キューバ国家対異省 ハブ
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GoI-1221: El Ministerio de Anomalías de Cuba

GoI-1221: キューバ国家対異省


別称:

  • MAC(El Ministerio de Anomalías de Cuba, 西)
  • CMA(The Cuban Ministry of Anomalies, 英)
  • ”省/エル・ミニステリオ"

活動年:

  • 1960〜2017
  • 2018〜 (疑惑)

概要: キューバ国家対異省(以下MACと呼称)はキューバ共和国を母体とするオカルト機関です。MACはアノマリーの収容に焦点を置かず、主にアノマリーを戦争、諜報、有形財の生産の道具の範疇へと落とし込むことに関心を寄せていました。上記の目的に使用できないアノマリーは無力化されるか、有形財と引き換えにソビエト連邦と取引されることが多々ありました。ソビエト連邦とGRU"P"部局の崩壊、そして更にはフィデル・カストロの死去の後、MACは酷く弱体化することとなりました。

当該機関は近年に消滅したと考えられますが、小規模な抵抗派閥がベネズエラの田舎に存在することが報告されています。

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MAC極秘司令部の位置。

歴史: MACは1960年、カストロが当時のキューバ大統領であったフルヘンシオ・バティスタを転覆させたすぐ後に設立されました。MACは元々、地元の権力あるサンテーロ1、ハイチアン・ヴードゥーの修行僧、共産主義の理念への忠誠を誓った高位将校らによって運営されていました。MACに対するカストロの目的はシンプルなものでした──合衆国の脅威に対し、キューバの安泰と長寿を確実なものとすることです。

その年の下半期に、MACは島内にある既知の超常コミュニティにおける一連の拉致と襲撃を実行しました。多くの人物がカストロに忠誠を誓うことを拒否し、ラテンアメリカ史上最大の超常市民の虐殺である”赤剣の夜”を招くこととなりました。少数の人物はネクサスのペケーニャ・ハバナへと逃げおおせることができましたが、残りは”赤剣の夜”の後に屈することとなりました。こうした超常市民の集団は強制的に軍隊に加入させられ、被験者やMACのエージェントとなりました。

アメリカとその同盟国らがキューバ国内の問題に干渉しようとし始めるまでに残された時間が少ないことを知ったMACは、異常な保全手段の模索・作成に取り掛かり始めました。GRU"P"諜報局の援助、財団からの盗難技術、そして多くの超常市民らの生命を利用して、MACは大規模なスクラントン現実錨を作成することができました。このスクラントン現実錨は危険なまでに不安定な代物でしたが、1961年4月17日のピッグス湾侵入事件で使用した際には成功しました。数人のUIU所属の超常エージェントらは現実錨により効果的に無力化されつつも、侵入のため派遣された軍隊を支援しました。

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フィデル・カストロ、キューバ国家対異省の創設者。

しかし、このことはMACの問題の始まりに過ぎませんでした。

ソビエト連邦と合衆国の間の緊張が高まるにつれ、国家消滅の恐怖も強まっていきました。GRU"P"部局からどれだけ多くの援助を受けようとも、キューバは世界で最も強大な超大国の1つの前庭にある小さな島国でした。禁輸制裁のためキューバの資源は制限され、同盟国も滅多にいませんでした。

カストロに対する暗殺の試みはよくあるものとなりました。キューバのミサイル危機はこの小さな島国とその資源に対し更なる緊張をかけました。ほぼ勝ち得ない戦争の脅威が押しかかったことで、MACは恐慌状態に陥りました。カストロと党の幹部を保護すべく数棟の高衝撃核シェルターが建造され、異常な蘇生手段が作成され、パラノイアが広まりました。

日に日に多くの市民が脱国し、その後にはパラノイアと社会的不平のみが残されました。ベルリンの壁での緊張が高まるとMACの名の下に憶測が飛び交い、常に全力で戦う用意がなされていました。

補遺: ソビエト連邦の崩壊とフィデル・カストロの死の後、MACはほぼ無名にまで縮小しました。キューバがますます世界に開かれ、冷戦の緊張も弱まったものの、カストロとMACに忠誠を誓い、ベネズエラのジャングルで活動する者たちが依然として存在するという巷談があります。調査は保留中です。

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