溶け合い崩れ行く罪と罰
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さあ、目を閉じよう。

俺たちの世界に、別れを告げよう。

この現実性の砂で出来た世界は、じきに全てが崩壊して終わりだ。山盛りの砂が端から徐々に掬い取られ、最後には一気に崩れるように。あるいは真っ白な絵の具を用いて、キャンパスの隅から徐々に塗りつぶしていくように。

「俺の世界だ」

震える声に、我ながら情けないと感じつつカメラの先の誰かと視線を合わせる。

「こうなったことが分かってから、俺は必死にこの世界を調べた」

ああ、そうとも。俺は知っている。全てを知っている。自分の言葉には必要最低限の情報が含まれるように調節して、感情を極力抑え込む。
今の俺は、財団に対する怒り、無力感、絶望、反感、その他の様々な負の感情が入り混じった心を抱えている。俺の見てきた数々の世界のように、溶け合った感情だ。

「……ことの始まりがどこかは分からない――」

説明する間、表情が何度か歪んでしまいそうになるのを抑えながら、全てを託して端末に話しかける。
長年財団に勤めて来た俺だ。勿論、財団にこの情報が伝わったところで全てのSRAが止まる保証がないことは分かっている。正常に起動しているSRAは確かに素晴らしい発明であることに変わりないからだ。SRAの使用停止はオブジェクト収容違反多発を招いてしまうだろう。財団は便利な道具に頼りすぎたのだ。

「……財団の有する█,███,███基のSRAは、全宇宙に存在する数千数万の財団は、そうやって間接的に、次々と現実性を奪っている。これからも、俺自身でさえも」

不意に溢れる感情がそのまま涙として溢れる。頬を伝う感触に、自分がまだ現実性を保っていることを自覚する。いくら無事な携行型SRAを起動しているとはいえ、常に溶けた肉を踏んで白くなりつつある世界を渡り歩いていれば、本当に自分が現実なのか疑ってしまう。

そうか。
俺も、溶けてしまえばいいのか。

「俺にはもう、耐えられない」

赤い光を発しながら、どこにあるかも分からない宇宙から現実性を供給し続けるSRA。俺は装置のスイッチを叩き壊し、回路を基盤ごと破壊した。

……耐えられなかったんだ。

俺たち財団は、嘘っぱちの説明に踊らされて幾多の世界を破壊し続けて来た。
財団は無知を尊ぶ。
平和に暮らす人類は全てその身に迫る脅威を知ることなく生きれば良いのだと宣う。
そうとも。無知は一種の免罪符だ。しかし、その一方で無知でいること自体が罪だ。

白紙になりつつあるこの世界において、罪を償える人間はもう俺だけしかいない。
本当であれば、SRAを起動したまま無事な世界を探した方がいいのだろう。記録に託すよりも、俺自身が訴えた方がより確実かもしれない。

しかし、その間ヒューム値が0µHmを下回り続ける世界で起動を続ける俺のSRAが、まだ無事のままでいる他の宇宙を破壊する可能性があることは否定できない。

今は俺だけが知っている罪だ。

何故全てを知った俺がSRAで生き永らえる必要があるんだ?

「なぁ、頼む。SRAを今すぐ止めてくれ。それがこの悲劇の連鎖をくい止める、唯一の手段だ。これ以上、ZKの連鎖を続けないでくれ。頼む……」

再び溢れる涙に瞬きしようとして、既に右目から瞼が溶け崩れていることに気づいた。もう時間がない。記録用のカメラを操作しているときも、左手は最早使い物にならなくなっていた。

「君らの世界では、こんなことを現実にしないでくれ」

最期の呟きは、一緒に記録されてしまっただろうか。揺らめきだしたカメラを、まだ僅かに現実性を保持している壊れたSRAに括り付けた。
俺は恐らく現実性を喪って死ぬが、記録だけでも残したい。財団の罪をこのまま有耶無耶にする訳にもいかない。

1歩、右手が衣服と完全に溶け合う。
2歩、口が開かなくなる。
3歩、左半身がまだら模様になる。

何度も見てきた肉塊に近づいていく恐怖。どんなに頭の中で理由を繋ぎ合わせても、本能的な恐怖だけは消えない。俺が何をした?何故俺だけが罪を知り、罰を受けなければならないんだ!

……その思考さえ、穴を幾つか踏み越えるうちに溶解して行く。

SRAにメッセージを入力、セット、停止。
歩く。

SRAにメッセージをにゅう力、セット、停し。
歩く。

SあーるAにメッセーじをにゅうりょく、せっト、ていし。
あるく。

つみ、ばつ、ぜんぶ、とけあうなかで、おれは、ついに、みつけた。

まだほろんでいないせかい。

かんぜんにとけるまえに、しこうのない、にくかいへ、なりはてるまえに。

「たのむ」

直後、SCP-1280-JPから出現した人型実体は完全に肉塊と化した。

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