再会
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平日の昼下がり。
この職場にしては珍しく朝から暇にしていたところ、備え付けの電話がけたたましく鳴り響いた。
急いで受話器を取れば、何時ものように無機質な音声が仕事の連絡を繰り返した。
 
どうやらオブジェクトが街中に出現したらしい。仕事内容は民間人の避難誘導、との事だった。
クローゼットの中から警備作業用の制服を取り出し着替え、用具の詰まったアタッシュケースを手に取る。
ドアを開け放ち、ほとんど同じタイミングで部屋を飛び出してきた同僚と共に、白い廊下を走り抜ける。
これでもかと長い廊下を抜け、停めてある専用車に飛び乗る。
同僚が後部座席に座った座らないを気にせずエンジンを吹かしアクセルを押し込む。
別々の箇所から走り出た、仕事に駆られた車の群れが職員寮を飛び出して行った。
 
現場に向かう車内で、後部座席にいる同僚と悪態をつく。
 
「せっかくの休みが台無しだな」
「しょうがないさ、こう言うのは日常茶飯事な職場だろう」
「それはそうだが、もう少し前触れってもんが欲しいな」
「へっ、ちげえねえ」
 
そうこうしてるうちに現場に到着する。
 
すでに到着していた機動部隊がオブジェクトの沈静化にあたり、他のエージェント達が民間人の誘導や、テントの設営を始めている。
パニックになった人々が車の脇を走り抜けるのを横目に、アタッシュケースから必要最低限の保身用具を取り出し車を降りる。
すでに仕事をしていた一人と情報交換をした後、人手の足りないと言う場所へ足早に応援に向かった。
 
今回の規模がどれほどかは見当もつかないが、道にはそこそこの人がいた。
恐怖の伝染はこうも早いものかと実感しながらも持ち場に着く。
設営班の建てたテントへ誘導をして行く中で、人々の顔を観察して行く。
 
青白い顔をした人、泣いている赤ん坊や子供、恐怖で立ちすくむ人、気が狂ってしまった人。
 
そんな現実の悲惨さを目にしながら誘導を続けていく。
その中に、ある、一つの顔を見つけた。その顔を、見間違えるはずがない。
 
忘れもしない、彼女の、顔だった。
いや、元彼女の顔だった。
ここに勤めることが決まり、それにより関係を絶った彼女がいた。
 
何かの見間違いだろう、他人の空似だろう、そう思って仕事に戻ろうとしたその時、彼女の目が私の顔を捉えた。
 
その視線に縫い付けられ、一瞬のうちに縛り上げられた感覚が身を走る。
 
驚愕に囚われた顔の彼女は、しばらく人の波の中で立ち往生した後、真っ直ぐにこちらへ向かってきた。
怒りと、どの感情によるものか分からない涙を顔に貼り付けて。
逃げたい、そう思ったが、出来るはずも無い。職務から逃げるわけにはいかない。
 
諦めて誘導を続けていると、彼女が人の波を抜け、私の目の前に立つ。
 
「なんであなたがここにい…!」
「少し。静かにしてくれ」
 
そして、開口一番大声を張り上げようとした所を口を手で塞ぐ。
仕事で培った冷徹さを使い彼女を威圧し、少し静かにしておいて貰う。
近くにいた職員に当たり障りの無い言葉を並べ、持ち場を離れる許可を貰った。
 
「少し黙ってて」
 
そうもう一度釘を刺し、設営途中のテントの方に連れていく。
 
テントに入り周囲に人が少ない事を確認して、彼女に喋っても良いと伝える。
先ほどと同じ言葉が1.5倍ほどの声量で飛んできた。

「なんで!あなたがここにいるの!2年前に!亡くなったんじゃ無かったの!」

私はこの職場に勤務するにあたって、自身の存在を世間に秘匿するのを一つの対価として払っていた。
私は2年前にで死亡し、遺体は見つかっていない事になっていて、彼女は私が一方的に振って連絡先を削除し、音信不通にしていたのだが。
私の虚偽の死の事については、私の家族か誰かから知ったのだろう。
 
そんな彼女に生きている事がバレた、それは私の仕事の行き先を左右する最も大きい壁だ。
 
「そう、そうなんだが話を聞いてくれ」
「なんの話を聞けば良いのよ!私を騙したくせに!」
 
「いや…それは、すまなかった。だがこれには訳が」
「訳がじゃないわよ!私が!どれだけ!悲しい思いをしたか、あなたにはわかってるの!」
 
ひたすらに彼女からの怒声が飛んできて、取りつく島もない。
しばらくすると彼女も落ち着いてきたのか疲れたのか、言葉の勢いが弱まる。

「あなたが、勝手にいなくなって、私は捨てられたと思った」
「私はいらない存在だったんだって思った。あなたは最初から私を見ていなかったんだって。それでそのまま日が過ぎていった」
「もう何もかも嫌になった時に、あなたのお母さんから連絡がきたの」
「…あなたが事故で亡くなったって」
 
「そこまできて私はもうどうしようもなくなった。私にも分からない色んな感情に支配されて」
「夜通し泣いた、あなたのいない棺を見て泣いた、涙が枯れるまで泣いたわ」
「私は悲しみの海に沈んだ、それでも生きなきゃって思った」
 
「それが、全部無駄だったっていうの?」
 
彼女の目から、また涙が溢れ出した。
 
彼女の痛みが、その言葉を通し心臓に刺さってゆく。
騙していた過去を、押し殺していた現実を目の前に突きつけられる。
面と向かうのを避けたくなる気持ちが胸の内で暴れ回る。
いっそのこと情動に駆られ、全てを打ち明けてしまいたかった。

それでも、仕事への忠誠を捨てる訳にはいかない。
彼女は記憶処理で済むだろうが、私はそうはいかないだろう。機密を話したとなれば懲戒処分が良い方だ。
この先を見通し、暴れ回る感情を支配する。
彼女が泣いている間に答えを出さなければならない。
 
自身の置かれている境遇をもう一度反芻する。
答えは、案外すぐに出た。こうするしか手が無かった、と言うのもあるが。
彼女に気づかれないよう静かに、右手で腰に下げたケースから注射器を取り出す。
 
彼女の元へ歩みを進める。
こちらを見上げ、赤い目をした彼女が言う。
 
「何よ、いまさら何をするって言うの?」
 
「こうする、かな」
 
彼女をそっと抱きしめる。ずいぶん強引な手なのは分かっている。だが、時間の無い状況で他に最善策も思い付かなかった。
いきなりの事で彼女が戸惑っているのが、震える肩から静かに伝わってきた。
それでも時間が経つごとに少しずつ、強張っていた彼女の身体がほぐれていく。一度身体を離し、流れに身を任せ言葉を紡ぐ。
 
「すまなかった、ちゃんと説明してなくて」
 
「この仕事が終わったら、ちゃんともう一度君と話そう」
「この仕事を辞めたって良い。また、君と居られるようにしよう」
「もう、君を騙すことなんてしないと誓うよ」
 
綺麗事だけを並べ立てる。
それでも混乱の中にいる彼女には十分なようで、次第に笑顔が戻っていく。
 
「だから、もう少しだけ持っていてくれないか」
 
そう言い切った時には、かつてと変わらない笑顔をした彼女がいた。
そして「うん」と、短い、それでいて確かな返事が返ってきた。
結局何もしてあげることのできない無力感が、胸を刺す。
痛みに顔をしかめそうになりながら、もう一度彼女を抱きしめる。
 
そしてその白い首筋に、プツリと鈍い銀色の針を立てる。
もう聴こえないだろう彼女の耳に、もう一度、謝罪を吐く。

「ごめんな、また、さよならだ」
 
倒れていく彼女の体を抱きとめ、救護テントに運ぶ。
事情を当たり障りの無い言葉で説明し、彼女の元を発つ。
 
 
 
涙が一つ、頬を伝う。
 
 
 
二度目の嘘は、やけに塩辛い味がした。

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