マーガレットに包まれながら
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世界は鮮やかに染まり、マーガレットの香りをふわりと纏わせる。そんな真新しい感覚は、一瞬にしてわたしの心を奪い、全てをぐちゃぐちゃにかき乱した。

小さい頃から真面目だけが取り柄だった。

しわのない清潔な制服と整った白いリボン。
校則通りの長さのスカートと靴下。きちんとまとめられた長い黒髪。
礼儀正しい態度と目上の方への正しい敬語。常に5分前行動に心がけ、提出期限を破らない。
毎年クラスの学級委員長を務め、クラスの為に尽力した。
おかげで先生からの期待も、クラスメイトからの信頼も厚い。

まさしく模範生徒と呼ばれるにふさわしい姿。
わたしは自分の性格が嫌いではなかった。

わたしには幼馴染がいた。彼女はわたしとは正反対だった。

自分なりにアレンジされた制服とリボン。
何重にも折られて短くなったスカートと靴下。人工色で染まるウェーブのかかった髪。
先生に対する反抗的な態度。遅刻ばかりして、課題すら出さない。
毎日注意しても、彼女は笑って返すだけ。
おかげで先生からは飽きられて、クラスメイトからの笑いも絶えなかった。

それでも彼女は、嫌われていなかった。
彼女はいつもクラスの中心にいた。彼女は人に好かれていた。
しかし、わたしは彼女が好きではなかった。

ある日、クラスメイトの1人がわたしの落としたプリントを一緒に拾ってくれた。不意に触れた指先に鼓動が跳ね上がる。それが初めての体験で、一目惚れであることを理解するのは、そう難しい事ではなかった。
その日、私は初めて授業を真面目に受けれなかった。ただ窓の外を眺めて、鮮やかな世界に見とれることしか出来なかった。

わたしは、いつもと同じ帰り道にマーガレットの花が沢山咲いていることに気がついた。その中から1本だけ摘むと、わたしはその場に腰を下ろした。1枚摘んで力を少し込めれば、花弁はぷちっと音を立ててひらりと地面に消えていく。

「すき、きらい、すき、きらい…。」

花占いを信じていた訳では無い。更にいえばそれは、人生で初めての花占いだった。おまじないになればいいな。そう思っていた。彼に想いを伝える少しの勇気が欲しかったのだ。たとえそれが些細な一目惚れだとしても、相手からいい返事が貰えなくても、それで構わなかった。ただ、真っ直ぐに伝えたかった。そのための勇気が欲しかった。

そう思っていたから、許せなかった。

「どうしてなの」

骨と骨のぶつかる鈍い音と手に伝わる肌とぬるりとした感触。人と血の混ざり合う生臭い匂いとマーガレットの香り。わたしに押し倒された彼女は、何のことかわからないという顔をして、次々に自身を襲う鈍い痛みに、「許して」とか細い悲鳴をあげ続けた。

彼女とわたしは正反対。嗚呼なんて可愛い顔だろう。羨ましかった。どれだけ彼女が校則を守らなくても、授業を受けなくても、失敗をしても、彼女はそれ以上にとても可愛いかった。だから人から愛された。正反対のわたしはどうだ?本当に先生やクラスメイトはわたしを信用していたか?
違う。わたしは可愛い幼馴染みと他人を繋ぎ合わせるだけの都合のいい紐だ。知っていた。分かっていたけど、どうしても伝えたかった。

「どうして、どうして、どうして!」

わたしの体は次第にふわりと宙に浮き始めた。わたしの体はゆっくりと鉄に変わり始めた。鉄の耳では彼女の制止の声なんてもう聞こえなかったし、鉄の手では彼女を殴る感触なんてもう感じなかった。鉄の脳みそではぐちゃぐちゃな彼女の顔を見ても、可愛いとか、可愛そうだとかも、全く思わなかった。ただただ無心で、わたしは彼女を殴り続けた。

風が吹く。マーガレットの花弁が一斉に舞い上がり、わたしの口や目を通じて体内に入り込んだ。わたしはそれを全て受け入れた。体いっぱいに広がるマーガレットの香りはわたしの心を奪ってぐちゃぐちゃに混ぜ始める。それでもあの憎たらしい光景だけはわたしの脳裏に張り付いて離れない。

わたしは彼を呼びだした。彼はいくら待っても来なかった。彼は、彼女と歩いていた。そして、抱きしめて、指を絡ませて、キスをした。

「どうしていつも貴女なの」

乾いた銃弾の雨は世界に反響しながら、彼女の体と私の瞳を濡らして穴を開けた。もうその時にはわたしはわたしが分からなくなっていた。藍色の襟と真っ赤なリボンだけがわたしをわたしだと優しく教えてくれた。鮮やかな世界が広がる中でわたしは、地面に横たわってこちらを見つめる、1枚の花弁だけ残こされたマーガレットを見つけた。

わたしは、「きらい」で終わったあの花占いで、 最後の1枚を摘むことを忘れていたことをようやく思い出した。

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