「猿児さん、SNSのお友達とやり取りですか?」
「……んお、晴明博士。えぇ、彼とは実に趣味が合いましてねぇ。」
時は午前の11時。昼食にするつもりの弁当を右手の袋に提げて、晴明博士はオフィスルーム左端のドアを潜ってやって来た。購買が混む前にと買ってきたのは、割といつも通りのシャケ弁。
猿児のデスク周りのラックには、相も変わらず特撮怪人等のクリーチャーデザイン画集が詰まっている。晴明博士はそのラックの端から覗いた表紙にチラリと目をやると、そのまま視線を猿児にスライドさせて彼に話しかけたのだった。
「ん……?このスイング、最終回オーロラ必殺verか……?」
対してこのエージェント、猿児秀楠は自前のPCを堂々開き、一般人たるネッ友とのリプライ会話に興じている。今現在の彼の職務は "捜索中のオブジェクトの情報を受け取り次第、いつでも出られるように待機する" 事……。その情報が入る通信機は充電フルで卓上にしっかり置いてあるので、一応職務上最低限は、問題無いと言えば問題は無い。
("臨戦態勢でくつろぎ中" という訳ですね……。)
感心してるのか呆れてるのか、晴明博士が自分でも判別のつかない感想を抱いている中、猿児は自前PCの画面に向かって身を乗り出して貼られた画像を凝視する。
舞魔怪人
……オーロラ必殺ver!?
これは良いものを……。
ヤードライ
(・∀・)b! イエス!
これ、当時ガチャマシン10台くらい巡って回しまくった末にGETしたんだよ!
舞魔怪人
お見事ですな……!こうして実物の写真を見ると、かなり劇中エフェクトカラーの再現度が高いというね。マジョーラ塗装が効いてる。
晴明博士は画面横から覗き込み、猿児のネッ友が挙げている "スイング" ──即ちデフォルメ頭身の特撮ヒーローキャラを象った4cm程のフィギュア型のストラップ──の画像に猿児と同じく驚嘆する。
「……これ、今もう通販サイトとかでも高騰しまくってるやつですよね猿児さん……!?」
「ご存知でしたか。実に羨ましい、良い品ですよ。」
\ピロロン。/
リプライ再び。
ヤードライ
生で見ると更に凄いぞ(・∀・)b
……私は遠巻きに確認しつつ、声をかけられるタイミングを探りつつ。
私はあの2人から、情報を仕入れねばならない理由があるんだ。
・
・
・
【20██/04/08 発端】
「怪人態のデザインに統一感があるのが良いな。」
「多分ガルグイユ・ブロンズ倒すのにあれ使うな。」
「やっぱ変身者、青梅か?」
昼下がりの休憩室。エージェント・猿児と晴明博士が、タブレットで何やら見ながら話し込んでいる。内容はまるで分からないけど間違いない、特撮ヒーロー作品について語ってる。
「…………。」
柱の影から、少し離れて二人を観察。私自身は、別段ヒーロー番組に関心は無い。んだけど……。
『えーお姉さん知らないのー?』、それがあの日喰らった言葉だ。
……同年代や少し上くらいの同僚の中には、ちょくちょく子持ちになる人も出始める。そして仲良い数人が、正に4歳、5歳の男の子を連れている。そして彼らと子供たち込みで会食に行って喰らった言葉がこれである。……私は、子供たちと会話可能な話題を、何一つ持っていなかった。
(あの子たちから、"つまらない人" 判定は喰らいたくない……!)
私、エージェント・牧野春は、今日こそあの2人を捕まえて教示を頼もうと決めている。このサイトに於ける私が知ってる範囲内にて、間違いなくあの2人こそが求める知識にトップクラスで精通してる。
……柱の影で深呼吸。よし。休憩室奥の自販機近く、丸テーブルの座席に並んで座る背中に話を切り出す瞬間を……
……あれ?
今のところ休憩室には、私と彼らの3人だけで。多分私に気づいてないな、って感じの2人ではあるけれど、だからといってこの私、話しかけるのを躊躇するような人見知りでは……
「この撮影場所よく見ますよね。」
「えぇ、ここはサイトからでも、電車で数駅行けば着く場所ですよ。」
「マジですかそれは知らなかった……!」
「運良ければ遠巻きに撮影してるの見えますねぇ。」
(……そもそも話しかけるタイミング、無いじゃん!)
タブレットに齧り付き、2人で私に背を向けて、趣味の会話は途切れるという事が無い。しかも現在進行で再生されてる映像を見ながらなんだから当然……
(……え、何?再生終わるまで待つ?しか???)
そのタイミングで、猿児と晴明博士は動画の、戦闘シーンの視聴を止めた。猿児のポケットの中の端末が、調査中オブジェクトの出現を知らせる着信を受け取ったからだ。同じく私の端末からも、「ビリリリ!ビリリ!」と着信アラームが鳴り響く。
「動向を追っていたHERO構成員と思われる実体が現れた。場所を伝える、大至急現場に向かってくれ。」
「「アイツ、何処に出たんです?!」」
私と猿児がほとんど同時に声を上げ、耳に押し当てた端末からは、今の配属で私達の上司にあたる天倉博士がその出現ポイントを告げる。
これで猿児は漸く少し離れた柱近くに立ってる私に気付いたが、未収容状態のアノマリーが出たとなっては最早、それどころでは無くなってしまった。
「障壁粉砕救命士ティル・ローズレッド、ですか。」
……ここの構造はかなり独特だ。駅の改札を出た先すぐに広場があり、その広場の先にはアーケード街の入口がある。アーケード左右に並ぶ店舗は2階建てのビルも珍しくなく、そして人通りは常に過密状態。アーケード街はそのまま直線140m程続き、出口を潜ると複数店舗が入った大型ビルが眼の前にそびえ立っている……
今、逃げ惑う人々の間を縫うように駆け抜けているメインストリートから見ると、濛々と黒煙をあげるビルはアーケード街の出口より10mほど手前にあるようだ。道の左右に立ち並ぶ、甘味やコンビニ、ジャンクフードや服飾の店から雪崩のように人が此方へと逃げてくる。
「こちらエージェント・猿児。現場に到着、火災の煙で問題のビル周辺は、えぇ。かなり視界が悪くなるかと。」
私は通信機のマイクに向かって報告を入れつつ、同行の女性エージェントである牧野春との連携のためハンドサインを送る。耐火服の装備とカバーストーリーの補助を兼ねて消防士に扮した我々は、現場ビル手前で二手に分かれる。牧野はアーケード中央を直進するルートで接近し、その間に土地勘のある私はメインルートを外れビル建物の裏側を固める。双方共に、それぞれ同じく消防隊姿になった機動部隊を伴って。
「……オフ以外でここに来るとはね……。」
全く勘弁して欲しいものだ、と私はメインアーケードとは対象的に狭く入り組んだ横道をリズミカルに疾走する。右へ、左へ、斜め左へ……、7人規模の"消防隊"が建物の隙間を縫っていく。……そもそも私がここに強い土地勘を持つのは、アーケード出口の先の大型ビルに特撮関連、並びにその他サブカル関連の店舗が極めて充実している為だ。故にここ一帯は私にとってオフの象徴たるものであり、そこで暴れる、しかもよりにもよってHERO実体というのは醜悪な冗談以外の何物でも無かった。
(牧野春君の桃髪は、こんな状況に耐火服、でさえなければ此処のサブカル感によく馴染んでたでしょうね……。)
そんなどうでもいい思考を振り払い、アーケード終端とサブカル領域の境目に聳える3階建ての服飾店の前に、否、裏口に立つ。
……既に非財団関係者の消防隊による救助は行われつつも、まだ何人かの生存者を上階に取り残したまま状況は膠着している様だ。彼らとてプロフェッショナル、例のHERO実体さえ出てこなければ既に全員を救助できていただろうに……。
「何……?えー、えぇ。爪を振り回す怪物?……あー、恐らく不審者の目撃かと。はい。酷く混乱してるようで、はい。」
「兎に角、中にいる生存者の有無は!!?」
現場消防隊員の混乱したやり取りが私達の周囲を飛び交う。左手にチラリと見えた隊員たちは、10歳ほどの少女の手当をしながら安心させようと語りかけ、号泣と混乱に混ざる声の中から証言を汲み取らんと必死だ。
「隊長、現在の状況は?」
対して我々、"偽物"の消防隊の一群。機動部隊の長が私を"隊長"と呼び、カバーストーリー上でその立場にある私はいかにもな姿を演じつつ声を張る。……救護用の物資を抱えて駆けていく本物の若い消防隊員からの、尊敬と羨望めいた眼差しにバツの悪さを感じつつ。
「状況は現在、服飾店1階が炎上中。逃げ遅れた要救助者と"問題"の位置は2階もしくは3階、これは救助済目撃者の証言から明らかだ。」
こういう場合、会話でオブジェクトの注意を引き付ける役割も想定した上でエージェントたる私が形式的には突入隊長のポジションに就く。別に立場的に偉い訳では全く無いが、隊を纏める号令をかけるのは"隊長"の仕事なのでそれを果たさねばならない訳だ。
……さぁ、……突撃だ。
アーケードの途中で分かれ裏へ回った猿児のチームとは別に、アーケードのど真ん中から表口を突破して。
私、牧野春のチームは彼らよりも一足早く問題のビルに潜入し、入口付近の付近の階段を使い2階に辿り着いた……のだが、状況は思ったよりも歪だった。所々で煙や炎が立っていたが、それによってできたものとは思えないような床の穴、そして瓦礫が幾重にも点在する洋服屋だった空間。
金属製のハンガーラックはどれも、ひしゃげて瓦礫に潰されて、まるで誰かが故意に荒らしたらしきそれらの痕跡はこの2階の奥まで続いている。
可能な限り目立たぬように、視界確保のライトも最小に絞り、チームの先頭として、数人を引き連れ壁伝いに様子を伺う。
……明らかに異質な動きと声が響いて、例のヤツを見つけるまでにそう時間は要さなかった。2階スペースを二分する真ん中、見るからに元は閉じていただろう防火扉が引き裂かれ破られていて……。
その先に、問題児はいた。
「──例え何が行く手を阻もうと!ティル・ローズレッドがいる限り助け出して見せる!」
こちらに背を向け、部隊に気付く素振りも見せずに一心不乱。安物のスピーカーが出すような声を発しながら、それは3本の爪を生やした仰々しい見栄えの腕を振り回し、防火戸や周辺の床を闇雲に破壊していたのだ。
「あいつ滅茶苦茶じゃないか」
思わず小さい声で漏らしてしまう。本来ならば、逃げ遅れた人を救助するのに防火戸を破壊する必要は皆無だ。
この文句に呼応するかのように、実体の金属爪を打ち付けられた床や壁からから特段大きな音が響き渡った。
「……こうなりましたか。」
崩しかけたバランスを、コンクリ壁に右肘を突いて取り直す。1階奥の、狭いスペースを通った先に開けた階段スペースに閉じ込められた形だ。
……一先ず状況を整理しよう。我々は火の手の上がる1階から突撃し、耐火服の耐えうる30秒程度の時間の内に、その炎の中を駆け抜けた。"突入隊長" の私を先頭にして。そこまではいい。
「で、問題なのが……」
コンクリ壁に突いた肘、続けて添えた同じ右手の掌に体重をかけ両足で再び立ち上がる。向き直る背後に火の手は無いが、その代替であるとばかりに崩れ落ちてきた瓦礫の壁だ。……早い話が、後続の機動部隊と完全に分断され出口を塞がれた。
……障壁粉砕救命士ティル・ローズレッド。思考の中でその名を反芻し噛みしめる。上階の床から天井ごと崩れるように落ちた粉砕鉄筋コンクリは、どう考えても至極普通な二次災害の類いではあるまい。
「…………ッ。」
意図的か偶然か。ローズレッド例の問題のブツはこっちに気付いてるのか?……尤も、いずれにしても取るべき対応は変わらないだろう。
「……エージェント・牧野春。聞こえるか?」
断熱ケースから取り出した通信機に口を押し当て小声で、別動隊もう片方に連絡を取る。
「なんとか。ただローズレッドアレの音がでかくて聞き取りにくい。そちらにも被害が行ったのか?」
「あぁ、えぇ。最悪の場合気付かれた可能性。」
「なるほど……。勘付いてやったとは考えにくいけど、その線もあり得るから警戒は怠らないで。私達は表口から忍び込んだけど、まだ気づかれてないみたい。」
「……分かりました。じゃあこうしましょう。私も単独で、ローズレッドブツに接近をかまします。気付かれてるなら囮として注意を引けるでしょうし、……そうでなければ万々歳なんですがね。」
「……なるほど?……オーケー、上手く行けば合流だ。勘付かれてたらその時は、すまない、全力で奴の注意を私達から逸らして。」
通信機を口から離し、物音を立てぬようにと一挙一動に注意を払って階段を登る。踊り場の折り返し部分で身を潜め、密かに上階へと観察の目を向ける。先程の瓦礫崩しから大きく動いていなければ、問題のHERO実体はこのすぐ上にいる。
…………。
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「必ずだ、君の命の灯火を!障壁粉砕救命士、このティル・ローズレッドが消させはしない!見よ!両腕のテリジノ・クローを!僕がこの場に駆け付けた時、どんな命も──」
……ビンゴ。踊り場から見上げると、……照明の落ちた中では暗くてよくわからないが濃紅色なのだろう、装甲服を着た実体が崩落で出来た鉄筋とコンクリート片の山から "要救助者" を引きずり出そうと悪戦苦闘しているのが見える。ヤツからは見えていないようだが、"要救助者" のひしゃげた足や腕がこちら側に向けて瓦礫の山から飛び出している。だがその質感は人間ではなく明らかに……。
(……要救助者とマネキンの区別がついてないんじゃ、恐らくあのHEROは既にどこかの機能がイカれてそうだな……。)
しかも両前腕部の鍬が如き巨大な3本爪はどう考えても邪魔になるだろう、要救助者の付近で振り回していい代物じゃない。
(本来あれも、折り畳んで収納する機能とか付いてて然るべきじゃないのか……?廉価版玩具でもあるまいし。)
「君が助けを呼ぶ限り、諦めることは決して無い!例え何が行く手を阻もうと、如何なる障壁が立ちはだかろうと、無敵の両手で打ち砕く!──」
何れにせよ、こちらの存在に気付かれている可能性は元の予測より遥かに低そうだ。それならば一度階段の影に降りて……
……と、そう考えて、私は上体を動かし階下へと視線を移そうとする。
ダンッ、ダンッ、ダンダンダンダン……
階段踊り場にいる私の耳に、ローズレッドを挟んだ向こう側からの轟音。その位置は、2階床より低い位置にいる私のアングルからは見えない、しかし。 反射的に振り向いた先にあったのは、バランスを崩しこちら側へと瓦礫もろとも転倒してくるHERO実体の姿だった。
轟音の主は、既に目に見える位置まで突っ込んで来ていた。突然の建物全体に響き渡るが如き轟音は、HERO実体とは別の大柄な影が猛スピードで突進してくる音だった。
それは突然過ぎて、何が起こったのかを理解するのに数秒かかった。
突然誰かが現れたと思いきや、ソイツはローズレッドにタックルをかまし、吹き飛ばした。改めて姿を確認する。新たに出現した人物は人型ではあった……が、一言で表すならば、「サイを二足歩行させたみたいな謎生物」だった。あるいは、「サイをモチーフにしたスーツを着た人」か。でも単に立ち上がったサイの形状ではなく、角は頭部にあるだけでは無い。両肩にも角があるのが目を引いた。
「──誰レだ!?」
HEROの方も予想外だった様で、体勢を整えるのに時間がかかっている。何ならあちこちに損傷ができており、言葉もどこかおかしい。本当にスピーカーで喋っていたようだ。
できた隙を逃すはずもなく、サイ人間が再びローズレッドに向かってタックルを仕掛ける。しかし──
「はぁァっ!」
掛け声とともに、ローズレッドは咄嗟に腕を構え、飛びかかりながら腕を振り回した。今度はサイ人間が面食らう番だ、肩の角を一本折られながら、派手に吹っ飛ばされる。
「邪魔すものノはこの腕で打チ砕いて見せ──!」
救助という名目はどこへやら、HEROを名乗る破壊者はサイ人間にすぐさま駆け寄り、腕の爪でタコ殴りにしている。倒すことに完全に集中しているようだ。……このチャンスを逃すわけにはいかない。隊員を見渡し、合図を出す。
「容赦はないぞゾ怪じジんめ!例えどんな障害がろうロウとも、ティル・ローズズレッドは──」
「今だ!」
掛け声を出すと共に、2人の隊員がサイの人物の様にタックルを仕掛ける。ローズレッドは爪を構えるが、こちらはそうは甘くはない。死角からエージェント・猿児が標的の足を引っ張る。予想外の連続に混乱するローズレッドは大人しく2人分のタックルを受けると共に、地面に体を打ち付けた。直後に猿児は彼にスタンガンをお見舞いした。
バチチチチチチチチ!!
ティルローズは痙攣し、がっくりと項垂れる。気を失ったようだ。ここまでくれば、後は起きる前に拘束具を付けるのみ。だが……
「……待て、サイは何処に消えた……!?」
ダンッッッ!!!
階下で落下音がする。ローズレッドが崩した床の穴の直下だ。後を追い猿児も階下へ飛び降りる。
「……いない……!?消えた!!!」
どう対処する?まだ下の階は火事のままな上、取り残された人がまだこの階にいる。そして、先程のサイの様な人物も探さなければならない。
「部隊メンバーで、このビル周囲を包囲してくれ!!!」
確保したHEROは他の隊員に任せ、残りのメンバーで荒れきった店を捜索する。サイはいない。その一方で、要救助者を発見するのはそうそうかからなかった。
こうして、取り残された人々と目標の人物を全員確保したは良いものの、サイの姿をした人物だけはどうしても見つからなかった。
「大丈夫です、安心して。立てますか?」
"サイについては一旦、包囲を継続している別部隊へとタッチしてくれ" と上から通信。隊長に扮した私、猿児は一度問題のビルからは出て、軽症に分類される側の一般人を誘導中。財団医療機関の救急隊が、オブジェクトを目撃した可能性のある重症者を運び出す妨げになるのを防ぐため。そして同時に、収容班が例のビルからローズレッドブツを隠して担ぎ出すのを目撃されるリスクを消すため。
「あ痛たた……」
避難の際に足を負傷したらしい老婦人に肩を貸し、取り敢えずは安全であろうアーケード入口の外まで送り届ける。
「やぁ、ありがとね。」
私が脹脛の負傷の消毒を済ますと老婦人はそう言った。とりあえず、骨が折れたりはしてなさそうだ。
「いえいえ、お大事になさってください。」
続いて別の隊員エージェント達に連れられてきた他の一般人にも最低限の消毒をする。無論メインの仕事ではないのでその後は救急にバトンタッチではあるのだが。
老婦人のもとを離れ、広場スペース駅側の壁沿いに座り込む別の負傷者のもとへと向かう。改札横のコンクリ壁に背中を預けた男は額から流血している様だ。
「応急ですが、手当しますんで……」
「いや大丈夫、皮膚切っただけっす。見た目派手だけど。」
処置しようとした私の作業を彼の言葉が静止する。ズングリと着膨れした彼は隣に置いたリュックに片腕を乗せつつ、少し離れて壁沿いにいる子供の兄妹の方を指し示す。その左手の甲も血で汚れてはいるが、大きな傷は無さそうだ。
「多分あっちの方が優先度的に上っすわ。」
確かに間違いないな、と納得の上で私は足早に移動する……。しかしその時、私の脳裏に少しの違和感と既視感が過った。
・
・
・
【20██/04/12 配属と混乱】
時は正午、晴明博士は臨時で割り当てられた新たなデスクで1人、箸を動かす。新しい業務のための緊急チームへ配属されての会議の間にシャケ弁は運悪く売り切れていた。幕の内弁当の小ぶりなシャケを一口、続けて米を塊一欠片口へと運んだところで着信音が鳴り響く。
ピー、ピ、ピー、ピピー。
箸を弁当の容器端に置き、代わりに手にとった通信機のボタンをプッシュ。
「どうしました?」
いつも通りの背筋を伸ばした姿勢で通信機を耳に当て、通話相手の訴えを聞く。
「根拠に……?そりゃあ財団のリソースも有限ですから、無根拠で動くことはないでしょう。」
元々人数の多いオフィスでもない小さめの部屋に置かれたデスク。クリアランスレベルや職務を吟味し need to know の条件が一致した職員のみが配置され、そして現在この部屋が割り当てられているのは晴明博士ただ1人。
「サッパリですよ。まずどんな類いのアノマリーかが分からない。私も神学の専門知識で当たりましたが、結論としては "神学的なアノマリーじゃない" 。」
例のサイについての件では、彼の専門分野、神学の知識はどうやら役には立ちそうもない。
「何です?」
「ほう?」
他には誰もいない部屋。少しの間を置いて、晴明博士は言葉を返す。
「確かに筋は通りますが、"根拠に乏しい" は言われるでしょうね……。」
「……。」
暫しの沈黙があり、
「気にかかる様でしたら、一度、休暇を取られては?考え過ぎならそっちの方が良い。だから、私だって友人のバックアップくらいしますから。」
最後に彼は提案をした。それが現状ではベストだと、消去法で思い至ったからだった。
「本当にもう、なんで私が……?」
「まあまあまあまあ、なってしまったことは仕方がないので頑張りましょうよ。」
「それでも今度の土日が確実に潰れることになるのは重荷ですよ。」
「私もここから数日は終業0時後が確定しました。」
昼下がり、サイト内に財団側から臨時に用意された広めの会議室の中、私は間食を食べながら晴明博士と会話をしていた。ここ数日のストレスのせいで、普段はそこまで食べたりしないポテトスナックに伸びる手が止まらずにいる。そしてストレスとなる要因が多すぎて、誰かに話さないと気が済まない。ここなら壁も厚いし、部外者に聞かれることもないだろう。
「ローズレッドの大仕事、漸く終われると思ってたのに……!」
あれからしばらく経ったが、ティル・ローズレッドが起こした事件はまだ終わっていないようなものだった。ソレの確保が終わって直ぐ様今度はサイのアノマリーの捜索の業務に就くことになった。しかも「現場で一度本物を目撃している」ということでリーダー格に。
「それについてはもうご愁傷さまです、としか……。」
あの火事の現場にはローズレッドが折った角がまだ残っていたため手がかりになるかと思ったが、実は結ばなかった。訓練を詰んだ追跡犬を使って臭いを頼りに追おうにも、踏み荒らされた現場の臭いが邪魔をする。なんとか臭いを探し当てても途中までしか辿れず、とある地点で追跡犬が立ち往生してしまう。しかも今となっては臭いも残っていない。周囲の監視カメラからをチェックしても破損があったりで使えず、奇跡論周波の検知等超常技術パラテックを使っても成果無し。テレポートで現場から痕跡を残さずに消えたのだろうか、いずれにせよ、苛立ちが募るばかりだ。
「上のモンもほぼムダってこと分かっててこういうことに私ぶちこんでんしょーねきっと~~。」
晴明博士は本来この件について直接的な関連が無いが、サイ人間がどのようなアノマリーなのか分からない以上、広い分野の専門職員が必要だろうと言うことで、神学の観点からの研究者としてこの案件に呼ばれている……とは言ったものの、関連性などほぼあるわけが無く、のんびりした口調でありながら無駄な仕事が増えたとか言うことをそれとなく垂らしている。
「もう本当、こんな仕事が増えちゃうなんて予想外だよ……。」
……それだけならまだ耐えられたのだが、もう1つ苛立つことがあった。この期に及んでエージェント・猿児が休暇を取りに取っているのだ。
別に、休暇を取ること自体には何の問題も無い。人間は時に休息が必要だ。エージェント・猿児も私と同じ任務に就いていたのだが、彼は休み過ぎである。しかも休む理由が「要救助者の中にいたネット友達と遊ぶため」。言葉が出ない。
「牧野さんや。猿児が休みまくる件は分かりますけど、こういう状況だからこそ休憩を取るべきとは思いますよ。有事に備える為の事です。」
苛立ちがどうにも隠せていなかったようで、休憩中の晴明博士が宥めるように語りかけてきた。彼はこの任務とは関係ないが、猿児と仲が良いからかある程度は事情を知っている。その言葉が神経を逆撫でする。
「何を言ってるんだか……。」
右手でググッ、と拳を握る。私がエージェント職で評価されているのは格闘での強さが理由だ。だが今現在、その相手となるべきアノマリーが見つからないのでは私の拳の出る幕もない。
「とりあえず、晴明博士は今は……」
残っていた左手も、続けて拳をグググと握る。
色々と愚痴りたい気持ちを抑え、彼に放っておいてくれるよう伝えた。
【その頃一方】
ペラリ、ペラリ、と1枚1枚、ページをめくる。
「KBチャッカー……、19話の放火魔だっけか。やっぱ本職の人からすると思うとこあったりするんかな……?」
怪乱書紀 特撮怪人のデザイン画集 を開きつつ、食卓とデスクを兼ねているであろう机を挟んで向かいの彼が尋ねる。
「んー、そうでもないかなぁ。私はほら、オフの時には、とことんオフの思考にするので。」
「お、良いなそれ……!」
そう言って彼はガバッ!と身を乗り出した。私、猿児秀楠は現在ヤードライ、否、新たな友人である荒島の自宅のワンルームにお邪魔中。
「いやしかし、まさか火災の現場で出くわすとはね。」
「こっちだってビックリだよ。まさかネッ友が消防士なんて思わんじゃんよ。」
例の先日額から出血していたあの男。謎に感じた既視感の正体は彼のリュックに付いてたスイング最終回オーロラ必殺verだったという訳だ。
現在私は彼の自宅に招かれ、共に怪人のクリーチャーデザイン原画を纏めた画集を眺め話に花を咲かせているという流れ。
「デザインの自由度で言うとあれだ、サソリキャラのデザインって既にコイツで完成されちゃった感はあるじゃんよ。」
「はいはい!尻尾が逆立った弁髪みたいに生えてるパターンのやつですねぇ。」
「そうそうそう!それで鋏を頬に持っていくやつね。この型をどう外すかって観点で言うと……」
「Blenculusブレンクルス-04-SCORPIONスコーピオン。ですね?」
「イエス。」
そう、やはり首から上が丸ごと全部尻尾になったデザインのコイツは中々斬新だと言える。
……荒島との話は、尽くマニアックであるが尽く噛み合う。
「彼とはもっと趣味人同士、交友を深めたいもんだ」、と、……仕事なんぞは忘れておきたく感じる私がそこにはいた。
【20██/04/19~22 サイ来】
猿児と直接話す機会ができたのは数日後の早朝だった。業務に必要な機器を取りに行く道中、廊下の曲がり角でバッタリ出会ったのだ。
「……あ。」
猿児も何かを察したのか、気まずそうにしている。
「お久しぶりです。エージェント・猿児。」
「あー……どうも。」
「長い休暇を取られていた様ですね。」
「ははは……取ってましたね。」
「我々はその間ずっとサイ人間の件で業務続きでした。」
「……お疲れ様です。」
「何か言うことは?」
「あー……、長期に渡って顔を出してないことは申し訳ないと思ってます。一応上にもちゃんと連絡済みです。まあ……今はちょっと"これ"の映像を。」
そう言って彼は自分の鼻先に指を1本立て、サイのジェスチャーをする。どうやらヤツの行動を分析する予定の様だ。
「分かりました。分析が終わり次第、こちらの業務をやっていただきます。」
「了解しました~~。では私はこれにて。」
言うや否やこれ以上何か言われることを恐れんばかりに駆け足で去っていく。多少の罪悪感はあるだろう、これで彼も真面目に取り組んでくれる……、か?
.
.
.
「さて。」
眼の前にはチーム共用のPC端末。例のサイを追跡するための映像記録一式が閲覧可能。先日のローズレッド捕獲作戦での突撃で撮られたものだ。
「流石に……まぁそうですわな。」
消防服姿の際に仕込んだウェアラブルカメラの映像だ。激しく動いてブレまくっていて、画質はそこまで鮮明ではない。
該当箇所まで飛ばし飛ばしにコマ送りして、荒い映像越しにもそれだと分かるローズレッドがカメラに映り、やがてそこへと灰色の大塊が一直線に頭突きをかます。
「コイツだ。どんな体勢ですっけ……?」
カチッ、と一時停止をクリックした後、スロー再生とコマ送り再生を繰り返す。
その塊は低画質の霞の中で、鼻先と肩、3本の角を正面に向けて突っ込んで行ったように見えている。そのシーンから先も映像は続き、やがて猿児私自身が軽症者を誘導している際の映像になった。
・
・
・
サイ探しが進展したのは、更にその3日後の事だった。
「─現時点では、服飾店が存在したアーケード街全体のモニタリングに3名割き、周辺で10名が捜索、残りはそれぞれ─」
今日も今日とて早朝から皆で対策会議。大した成果を上げることも無く、アーケード街周辺を見張ることにしている。サイ人間が服飾店に現れたならば、その周辺の捜索が妥当だ。私は皆に目を配らせながら、今日の作戦を説明している……が、猿児は本日もいなかった。説明を終え、解散を言い渡そうとしていると、突然私の携帯電話が鳴り出した。もしかして猿児がやる気を出したのだろうか、そう思って相手を見たが全くの別人だった。
「こちらエージェント・牧野。」
「エージェント・フォトです。そちらが担当していたサイ型アノマリーに関する情報が先程偶然入ったので、連絡した次第です。」
「……!?それはいつ頃!?」
「まだ10分も経ってませんね。今目撃者の方に留まってもらってるところです。」
目撃者曰く、地下鉄構内のある場所で目撃された直後に構内の階段下へと移動し、そこでそのまま見失ったという。
こうなれば作戦変更。メンバーの何割かと共に現場へ急行することになる。
「いい加減来てもらわないと……」
自然と言葉を口にしながら、携帯で猿児に電話をかける。つい先日も晴明博士は『彼だって、ただ遊び回ってる訳ではないです。』なんて言うものの、どう見ても遊び回っているようにしか……。幸い、出るまでに時間はかからなかった。
「はい、猿児ですー。」
「牧野だけど、件のサイ型アノマリーに関する有力な情報が出たから任務に参加して欲しくて。」
これでやっと動いてくれる……そう思ったが、現実は非情だった。
「すみません、待ち合わせしているので急にそちらには行くことができなくて。あ、場所着いたので切りますね。」
「ちょっと……」
プーッ プーッ プーッ プーッ……
……3回くらい殴っても許されるよね?
【20██/04/22 作戦遂行】
地下鉄の駅から階段を抜けて地上の街へ。地上出口を潜って直ぐの左手にはデパートのビル。
「さて、と。」
やはり結構人が多いな。私の待ち合わせ場所はというと、車の行き来する右手側の広い幹線道路を跨いだ向こう、家電量販店手前に開けた少々広めのスペースだ。
信号が変わって自動車の往来が止まり、各々の目的を持った男女、陰、陽、様々な顔ぶれが一斉に横断を開始する。
.
.
.
「おー、荒島!」
「おぉ!待ってましたぁ!」
少し足早に駆け寄ると、身長差から若干私を見上げる形になりながらテンションを上げる荒島がいた。少々丸顔、髪質の手入れまでしてはいないが邪魔にならない程度に揃えた髪型。人混みで見つけやすいようにと本人が言っていた通り、目立つ明るい緑のジャケットを着ている。
「それで……俺の方が先で良いのか?」
「OK、OK。私の目的の画集の方は、在庫に余裕があるからね。何なら通販もあるし。」
「おー!有り難い。今9時54分か、急がないと。」
「なくなる前に行くぞ!」
駅前の家電量販店の6階玩具売り場へダッシュ。限定配布品狙いの荒島が私よりも一歩前を行き、某忍者漫画の主人公みたいに突っ走る。すっ転んだらかなり危ない体勢だ。
ウィーン、ズタダダダダダダッ!
店舗の自動ドアの前、ぶつかりかけながら危うく減速、そのままエスカレーターを駆け上がる。荒島、周り見えなくなるタイプですね……。
諸々の後、荒島の目的だった「ブロンズチェンジチップ」を手に入れる。関連商品6000円以上で限定配布、無くなり次第終了の品というやつだ。
「ふぅ~。限定配布とはいえ怪人側のアイテムも出してくれるのは良い時代になったな。」
「やはり、怪人あってこそのヒーローですからね。影の立役者は彼らですよ。」
行きの突撃とは打って変わって穏やかに、エスカレーターの下りに乗りつつ会話に戻る。
「舞魔まいまさんのはえーと、書店近くにあったっけ?」
荒島は私を、ネットのハンドルネームを元に "舞魔さん" と呼ぶ。
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・
・
そして目的の書店は量販店とは、駅を挟んで反対側に。
「……よし、双方これで目的達成ですね。」
「OK、ここからどうする?とりあえず、時間としては遅めの朝飯?」
「朝飯承知。この辺何がありましたかね……。」
手持ちのスマホで検索をかけると、少々つま先立ち気味になりながら荒島が横から覗き込む。
「バーガー位しか知らないんだよな……あとカレー屋があった気がするけど……」
……ここは私に決めさせて貰う。
「いや、和食で!」
「和食!?」
「この時間なら、量はそこそこ行けますよね?」
事前にも当たりを付けてた通り、少し値の張る料亭風な店構えの居酒屋が、メインの通りを離れた奥で昼営業中だ。
「徒歩で850m。行くぞ!」
……荒島は、思いの外タフらしい。歩幅の差もあり、エージェント職と一般人だが結構スタスタ歩けるようで。
「大丈夫!?そこの店高かったりしない!?」
「高いかもですね。その場合私が奢ります!」
「は!?」
そんな会話を交わしつつ、建物の間曲線の多い細道を縫い、目的の店の木製引き戸に手をかけ暖簾を潜る。
「いらっしゃいませ〜。」
「2名奥の座敷で。」
「マジか高そう。」
「メニューに依りますが千円台なんで大丈夫ですよ。」
店員により案内されて左右に机の並ぶ通路を通り、奥スペースの厚めの扉が開かれ畳の個室が現れる。
「ごゆっくりどうぞ。」
「凄ぇな、こんなとこ来たことないぞ……。」
慣れない荒島はキョロキョロしつつ、机を挟み私と対面になる座布団の上に腰を下ろした。
「ふぅ〜ぃ。」
「メニューどうします?」
「俺は〜、冷やしの、うどん!舞魔さんは?」
「ホッケを。」
あれから目撃者の証言を元に周辺や地下鉄の各駅を調べたものの、居場所の具体的な情報を掴むことはできなかった。駅の監視カメラを確認した所、サイ人間の姿が何ヵ所か、合わせて数秒間映ってはいたものの、丁度カメラの死角となる所で見失ってしまっている。とりあえず地下鉄のトンネルを通り別所に移動した可能性が高いと見て、新たにエージェントを何人か投入して地下鉄線の全駅のカメラの確認をしている最中だが発見は絶望的だろう。
「この駅じゃそれらしき姿は無し……」
「こっちの駅でも確認できませんでした。」
「あっ……すみません見間違えでした。」
エージェント達の怨嗟染みた「確認できず」の報告を聞き続け、こちらも精神が参ってくる……というか、既にこの日の始めから参っていたのかもしれない。
今は1人でも人手を多くしたいが、これ以上の人員を調達することは難しい。だからこそ猿児にも参加して欲しいのだが、電話を何回かけても、メールを何回送っても出てこない。ここは一般企業ではなく秘匿された正常維持組織であって、こんな緊急事態に個人の自由を優先している余裕は無いのだから、今「ネッ友と遊びに行く」というのは特に理解し難いものだった。そもそも何故上部は休暇を許可したのか。
5回くらい殴りたい……。
「ほら俺達の世代の頃って結構新しい事を色々やってた時期じゃない。……いやそれは常にそうか。」
割り箸をパシッと勢い良く割る荒島。
「印象論で言えば言いたいこと分かりますよ。ヒーロー側は、フィギュア展開と連動もあって各種アーマー等が豪華になってたり。」
荒島との話はそのまま、マニア層以外には何を言ってるか分からないだろう内容へと進み続ける。
「その辺りの歴史の流れ見るのも良いなって。」
「正にそう。んでその中にあって怪獣の方はコンスタントにソフビ人形を見かけたり。」
ここ、怪人と怪獣の大きな違い。そして怪人の商品展開的な恵まれなさへと話が流れる。
「……それで幼少期に結構不満だったのは、ヒーローと同じ規格でアクションフィギュアが発売されてなかった事ですよ。」
荒島は、これには一段と強く身を乗り出す様だった。
「マジか……!それ俺も同じく。怪人キャラに思い入れ強かったから。多分あれだな……、造形的な部分にも惹かれたし、俺はどう考えてもヒーローの器じゃないから怪人に自己投影してたのかも。」
荒島は言葉の合間に冷やしうどんを啜りつつ、私はホッケをつつきつつ。
「自己投影ねぇ。しかし怪人かぁ……。一回実際のスーツとか着てみたいけど、撮影に使われる本物はメチャクチャ重いらしいですよねアレ。ガワコスなら経験ありますが。」
「ガワコス?ってことは自作の怪人スーツでのコスか、イベントとか行ってたり?」
「そこまで大型のイベントで〜、って訳では無いですが、えぇ。」
ついさっきうどんを啜り終えた箸を持ったまま、この時の荒島は「Hmm……」の様な声を出し何やら考える様子だった。
一呼吸置いて、荒島は1枚の名刺を取り出して私に差し出す。
「実は俺、結構スゴめのガワコスやってんだぜ。舞魔さんにも紹介しようかなって……!」
受け取った名刺に大きく書かれた"改造結社Scalpel"。その右下に荒島あらしま輝史てるふみのフルネーム。
一瞬の後に静寂を、私のお茶グビグビ音が引き裂いた。
「悪い、お手洗い何処だっけ?」
【着信】
あれから数時間、未だ監視カメラと沿線周辺の確認をしているがやはり結果は無いに等しかった。それでも無駄骨だと分かりながら作業を続けるエージェント達は若干グロッキーになりつつあった。キーボードのタイプ音やマウスのクリック音が響く中、それらとは違うメロディーが鳴り響いた。
ポロンポロン♪ポロンポロン♪
電話の着信音、まさかついに誰かが情報を掴んだのだろうか。電話を取って名前を確認する。
Agt. 猿児
「猿児!?」
思わず声が出てしまった。遊びに行っている最中にサイ人間に遭遇したのだろうか。それともやっと仕事に戻る気になったのだろうか。皆の視線に気づいて我に返った私は直ぐ様電話に出た。
「もしもし猿児、どうしましたか。」
「牧野さんどうもどうも。ちょっと連絡したいことができまして。」
そう言い放つと、彼は私に返答させる暇もなくここまでの経緯をべらべらと、そして迅速に喋り始めた。
「──というわけで、今はその駅近くの居酒屋すきっぷの御手洗いにいるんですけど。」
一通り話し終えると、猿児を一呼吸おいてさらに情報の追撃を重ねてきた……のだがそれは私の思考を吹き飛ばすことになった。
「……恐らく私は今、貴女がお探しのブツと一緒にいます。」
「……!?!?」
ブツ?ということは例のサイアノマリーが?サイ人間が?サイ人間がいる?一緒に?何故?どうやって分かった?偶然会ったのか?
居酒屋すきっぷは財団のフロント企業の1つだ。先ほど具体的な経緯を話すなかでどこの店舗かも分かっている。ここで作業をしている何人かにそっちの監視カメラ等のチェックをしてもらうか。いやいやまずは猿児から全情報を聞かねば。
私は急いで質問する。
「一緒にいるとはどういうことですか。どうか詳細な説明を……」
「じゃ、彼を待たせてるので私はこの辺で。後は先程の最寄駅でまた。」
「!?ちょっ─」
プーッ プーッ プーッ プーッ……
……とにかく向かわなければ。
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·
·
早速私は目撃のあった駅周辺で張り込みをしている。「お探しのブツと一緒」と言うが、休暇中にサイ人間を偶然見かけたのか?それとも、この休暇を利用して何かしていた?思考を巡らせていると、自分に向かって誰かが呼び掛けている。声の方向を向くと、見知ってはいるが、見かけない顔が現れた。
「やはりいましたか。猿児から連絡受けてきました。」
「晴明博士!?何故こちらに?貴方は今の業務とは担当が別のはずですが……。」
晴明博士はこの任務とは一切関係がなく、彼の専門分野にもかすってすらいない。
「いやあ、ちょっとこの件には私も心当たりがありまして。たった今上層部に事情を説明して飛び込み参加しました。猿児からの依頼もありましたし。」
「心当たり?もしかして過去に接触を─」
早口になりかける私をまあまあと制しながら、彼は説明を始めた。
今は荒島の案内で、私と彼と、2人で電車に揺られている。荒島自宅の最寄り駅周辺にその集会所はあるらしい。
「ガワ系のスーツもいくつかあるけど、もっと凄いのお見せしますぜ!」
……"改造結社Scalpel"。スカルペルとは、外科用メスの英名だったか。彼との初遭遇時、スイングの他に感じていた別の違和感がパズルのピースの様に合致する。着膨れし、左手の甲に付着した血はしかし、袖口から垂れてきた形に見えた。厚着した姿のままで避難したなら負傷しないであろう、袖の内側から垂れていた訳だ。
「次の駅出て、改札左っす!」
特撮……いわゆるヒーローものに登場する敵役、怪人には良く見る人間離れした姿とは違う、普通の人間の様な見た目に変身できる者も多い。"HERO" のローズレッドに突っ込んだ事からの連想は、エージェントの勘とも言えない根拠に乏しい論だった。しかし派手な見た目の実体が現場から消え、追跡犬も立ち往生し……、その推察はあまりにも状況に合致していた。
「爬虫類系が多めっすけど、節足とか哺乳類系もありますぜ!舞魔さんだとどの辺が好みか……」
駅を出てから奥まった細道へと分け入り進み、その離れのガレージの様な建物へと至るまで、その内容を語る荒島は高揚感を抑えきれない様が見て取れた。細いコンクリ舗装の道を挟んで左右に広く広がっているのは、郊外の売地のように荒れた草木が伸びた土地だ。だが売地ではないと否定するかのように、不釣り合いな直方体のガレージが目測10mと少し置きに立ち並ぶ。……あれは貸出ガレージか?いや貸出用のガレージにしてはどれも、いささか造りが広すぎるか……?小さめの民家程のサイズで、そこはかとなく外壁の金属も頑強な素材感に見える……。
「こん中ですよ!こっちの棚!」
点在する建物群の1つに私を呼びつつ踏み入ると、ガレージ奥に設けられた追加の仕切り扉を彼は横向きに歩きながらガラガラガラ、と開いた。そこには鱗に覆われたもの、外殻を備え鋏を持つもの、作り物にしては精巧すぎるスーツが幾多も吊るされ、並んでいた。
「要するに、普段は目立たないように一般人に化けてるってことです。─あのサイ怪人も同じなんじゃないかなと。ちゃんとした根拠は無いんですけど、猿児はそう考えたんですよ。」
「何を馬鹿げた事を……。」
根拠の一切無い推測に思わず唖然とする。手がかりがほとんど無い中、「特撮の怪人だったらこうだろう」というフィクションに基づいた信憑性の無い推測で行動、そしてそこから何故か休暇を取る猿児。もう少し論理的に考えられないのか。
そんな私の心情を見透かす様に、彼は応えた。
「だからこそですよ。証拠も無いただの思いつき。なので多分報告しても牧野さんはすぐには動いてはくれないじゃないかと思ったんですよ、彼は。だから有給叩いて自分の直感を信じて動いてたんじゃないかと。具体的に何をしてかは聞いてませんけどね。それでも今回我々を呼んだということは─」
きっと何かを掴んだんでしょうね、と言って晴明博士は考え込み始めた。
思えば、今までを振り替えるとこの仮説はうまく組み合わさる。
「サイ怪人」から「普通の人間」になった際に臭いや奇跡論周波等ある程度の性質は変化するだろうと思われる。言うなればスーツを脱いでいるようなものだ。となれば、追跡犬や超常技術が使えなかったのも納得がいく。地下鉄で消えたのも姿を変えたことが原因だろう。とすると発端たる服飾店の1件でもHERO実体の確保後に人間の姿になったのだろう。
─人間の姿になった後、「サイ怪人」はどこにいたんだ?
その時。
ビー!ビー!ビー!ビー!
何らかの装置がブザー音を鳴らしている。感覚的に自分のものではない。振り向くと晴明博士の手には振動するデバイスが握られていた。画面には何らかの数字が書かれている。
「猿児が見つけたようです。今場所を割り出します。」
良くわからないが、猿児から座標が送られてきたようだった。
「そこのスーツは、生きてるんですぜ。」
イグアナをモチーフにしたスーツの内側を覗く私に、荒島が得意気に説明を挟む。頭から足先までが1ピースになったそれは壁に掛けられ、体の前面が開かれている。人が着られる中空構造のそれは、しかし内側が生きた粘膜に見える組織でできていた。
「これは何か……特別な技術とかが使われている?」
驚きのあまり出ない言葉を絞り出す。そんな形を演じながら彼へと問いを投げかける。
「そりゃ勿論!Scalpelには、幾つか提携企業があるんだ、Scalpel側が顧客でね。特に生物系に強い会社があって、……そこはスーツだけじゃない、メンバーに改造もやってくれるんだ。」
荒島は自分の拳で、自分の胸をトン、と叩いた。
「俺の身体も、そこで改造して貰ってる。」
……一縷の望みが、絶たれた。荒島に隠して押したポケット内の通報スイッチが、間違いであって欲しかった。私の座標の情報を受け取って、既に晴明博士が動いているだろう……。
「全身タトゥーとかインプラントでの『悪魔男』、『虎人間』、『蛇女』みたいなの見たことないか?あれのもっと凄いやつだよ。俺達は本物になれるんだ。」
荒島が、両腕を左右に開く。表皮が波打ち液状となり、衣類の上へと染み出し始める。
【怪人】
.
.
.
その時、扉を無理に開ける轟音が2人の不意を突いた。武装したヘルメットの集団の1人が声を上げる。
「目標を確認!」
一瞬の間で、猿児は援軍の到来を理解したのだろう。そして彼と向かい合い、肉体を変容させていた男の笑顔が一瞬固まり、引き攣り、消える。
彼もまた、自分が最初から騙されていたことを理解してしまったのだろう。
銃口から麻酔弾が発射される。しかし、それが標的を貫くことは無い。
当たった箇所は鋼鉄のように硬くなっており、麻酔弾を弾き飛ばした。
変化はまだ終わらない。男の肉体は膨張し、全身が硬いソレへと造り変えられていく。そして最終的に成ったのは、デパートで見たあの姿。
猿児達が見届けたと同時に、哀れな怪人は怒りがこもった叫びを周囲に響かせた。
「……舞魔あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」
正直眼の前で吠え声を上げる荒島に、返す言葉は見つからなかった。それで、土下座でもしようかと思った。
でもそんな事をしても無意味だ。だから結局、私は結局棒立ちで俯いたままでいた。
「テメェクズだ!完っ全なクズ野郎だよ!」
言えてるな、と思った。私はたった一人の大切な友人と大勢の大切な同僚達を天秤にかけて、その友人を切り捨てる道を選んだのだ。そして絶叫を伴う荒島の、突撃をほぼ真正面から喰らった。
「猿児!?」
エージェント・牧野の声に、一瞬を開けてハッとなる。至近距離からのサイの突進に対して無意識に受け身を取った私は、その角にしがみつく形での受け身を取って彼に持ち上げられていた。
「ガァアアァァァァーーァぁぁぁぁあ!!!!!」
サイ怪人と化した荒島の巨体にしがみつき、鼻先の角に胸と喉元が圧迫される。両足が浮いたままの私に背後から強風が襲いかかって、上着が肩側、頭側へと大きく捲れる。サイ怪人の足元が見え、アスファルトと草らしき緑が猛スピードで駆け飛んでいく…… 否、これは一直線の突撃か。鼻先に私を持ち上げたままガレージ入口の部隊を蹴散らし、一刻前までは友だったそれは、怒りとも嘆きともつかないグチャグチャな叫びを上げて突進のままに走り続ける。
「マズい、死ぬぞ!」
慣性に押され風を切る轟音の中で僅かに、部隊の誰かの声が聞こえる。このまま行けば何処かへの衝突……
「んぬぁぁぁあ!!!」
両腕と背に無茶苦茶に力を込めて上体を反らし、浮いたままの脚を振り反動をつけて左サイドに転がるように飛び落ちる。
ガン!ゴダン、ゴグッ。
背に、腹に、背に衝撃。勢いのまま転がる身体の動きを無理矢理突いた右腕、続く左腕で受け止め、足場の芝生を握るようにして立ち上がり荒島の方向を探す。
グァン!!!
膝を突き、右足で芝を踏みしめた斜め後ろから、金属板が一撃ひしゃげる音がする。
「お前ァァァぁああああーー!!!!」
点在するガレージの1つに衝突したサイは、体勢を立て直したのとほぼ同時に私の方へと向き直り2撃目の突撃を繰り出す。
(……マトモにやり合ってちゃ駄目だ。)
荒れ狂う怪人の注意は裏切り者私にしか向いていない。そうか彼は興奮すると、周りが見えなくなるタイプだったか。
「ぬぁあぁぁあぁああああ!!!!」
前傾のまま突っ込んでくる巨体を引き付け、引き付け、ギリギリでかわす。身を投げ出すように飛び退きながら、上着の下の隠しポケット、エージェント支給の小型拳銃に手を伸ばす。 当然彼には効かないだろう。だが注意を引き付ける挑発ができる。時間を稼いで、部隊が付け入る隙を生ませる。
ガグガァン!!!
後ろから、また別の何かに怪人が衝突した音だ。私と彼はほぼ同時に振り向き相対する。両手で構えた銃を突き出し、威嚇の一撃を発砲する。
パァン!
「グォァア!!!」
荒島だったソイツは怒りに満ちた一声を上げ、今度はゴフッ、ゴフッ、と重い足音を響かせ一歩ずつ距離を詰め始める。横幅の広い体格の巨体、そして左右非対称な肩のシルエットが見て取れた。
……ローズレッドに折られた左肩の角、出血にまで至ったその傷は完治に至る事無くそのままだ。
傷口を撃つか?、一瞬そう思考する。だが動く相手に精密射撃は余りにバカの思考だ、私は特撮のヒーローでも漫画のスナイパーでもない。……ならば、私はアイツの動きを止める。動きを止めれば機動部隊が、ローズレッドを止めたものと同じ電撃をあの傷口から喰らわせられる……
ローズレッドか。思えばコイツは、災害現場で暴れるローズレッド相手に突っ込んで行ったのか。本来コイツは、自ら人を傷つけようとする奴じゃなかった。
ブォーーー!!!!!
右側からクラクションが鳴り響き、不意に部隊をここまで運んだであろう人員輸送車両が全速力で割り込んでくる。
ドガッ!
鈍い衝突音と共に、サイの身体が横向きに跳ぶ。ギリギリで避けようとしたか、直撃ではない、車体の端が身体の一部を掠めたか。輸送車両は急ブレーキをかけ、サイと私の間を改めて遮るように旋回をする……運転席に見えるのは晴明博士だ。
僅かに生まれた時間の中で思考を整え状況を整理する。あの様子なら、車両を直撃させればヤツの動きは止められる……
その時だった。ガン、ゴン、ガン、と車体に手指を食い込ませる異音と共に、サイ怪人が輸送車をよじ登り、その天面上から私の元へと飛びかかる。サイ怪人の右肩の角が、咄嗟に上げた私の右手を掠って鮮血が飛ぶ。ダフッ!!!と激しい音を立て、飛び避けた私から僅か1mの地面には指1本でも靴跡ほどある3本指の手形が刻まれた。
離れなければ。3歩、5歩、7歩と飛び退き、大きくひしゃげた金属の壁に阻まれる。サイ怪人と、その背後で旋回を再開する輸送車の先に見えるのは、荒島が私を中へと招待したガレージだった。すると私の背後にあるのは、彼が最初の突進で激突した金属壁か。
左手で、出血する右手を掴む。指は5本だ、致命的な損傷はしていない。だが、何かがおかしい。足りていない。何がだ、何がそこには存在しない?
ここまで思考した時、一瞬遅れで致命的なミスを犯した事を悟る。
銃を取り落とした……!
サイ怪人が立ち上がる。私との距離は目測で10m程。その足元に、鈍く反射する光を放つそれはある。
「舞魔ぁ……俺は信じてたのによぉおお!!!」
足元に転がる銃をその目にハッキリと捉え、彼は身体を捻じる様にして姿勢を落とす。
……"詰み" か。
そして一瞬の後、グキャン!と金属が壊れる音がした。彼はその足に全体重を載せ、足元の銃を踏み砕いていた。
「俺は、信じてたのによぉぉおおおおお!!!」
そう叫び、再度突進の姿勢をとる。その背後では、晴明博士が車体の向きを立て直し……
この怪人は、衝突の後即座に向き直る事はできない。これまでも次の一手に移るまで、数秒はタイムロスが出ていた。
突撃が来る。ギリギリまで引き付ける。そして飛び退く私のサイドで、ガレージに突っ込むサイの背後に輸送車両が突っ込んだ。
【20██/04/29 その後】
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昼下がり、サイへの対処が終わった翌週、広めの臨時会議室の中。私は間食を食べながら晴明博士と会話をしていた。実体自体は収容されたが、各種資料や機器の引き上げはまだ先になる様だ。ここなら壁も厚いし、部外者に聞かれることもないだろう。……だが彼にも、そして猿児にも、特撮知識を聞ける様な状態ではなくなってしまった……。
左手に中身も残り少ないスナックの袋を持ったまま。この一件で幾度か握って結局、振るう機会の無かった拳に視線を下ろしてグーパーさせつつ。
「つまり……晴明博士も独自の動きをしてたって事ですか。」
「独自というよりも、私は猿児のバックアップを少し。」
そう言って彼はコンピュータのある机の端から通信機を手にとって、サイドのボタンを爪で押し込みSDカードを抜き取った。
「すみませんね。上の意向と逆行する都合上、事後報告にならざるを得なかったんですよ。」
SDカードはすぐ眼の前の、PCの口に挿入される。
「これがその時の音声です。」
一件の、少なくとも形式的には捜索業務のリーダーであった私へと、晴明博士が猿児と交わした本件最初の通信記録が共有される。
『どうしました?』
『現場にいた男が怪しい件で、上に報告を入れたんですがね。"根拠に乏しい" とかで。』
『根拠に……?そりゃあ財団のリソースも有限ですから、無根拠で動くことはないでしょう。』
『サイ探し、牧野君の側はどうなってます?』
『サッパリですよ。まずどんな類いのアノマリーかが分からない。私も神学の専門知識で当たりましたが、結論としては "神学的なアノマリーじゃない" 。』
『……これから話す内容、真面目に聞いて貰っていいだろうか?』
『何です?』
『あのサイ型アノマリー、特撮怪人みたいな人間態を持ってたとしたらどうです?』
『ほう?』
『見失った後、サイ怪人のアノマリーは人間態に変じた。だから見つからない。肩の角を折られたから、その左肩から出血していた……。私は現場の男に顔が割れてます。彼がアイツの正体だとして……』
『確かに筋は通りますが、"根拠に乏しい" は言われるでしょうね……。』
『……そうか……。』
『……。』
『……。』
『気にかかる様でしたら、一度、休暇を取られては?考え過ぎならそっちの方が良い。だから、私だって友人のバックアップくらいしますから。』
「"考えすぎなら" ……」
「えぇ。残念な事に、考えすぎではありませんでした。」
「…………。」
結局のところ、猿児の予感は適中していて。それ故に彼は最高の友になれただろう男を収容するために動き、自ら失った。一体誰が、この事件では悪かったのだろう。拳を叩きつけるべき場所は一体何処になるのだろう。
【20██/05/01 帰結】
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サイ怪人の収容から数日経ち、私は晴明博士と共に休憩室で特撮を見終えた所だった。
……と言っても、事件の記憶が根強く残る今、純粋にのめり込める様なものではなかった。
ふと晴明博士が話しかける。
「もう少し時間が経ったら、サイト-8171に移動してサイ怪人へのカウンセリング行うんですよね。」
「アイツ、調子は大丈夫そうですか?」
「収容してから間もないってのもあって、まだだいぶ荒れてます。ちょくちょく猿児さんへの恨み言言ってて、そろそろ気が滅入りそうです。」
「……アイツ、あの時、銃を拾って使えば私に勝ててたんですよ。」
「んん……?」
「戦う事を目的にした思考なら、そうしてただろうなって。」
数秒の間、沈黙が流れる。
「でも特撮のサイ怪人ならああします。銃なんか踏み潰して自前の突撃を。アイツがやったのはロールプレイの延長線上にある思考パターンで……」
「……実際に誰かを傷付ける目的で、怪人になってた訳じゃない、と。」
「きっと……そうだったんだと思います。クズ野郎は私ですよね。」
「…………。お互い仕事だから仕方がないですよ。私にも乗った責任ありますし……。アイツは考えが合わなかったのが不幸だった。ここで働いてなかったら、猿児さんと彼、良い友達になれたでしょうに。」
「そうでしたねぇ……。」
"荒島"のことを思い浮かべていると、エージェント・牧野が休憩室に入ってきた。
「エージェント・猿児、話があるので同行お願いします。」
「ああ、分かりました。」
私は今回新たに確認された要注意団体──GoI-8175 ("Scalpel")の調査の重役に就くことになったのだが、きっとその件についてなのだろう。
私は晴明博士に告げた。
「──晴明さん、彼の事をよろしくお願いします。ではまた。」
「……了解です。」
部屋を後にする私の耳の中では、特撮のエンディングの曲がこびりついて離れなかった。