皆で小さな部屋に集まって、葬式が始まるのを壇上から見下ろしていた。
「ハッピーバースデー!」「ハッピーバースデー」
ここにきてからしばらくはある部屋のことをよく覚えていた。そこは食堂やら、休憩所やら、多くの職員が憩いの場として過ごすことを目的としたフロアの一部屋だった。オリエンテーションでまず案内されるようなフロア。ここを開ければ食堂、ここを開ければ給湯所。一つ一つ紹介されていく中で、その部屋だけはスルーされていく。新人どもが案内人にこの部屋は何をする部屋かと尋ねれば、そのうち分かるとあしらわれるのみだ。
そういうものかと忘れようかと思っていたけれど、どうにもその案内人の言い方が引っかかっていた。それまでの道のりで、新人どもがぴいぴいとこの部屋は何に使うのか、このフロアは何のためなのかと質問をすることが幾度となくあった。その度に案内人はそっけなく「あなたが知るべきことじゃない」と遮断した。知るべきことのすべては、私があなた方に説明するものだと補足して。
質問をする新人どもを都度同じ文言で退けるものだから、その言い方の違いが何だか気になっていた。ここで生活する限り、この部屋のことを知るのは必然だとでもするかのようないいぶりだ。もしそうなのならばここで言ってしまえば良いのに。変に婉曲な、この案内人に違和感を抱いた。それからというもの、私は食堂に来るたびに、サイトに詰めるたびに、この部屋の扉を見ては未だに知ることのない部屋の中に思いを馳せていた。
そして3年、4年が経っただろうか。そのようなどうでもいいことはすっかりとどこかへ消えていた。代わりに、実験のことを考えることが増えた。ここの設備はとてもよく整っている。前職じゃ触ることさえできなかった精密機械がごく当たり前に用意されているのはもちろん、その必要性を主張さえすればたとえ地球の反対側の砂浜の貝殻だろうと半日後に届くほど異常なロジスティクス。それがたとえ人間であっても、当然のように取り寄せてきた。その人間にはDクラス職員の役職を与えた上で。
上司たちは取り寄せてきた人間をしきりに職員であると言ってきかない。そんな彼らの気が知れなかった。彼らはDクラス職員たちを実験動物のように殺すことを厭わない。彼らは、彼らが職員であると主張するその口でいとも簡単にDクラス職員を死地へ追いやる。一度、上司の前でその"職員たち"のことを実験動物と表現した際にはその表現は非倫理的だと強く訂正を迫られた。職員の前に"Dクラス"のとつけるだけで簡単に死地へ向かわせるほうがよほど非倫理的だ。俺たちが実験動物扱いしているそれを、わざわざ人間だと自覚させる言動を強要する方が残酷だ。
それでも、実験で死んでくれるDクラス"職員"はまだましだ。それはただの物質となって俺たちの分析対象になる。でも、死ななかった奴らにはインタビューが待ち受けている。異常との対面はどんな気分だった?体の痛みはどんな風に疼く?君はどう普通じゃなくなった?君は異常と対面する前の君と比べて、僕らがわざわざ引き合わせたその存在と対面して、何を失った?
先輩どもは、実験の翌日に慰霊碑へ行く俺のことを怪訝な目で見つめてくる。サイトで祀られている慰霊碑はとても小さく、大した管理も行き届いていない。いつ供えられたかもわからない、萎びた花がただ横たわっている。サイトの誰もがそんなことを気にしていなかった。
慰霊碑を前に、理性が俺に語り掛けて来る。人一人の命が果たして世界より重いだろうかと。俺たちが救ったものは、そんなものでつり合いが取れるほど軽くはないのだと。俺のすることは正しいのだと。ああそうさ、正しいんだ。正しいんだ。正しいけれど。その逆説の先から目を背けるように、実験計画書を記入する日々を送る。
食事をしない日が増えた。俺がのうのうと飯を食う資格があるのかと、そう考えてしまってからは食欲が湧かなかった。あるいは単に、怯えていただけなのかもしれない。Dクラス職員と自分を隔てるものはなんだろうか。アルファベット1文字以外で、彼らは俺と何が違うのだろうか?ふとした誰かの判断でなんの躊躇もなく異常に晒される日がくるんじゃないか。風船のように膨らむ恐怖を、理性で抑え込んでいた。
ある日、赤い封筒が届いた。指定項目が健康診断の再検査に引っかかった、説明会をするので指定した時刻に来いとの呼び出しだ。呼び出された部屋は、いつかのあの部屋だ。指定時刻に向かい扉を開けると、中は。中央には重苦しいくらいの部屋の雰囲気に似合わないくらい豪華な食事が並んでいる。不気味なのは、健康診断の再検査なんて題目で呼び出されたにもかかわらず、部屋がまるで誕生日会のように飾られていることだ。
ちぐはぐなこの空間で、どこか居心地が悪いと思っていると健康管理センタの長が直々にやってきた。いやあ、遅れましたなんて能天気な口を叩きながら天井に設置されているスクリーンを下ろし始める。投影機に電源をつけて、今回の会について説明しましょうかなんて明快に話し始めた。
「えー、今回は。健康診断の再検査って話でしたね。ええ、そうですそうです。皆さん数値がよろしくない。そこで、いくつかの対策を講じさせていただくことになりました。まず、ここにいる皆さんは勤務態度も非常に素晴らしく、財団に大きな貢献をしていただいております。いつもありがとうございます」
「わたくしたちはどうもワーカホリックの気があります。真面目であればあるほど、日々のお仕事に前のめりになってしまう。そこで、我がサイトの伝統としまして!健康診断の再検査に引っかかってしまったみなさま、特に真面目である皆様をこうしてねぎらいまして!一度肩の力を抜いていただこうと、そういうわけでございます」
「明日からは、生まれ変わったかのような日々を過ごすことができますように。そんな願いを込めて、この会では乾杯のあいさつを"ハッピーバースデー"としております。くだらないなんておっしゃらないで、とても、とても効果は覿面なのですから。」
「では、みなさま。お手に飲み物をお持ちください。スクリーンにご注目。今からカウントダウンが表示されますから、そちらに合わせてハッピーバースデーのお声をお願いします」
スクリーンに5から始まるカウントダウンが投影される。3、2、1。
「ハッピーバースデー!」「ハッピーバースデー」
直前まで部屋にいた皆が注目していたスクリーンに、パッと火のついたランプが表示される。そして、ぱっと消えた。
消えた。
「ではここから、皆さんの待遇の変化についてアナウンスいたします。皆さんはこの部屋に入室した時点で財団外の戸籍を喪失し、一般外出に制限が設けられます。即ち、外での皆様は現時点から死亡したものとして扱われます。また、財団内における制限が一部緩和されます。あっ、皆さん。もうお食事を開始していただいて構いませんよ。それで、外出可能範囲ですが……
この部屋にいる人間たちはそのアナウンスに大した興味も示さない。食事を促すアナウンスを聞いて、各々食事を始めるくらいだ。自分自身もその一人。机に並んだ旨そうなマグロの握りを食いながら、ぼんやりと話しを聞き流しつつ、明日の実験計画を頭で反芻した。かんぴょう巻きも食べよう。
ふと直感する。今、自然と食欲が湧いてくるのはきっと非異常な手段ではないのだろう。今ならわかる。慰霊碑に行かなかった先輩のことも、彼らを職員と呼ぶ理由も。結局のところ、自分とDクラス職員の違いなどアルファベット一文字くらいだったのだ。カツ丼も食べよう。
久方ぶりに満腹になった頃、ついさっきまで悩んでいた自分と共感できないことに気がついた。
「それでは皆様、アナウンスは以上です。どうぞご自由にご歓談ください」
スクリーンをしまいつつ、健康管理センタの主任は部屋を後にした。アナウンスも終わるころには部屋に漂っていた重苦しい雰囲気も消えて、部屋を閉じてからは活発な雑談さえも聞こえてきた。何度やっても、この処置は巧く行く。彼らを構成していた要素の一部は今日、あのカウントダウンで死んでいった。
明日からは仕事にやりがいを見出して、きっと先輩たちとも馴染んでゆくはずだ。生まれ変わった彼らの未来は明るいだろう。この措置で彼らを苦しめていた自己免疫を和らげてやったのだ。例え癌細胞を切除したと言っても過言じゃない。彼らの誰にこの処置の全容を明かしても、感謝こそされど罵るものはいないだろう。
健康管理センタの主任は自分のオフィスには帰らずに、サイト内の小さく寂れた供養碑を訪れる。そして主任は、慰霊碑に載せられた萎びた花を取り替える。そしていくらか積もった埃を払うため、掃除用具を手に取った。
誰も俺を罵らないから、1人で掃除をしていた。葬儀が終わろうとしている。









