夏休みの宿題と言えば、小学生が最も嫌うもののひとつだろう。4年生ともなれば、国語や算数の他にも理科や社会の宿題だって出る。それに、自由研究や絵日記をやらなければならない上、読書感想文の他にも、もう一種類の作文を書かなければならない。
やってこない子がいたらどうしようという不安もあったが、私が担当する13人の生徒は皆、しっかりと課題を提出した。……開いたらまっさらなワークが待っている、なんてことがないといいけれど。
ふと、窓の外を見る。降っている小雨など気にもならないのか、校庭からは生徒たちの遊ぶ声が聞こえる。こういうところは私が通っていた頃と変わらないんだなぁと、感慨じみたものを覚えながらペンを手に取り、添削を始めた。
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私は作文が好きです。運動会のこととか読んだ本の感想、遠足の思い出だったり合唱コンクールでの頑張りみたいな、自分が経験して思ったことを文章にまとめるのが好きなのです。
だから、卒業文集のテーマが小学校6年間の思い出だと知った時、気分が高揚したのを覚えています。
張り切って、運動会のことや自分の作文が県のコンクールで賞を取れたこと、合唱コンクールのことや皆で休み時間に遊んだ遊びのことを、たくさん書きました。
めいっぱい、原稿用紙に白いところが見えなくなるくらい詰め込んで書いて、下書きをすぐに先生に提出しました。
今までで1番の作文が書けたと思ってました。先生からOKを貰ったら、清書の紙にしっかり丁寧に時間をかけて書き写して、文集で1番の作文にしようと考えていました。
だから、先生から下書きの書き直しを指示された時は、すぐには理由がわからなかったのです。
「想像力が豊かなのはいい事だけど、卒業文集はずっと残る大事なものだし、もう別のことを書いた方がいいって、先生は思いますよ」
笑いながら言うその顔を見て初めて、「戦場対決」のことを言っているんだって気づきました。お母さんと学校のことの話をする時も、戦場対決の話の時は今の先生と同じような、温かいけれど、どこか困ったものを見るようなふうにしていたことがあるからです。
私も、先生のことは好きだし、そういう顔をされるとやめた方がいいのかななんて思えてしまって、一旦席に戻りました。でも私はどうしても戦場対決のことは書きたかったのです。だって戦場対決は3年生の時にここに転校してきてからずっとやっている、私が一番好きな遊びだから。
そうして、私は最近戦場対決をやっていないことに気づきました。そういえば、6年生になってから……いや、5年生の夏頃にはやろうと声をかけても断る人が多くなっていたように思えます。6年生になってからは私以外の女の子は、誰もやっていません。男子だって、私を含めて5人もやる人はいなかったように思えます。
最後にやったのは夏休みの前だったでしょうか。今、隣の席でうんうん唸っている田辺亮平くんとタイマンでやったのが最後だった気がします。
そんなことを考えて、私は「ねぇ」と亮平くんに声をかけました。
「どうした?」
原稿用紙の方に目を向けると、ほとんど白紙です。それが原因なのか、ムスッとしながら机にうつ伏せに倒れていた亮平くんですが、声をかけるとすぐに体を起こしてこちらに向き直りました。
しかし、声をかけたものの、少し言葉に詰まりました。別に、戦場対決の思い出話をしたかったわけでもなく、なんとなく、ふと思い立って声をかけただけだったからです。それに、突然こんなことを話すのも変じゃないかなと不安になったからです。
それでも、声はかけてしまったので、言葉を選びながら話し始めました。
「あの……戦場対決の事なんだけど……」
「戦場対決?ああ、あのチャンバラ遊びがどうしたん?」
心配は無用だったようで、私がなんでこんな話をしたのか不思議に思う様子はなく、そう聞き返されました。
亮平くんは、よっぽどおしゃべりが好きなのか、私が話しかけるとすぐにニコニコとし始めます。その時もいつも同じようにニコニコと笑顔を浮かべながら返されたので、なんだか少し安心しました。
けれど、同時にあれ?と思いました。少なくとも、戦場対決をチャンバラ遊びだなんて呼ぶ人はいなかったからです。「戦場対決」は「戦場対決」という遊びでした。チャンバラ遊びとは違うのです。
「██さん?」
私の返答が数秒間無いことを不思議に思われたのか、苗字を呼ばれます。
「っていうか██さん、作文もう書き終わってんじゃん。見してよ」
けれど、私が引っかかりを感じていたことには気づかなかったようで、亮平くんは私の机の上の原稿用紙をひょいと取り上げ読み始めました。
絵日記は、私の知っているものと大きく異なっていた。毎日書かなければいけない日記部分はたったの1行のみで、絵を描かないといけないのは1週間に1回の計6回だけ。増えた宿題の代わりにこういうところで釣り合いをとってるのかと変に納得する。
すでに8人分の絵日記の確認を終え、これならばすぐに終わらせられるだろうと、気合を入れようとしたところで三時間目開始の予鈴が鳴った。
人数が少ないからか、休みの日にはみんなで集まって遊ぶことがほとんどだということや、雨の日ほどみんなで集まって遊んでいることが多いと言ったような、面白い共通点なども見つかり始め、楽しくなってきたところだったので、少し残念に思う。
校庭にいた生徒たちがぞろぞろと帰ってくる。雨で濡れた校庭で遊んでいたからか泥だらけだ。皆手には泥だらけになった傘を持っている。どんな遊びをしていたのかは想像がついた。
「チャンバラ遊びはいいけど、傘壊したり怪我したりしないようにね」
私自身、そういった遊びをしていた記憶はある。みんな近づいてバチバチと打ち合うのが好きだったけれど、私はそうじゃなかった。
私は、遠くか……ら ?。
「大丈夫だよ。怪我してもすぐ治るし、傘が壊れたことないもん。それに、チャンバラじゃなくて戦場対決って言うん……?先生?」
生徒にそう声をかけられて、ふと我に返る。太陽はまだ登りきってもいない上、話している途中だと言うのに、居眠りでもしていたかのように頭はぼーっとしていた。
けれど、少々うとうとしてしまった、くらいのもののようで、生徒も私が居眠りしていたとは思っていなさそうなのは幸いだった。
「とにかく、泥で教室を汚さないようにね。それと、次は英語だから日直の2人はCDの準備忘れないように」
それでも、生徒の前で居眠りというのはバツが悪く、居心地の悪さから逃れるように、適当に話を締めて誤魔化した。
「あっ、日直俺じゃん」
慌てて駆けていった生徒の背中を目で追いながら、肩をほぐすように伸びをする。ちょっと気分をリセットするために、眼鏡のレンズを綺麗に磨く。幸運なことにに今日は金曜日。明日明後日はしっかり休もう。そんな事を考えながら、私は英語の準備に取り掛かり始めた。
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そのひっかかりを上手く口に出すことは出来ませんでした。それに、作文を読まれること自体は別に嫌じゃなかったから、ただ、亮平くんが私の作文を読んでいるのをただ見ていました。
少しだけ、ほんの少しだけいやな予感はしたのです。そして、その予感は見事に的中してしまいました。
私の作文を読んでいた亮平くんは、途中で顔を上げ私の方を向き、こう言ったのです。
「あー、えっと。確かにさ、低学年中学年くらいの時にはこういう遊びもやってたけどさ……。卒業文集はずっと残るしやめた方がいいんじゃん?ほんとにあったことみたいに書いてあるけど結局はごっこ遊びだし。」
「ごっこ遊び?」
何かがおかしいと、いやな予感が、確かな実感として現れました。亮平くんは私と違う話をしているのではないかと思えたのです。そしてその思いは、次の亮平くんの返答で決定的なものになりました。
「だって、傘にどれだけかっこいい名前をつけても、結局は傘じゃん。剣にはならないし、銃なんてもっとだよ。撃つ方も撃たれた方も、結局はふりだしさ」
衝撃で言葉も出ない、という表現を見たことがあります。この時、動かない口と頭の中で、これがそういうことか、と確かに感じました。
私がこの遊びを好きだったのは、全部が本当のことだったからです。確かに、終わったあとには全部夢だったかのようにそのこんせきは消えてしまいましたが、確かに戦場対決は現実でした。それをごっこ遊びと言われるのがどうしてなのか、本当に、全くわからなかったのです。
「それにさ 」
ここで、やめてとでも言えればよかったと思います。そうすれば、心の中に変なしこりのようなものが残ったとしても、あのことには気づかずに済んだと思うからです。けれど、私の口は動きませんでした。そして、亮平くんの口は動き続けました。
「もう中学生になるんだしさ。子どもっぽい空想はやめようよ」
そうして、気づきました。さっきからの亮平くんの表情が、あの時の先生やお母さんの顔に似ていることに。
温かいようで、どこか困ったものを見るような。そんな顔していたことに、気づいてしまったのです。
私は、自分の間違いがわからなかった。少しきつい言い方になってしまったことは後悔しているけど、どうしてそこまで強情に嘘に固執し続けたのかは分からないままだった。
だからだろう。今となっては何度謝ったところで意味は無いのだ。結局、私自身が何に対して謝ってるのかすら分かっていないのだから。
きっと、生徒たちにとって私はもう、悪い先生なのだろう。いい先生になりたいと頑張って、頑張ってきた。今だって、いい先生に戻れればいいなと思っている。
けれど、それが叶う日はきっと来ない。頑張っても頑張っても、生徒たちには私への悪意が、嫌悪が募っていくだけ。
生徒たちとは心を通わせられていると思っていた。通じ合えていると思っていた。一度壊れてしまった関係も、再び結び直せると思っていた。
でも、そんなことは無かった。私と生徒たちの間には何か決定的な断裂があって、それはたった数ヶ月の月日で埋まるものではなかった。私と生徒たちはまるで別の生き物のようだった。
そんな事実は、私に全てを諦めさせるには充分過ぎたのだ。
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「なんで!」
気づいた時には、私は亮平くんに掴みかかっていました。
戦場対決のことを嘘のように言われたことは悲しかったし訳が分からなくなったけれど、怒ることでは無いと思います。それでも、この時の私はどうしても何かが許せなかったのです。
「そこ、何してるの!」
すぐさま先生の怒号が飛んできます。女子たちはヒソヒソと何かを話しています。男子の方からはちわげんかかと、言ったようなからかう声が聞こえてきます。
とたんに、体の中身が全部空っぽになったような感覚を覚えました。眼鏡越しに映る周りの景色全てがハリボテのように感じられました。戦場対決で遊んでいたみんなは、そこにはいないようでした。広い教室の中でただ1人私だけが、全く別の生き物のようでした。
昼休みになって、1人の生徒に声をかけられる。
「せんせー!私の作文どうだったー?」
「作文?」
「そう、えーとね……これ!」
その子が机の中から拾い上げたのは、ホチキスで綴られた課題作文だった。テーマは確か、学校の思い出だっただろう。
「作文の授業だと直されてばっかだったから、間違えがひとつもないように頑張ったんだ!」
そう言われて、なんだか嬉しい気持ちになる。そんな気持ちを抱えたまま、原稿用紙に目を向けた。
「タイトルは……戦場対決?」
そういえば、日記でもチラホラと見かけたし、20分休みの時にも耳にした。
「そう!みんなやってる遊びだよ。うちの学校でしかやってないって友達に聞いて、じゃあ書いてみようかなって」
うちの学校でしか……、そう聞いて記憶の蓋が開いた。そういえば、私も小学生の頃そんな名前の遊びをやっていた。
「先生も……やったことある……とおもう」
「そうなの!?じゃあ先生もこの学校だったんだ!」
ええ、と半ばうわの空で返事をしながら、原稿用紙を読み進める。無い傷が痛むようだった。腹の底からチクチクとしたトゲのようなものが湧いてくるようだった。
読み進めるほどにイライラは濃度を増していった。それでも視線を止めることは出来なかった。
最後まで読んで初めて声が出た。
「どうして?」
「……先生?」
褒められるのを心待ちにしていたのか、ニコニコとした笑顔で作文を読んでいた彼女は、質問の意図を読み取れなかったのか首を傾げる。
「ここ、傘が槍になるって書いてあるけど、そういうごっこ遊びでしょ。嘘はついちゃいけないわ。それにここ、血がいっぱい出たって書いてあるけど、そのあと、戦場対決では血が出てもすぐに治るので安心ですって書いてあるでしょ?怪我はそんなに直ぐに治らなしいし、もしほんとに怪我をしたようなら、もうそんな遊びはしちゃいけません」
該当箇所に線を引きながら尋ねる。
「え、ホントだよ?怪我してもすぐに治るし、本物の剣とか槍で戦ってるんだから怪我するのは当たり前だよ。先生だってやったことあるんでしょ?」
ポカンとした顔でそう返される。
どうしてこんな嘘をつかれたのかわからなかった。どうしてこんな普通の顔をして嘘をついているのかわからなかった。
「だから言ってるのよ!どうしてこんな作文書いたの!作文に嘘は書いちゃダメだっていったでしょ。文章は綺麗だけど、妄想と現実をごっちゃにしないで」
「妄想じゃないよ……。だって、戦場対決は 」
「戦場対決なんて言ってるけど、ただのごっこ遊びじゃないの!」
「ごっこ遊びじゃないよ!どうしてそんなこと言うの!先生は私の事嘘つきだって言うの!?」
嘘つきには思えなかった。嘘をついてるようには思えなかった。それに、生徒のことを嘘つきだと言いたいわけではなかった。それでも。
「だって、本当のわけないじゃない!」
教室にいた生徒は皆近くに集まってきていた。目の前の生徒は、無粋な赤い線がズカズカと引かれた原稿用紙を握りしめて、その場に泣崩れる。その構図はまさに悪者と被害者だった。
「あ、まって、ごめんなさい、違うの。泣かせるつもりじゃなくて。嘘はいけないって言おうとしただけで……」
みんなの目が怖くて、私1人が仲間はずれのような気がして、怖くなって職員室に逃げ込んだ。
教室に戻ってきた時、机の上に置きっぱなしにしていた赤いペンが、真っ二つに折れていた。
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結局、私は戦場対決のことを作文に書きませんでした。同じクラスの誰に聞いても戦場対決はごっこ遊びで、わたしの妄想でした。─その通りです。
けれど、私にとってそれは現実でした─そうでなければ良かったのに。嘘じゃなくて本当でした。─そして、嘘になりました。
私は、作文に嘘は描きません。本当のことしか書きません。─そうであるべきでした。 でも、本当のことでも書けないことがありました私の本当はみんなの本当ではなくて、みんなはそれを認めてくれませんでした。─そして私も、みんなの本当を認められませんでした。
本当が違えば、その人は一人ぼっちです。─昔の私の方が賢かったのですね。
私は、私の本当を認めて欲しいです。─そんな日は来ませんでした。そしてそれは、みんな同じだと思うのです。─こんな大事なことを、私は忘れていました。だから、未来の私にこれを残します。─あまりに、遅すぎました。
みんなの本当を認めてあげてください。─誰も本当のことは知らないままでした。みんなを一人ぼっちにしないでください─そんなことを考えている余裕はありませんでした。私を、一人ぼっちにしないでください。─私だけが、一人ぼっちでした。
大人の私へ
届いていたら、違っていたのでしょうか
田中敏子
私たちはきっと、取り残されて、
置いていってしまったのです。