ放しだったんだ。
デカい声で、泣きながらその嵐の名前を呼んでたんだ。
だから、ジャメル・ホウンでも暴れ馬でもねぇ。
オレは「コールマン」だ。
銃声が部屋に響き渡り、その直後、人の倒れ伏す鈍い音と衝撃が空気を伝う。
だが床に倒れることなど、椅子に縛り付けられているコールマンが出来よう筈も無い。
倒れたのは、まさに銃口をコールマンに向けていた男であり、その後頭部には鳥の巣箱のような穴がぽっかりと空いていた。
コールマンを取り囲んでいた5人は、目を見開き、咄嗟に部屋の出入り口の方に視線を移した。
そこから部屋の中に歩み入って来たのは、コールマンと同様ながらも、しっかりと整ったスーツを着こなした青年。
大きさの異なる左右の目の奥に底知れぬ深さと冷たさを湛えた、一人の男性だった。
彼の名はエージェント・保井。コールマンと同じ組織で働くエージェントの一人だ。
彼は部屋の中に、静穏かつ速やかな足取りで当然のように歩み入りながら、先程男を撃った銃口をほど近い他の1人へと向けて、素早く二回引き金を引いていた。
全ては、流れるような自然さで起こった一瞬の出来事。その間に、6人の内2人までもが命を刈られていた。
まず気を持ち直したのは、AK-47を携えた2人。彼らは十分な大きさと重量を備えた武器を持つ事で、精神の回復力が向上していた。不測の事態にすぐ対応できるという心構えが、素早く体を動かさせた。
それでも保井の方が一瞬速いのだが、仕留められるのは同時に1人である。2人が同時にAK-47を構えれば、どちらか片方の発砲は許してしまうだろう。
しかし、保井には理由があった。それは、わざわざ目立つような真似をしてあえて身を曝した理由だ。
その一つは、自分に注意を向けさせる事で、無抵抗であるコールマンに危害が及ばないようにする事。
そしてもう一つが、予め潜ませておいた、影からの攻撃がより有効なものになるようにする事だ。
部屋の隅の暗がりから、一つの影が躍り出す。
それはAK-47を携える男に後ろから組み付くと、左手で男の目を覆いつつ頭部を固定し、右手に握ったナイフで深々と首を掻き切った。
それとほぼ同時に、AK-47を構えるもう片方の男の眉間に、保井の発砲した銃弾が深々と突き刺さる。
そしてその2人が倒れ始めるよりも前に、首を掻き切った影は空いている左手で腰の投擲用ナイフを抜くのと同時に投擲し、拳銃を抜きつつあった敵の喉を貫いた。
コールマンを囲んでいた6人は、最後の1人が銃を抜き切るまでに、その者を最後の1人たらしめた。
そして保井はその最後の1人に銃口を向け、影は小さな照明が作る薄暗さの奥から眼光を向けつつ、右手のナイフをいつでも投げ付けられるよう構えた。
そうなってしまっては、最後の1人は降参の意を示すアラビア語を喚きながら、銃を放り捨てて両手を上げるしか無かった。
保井は銃口を向けながら最後の1人に歩み寄ると、足を引っかけてうつ伏せに倒し、拘束を始める。
「制圧完了だ。西塔、そこの寝坊助を自由にしてやれ」
拘束を続けながら保井がそう言うと、影は構えを解き、汗と埃で粘ついた髪をかき上げながら息をついた。
そしてコールマンの後ろに回り込むと、ナイフでロープの戒めを切り解し始める。
「西塔かァ・・・ひっさしぶりだなァ」
後頭部を背もたれの上に乗せるようにして顔を上げ切ったコールマンが、そのまま首をひねって西塔の方を見る。
「あんまり喋るなよセンパイ。どうせ口の中ボロボロなんだろ?」
それに対して西塔は、あくまでロープを切るのに集中しながら答える。その返答はつっけんどんなものではあったが、返答をしたという事実そのものが、コールマンに対する気遣いを示していた。
コールマンはいつも通り、底意地の悪い笑みをニタリと浮かべると、満足げに呟く。
「こいつァ、借りにしといてやるよォ」
「ん。そうしとく」
西塔の素っ気無い返事と共に、コールマンはロープから解放された。
直ぐに立ち上がろうとしたが、伊達に軍服をまとってはいない男の拳を何度も頭に受けただけあって、立ち上がろうとした瞬間に膝から力が抜けてしまった。
「おっと」
くずおれそうになったコールマンを、西塔が横から支える。彼我の身長差は20cm近かったが、それでも彼女はしっかりとコールマンを支えた。
その彼女の耳元で、再び彼は満足げにぼそりと呟いた。
「悪りィなァ、こいつも借りる」
西塔は呆れたように、小さく息をつきながら首を振った。
──しこたま殴られ、殺されかけたのは手前だって言うのに、それでもふざけた事を宣えるクソ根性には敬服するよ。
その言葉は、彼女の心の中にのみ秘められた。
「それで、こいつらは何者だ?」
拘束を終えた保井が、最後の1人を無理矢理立たせながら忌々しげに言い捨てた。
最後の1人は手錠と、手錠に括り付けられたロープの首輪を嵌められ、目隠しとマスクをされている。武装は解除され、通信装置も保井の持つ財団エージェント用の小型端末に備え付けられた電磁パルス照射装置によって破壊されている。
「こいつらァ、オレが前いた組織の連中だァ」
「なるほどな・・・残党がいたとは驚きだ」
そう言いながら、保井は最後の1人の耳に耳栓を詰める。使用者の耳に合わせてピッタリ塞ぐように形を変える、高密度の合成樹脂、通称"ガム"である。ここから財団の施設まで、この男は無音の中で自身の心臓の鼓動と血流と呼吸の音のみを聞き続ける事となるだろう。
「しっかし、よくここが分かったなァ」
「財団は、秘密の施設や場所を秘密のままにしておいている。何故だか分かるか? 西塔」
「・・・? いや、聞いたこと、無い・・・と思う」
「バカなネズミが引っ掛かるからさ。よく憶えておけ」
感心するように西塔が頷く。コールマンはふっと鼻で小さく笑った。
バカなネズミ。一時期それに従っていた自分の過去に対して、何も思わない訳でも無かったが、それももう昔の事だ。
今は取りあえず、現状に甘えておくのが良いだろう。コールマンが体の力を自ら抜くと、さしもの西塔もよろけて、改めてコールマンの体をしっかりと支えた。
「本当は機動部隊が来るはずだったんだがな、周辺の機動部隊はここから20kmほどの所で起きている異常現象の対応に駆り出されちまったんだ。状況から見て、こいつらが仕組んだ陽動だろう」
「あ、私も本来そっちに呼ばれてた」
「はァ・・・で、そっちはどんな感じなんだよゥ」
「いや、それが『多分大丈夫だからやっぱ来なくていい』なんて、出動準備出来てから言われちゃってさ。そこに保井センパイの応援要請が回って来たから、志願した。出動準備出来てたし、場所も近かったからな」
「へっ・・・つッくづくだらしのねェ連中だぜこいつらはよォ」
呆れたように、力の無い笑いを漂わせるコールマン。
保井はその間に、もう搬送先の施設に連絡を済ませていた。
首をひねり、コールマンは己に銃口を向けて来た男の死体を見遣る。
ついさっきまで自分を殺そうとしていた男。自分が「死んじまえばいい」と思っていた組織にいたであろう男。自分の振り撒いた死であり、また自分の死そのものであるかもしれなかった男。
その無惨な姿を見下ろして、コールマンは無性にタバコが欲しくなった。
「間抜けが。最期の台詞、言ィそびれちまったじゃねェか」
拘束された男を引きずるようにして連行し、先導する保井には聞こえない呟きだった。
しかし、コールマンを横から支えている西塔には、十分にその言葉は聞き取れた。
そして彼女は何の気無しに「なんだそりゃ?」と彼に訊ねた。
「ンン? 死ぬ寸前に必ず言おうって、誓ってンだよ」
「へー、なんだかカッコいいじゃん。どんなのだよ?」
コールマンは、自分の先を進む保井の背を見る。
結局の所、自分がいつ死ぬのかは分からない。
自分の過去が、報いを受けるべきものなのかも。
自分の現在が、罪を積み重ねる人生の中にあるのかも。
自分の未来が、凄惨なる清算によって満たされているのかも。
しかしだからこそ、彼は確実に訪れる事柄に対して、自分の矜持の証明が欲しかった。
自分が果ての果てまで、最後の最期まで生き抜いたことの証のための誓いだった。
彼の人生はそこに於いて完成し、そして明らかとなるのである。
それは──
空白
「『いずれ、全て語る』」
空白
「おいおい、そんな言葉残して死なれたら、聞いた方は堪ったもんじゃないな」
おどけたように笑う西塔。つられてコールマンも小さく笑う。
保井が苛立ちながら「さっさと来い」と二人を嗜めるまで、小さな笑いが、埃にまみれた道に響いていた。
彼ら皆、いずれは死の前に引き裂かれ、斃れる時が来るだろう。
空白
空白
──だが、今じゃねェ。