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周囲の建物は、確かに荒廃してこそいたが、穏やかな静けさを帯びていた。その静けさは今、リチャード・コブが新しく見つけた錆まみれのパイプと格闘する荒々しい音に掻き乱されている。金属同士の擦れ合う甲高い音と共に、即興のこじり棒がまたしても開こうとしている錆びたドアから滑り抜け、リチャードは悪態を吐いた。どれだけ試しても上手い具合に行かない。
「ここ、何だか薄気味悪いんだけど」 サリー・ゲイルがおずおずと口に出した。
「それが肝心なのさ、サリー — 何しろ呪われた工場って呼ばれてるんだ」 リチャードは唸り、痛めつけられた金属の最期の叫びと共に、錆びた金属のドアをようやくこじ開けた。
「や、それは知ってる。でもここは、何て言うか、今まで私たちが入った場所とは違うような気がするの」 歩調を早めるリチャードに遅れまいとしながら、サリーは一息に言い切った。
「まぁ落ち着けよ、きっと楽しいぜ」
二人は荒れ果てた廊下を下って行った。一人は不気味な環境にも負けず熱心に、もう一人はただ何か大胆な事をやってのけたいがために。
そして、彼らは二人きりではなかった。

「設備は一緒に持ってっちまったらしいな。あれから、あー、もう一年になるか?」 リチャードは空の砂糖用ドラム缶を蹴り飛ばした。プラスチックの樽が埃っぽいコンクリートにぶつかる重い音が周りで反響した。
「キャンディはまだ残ってると思う? 幾つか探してみよ」
リチャードは笑った。「どうかな、でももし残ってたら今頃絶対ベトベトだろ」
「多分ねー。それはそれとしてさ、この場所かなりクールじゃない、ディック」 サリーは大きな金属製の大桶の周りを走りながら、冷えた固い鋼鉄の表面をペンキの付いた指先で軽く撫でた。
「そう呼ぶなって言ったろ」 リチャードは桶の列に沿って歩いた。「ともかく、きっとここに加工前の砂糖やなんかを保管してたんだ」
「へぇ、そう思う?」 サリーの顔に皮肉っぽい微笑みが浮かんだ。「私は食堂だと思ってたけどねー」 彼女は手を大きく広げて周りの桶を指したが、自分がもう注目されていないと気付くと、第二の皮肉を込めた冗談は口から出る前に消え去った。「ちょっと、ディック、話聞いてる?」
リチャードは聞いていなかった。埃まみれの西側の壁に沿って粛々と走り書きされた文言に注目していた。
なんかい…
なんかい..
なんかい…
「ふぅん、妙よね、工場の落書きは外側ばっかりで、中に入ってから見かけなかったのに」 サリーはそう言いながらリチャードの傍に歩み寄った。
「それにデカいな。あそこまで行くには梯子が要るだろう」 リチャードは頭を掻いた。「ま、他に何が見つかるか探しに行こうぜ」
サリーは微笑んだ — リチャードに手を掴まれて部屋から連れ出された時は、心臓はほんの少しだけ跳ねた。

「スゲー量の紙だ」 リチャードは大きめの山を蹴りながら言った。効果は無さそうだ。
「どうして全部置いてったのかしら?」 サリーは床一面を覆う細切れの紙の中で、ガサガサと騒々しく足を動かした。「次の工場でもまだ使えたはずよね」
「そりゃまぁ、アレだよ。事故の後で、多分色々汚染されたと思ったかなんかしたのさ」 足首に達するほど積もった細切れの紙を蹴り上げつつ、リチャードはそう推測した。「その後、動物が荒らしたらしい」
サリーは腕一杯に紙切れを持ち上げ、空中に放り投げた。続いて腕を大きく広げ、頭上に降り注ぐ紙の中でくるくる回転する。紙吹雪をぼんやり見上げていた彼女は、不意に回るのを止めた。「ねぇ、あそこ見て」
1…2…3…
1…2…3…
1…2…3…
「同じ書体… って言うのか? ともかく前のと一緒だ — でも、どうやってあんな場所に落書きした? 高さハイ30フィートはあるぞ」 リチャードは雑に記された数字を見上げて独りごちた。
「ハイと言えばさぁ…」 サリーはニヤニヤしながら、悪戯っぽくリチャードの脇腹をつついた。
「おおっと、完全に忘れてた!」 リチャードはストラップ式のバックパックを肩から降ろし、医療用ハーブを詰めた小さなジップロックバッグを取り出した。「マジでトべるってブライアンが言ってた」
少しの間いじったり、転がしたり、舐めたりした後、リチャードの左手の中には2本のきつく巻かれたマリファナ葉巻が完成していた。サリーが片方を受け取り、床の一角から紙切れを蹴って片づけ、そこに座り込む。彼女は脚を組み、誘うように隣の地面を叩いた。
二人はしばらくそこに座り、小さく身を寄せ合って笑いながら葉巻をふかした。

少々ハイになった二人の友人は、まだ探検していない唯一の区画に向かう廊下を、大股のすり足で笑いながら歩いていた。二人はかつてドアがあったはずの場所に空いた大穴の前で立ち止まり、その上に記されている、今やお馴染みとなった暗赤色の走り書きをぼんやりと見つめた。
だれだ…
だれだ…
だれだ…
リチャードに突然の不安を抱かせたのはハッパかもしれないし、周囲の不吉な雰囲気かもしれない。しかし、僅かばかりの恐怖心は、マリファナ由来の疑心暗鬼としてすぐさま脇に追いやられた。「最後の部屋だぜ。準備は良いか?」
サリーは返事代わりにくすくす笑った。「最後の奴が夕食奢りねーッ!」 彼女は真っ暗な入口に走り込み、声は薄れていった。
「おい、ちょっ—」 リチャードの言葉は、室内から響いた突然の絶叫に圧されて後が続かなかった。いきなり素面に戻ったリチャードは部屋に飛び込んだが、中の様子がはっきり見えるとすぐさま勢いを押し止めた。
何本もの小さな白い棒が、光沢のある包装紙や裁断された紙切れの間から突き出し、大きなボウルを形成している。部屋の中央には、“紙の巣”としか正確に表現しようのない無秩序な巨大構造が佇んでいる。サリーがそこから手を振り、必死に注意を引き付けようとしていた。
「いったい — サリー、無事か!?」 リチャードは囚われの友人に向かって叫んだ。
「何かがここに — 嫌ぁっ! ディック! 後ろ!」 耳障りな必死の声で叫びながら、サリーは顔に恐怖を浮かべてリチャードを見つめた。
リチャードが状況を把握するかしないうちに、大きなギザギザの鉤爪が彼の身体を包み、ほとんど息も吐けないほどにきつく締め付けた。
"そこにいるのはだぁぁぁれだ?" 冷たく虚ろな声が、リチャードの後頭部に熱く湿った息を吹きかけながら、からかうように訊ねた。
リチャードを見ようとズルズルと這うように回り込んできたそれを“フクロウ顔”と呼べば、その生き物について途方もない誤解を招くだろう。左右非対称の顔面は血に染まったボロボロの羽毛で出来ていて、それがディナープレートほどもある大きさの不揃いな両目を取り巻き、頭の上には矢印のような肉質の突起がある。不格好な硬い骨構造 — リチャードは嘴だと思った — が少しだけ開き、そのよだれを滴らせる隙間から気色悪い黄色の舌が垂れ下がった。
"何回必要かな?"
即座にパニックが白熱する炎の針となってリチャードの背筋を刺し貫き、彼は生き物の容赦ない把握から逃れようともがき始めた。「何回って何がだよ!?」
彼の命乞いのような叫びは、悍ましい生き物の含み笑いを煽るだけだった。
サリーの叫びが壁に反響する中、腐れたような黄色い舌が再び伸びて、リチャードの頭を探ろうとし始めた。
"確かめてみよう。"
舌が顔に擦り付けられた時の温かな湿り気は、表面の不規則な凹凸の荒々しいパターンとは対照的だった。口を閉じるという考えが浮かぶ間もなく、リチャードの味覚は速やかに、腐敗したサクランボとアンモニアのむかつく味に圧倒された。
"一回…"
湿った鱗がまたしても首と頭の周囲を擦り、リチャードは気を引き締めた。暖かい粘液が顔を流れ落ちて喉の内側に集まり、彼は悪臭で吐きそうになるのを堪えながら空気を求めて喘いだ。
"二回…"
自分はほぼ確実にフクロウもどきの把握を逃れられないという事実が、ゆっくりと明白になりつつあった。リチャードは母を、父を、学校の友人たちを、そして勿論、サリーを思った。その彼女の怯えた叫びが、放心状態のリチャードを呼び起こした。
「サリー — 今すぐここを逃げろ! 走れ!」 粘液を滴らせる黄色い触手が再び顔を包み込もうとする中で、彼は声を絞り出した。
"三回…"
グシャッ
….
リチャードの悲鳴を途絶えさせた骨の砕ける音は、恐怖に囚われたサリーの心の中に執拗に響き渡った。無我夢中で、彼女は工場から、間違いなく呪われていると分かった工場から逃げようとした。
そして、彼女は独りきりではなかった。

"お前の芯まで辿り着くには、何回舐める必要があるかな?"