気狂い
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私の父で在る播磨家の当主が死に当主交代為る日で在る今日、大学で地域の文化に就いて研究して居るといふ青年が話を聞きたいといふことで訪れて来た。特段断る理由もなかつたが、如何せん新しい事業の開拓の為忙しい。そこで私は一冊の日記帳を渡す事に為たのだ。播磨家第二子である賢二の日記帳で在る。到底理解出来る内容ではないと思ふが、播磨の家を語るに於いて、外すことは出来ないもので在る為、此方の仕事が一段落する迄渡して於く事に為る。








近頃、体の調子が奇怪しい。播磨の家法に於いて肉体の機械化は御法度で在る為、最近では滅多に見ない肉体を診る医者に診て貰う他無い。
文を詠んでは絵が浮かぶ。表に出れば何者かの視線を感じ、仕舞には大帝からの御告げが頭の中に直接与えられるやうな錯覚すら覚える始末。父母は気狂いの相手などしたくないと云ふため頼る訳にも行かず、兄貴に頼らざるを得ないのはとても情けない。



今朝は厭に陽が眩しい。
不穏な空気を感じ、そろそろと門を出る。行き交う人々の視線に晒され乍ら街を歩く。皆一様に俺を見て厭な笑顔を浮かべたり、頬を近づけ耳打ちを為あつたり、中には大口を開けて笑う男も居た。「何故俺を笑う」と怒鳴りつけてやると其の男は一目散に逃げ出した。
何故、奴らは俺を笑うのだ。一体何の恨みが在ると云ふのだ。さうか、さういえば二十五年ほど前に華族の坊ちゃんと喧嘩をして泣かせてしまつた事が在る。あの頃は親父殿に大層叱られたものだ。梁に縛られ只管打ち付けられたのを覚えてゐる。一週間飯抜きとなつたのだが、其の時も兄貴が庇つてくれたのをよく覚えてゐる。
其の時のことを聞伝えられて居るのだろう。俺のことを笑つて、遣つ付けて仕舞おうとしているに違いない。火元は七代祟るとは云ふが、華族の恨みとは本当に恐ろしいものだ。



此処から三里ほど離れた場所に小さな村が在る。其処に住む者からの話を聞く機会が在つたのだ。彼が云ふには其の村では都で死刑の判決を受けた罪人を引き取り、死刑を実施する事で金子を得ているらしい。肉体を機械化する程の金の無い者が集まつている村であるからに貴重な収入源なのであろう。其の死刑の方法といふのが一風変わつているさうだ。まず手足を縛られた罪人が広場へと駆り出される。其の後、選出された村人達が寄つてたかつて罪人の内臓を奪い合うのださうだ。
何故其の様な事をするのだと尋ねた所、人の肝はいい薬になるのですと男は答えた。人を食うのかとまた訪ねた所、心臓や脳なども好んで食される村人も居るとのこと。嘘か真か分からぬが何とも恐ろしい風習があつたものだ。



俺は此の日気づいた。街往く人々が俺を見る笑顔。白く剥き出した鋭い歯。あれこそ人食いの道具なのではないだろうか。俺は大罪人ではないことは明らかである。併し幼い時分に華族の息子を泣かせてしまつた故に、その話は聊かむつかしくなつてきている。彼らには何か意見があるようなのだが、俺には全くもつて推測することはできない。
食人の歴史について調べてみる。遥か昔から人は人を食う歴史を繰り返してきた。其処には必ずと云つていい程「道徳」「倫理」といつた言葉が出てくる。あの男が話した内容を思い出す。
にやにやと気味の悪い目付きで俺を見てくる彼らはきつと、俺を食べようとしている。



もう俺の味方は兄貴だけだ。医者の訪問を断ると、多少心得のある兄貴が俺を診てくれることになつた。肉を診る医者だ。本人も肉の体を持つている。奴も俺を食べようとしている一派に違いないのだ。脈を計り、問診を受ける。最近は外にも出られている而、この調子なら屹度良くなるだろうとのことだ。兄貴にこう云われると安心する。



今日も兄貴の問診を受ける。この日、俺は兄貴に聞いてみた。「人の肉を喰らう者がいる村があると云ふ、人の肉を喰らうはそれこそ獣にも劣る忌まわしきことではないか」兄貴は答える。「そういふ仕来りの村も在る」「仕来りで済ませて良い話であろうか。俺が食われたとしても同じことが云えるのか」「お前を食おうとする輩など居らん。其んな事を云つて居るとまた父上に気狂いだなんだと云われて仕舞うぞ」「皆の目が怖ひ」「其れは妄想だ。怖ひと思ふから恐怖を感じるのだ。反対にお前の事を恐れている者のほうが余程多い。晃々ぎらぎらとした目付きで人を見るのは止した方が好い」「俺は、其んな目をしているか」「今日のお前はそうだ」「そうか」「ああ、端然ちゃんと薬を飲むんだぞ。安心しろ人を食う輩なんぞこの先居なくなるに違いない。うん、人食いは何れ消される運命だよ」
兄貴は薬を置いて出て行つて仕舞う。そうか、俺が怖いか。

夕方、厠へと赴いた時兄貴が医者と話し合つているのが見えた。
あの時、男は何と云つただろうか。
「人の肝はいい薬になるのです」だつたか。
俺が飲まされている薬は一体何だ?

人食いは誰だ?



疑心暗鬼に陥つていることを犇々ひしひしと感じる。このままでは俺は。
人は人を食う歴史を繰り返してきた。果たして其れは禁忌なのだろうか。果たして其れは罪なのだろうか。人として在るべき姿とは一体何なのだろうか。俺を食おうとしている連中は間違つているのだろうか。人食いとは一体何なのだろうか。人の真の姿とは。




答えがでた。








「本日は播磨の新しい当主様の貴重な時間を削つて、取材に応じていただき有難う御座います」

「いや、前途有望な学生さんの頼みと有らば断わる事は出来ませんよ」

「日記、拝読させていただきました。賢二さんと看病された御家族も随分と大変な目に遭われていたやうですね」

「ええ、其れはもう大変でしたよ」

「今、御家族はどのように?」

「皆病気にやられ亡くなりました。兄弟も看病虚しく狂つてしまい何れ身を投げました。こうなつては天涯孤独の身です」

「其れは……御愁傷様です」

「いえいえ、もう過ぎたことです。家族の看病は大変でしたが、大切な兄弟なので其れも苦には為りませんでしたよ」

「なるほど、其れで弟さんを弔う気持ちから『弟』の字を冠した料理店を開店為たのですか?」

「弔う?」

「ええ、弟さんは大事な家族だからつて……」

「嗚呼、其れは違います」

「では名前の由来は……」


「私が弟の賢二だからですよ。ようこそ、弟の料理店へ」

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